33話 キャサリンが告げた。
街の空気がどこか弾んでいる、十二月二十四日。午後六時。
俺と葉咲三姉妹の四名は、風の子院前の坂道を登っていた。
風の子院のクリスマスパーティーに参加するのはてっきり俺ひとりだけになるかと思いきや、三姉妹に声をかけてみると、意外にも全員がOKを出してくれた。
理由は、単純明快。
――女友達と切ないクリスマスパーティーを過ごすよりはマシだから。
だそうだ。
三人が三人とも、表情に悲しい陰りを帯びていたのを忘れない。
さておき。桜と夏海はまだしも、秋樹もそうした女子としての体裁を気にしていたのは意外だった。最近は恋愛小説も読みあさっているみたいだしな。同性との関係だけではなく、異性との交流も意識しはじめているのかもしれない。
……いやまあ、俺を異性として意識されても、いまは困るのだけれど。
「――あ、いらっしゃ~い! 野宮さん!」
そんなことを考えながら、電飾で煌びやかにライトアップされた風の子院の門を抜け、院内に繋がる窓際に向かうと、忙しそうにケーキやお肉を運んでいた白峰がこちらに駆け寄ってきてくれた。
頭にはキラキラの三角帽子をかぶっていて、その口元には、サンタを模したであろう立派な白ヒゲがたくわえられている。
「こんばんは、白峰さん」
「はい、こんばんは~。おお! こちらが秋樹ちゃんのお姉さんたちですね~。こんなかわいい子たちの家で家政夫をしているとは……野宮さん、幸せ者ですね~! このこの!」
「あ、ありがとうございます……それでまあ、今日は三人の予定が偶然空いていたので、全員連れて来ちゃいました。大丈夫だったでしょうか?」
「もちろん大丈夫ですよ~! 豪勢な食事ではないですけど、量だけは食べきれないくらい用意していますので! ゲームと合わせて楽しんでいってくださいな~!」
どうぞどうぞ~! と手招きする白峰に会釈し、三姉妹を連れて中に入る。
「おぉ……がんばりましたね、白峰さん」
「ふふ~ん! そうでしょそうでしょ~」
室内の至るところに、先日作った飾りつけが施されていた。子供たちと秋樹、それにハチバンのハンドメイドだ。高級ホテルで開かれるようなセレブパーティーにはない、ほっこりとした温もりが伝わるパーティー会場だった。
会議用の長テーブルの上に白のテーブルクロスが敷かれ、チキンやポテト、白峰のお手製であろう食事、それにホールケーキなどが並べられていた。
今か今かと待ちわびている子供たちを横目に、俺と三姉妹もテーブルに腰を下ろす。
「……なあ、クロウ」
と。隣に座る夏海が、なにやら思い悩んでいるような表情で話しかけてきた。
その奥に座る桜、秋樹も、興味深そうにこちらに視線を向けてきている。
「どうした? 夏海。トイレなら廊下を出て右の突き当たりだぞ」
「そんなことは訊いてねえ――お前、ここ最近ずっと、この風の子院に通ってたんだよな?」
「? ああ、そうだな」
「それって、あのひとに会うためだったんか……?」
そう言って、夏海はくいっ、と顎で教室の出入り口を指し示した。
そこには、白峰から大量のもやし炒めが乗った大皿を受け取る、ハチバンの姿があった。
「……ふむ」
『あのひと』というのが白峰とハチバン、どちらを指しているのかはわからないが……まあ、位置的にこちらに近いのはハチバンだから、おそらくはハチバンのことだろう。
ハチバンに脅されているから足を運んでいる、なんて、バカ正直に明かせるはずもないので、俺は詳細は語らず素直にこう答えた。
「ああ、その通りだが?」
「「「この浮気者ーッ!!」」」
ガタッ! と椅子を蹴飛ばし、三姉妹が声をハモらせながら立ち上がった。
な、なんか、どこかで見た光景だッ!
ああ、スパイを解雇されるときも、たしかこんな感じだったんだ!
