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元スパイ、家政夫に転職する  作者: 秋原タク
第一章 元スパイの家政夫ミッション

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04話 長女の夏海はウブだった。

 洗い物を済ませたのち。俺は夏海と晩酌することにした。

 本当はそのままシンクの水垢も取ってしまいたかったのだが、雇い主の誘いを無下むげに断るわけにもいかない。

 今後の家政夫業を円滑にするため、ひいては三姉妹との仲を深めるためだと割り切って、リビングのソファで隣り合ってふたり、コツン、と発泡酒の缶をぶつけ合った。


「かんぱーい!」


「乾杯だ」

 

 グビグビ、と豪快に酒をあおる夏海を見やりつつ、俺も一口飲んでみる。


「……ほう。うまいな」


「だろー? 金ないときはコレに限るわー」

 

 発泡酒と聞いてそんなに期待していなかったのだが、日本のソレはなかなかに高品質なようだ。某大国のビールよりもイケる。

 テレビから流れてくるよくわからないバラエティ番組をBGMに、『柿をピーしたアレ』という謎のツマミを食べながら、発泡酒を胃に注いでいく。

 大人のスパイとして利用するはずだった酒を、まさか家政夫として口にすることになるとは。

 人生わからないものである。


「クロウはさー」

 

 と。五分ほど酒を酌み交わした辺りで、夏海が何気なくといった風に訊ねてきた。

 酒が回りはじめているのか。目はトロンと半目になり、頬もほのかに赤らんでいる。


「家政夫になる前はなんの仕事してたん? さっき『転職前の仕事にかかりっきりだった』とか言ってたけど」


「私立探偵をしていた」

 

 即答する俺。

 三姉妹と交流していく中で必ず訊かれるだろうと思い、事前に架空の経歴を偽造しておいたのだ。持ってきた履歴書にも探偵事務所の住所や電話番号が記載されている。もちろん、すべて偽装番号だ。

 探偵を選んだのは、ターゲットのあらゆる情報を探るスパイと、事件の情報を探る探偵とで、なにかと辻褄つじつまを合わせやすいと感じたからだ。

 こうした偽の経歴を作ることも、スパイには必須の技術なのである。

 ……まあ、いまはもうスパイではないけれど。


「探偵? クロウが?」


「おかしいか?」


「おかしくはねえけど、意外だなって。クロウって、なんか天然入ってるっぽいしさー」


「天然……」

 

 キャサリンにも同じことを言われた覚えがある。

 あれはたしか、キャサリンが酔っ払って『ワタシの元彼をぶん殴ってきてよ』と頼んできた際に、真顔で『了解した』と返したときのことだ。

 ジョークをジョークと理解しなさい、と叱られたっけ。


「俺自身、そこまで抜けた発言をしているつもりはないのだが……」


「なんつーか、クロウの空気感? 雰囲気みてえなのが、もうすでに天然なんだよな。裸踊りしてって頼まれたら、なにも疑わずに真顔で服脱ぎだしそう」


「? それはするだろ。頼みごと……つまりは『任務』なのだから」

 

 俺たち諜報員オフィサーにとって任務は絶対だ。

 任務達成のためならば裸になることなど造作もない。

 ……だから、いまはもうスパイではないのだけれど。

 

 俺がそう、まさしく真顔で答えると、夏海はケラケラと楽しそうに笑った。

 鋭い目つきの夏海だけれど、こうして笑うと一気に幼く見えるな。


「ほら、それだよそれ! なんかズレてるんだよなー、あたしらの常識と。まあ、おもしれえから全然いいんだけどさ」


「……これは、もしかしなくてもバカにされているな?」


「褒めてる褒めてる。おー、よしよし。クロウちゃんは天然ちゃんでちゅねー。えらいでちゅねー」

 

 言いながら、隣に座る俺の頭をくしゃくしゃ、となでてくる夏海。

 完全なる酔っ払いだった。

 悪意がないのは伝わるが、すこしだけバカにされていることだけは感じる。

 ならば、ここは酔い覚ましに仕返しするしかあるまい。


「なにを言う。夏海こそ、長女としてがんばっていてえらいじゃないか。よしよし」


「なッ、……」

 

