閑話(下) 桜に彼氏宣言された。
秋樹の猫メイドを堪能したのち、ぶらぶらとほかのクラスを見て回っていると、あっという間に午後一時半になった。
急いで体育館に向かい、最後列から2ーAの白雪姫を鑑賞する。
結局、王子役はどうなったのだろうかと気になっていたが、序盤で男装した女生徒が王子役として出てきた。
体育館中に通る低音ボイスから判断するに、これは夏海とも連絡交換していたあの桜の親友か? なるほど、いい妥協点だ。これなら男子と微妙な空気になることなく、劇を穏便に済ませることができる。
(お。来た来た)
ドレスを着た桜が登場してきた。いつもとはちがう『桜姫』の装いに、館中の男子生徒たちが「おおぉ……」と感動にどよめく。
すこし恥ずかしいのだろう。頬をほんのり桜色に染めて芝居をする桜は、所々で台詞を甘噛みしてしまっていた。衣装と相まって、それもまた愛らしい。
スマホで録画したいところだが、校内での撮影は事前に撮影許可書を提出しなければいけない決まりとなっている。クソ、こんなことなら許可書を提出して、4K画質での録画が可能なハンディカメラを購入しておくべきだった!
劇の内容は、本来のストーリーにコミカルさを加えた、コメディタッチな白雪姫だった。白雪姫を起こすキスシーンも、寝ているはずの白雪姫が起きてボケ役の王子にツッコミを入れる、といった演出になっていた。
よかった。
これで、桜が誰かとキスをする心配はなくなったわけだ。
(……ん?)
よかった?
なぜ俺は、桜がキスしないことにホッとしているんだ?
これじゃあまるで、俺が桜のことを……。
「……いやいや」
バカな考えを振り払い、カーテンコール、舞台上にそろい踏みとなった出演者たちに拍手を送る。
数週間前は憂鬱だなんだとボヤいていたが、仲間たちと手をつなぎ、観客席にお辞儀をする桜の表情は、見惚れるほどに綺麗な笑顔だった。
綺麗な笑顔だと思ったので。
率直な感想を、そのまま本人に伝えることにした。
「綺麗な笑顔だったぞ、桜」
「ぬわぁッ!? え、な、なにッ!?」
劇終了後。体育館裏から出てきた2ーAの面々の後を追い、階段を昇る手前で桜が偶然ひとりになったところで、俺は背後からそう声をかけた。
普通に声をかけたつもりだったのだが、どうやら驚かせてしまったらしい。
「……って、えぇッ!? クロウ!? な、なんでアンタがここに……」
「暇だから来ちゃった」
「いや、突然家に押しかけてきた彼女みたいな台詞吐かれましても……」
「真面目に答えると、秋樹のクラスの出し物の確認と、桜の劇を見たくなってな。全速力で家事を終わらせて来てみた。ダメだったか?」
「ダメだった!」
「そ、そんな即答しなくても……さすがの俺も傷つくぞ……」
「ちがっ、クロウがどうとかって意味じゃなくて、私のクラスメイトが――」
「――え、やばっ! あんときのイケメンじゃんッ!」
直後。階段中腹まで昇っていたひとりの女子生徒がこちらを振り向き、急ぎ足で桜の下に駆け戻ってきた。
茶髪にショートカットと、すこし垢抜けた様子の女の子だった。
いわゆるギャルと呼ばれる存在なのかもしれない。
「なになに、どうしてイケメンさんがここにいんの? もしかして、桜が呼んだの?」
「ち、ちがうわよ……気づいたら、勝手に来てたの」
「はじめましてだ。いつも桜がお世話になっている」
言いながら、俺が桜の頭に手を乗せて頭を下げると、ギャル風の女子は「どもども」と軽く挨拶したのち、小憎らしいニヤケ面を作った。
「翔子って言います。こちらこそ、いつも桜にはお世話してもらってるっスよ。主に、イケメンお兄さんとのノロケ話を一方的に聞かされるっつー形でねッ!」
「の、ノロケって……だから、クロウはただの家政夫だって、前にも説明したじゃん!」
「そんなん信じられるかーッ! だったらパートナーとか言ってたのはなんなんだって話じゃんかよー! うきー! 羨ましすぎて砂糖吐きそう!」
「……なるほど」
わーわーはしゃぐ桜たちを前に、俺はある事実に気づき、ひとりうなずく。
この女の子――翔子は、白雪姫で王子を演じていた桜の親友か。
舞台上で見た容姿とちがいすぎて気づかなかった。周囲の喧騒で聞き取りづらかったが、よく聞けば声がまったく同じだ。
服装や化粧でここまで変わるとは。
女性こそ、変装のプロと言えるのかもしれない。
さておき――桜は翔子にもあの事件のことは話していないだろうから伝わらないとは思うが、それでも一言、情報提供してくれた感謝は言っておきたい。
「ところで、翔子ちゃん。なんのことだかわからないとは思うが、実は――」
「――そこまで否定するんなら、ウチがお兄さんと付き合っても文句ないんだよねッ!?」
「え?」
思った以上に言い争いがヒートアップしていたのか。
周囲にギャラリーが集まりはじめた中。突如、翔子がヤケクソとばかりに、俺の右腕にだきついてきた。
王子の衣装を着るためか。俺の肘裏にノーブラのやわらかな感触が伝わってくる。秋樹ほど大きくはないが、たしかな弾力のある胸だ! ちょっとドキドキしてしまう!
