25話 ハチバンを風の子院に連れていった。
白峰カナ。
資産家、白峰厳三の遠縁の孫娘。
身長百六十一センチ、体重五十二キロ。女性。血液型AB型。年齢二十二歳。
服飾専門学校卒業後、父親が運営していた風の子院を引き継ぎ、院長になる。
父親は現在、叶画総合病院にて入院中。母親は六歳の頃に病気で他界。兄弟はおらず。
「風の子院に入っている孤児の数、現在14名。そのすべてを、白峰カナがひとりで世話していル……とまあ、白峰カナに関するプロフィールは大体こんな感じかナ?」
「ありがとう。助かる」
隣を歩くハチバンに説明のお礼を言いつつ、俺はスマホの地図を再度見やると、目の前の十字路を左に折れた。
諜報部の元同僚、片桐ハチバンが俺の部屋に泊まった翌日。
いつも通りに三姉妹を見送り、家の仕事も滞りなく済ませると、俺は昨夜したハチバンとの約束を果たすため、叶画市の最北にあるという孤児院、風の子院を目指していた。
(まさか、同じ市内にあるとはな……)
会ったこともない白峰厳三の意思を操ることなど不可能だから、この任務先のブッキングは単なる偶然のはずなのだけれど……葉咲フユコという世界最大の謎の人物のことを鑑みると、叶画市内で起こることすべてが仕組まれたものなのではないかと思えてくる。
まあ、でも、さすがにそれはないか。
うん、ないない。さすがにそれは。
……ないよな?
……ないと信じたい。
「というか、なんでクロウが白峰カナの情報を知りたがるんダ?」
「ここまで付き合わせておいて、逆に教えないつもりでいたのか……」
呆れつつ、俺はスマホをポケットにしまった。
「まあ一応、ハチバンは元同僚の前に『家族』だからな。それは、組織を抜けても変わらない事実だ。なら、俺にだってハチバンの雇用主がどんな人物かを知る権利ぐらいはあるだろ?」
「家族……ニシシ、そうだったナ。ボクたちは家族ダ」
噛みしめるようにつぶやき、はにかむハチバン。
もちろん、ここで言う『家族』とは血縁関係のソレではない。
言うなれば、『絆』の話だ。
スパイは孤独だ。
情報を届けるためだけに生き、情報を死守するためだけに死ぬ。
誰に褒められることもなく、誰に看取られることもなく、ひとりで。
だからこそ。スパイは組織を『我が家』に見立て、仲間を『家族』と呼称する。
それが、家庭を持つことすら許されないスパイに残された、最後の『拠り所』だからだ。
ゆえに。その絆は『血』よりも濃くなる。
ごっこ遊びなんかじゃない。本物の家族よりも深く濃い絆が生まれるのだ。
……まあ、部署内の管轄の問題などで、滅多に顔を合わせないスパイなども存在するし、俺のようなスパイに惚れてしまう困った女スパイもいたりはするけれど、それでもみんな家族だ。俺はいまでもそう思っている。
葉咲三姉妹に覚え始めている感情も、この絆に似たものだ。
だからきっと、俺は幸せ者なのだろう。
家族をふたつも持つことができたのだから。
「でもまあ、家族とはいえ、クロウはもっとボクにやさしくすべきだと思うけどネー」
「出会い頭に暗器を振りかざすイタズラ娘がなに言ってんだ」
「クロウだって一応はスパイ十指だったんダ。あのくらい避けるのは簡単だったでしョ?」
「簡単か簡単じゃないかの問題じゃないんだよ、まったく」
「ニシシ…………あの、サ」
「ん?」
「クロウは、『ミヤ』のこと、覚えてル?」
「ミヤ? ああ、『No,038』のことか。よくお前と遊んでた女スパイだろ? 赤髪でそばかすがチャームポイントの。たしか、俺と同い年だったよな?」
「……そっか、覚えててくれたんダ……そっカ……」
「? ハチバン……?」