 彼女の手とクロスさせるようにして手を伸ばし、夏海の頭をやさしくなでてやった。

 艶のある髪質だった。一本一本が絹のように細い。

 失礼な話、見た目のヤンキーっぽさからしてもうすこし傷んでいるものかと思っていたが、それはとんだ勘違いだったようだ。

 

 と。夏海は手こそどかさないものの、なぜかそっとうつむき、俺へのなでなでを弱めてしまった。

 が。俺はかまわず綺麗な茶髪をさわさわ、となでていく。

 肌触りがいいからもっとなでていたい、という気持ちも、すこしだけあった。


「俺と同い年にもかかわらず、ここまで姉妹を思いやれるのは素晴らしいことだと思うぞ。うんうん、素晴らしいお姉ちゃんだ。えらいえらい」


「あ、いや、えっと……」


「容姿も綺麗だし、髪も綺麗だし。なにひとつ欠点がないな。うん、さすがは長女の夏海だ。思わず好きになってしまいそうだー」


「す、好き……ッ、う、うがーッ!!」

 

 瞬間。夏海は火山よろしく爆発し、その場にガバッ、と立ち上がった。

 わなわなと唇を震わせているその顔も、火山のマグマのように真っ赤になっている。


「こ、ここ、この天然タラシがー! す、好きになるとか……お、乙女の純情をもてあそぶんじゃねえッ!!」


「い、いや、俺は仕返しをしていただけで……」


「うるへー!! 言い訳なんざ聞きたかねえ! 法廷で会おう!」

 

 怒りをぶちまけ、リビングを後にしようとソファを立ち上がる夏海だったが――思ったより酔いが回っていたのだろう。

 わずかに足をつんのめらせて、こちらに身体を倒していくと、座っている俺の膝上にポスン、と頭を乗せてきたのだった。

 見事、膝枕の完成である。


「ッ~~、な、こんな……女の子が描く理想のシチュエーションまでやりやがって……どんだけタラシなんだ、クロウはー!!」


「俺はなにひとつ動いていないんだが……なんであれ、夏海」


「な、なんだよ!」


「すこし飲みすぎだ。足取りがおぼつかなくなっている。部屋まで運んでやろう」


「え」


「失礼するぞ――、っと」

 

 ソファから立ち上がり、横たわる夏海の背中と足に手を伸ばし、そのまま持ち上げる。

 いわゆる、お姫さま抱っこの形だ。

 夏海は、なにが起きたかわからないとでも言いたげな唖然とした表情で、俺のことを見上げてきていた。


「なッ……いや、あの……え?」


「夏海の部屋は二階だよな?」


「え、あ、うん……え?」


「了解した」

 

 よいしょ、と持ち直して、夏海を二階に運搬していく。

 細身だとは思っていたが、ここまで軽いとは。

 キャサリンから譲り受けた依頼書によれば、夏海の身長は百六十八センチ、体重五十三キロとのことだったが、それよりも三~四キロは軽い気がする。


「夏海。酒もいいが、しっかりとご飯も食べたほうがいいぞ。お前はすこし軽すぎだ」


「……わ、わかった」


「? どうした。もしかして、気持ち悪いか? それなら、一旦トイレに寄るが……」


「ちが、ちげえよぉ……」

 

 つぶやいて、夏海は両手で顔を覆うように隠した。

 酒のせいではない。夏海の両耳はリンゴよりも赤く染まってしまっていた。


「は、はじめて男のひとに抱っこされて、恥ずかしいんだよぉ……バカぁ……」


「……ああ、なるほど」


「ううぅ……い、いいから、もう早く運んでくれよ……恥ずかしくて死にそうだ……」


「り、了解した。死なれては困るからな」

 

 すこし小走りで階段を昇り、『夏海』と書かれたプレートの部屋を開ける。

 二十歳の女性にしてはファンシーなぬいぐるみが多い、まさしく乙女といった部屋だったが、長居してしまっては夏海がさらに恥ずかしがってしまう。

 俺は最短距離でベッドに向かい、夏海をやさしく寝かせたのだった。


「そ、その、すまなかった。色々と配慮に欠けていた」


「い、いいよ、もう……運んでくれてありがと、おやすみ……」


「ああ、おやすみだ」

 

 夏海に掛け布団をかけて、俺は足早に部屋を後にする。

 晩酌を通じて夏海との仲を深めるという任務は、どうやら失敗に終わってしまったようだった。

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