15話 神速の剣閃――総監・ゼノビア
森の空気が一変した。
先ほどまでの捜索官たちによる喧騒が嘘のように消え、静寂が支配する。だが、それは安寧ではない。巨大な捕食者が、ただそこに「居る」だけで周囲の生態系を沈黙させているのだ。
「……随分と荒い魔力の使い方をしますね。Lv0の少年」
木々の隙間から、白銀の軽装鎧を纏った女――「ゼノビア」が、悠然とした足取りで姿を現した。
その足音が聞こえるたびに、地面の影が波打ち、アルトの心臓を締め上げる。
彼女の頭上に浮かぶ**《Lv67》**の文字。それはこの国の歴史において、万の兵に匹敵すると讃えられる《支配階級》の頂点に近い数値。
『――主よ、警告します』
アルトの足元で、最強の影がこれまでにないほど鋭く、濃密に蠢いた。
『あの女は、これまでの雑兵とは魂の密度が違う。今の貴殿の未熟な器では、瞬きする間に首を落とされるでしょう。……敵対は死と同義です』
影の警告。だが、アルトは既に動いていた。
(……分かっている。だから、手は打ってある)
アルトの脳裏には、ある「確信」があった。
最強の影――《影位存在》と接続されたことで、アルトの意識には、かつて見たこともないはずの情報が洪水のように流れ込んでいた。
敵の筋肉の動きから予測される踏み込みの深さ、ゼノビアが帯びる細剣の材質、そしてこの森の地形。
古今東西のあらゆる戦闘データが、アルトの思考を「最適解」へと強制的に導いているのだ。
「……そこだ」
ゼノビアがアルトの前で立ち止まった瞬間、彼女の死角――背後の闇から、潜伏させていた二体の影の分隊が跳躍した。
『……ほう。主よ、今の情報は私から与えたものではない。貴殿自らが引き出した「可能性」ですか』
最強の影が、感心したようにその闇を震わせた。
分隊は音もなく、ゼノビアの首筋と心臓を狙って影の刃を突き出す。
不意打ち。Lv40の精鋭でも防げなかった、絶対の奇襲。
だが。
「――遅いですね」
ゼノビアは振り返りさえしなかった。
銀光が一閃。
アルトの視力では、彼女が剣を抜いたことすら認識できなかった。
キィィィィィィン! と、空間を切り裂くような硬質の音が響く。
次の瞬間、襲いかかった二体の影の分隊は、その輪郭を粉々に砕かれ、空中で霧散した。
「なっ……!?」
「私の《Lv67》は、数え切れないほどの戦場と、神への忠誠で得たものです。影のまやかしが届くとでも?」
アルトは血の気が引くのを感じた。
影の分隊は、アルトの無限の魔力で即座に修復できるはずだった。
しかし、ゼノビアの剣が放つ凄まじい「神聖魔力」によって、影の核が一時的に焼き切られている。再構築が追いつかない。
三体のうち二体を失い、アルトの前に残るは一体の分隊と、足元の本体のみ。
「さあ、どうしますか? 命乞いをしますか? それとも、その足元の『本性』を解き放ちますか?」
ゼノビアが細剣をアルトの喉元に突きつける。
わずかな殺気だけで、アルトの皮膚が裂け、鮮血が伝う。
(使うのか……? 今、ここで影の本体を解放すれば、ゼノビアを殺せるかもしれない。でも、そうなれば、もう後戻りはできない。僕は、この世界のすべてを敵に回す「影の怪物」として、完全に人間を捨てることになる……!)
影は主の決断を待っている。
無限の魔力が、アルトの内側で荒れ狂っていた。
ゼノビアの冷徹な瞳が、アルトの迷いを射抜くように見つめていた。