「あ、あア! アレじゃないかナ?」
その声に顔をあげると、小高い坂の上に風の子院の頭が見えてきた。
ハチバンのやけに意味深な態度が気になるが、まあ、ひとまず頭の片隅に置いておこう。
ふたりして坂を登り切り、風の子院の全貌を捉える。
古びた孤児院だった。民家からは離れていて、周りは雑木林に囲まれている。ベージュ色の横長の建造物は、日本の保育園のような造りをしていた。入り口の門は開かれ、広場の中にある砂場や遊具のあちこちには子供用のおもちゃが散乱している。
門の横には『風の子院』と書かれた看板が掲げられていた。達筆な字だ。白峰カナの父親が書いたものだろうか。
時刻は昼の十二時四十分。院内からは子供たちのはしゃぐ声が聴こえてくる。昼食を摂っている最中のようだ。
「……なんか、全体的にボロくネ?」
「年季が入っていると言え。ほら、さっさと行くぞ」
「あーイ」
そう、緊張した様子もなく気怠げに敷地内に踏み入るハチバンを見て、俺はすこし訝しむ。
「……なあ、ハチバン」
「んア? どうしター?」
「お前、緊張してるんじゃなかったのか? だから、頼れるひとに連いてきてほしいと」
「エ……あ、あア! そう、そう……なんだけド! クロウがあまりに平常運転すぎて、いまのいままで緊張を忘れてたんだヨッ! さっきも、家族だなんだって関係のない話をしてたしサ! あーア! せっかく忘れられてたのにナー! クロウが思い出させたせいでまた緊張してきターッ!」
「……ふぅん」
慌てて取り繕うハチバンを睥睨したのち、静かに視線を戻す。
片桐ハチバンはなにかを隠している。
あるいは、『嘘』を吐いている。
それは確実だが、風の子院に連いて行くことが俺の危険に直結するとも思えない。ましてや、最も大事な葉咲三姉妹の危険に繋がるとも考えにくい。
(まあ、いまは好きに泳がせておくか)
嘘は必ず暴かれる。
これも、ボスに教わった言葉だ。
であれば、ハチバンの嘘が隠し切れなくなったそのときに言及すればいいだろう。
そんなことを考えつつ、建物の横にある玄関に向かい、古めのブザーを押した。
直後。トストス、と足音が聴こえてきて、ゆっくりと扉が開かれる。
「――はいはい、どちらさまですか~?」
出てきたのは、おっとりとした雰囲気の女性だった。
女性は風の子院と記された青のエプロンを着ていた。まず間違いなく、この人物が白峰カナだろう。
セミロングの髪はウェーブがかかっていて、わずかに色が抜けている。目尻はやさしげに垂れさがっていて、穏やかな性格であろうことが話さずとも伝わってくる。
体型はプロフィール通り細めだが、胸元がたゆんたゆんに揺れていた。おそらく、秋樹以上の大きさではないだろうか。さらに、彼女にはくびれがあるから、カップ数はかなり上のはず。14名もの子供を世話する院長ともなれば、その母性に比例して胸も大きくなるものなのだろうか? 興味深い。悩ましいほどに興味深い。
……いや、そんな変態チックな胸の考察は置いといて。
「はじめまして。今日からこの孤児院でお世話になる者なんですが……」
隣り合うハチバンの背を押しながら、俺が保護者よろしくそう口火を切ると、女性――白峰カナは「ああ~!」と驚きに目を見開き、胸の前でパチン、と両手を合わせた。
「あなたが片桐ハチバンさんですか!? よかった~! ちょうど人手が足りなかったんですよ~! 十四人をひとりで、となると、どうしても私ひとりじゃあ辛くなってきてて……」
「そうだったんですね。よかったです、門前払いを食らわなくて」
「とんでもない、大助かりですよ~。ありがとうね、おじいちゃん……頼りになる男手さんをよこしてくれて」
