暗殺者の息子
夕日が空をオレンジ色に染め、
城下町の人々が一日の仕事を終えて家路につく。
ランガも同じように、
荷車を引きながら城門へと戻っていた。
そのとき、門番のボビー兵士が彼に気づいた。
「おい、ランガ! その顔……大丈夫か?」
心配そうに声をかける。
「大丈夫です、殿。ちょっと転んだだけで……」
ランガは疲れた息を吐きながら答えた。
「転んだだけ? そんな顔して何言ってる!」
ボビーは腰を下ろし、真剣な眼差しで言った。
「来い、手当てしてやる」
「いえ、いいです。本当に大丈夫です、誓います」
「誓いなんかどうでもいい! ……せめて母上の顔を思い出せ。
ラングガは静かに尋ねた。
「旦那様、どうして俺なんかにそこまで優しくしてくれるんですか? 俺の噂……知ってるでしょう?」
ボビーはほんの少し考えてから、穏やかな声で答えた。
「さあな……だが、お前が父親の罪を背負う必要はないだろう。お前と父親は別の人間だ。」
その言葉にラングガの肩がわずかに揺れた。
ボビーは続ける。
「それに……お前の父親には昔、命を救われたんだ。俺がまだ新米兵士だった頃だ。もしあの時あの人が助けてくれなかったら、今頃俺は生きていない。だから、俺はあの人を尊敬していたし……ずっと憧れていた。」
ラングガは拳を握りしめ、顔を伏せた。
「……俺も、そう思いたいです。俺が知っている父は……優しくて、賢くて……誰からも尊敬される人でした。だから……俺にはまだ信じられないんです。」
沈黙が流れる。ラングガの表情は暗く、何かを必死に堪えているようだった。
ボビーは少し笑って、雰囲気を変えるように言った。
「俺の名前はボビーだ。」
ラングガは驚いたように顔を上げた。
「え? なんで急に……?」
「お前に覚えてほしかったんだよ。もし何かあったら、俺に言え。わかったか?」
ボビーはそう言って、ラングガの頭をやさしく撫でた。
「……」
ラングガは黙って頷く。
「ははっ、お前、本当に真面目すぎるな。」
ボビーは笑いながら、今度はぐしゃぐしゃと乱暴にラングガの髪をかき混ぜた。
「や、やめてくださいよ、ボビーさん!」
ラングガは少し頬を赤くしながら抗議した。
*****
ラングガは汗をぬぐいながら、アラスの丸太を積んだ荷車を引き続けた。
やがて、いつもの木材店にたどり着くと、店の奥から一人の中年の男が歩み寄ってきた。
「おや、今日もずいぶん伐ったな、ラングガ。悪いな、こんなに働かせちまって」
男は柔らかな笑みを浮かべて言った。
彼の名はイヴァン。亡き父の古くからの友人であり、ラングガを雇ってくれている木材店の主人だった。
「大丈夫ですよ、イヴァンおじさん。こうして働いてお金をもらえるだけでもありがたいですから」
ラングガは汗を拭きながら、いつものように素直に答えた。
「そうか。なら、これが今日の給金だ。少しだけ多めに入れておいたぞ」
イヴァンは小袋を差し出し、にやりと笑った。
ラングガは目を丸くした。
「えっ……こんなに多くもらえませんよ」
「気にするな。お前は他人じゃない。俺にとって、お前の父は兄弟みたいなもんだったんだ。……母さんによろしく伝えてくれ。早く良くなるといいな」
ラングガは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、イヴァンおじさん。必ず伝えます」
「よし、それじゃあ日が暮れる前に裏の倉庫に運んでおけ。あの木材は大事な注文だからな」
「はい!」
ラングガは力強く返事をすると、再び荷車を引き、裏手へと向かった。
「そうだ、ラングガ。明日、この王都では収穫祭が開かれるぞ」
イヴァンはふと思い出したように言った。
「収穫祭?」
ラングガは小首をかしげる。
「そうだ。隣国からの商人たちも集まって、大きな市が立つんだ。明日は休みにしておけ。他の者に仕事を任せればいい」
