5 セレンとの出会い
無事に採用が決まり、次の日は食堂スタッフとして出勤した。自画自賛になってしまうが、私はかなり良い働きをしたと思う。失敗といえば修理が終わって帰ってきたレジを誤爆したことぐらいだ。あれは仕方なかった。私しかレジのそばにいなかったし、修理直後ということは確実に壊れてないのだ。今まで私が触って爆発した電卓達は触る前から壊れていたのであって、壊れてないレジなら使える可能性があるんじゃないかと期待してしまうのは、当然だと思う。
食堂の営業が一区切りして片付けをしていると、遅めの昼食をとっているグループがあった。私の本来の仕事が情報収集であることを思い出し、掃除のフリをして聞き耳をたてた。
「グレゴリオスプロジェクトの進捗はどうだ?」
短髪で年配の厳しそうな男の人が、一緒に食事している40代ぐらいの2人のおじさんに尋ねた。訊かれたおじさん達の1人が声をひそめて応えた。
「制御がまだうまくいってません。実用はもう少し先かと。」
「再来週には視察に来られるからな、無様なものは見せられんぞ。調整を急いでくれ。」
「分かってます。」
残念ながら何の話か分からずがっかりした。スパイがそんなに簡単な訳ないか、と思って隣を見ると、俯いて座っている同い年ぐらいの女の子がいた。食事には手をつけず、じっと見つめているだけだった。何かに悩んでいるようで、放っておけなくなって声をかけた。ちなみに長くなるかもと思って食堂のデザート棚から杏仁豆腐を取ってきていた。
「元気ないね、どうしたの?ご飯がおいしくなかった?」
ここの食堂のメニューはおいしい。まだ2日だが、私は結構好きだ。でも人それぞれ好みがあるしね、一応聞いてみた。
「いえ、えっと、食堂のスタッフの方ですよね?すごくテキパキ仕事してましたね、見てて気持ちよかったです。」
表情はまだ暗かったが、そう言ってほほ笑んでくれた。自分のことで辛そうなのに、私に愛想よく返してくれて、いい子だなと思った。
「そ、昨日から食堂で働いてるの。ミンクって呼んでね。杏仁豆腐食べる?おいしいよ。」
「いえ、今は食欲が無いんです。その、私はミンクさんみたいに仕事がうまくできなくて。大事な仕事任されてるんですけど、失敗ばかりで落ち込んでるんです。」
その子のプレートから手を付けられてなかった唐揚げを頂いた。自然に食事を奪っていく私に少しギョッとしたようだったが、食欲無いんでしょ?ミンクさんが手伝ってあげちゃう。
「うまく出来ないのに大事な仕事任されてるの?」
私はそう言いながらブロッコリーも頂いた。女の子は私の口に吸い込まれていく自分の昼食に視線を送りながらも、気を取り直して応えてくれた。
「大学でロボットの群制御を勉強していて、その関係で割り当てられたんです。でも、大学の研究と仕事は全然違って、うまくいかないし、締め切りは近づいてくるし、はぁ、仕事向いてないのかなぁ。」
2個目の唐揚げを頂こうとお箸をのばすと、女の子は私より先に狙いの唐揚げをつまんで食べた。残念。じゃなくて狙い通り。奪われると惜しくなるもんなんだよね。
口を動かしたからか胃を動かしたからか、女の子は少し元気が出て、どううまく行かないのかをトクトクと語り始めた。もともと話好きなのだろうか?私には1ミリも理解できない専門用語満載で一方的に愚痴を聞かされた。駄目だ、相槌すら打てない。退散しようと思ったら、イヤリングからゲイルの声が聞こえてきた。
「いやぁ、こいつのテーマ面白え。スラバンスキーの虚数ゲイン理論が解決策になりそうだな。伝えてやれよ。」
いや、怪しすぎるわ。いっこも理解出来てないから。食堂のスタッフだから。そんな女がいきなり『それってスラバンスキーの虚数理論がハマるんじゃない?』って無い無い。
まぁ辛そうにしてたしヒントぐらいは、と思って
「今日すぅげぇ良ん(虚数ゲイン)ことがあってね。」
と言ってみた。
「どうして急に変な訛りになったんですか?」
伝わらなくて恥ずかしいことになった。
「いや、忘れて。異世界があったら飛び込みたいわ。」
私が頭を抱えると、女の子は少し笑った。最初に見せてくれた愛想笑いよりも、かわいい笑顔だった。
「あはは、穴があったら入りたい、みたいな意味ですか?異世界かぁ、数学の世界にも実世界とは違う虚数の世界ってのがあるんですよ、知ってます?本当は存在しないんだけど、あると考えて計算するといろいろ楽になるっていう不思議な世界なんですけど・・・あれ?ゲインに虚数を適用すれば・・・昔そんな論文を読んだことがあるような・・・」
あら、思わぬ方向からヒントになったわ。さすが私。ご褒美に唐揚げを頂こう。
「ミンクさん!!」
「はい!ごめんなさい!お詫びに杏仁豆腐をどうぞ!」
食べかけの杏仁豆腐を差し出した。
「うまくいくかもです!わたし、ラボに戻りますね!ありがとう御座いました!あ、自己紹介してなかった。わたし、セレンです。じゃあまた!」
そう言い残してセレンは食堂から走って去って行った。残りの唐揚げは私のものになったが、お会計も私になったのだった。