そんな俺の反応もよそに、翔子は桜に見せつけるように抱きつきを強め、挑発的に言う。
「ほら、いいの? 桜。認めなかったら、ウチがこのままお兄さん奪っちゃうよ!? それでもいいの!?」
「……ふ、ふん! 奪えるもんだったら、奪ってみたら? 何度も言ってるように、クロウはただの家政夫だし……だ、第一、クロウはそこまで軽い男じゃないんだから――」
「お兄さん」
桜の言葉も途中に翔子がぐいっ、と俺の肩を押し下げたかと思うと、目をつむったままその小さな顔をこちらに近づけてきた。
それはまんま、キスをするような仕草。
唖然としていた俺は躱すこともできず、そのまま翔子と唇を重ねそうに……。
「――だ、ダメえええぇーーーッッ!!」
……なった直前で、桜の絶叫タックルが隣り合う翔子を吹き飛ばした。
「ぐへぇッ!?」モロにタックルを受け、廊下の壁に激突する翔子。
やってしまった、とばかりに桜はすこし狼狽したが、すぐ傍にある俺の右腕をしかと、翔子よりも強く抱きしめると、独占欲たっぷりにこう告げた。
「く、クロウは私だけの彼氏なんだから! 誰も触っちゃダメッ!!」
「……ふっ、ちゃんと言えたじゃねえか……」
ニヒルな笑みをこぼして、ガクッ、とうなだれる翔子。
親友の本音を吐き出させるために、翔子はわざと桜を焚きつけていたようだ。
桜の彼氏宣言を聞き、周囲のギャラリーがわっと沸き立った。
「おめでとう!」「お幸せに!」「わかってたけど、やっぱ辛えわ!」「イケメンに転生してえ!」様々な声が飛び交う中、俺は呆然とした表情で桜を見やる。
正直、この状況に追いつけていなかった。
「えっと……桜、いいのか?」
「い、いいって、なにが?」
「こんな公然と、彼氏宣言をしてしまって」
「……、わ、私は別にいいけど……く、クロウはどうなのよ?」
「いや、桜がかまわないのなら、俺はそれでいいんだが」
桜に恋人がいると勘違いさせる、というのは、以前から言っていた案のひとつだからな。
こうして本人の口から彼氏宣言をすれば、桜に言い寄る男子は確実にいなくなるだろう。
ただ、気になることがひとつ。
「……一応確認しておくが、桜。これは、あくまで偽の彼氏としての宣言だよな? 周りに恋人がいると勘違いさせるための」
数日前に風呂場で『奪い合い』の宣言をされている手前、本当の彼氏宣言かと誤解してしまいそうになる。
周囲に聴こえないよう小声でそう訊ねると、桜は呆気に取られたような表情をした。呆れたような顔、といったほうが正しいか。
そして、大きくため息をついたのち、おどけたように笑ってみせた。
「さあ? どっちでしょうねー」
「? なんだそれ」
「鈍感クロウには教えてあげない」
まだね、と。
小悪魔的にウィンクをして、桜はようやく右腕への抱擁を解き、翔子の介護に回る。
白雪姫よりも毒リンゴを渡す魔女のほうが似合いそうな、それは蠱惑的な笑みだった。