「あ、あたしたちには『過激な接触は控えるように』とか言ってブレーキかけておきながら、自分はしっぽり新しい女とイチャコラしてたんじゃねえかッ!」
「私たちにブレーキかけたのも、実はあのひとともっと仲良くなるためだったのね……最低よッ、クロウ!」
「三人に言い寄られたらドキドキして心臓が保たないとか言ってたのも、わたしたちにウブな一面を見せて騙すためだったんですね……見損ないましたッ!」
「ま、待ってくれ! みんな誤解のアクセルを踏みすぎだ! ひとまず落ち着いてくれッ!!」
思わず俺も立ち上がって、三人をなだめつつ冷静に説明をしていく。
そうか、なるほど。夏海の言っていた『あのひと』は、白峰のことだったのか!
俺たちのその騒ぎを見て、周りの子供たちが楽しそうに笑っていた。楽しそうでなによりだが、攻め立てられる俺はまったく楽しくない。
ふと。慌てて弁解する俺のテーブル前に、ハチバンがそっと取り皿を運んできた。
「ニシシ。メリークリスマス」
聖なる夜には相応しくない、小悪魔的な微笑と共に。
□
十数分の熱弁を経て三姉妹への誤解を解いたのち、ようやく待望のクリスマスパーティーが開始となった。
白峰が釘を刺していた通り、たしかに豪勢な食事とは言えないラインナップだったが、その味は三ツ星レストランにも劣らぬ美味しさを誇っていた。白峰の、子供たちへの愛が詰まっていたからだ。
チキンは辛すぎず甘すぎず。ポテトも塩を適度に振って。ケーキも甘さ控え目で……白峰はきっと、子供たちの喜ぶ顔を脳裏に浮かべながら、この料理を一品一品作っていったのだろう。そう確信できる温かい味つけだった。
ハチバンもまた、子供たちとの食事を堪能していたようだった。
夜な夜な夜泣きしているとは思えない、それは心底楽しそうな笑顔だった。
その後。
温かい食事をぺロリと食べ終えた俺たちは、白峰が企画していたというゲームをすることになった。
別室から白峰が持ってきたのは、古いボードゲーム。
ゲームのタイトルは、『大逆転! 人生ゲーム3』。
…………。
以前、桜が持ってきたボードゲームの、ひとつ前のシリーズか。
「いっぱいご飯を食べたあとは、これで遊びましょ~! なにかないかな~、って倉庫の奥を探してたら偶然見つけてね~? 楽しそうだからみんなでやってみよ~! ただし、全員分の駒はないから、チーム分けしてルーレットを回していこうね~!」
はーい、と賛同の手をあげる子供たちと三姉妹。
俺はひとり、真冬にもかかわらず冷や汗を流していた。
「さ、散々な目に遭った……」
案の定というか、予定調和というか。
人生ゲーム開始十分と経たずに、俺は白峰と恋仲になってしまい、同じチームの三姉妹から針のごとき鋭い視線を受けることとなった。そのあとも白峰との駆け落ちルートに突入し、終盤は白峰と墓を共にすることにまでなってしまった。
そんな波乱すぎる第一ゲームを終え、俺はいま、気持ちをクールダウンするためにトイレ休憩を行っていたのだった。
「次は桜主導で回してもらおう……うん、そうしよう」
小さな決意と共に蛇口をキュッ、と締め、パーティー会場に戻る。
と。その中途。
「……ん?」
廊下の窓の外。
広場の遊具の影に、銀髪のツインテールの背中がチラリ、と見えた。
ハチバンだ――教室のほうを警戒しながら、左手に持ったスマホを耳に当て、小さく口を動かしている。誰かと電話中のようだ。
顔は、暗くてよく見えない。
(アイツ、携帯持ってたのか)
持ってるのなら、番号を俺に教えておいてくれたらよかったのに。そうすれば、わざわざ俺の家に来る手間も省けた。
ハチバンに日本の知り合いがいるとも思えない。となると、電話相手はフルピースの誰かだろうか?
(護衛任務に関する定期報告、といったところかな?)
