第71話 二日目の朝
翌朝、冷静になったアカは服を着ると、床に落ちていたヒイロの服を拾いながら文句を言う。
「もう、ダメだって言ったのに!」
「アカだってダメじゃないって言ったもん……」
「それは、」
キスされてあんな顔をされたら拒めないじゃない。だが受け入れてしまったのは事実である。
「……だって、お隣に聞こえちゃったら恥ずかしいじゃない!」
「それなんだけどさ、私思ったんだけどこの船の壁ってそんなに薄くないよね?」
ヒイロがいそいそとパンツを履きながら難しい顔をしつつ、壁をコンコンと叩く。なんという絵面だろうか。
「良いから服を着ちゃいなさい」
「はーい……よいしょっと。どう?」
ズボンを履いて、くるりと回ってみせるヒイロ。こういう何気ない仕草に可愛らしさが滲み出てるからちょっと悔しい。アカはそんな感情を表に出さず、どこも変じゃないよと返事をした。
「それで、確かに壁は薄くないけど昨日はお隣さんの声がしっかり聞こえてたじゃない」
「うん。それで私うっかりしてたなって。確かに木で壁を作っていても、日本のお家みたいには遮音材は入ってなかったりするよね」
「まあ、この声の通り具合からそうでしょうね」
「ということは、まあ一般的な壁はそれなりに声を通しちゃうと」
「そうなるわね」
「私達、ニッケの街の宿屋でも普通にセックスしてたよね?」
「…………っ!?」
気付くのが遅すぎた。
……。
…………。
………………。
もう二度とセックスしない! と宣言したアカに、大丈夫、これからは声を少し抑えようと宥めるヒイロ。全然大丈夫じゃない。
実のところこの世界の建造物だってそこまで音漏れが激しいわけではない。昨夜の声については、ベテラン娼婦が客を悦ばせるためにかなり大袈裟に声を出してサービスをしたから――その方が男性側の満足度が高く、チップが弾むため――であって、アカとヒイロの矯正が周りから聞かれ放題という事ではないのだが、事の真偽は置いておいて、アカは自分が乱れている時の声がこれまでずっと隣の部屋の人に聞かれていたと思ってしまい顔から火が出てしまっている。
ヒイロだって恥ずかしいことは恥ずかしいけど、正直もう二度とニッケの街に帰ることはないだろうから聞いていた人が居たとしても会うことは無いだろう。そう思えば次から気を付けようと気持ちを切り替えることが出来ている……この辺りの割り切りの速さはヒイロの長所でもあり、反省が足りないあたりは短所でもある。
「とりあえずそろそろ朝ごはんだし、食堂に行こうよ」
「昨日の声を聞いた人が居るかもしれないから行けないっ!」
「他の娼婦さんだと思われてるからきっと大丈夫だよ」
「しょ、娼婦さんと思われるくらい大きな声出てたかなぁっ!?」
涙目のアカはカワイイけれど、これはテコでも動きそうに無いなぁ……。
「仕方ない、アカの分はあとで持ってくるから、良い子で待っててね」
「えっ!? ヒイロは行くの!?」
「お腹空いたし」
「うぅ……、白状者ぉ……」
涙目のまま恨めしそうに上目遣いでヒイロを睨め付けるアカ。やだ、その表情かわい過ぎる。……と、ムラムラと湧いてくるSっ気を抑えてヒイロはアカに向き合った。
「ついでに周りに私達の声が聞こえたか訊いてくるよ」
「ばっ、おまっ……! そんな事聞いたら何も知らない人にまで「私達セックスしてました」って喧伝するようなものじゃないっ!」
「む、それもそうか。じゃあやっぱり何も無かった振りでいこうかな」
「全く、気をつけてよ……」
「じゃあ行ってくるね。リコルちゃんにはアカは具合悪いって言っておくよ」
「あ、そっか……一緒に朝ごはん食べようって約束してたんだっけ」
おや、リコルちゃんとの約束を思い出したアカが揺れ始めたぞ。約束を守るべきという責任感と羞恥心の間で揺れているようだ。少し悩んで、結局渋々と立ち上がったアカ。
「約束は破れないものね……仕方ない、行こうか」