「えっ……で、でも、じゃあ俺の給金は……?」
ラングガは慌てた声を上げた。
イヴァンは小さく笑い、ラングガの肩を軽く叩いた。
「だから言っただろう、今日は少し多めに入れてあるって。それを使って祭りを楽しめ。残りは……いつもみたいに好きにしろ」
ラングガは視線を落とし、しばらく黙り込んだ。
「……でも、いいんですか? 俺が収穫祭なんか行ったら、きっと嫌がる人が……」
その言葉を聞いた瞬間、イヴァンの胸の奥に、あの日の光景がよみがえった。
──あの日。王都の広場で、父親の首が落とされた瞬間。
母は崩れ落ち、幼いラングガを抱きしめて泣き続けた。
だが、ラングガだけは泣かなかった。
泣く代わりに、玉座に座る王を睨みつけ、瞳の奥に燃えるような憎悪を宿していた。
イヴァンは深くため息をつき、目の前の少年の頭をそっと撫でた。
「……ラングガ。お前は、もう少し笑っていいんだ。あの日から、ずっと無理してきただろう」
ラングガは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに視線をそらした。
「お前はまだ若いんだ、ラングガ。少しは人生を楽しめ」
イヴァンは優しい声で諭すように言った。
「周りの声なんて気にするな。金さえ払えば、奴らはちゃんと相手してくれる。だから、明日の祭りは存分に楽しめ。分かったな?」
ラングガはしばらく黙り、拳を握りしめたまま考え込んだ。
そして、ゆっくりと深く頭を下げる。
「……はい。ありがとうございます、パマン」
イヴァンはその姿に満足げに頷き、ラングガの肩を軽く叩いた。
*****
夜がゆっくりと街を包み始める。
いくつかの店は既に閉まり、代わりに小さな路地の奥では夜の酒場や娯楽店が次々と灯りをともした。
人々は明日の収穫祭の準備に追われ、街路や店先を色鮮やかに飾り付けている。
兵士たちが時折パトロールしながら通りを横切る中、ラングガは静かに酒場の扉を押し開けた。
「焼き鳥、醤油だれで。ひとつ包んでください」
カウンターに座るや否や、ラングガは落ち着いた声で注文した。
「はい、お待ちください」
店主は慣れた調子で答え、調理場へと消える。
その瞬間、酒場の空気が微かにざわめいた。
ラングガの存在に気づいた客たちが、ひそひそと声を交わし始める。
「見ろよ、また裏切り者の息子が来てるぜ……」
「せっかく酒がうまいのに、気分が台無しだ」
「なんであんなやつがここに……? 顔を見るだけで吐き気がする」
「追い出してやろうか?」
「やめとけ。あいつ、今じゃレベル10だぞ……」
冷たい言葉が耳に刺さる。
ラングガはそれを無視するかのように、ただ静かに拳を握りしめた。
彼の瞳には、怒りでもなく、悲しみでもなく――ただ、深い孤独だけが映っていた。
その時、酒場の奥から大きな影がゆっくりと近づいてきた。
分厚い腕、広い肩、そして人を威圧するような視線――その男の名はドレイク。
王国の外から訪れた冒険者であり、今夜は仲間と共に宴を楽しんでいた。
「おいおい、ガキ。お前、空気読めねぇのか?」
ドレイクは鼻で笑いながら、ラングガの前に立ちはだかる。
「ここにいる全員が、後ろでお前の噂してるって気づいてんだろ? いい加減、場をわきまえて消えろよ。気分が悪くなる。」
ラングガは少しだけ目を伏せ、そしてかすかに笑った。
「気にしないでください。僕はただ食べ物を買って帰るだけですから。」
「チッ……」
ドレイクは舌打ちした。
「せっかく仲間と酒飲んで、甘い女たちと盛り上がろうと思ってたのによ。こんなガキに水を差されるとはな。」
「ドレイク、やめて。私たちは旅の疲れを癒しに来ただけでしょう?」
パーティの女性が慌てて止めに入る。
「そうだ、放っておけよ。わざわざ絡む必要はない。」