まあ、これだけ順調な任務であれば、報告することもあまりなさそうだけれど。
そんなことを思いつつ、窓から視線を切ろうとした瞬間。
ハチバンの身体がくの字に……なにかを訴えるかのように大きく曲げられたかと思うと、遊具の影からわずかに歩を進め、月の下にその身を乗り出した。
ハチバンの顔が、月光に照らされる。
「……、……」
ハチバンは、愕然とした表情をしていた。
顔を教室のほうに向け、この世の終わりとでも言わんばかりの絶望を、その表情に滲ませている。
敵に殺される間際……いや、自分が殺される間際でも、あのような顔はしないだろう。それよりももっと残酷な、想像もしたくないような現実を前にしたかのような、あれはそんな表情だ。
家族であるフルピースとの会話で、あそこまでの絶望を覚えてるとは考えにくい。
ということは、電話の相手は別の誰か?
そう訝しんだ直後――タイミングよく、俺のスマホが微震を始めた。
思わずその場に屈み込み、廊下の壁を背にしながら、発信者をロクに確認せずに通話ボタンを押す。
「もしもし」
『クロウ。よく聞いて』
相手は、キャサリンだった。
外出先なのか。時折、風が吹きすさんでいるような雑音が入ってくる。
キャサリンの声音にも、いつものような陽気さはない。仕事をするときの、フルピース諜報部局長の固い声音だ。
俺は一度、スマホから耳を離し、周囲を確認する。教室は子供たちの声で賑わっているから、廊下での話し声なんて聞こえはしないだろう。
会話を聞かれないことを確認したのち、俺はスマホに耳を当て。
「なんだ、また元彼の愚痴か?」
『あなたにひとつ、依頼したい〝任務〟があるわ』
「任務だと? スパイを辞めた俺に?」
『現状、クロウにしかできない任務なの。いまからほかのスパイを日本に派遣したところで、手遅れになる。いいえ、ワタシとクロウ以外の誰かを派遣したら、彼女は本当に死んでしまう。これは、ワタシとクロウだけで行う極秘の任務……そして、初動が大事な任務なのよ。報酬はなんでも用意する。だから、お願い』
「……なにがあった?」
これほどまでに切羽詰まっているキャサリンは初めてだ。ジョークを挟む隙もない。
それに、『彼女は本当に死んでしまう』とは、いったいどういう意味だ?
反射的に問いただすと、キャサリンは深い吐息をついたのち、絞り出すようにこう言った。
『ナンバーエイト……片桐ハチバンが、アンチフェイスと接触していた、という目撃情報が入ったの』
「ッ――、ハチバンが、アンチフェイスと……!?」
『これがどういうことか、元スパイのクロウならわかるわよね? 敵対組織との接触は、どのような理由があろうとも許されない。フルピースの組織情報が敵に漏洩されようものなら、ワタシたちは組織ごと解体せざるを得なくなる――フルピースが、ワタシたちの〝我が家〟が、いままさになくなる危機に直面しているのよ』
「……、……」
『ワタシは、我が家をなくしたくはない。そして、大事な家族も……だから、この任務はクロウにしかできないの』
「……任務内容を話せ」
なんて、問い返しはしたものの、任務の内容はわかりきっていた。
だから、俺がここで問うたのは、その任務の裏に隠された『真意』だった。
『ありがとう、クロウ。ありがとう……』
真意を問いただしてくれて、という意味だろう。
心から感謝をつぶやき、キャサリンは大きく息を吸った。
覚悟を決めるかのような吐息だった。
『任務を伝える前に、報告があるわ――先日、クロウからもらった情報をもとに、アパートに住んでた人間を徹底的に調べてみた』
「結果は?」
『あなたの予想通り。完璧な〝クロ〟だったわ』
「そうか……では、キャサリンがいまいる場所も」
『いまクロウが予想している場所で間違いないわ。あなたからもらった〝タバコ〟と〝砂〟の情報のおかげ』
「ということは……ああ、なるほど。そういうことか」
フッ、と。
絡まっていたすべての疑念が、一瞬にしてほどけるような感覚に襲われる。
ハチバンが嘘をつき続けた理由、俺を風の子院に呼び続けた理由……それらすべてに、たしかな解答を得た。
と同時に、俺はハチバンを尊敬した。
ここまで、ひとりでよく戦った、と。
『野宮クロウに告げる』
坦々と、電話口からキャサリンは命令する。
家族を絶対に死なせないという、熱い意志を内包して。
本当、スパイらしからぬ甘さだ。
『ナンバーエイト、片桐ハチバンを排除《殺害》しろ』
「了解した」