アカはそのまま扉に手をかけ外に出る。と、今度はヒイロが部屋の真ん中で口を尖らせている。
「ヒイロ?」
「……なんでもない、行こうか」
「え、怒ってるの? なんで?」
「怒ってないよ!」
何故かぷりぷりするヒイロにアカは首を捻るが、自分が待たせたせいでお腹が空いたのかなと自分を納得させた。
ヒイロとしては、いくら自分が言っても動かなかったのにリコルの事を思い出したら腰を上げたのが面白く無いという、有り体に言えばただのヤキモチを妬いていただけである。
◇ ◇ ◇
食堂に着いて、生憎昨日と同じ席は空いていなかったのでの近くのテーブルに並んだ二人。リコルはまだ来ては居ないようだったがとりあえず食事を始めることにした。
昨日漁で獲った魚がメイン料理として皿に乗っている。周りの船員達が食べている、つまり追加料金がかからないコースにも、切り落としや内蔵などが乗っているがアカとヒイロのお皿には鯵のような小ぶりな魚が丸々一匹焼き魚として提供されていた。さらにお刺身まで付いている。
他の者は保存食に加工したあまり部分で、自分たちの分は専用に準備されたVIP用なのだろう。
「お刺身だよ!」
「うん、美味しそうね。いただきます」
獲れたての海の幸なんて美味しいに決まっている。二人は魚料理に舌鼓を打った。
「うん、美味しい!」
「でもこのタレもお刺身に合うね。なんのタレだろう?」
「お醤油に似てるし、魚醤みたいな感じの調味料かもね」
「ぎょしょう?」
「大豆の代わりにお魚を原料にしたお醤油かな……? 魚を塩漬けにして発酵させると出来るとかだった気がするから、ここで保存食を作るついでに作ってるのかも知れないわね」
「なるほど。アカ、物知りだね」
「どこかで読んだことがあるくらいの知識だから間違ってたらごめんね」
「大丈夫だいじょぶ。……それにしてもこの世界のご飯ってあんまり美味しく無いものだと思ってだんだけど、そうじゃないモノもあるんだよね」
焼き魚をフォークで器用にほぐしながらヒイロがしみじみと呟く。アカも同意した。
この世界の食事レベルは、上の方は日本とそこまで変わらないのでは無いだろうか。だが、庶民が食べるものの平均水準が日本のそれを大きく下回っている、そんな印象だ。安いパンはカチカチでパサパサで味も殆どしないし、薄いスープは塩水を飲んでいるようだ。しかしお金を多く払えば、今目の前にあるような美味しいものが食べられるという事だ。
「これはマズイな……」
「美味しいよ!?」
「あ、ごめん。そういう意味じゃなくて」
この世界に来て、最低限のお金を払ってまずいパンを食べるか自分たちで獲った獣の肉を焼くか、そんな食事をずっと続けてきた。異世界だし文化が違えば食事のレベルも違うのは仕方のない事だと思い込んでいたのだ。そう、思い込んでいたからこそ、まずいパンと薄いスープでも我慢して割り切ることが出来た。
「ちょっと多くお金を出せばこんなに美味しいご飯が食べられるって知っちゃったわけだけど、ヒイロさんは今後あのまずいパンを食べられますか……?」
「はっ……!?」
「無いなら無いでそういうものだと受け入れていたけど、この世界にも美味しいものはあるんだよっ……」
「あわわわわっ……」
手に持った美味しいパンを見つめながら震えるヒイロであった。
……。
…………。
………………。
船を降りた後のことはその時に考えよう、とにかく今は目の前の幸せを噛み締めようという事になり、目の前の食事に集中するアカとヒイロ。
味わって食べていたので大分ゆっくりとした食事であったが、そんな二人が食べ終わる頃にようやくリコルがやってきた。
「二人とも、おはよう」
「あ、おはよう……ってどうしたの!?」
リコルは目に見えて調子を悪そうにしており、朝ごはんも貰わずに水の入ったコップを持つだけであった。
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