別の仲間も同意する。
だが、ドレイクの苛立ちは収まらなかった。
「聞いただろ、ガキ。こいつらだって不快なんだよ。お前がいると楽しい酒もまずくなる。」
彼は机をドンッと叩き、ラングガを睨みつけた。
「だから――さっさと失せろッ!!!」
酒場の空気が一瞬にして凍りついた。
ラングガの指先がわずかに震える。
だが彼は席を立たず、ただ静かに相手を見返した。
その瞳には怒りも恐怖もなく――ただ、深い孤独と諦めがあった。
ラングガはついに我慢の限界に達した。
ゆっくりと振り返り、鋭い眼光でドレイクを睨みつける。
「はぁ? お前、誰だよ?」
低く、しかしはっきりとした声が酒場に響いた。
その瞬間、場の空気が凍りつく。
いつも黙って耐えてきたラングガが――反抗したのだ。
「……なんだと?」
ドレイクの顔が一気に険しくなる。
「この俺が誰か知らねぇのか?」
「興味ない。」
その一言が、火に油を注いだ。
次の瞬間、ドレイクの拳がラングガの頬を捉え、彼は椅子ごと床に叩きつけられる。
「俺の名はドレイク! ダイモン・レイズ王国ギルド〈ラグナロク〉所属、Cランク冒険者だ!」
ドレイクは鼻息荒く名乗りを上げ、ちらりと後ろの仲間を振り返る。
(見たか? 俺の強さ。これでカッコいいところ見せられただろ……)
彼の胸の内には自己満足が渦巻いていた。
だが――
バンッ!
ラングガは倒れたままドレイクの足を蹴りつける。
「っぐ!」
バランスを崩したドレイクが一瞬ひざをついた。
その隙を逃さず、ラングガは斧の柄でドレイクの脚を思い切り殴りつける。
ドサッ!
ラングガは倒れたままドレイクの足を蹴りつける。
「っぐ!」
バランスを崩したドレイクが一瞬ひざをついた。
ドレイクの巨体が床に倒れ込んだ。
酒場がざわめく。
「お、おい……あのガキ、ドレイクを倒したぞ……!」
ラングガはすかさずドレイクの上に馬乗りになる。
だが次の瞬間、ドレイクの太い腕がラングガの両手首を掴み、押さえつける。
「離せッ!!」
ガツッ! ガツッ!
ラングガは自分の頭をドレイクの顔面に叩きつける。
血が飛び散り、ドレイクの手が一瞬緩む。
その隙にラングガが腕を引き抜き、拳を振り上げる――
「やめろォッ!!!」
怒鳴り声が酒場全体に響き渡った。
カウンターの奥から店主が飛び出してきて、二人の間に割って入る。
「料理はできてる! さっさと持って出て行け!!」
店主の怒鳴り声が酒場に響き渡る。
ラングガはゆっくりと立ち上がり、口元の血を拭いながら深く息を吐いた。
胸の奥で心臓が激しく鳴る。
視線の先には、床に倒れ込んだドレイクの姿。
「……俺の名前は、ラングガ・サントソ。アラスの伐採人……そして、処刑された裏切り騎士、サントソ・ウェンギの息子だ。」
静かな声だが、酒場全体に響き渡るような重みがあった。
カウンターの上に置かれた斧を手に取ると、店主が吐き捨てるように言った。
「リンゴは木から落ちても遠くへは転がらん、か。まったく、面倒な血筋だ。」
料理を差し出すその顔には、軽蔑の色が浮かんでいた。
ラングガは一瞬だけ微笑んだ。
「ありがとう。」
「礼なんぞ言うな! もう二度とここに来るな、客が寄り付かなくなる!」
店主は吐き捨てるように背を向ける。
酒場を出ると、冷たい視線が全身に突き刺さる。
まるで刃物のような視線、耳元でささやかれる毒の言葉。
「……あれがサントソ・ウェンギの息子か。」
「うわ……親父そっくりだな。暴力的なところまで。」
「木こりがCランク冒険者を倒すとか、ありえねぇだろ……」
「怖ぇ……」
「こんな奴、ここに住む資格ねぇんだよ。」
「死んじまえばいいのに。」
視線と声が、背中に重くのしかかる。
ラングガは何も言わず、ただ頭を垂れて歩き続けた。
その背中は、どこか痛々しいほど静かだった。