「「……男手?」」
思わず首をかしげる俺とハチバン。
俺たちの反応もよそに、白峰は「それで~」とハチバンの前で屈みこんだ。
「こちらの銀髪のかわいい子は? 海外の子供さんかな? ハチバンさんは独身だってお聞きしてたんですけど……きみ、お名前は~?」
「……なるほど」
白峰は、俺が『片桐ハチバン』だと勘違いしているのか。
たしかに、『ハチバン』という名前だけでは性別がどちらかまではわからないものな。
……うん、面白いから、すこし静観してみよう。
俺がハチバンであると信じ、「よしよし」とハチバンの頭をなで始める白峰。
怒りにヒクヒク、と目元を痙攣させながらハチバンが口を開いたのは、そのすぐあとのことだった。
「どうもはじめましテ! 片・桐・ハ・チ・バ・ン! って言いまスッ!」
「…………えっと、片桐ハチバンさんが、ふたり?」
「こっちは野宮クロウっていうただの付き添いで、ボクがヘルパーの片桐ハチバンだヨ!」
「どぅえええぇッ!? こ、これは失礼つかまつりもうした! え、でも……えッ? こんなに小さいのに二十歳なんです!? かわいい!」
「誤解が解けたなら頭なでるのをやめロー! ガキあつかいすんナッ!」
コイツ、本当は十三歳のガキですよ、と密告したくなった瞬間である。
「ああ、ゴメンなさい! 私、かわいいものには目がなくて……ああいや、目はあるんだけどね? ほら、ふたつあるでしょ? こっちが左目で、こっちが右目だよ?」
「見ればわかるワッ! なあクロウ、コイツなんか変だゾ! ボク、白峰カナがこんな変人だとは思ってなかっタ!」
「あ、私のことはカナでいいよ~。私も、ハッちゃんって呼ぶからね~。ハッちゃん」
「拒否権なシッ!? た、助けてくれクロウ! ボク、ここでやっていく自信が急になくなってき――」
「それじゃあ白峰さん、あとはよろしくお願いします」
無常に切り捨てて、お辞儀をひとつ。俺はそうそうに踵を返した。
いいコンビじゃないか。この調子ならうまくやっていけそうだ。
背後から「こ、この薄情者ーッ!!」とハチバンの悲鳴が聴こえてきたが、あえて無視して門を出る。
まあ、葉咲家からそこまで遠くもないし、時間ができたら時々覗きに来てやるとするか。
最初は面倒くさいとしか思っていなかった付き添いだが、なかなかに楽しめたな。
いままでのイタズラの仕返しができた、とホクホク顔で満足げに帰っていた帰路の途中。横断歩道でのこと。
赤信号で立ち止まっていると、背後から突然。
「――すこしいいかしら?」
と、見覚えのない黒髪の女性に声をかけられた。
百七十近い身長のその女性は、ピシッとしたスーツ姿に帽子とサングラスを身に着けていた。帽子の下から伸びる黒い長髪は艶やかで、スタイルもまるでモデルのような体型をしている。
こんな綺麗な黒髪の女性には見覚えがない。
けれど、その『声』には、飽きるほど聞き覚えがあった。
「……なんでアンタがここに?」
「あら、もうバレちゃった? カラーコンタクトまでして変装したのに。ほら、青い目を茶色にしてきたのよ。見て見て。日本人っぽい?」
「そんなに鼻筋の通った日本人がいるか。まあ見た目はともあれ、俺を一瞬でも騙す気なら、ボイスチェンジャーでも使うべきだったな」
「ボイスチェンジャーって。ファンタジー世界のスパイじゃないんだから……ふふ、相変わらず、そういう天然めいた発想は変わらないのね。野宮クロウ?」
そう言って、黒髪の女性は帽子とサングラスを脱いでみせた。
いまさら答え合わせをする気にもならない。
そこにいたのは――フルピース諜報部局長、キャサリン・ノーナンバーそのひとだった。




