第210話 雨降って……
平手打ちでも飛んでくるのかと、思わず目を瞑り身体を固くするアカであるが、ヒイロは両手でアカの顔を掴むとぐいと正面を向かせる。
「ふぁっ!?」
「目、開けて」
有無を言わせない声に恐る恐る目を開けると、目の前にヒイロの顔があり、大きな目と視線が交差する。ヒイロはアカの目を真っ直ぐに見つめていた。しばらくそのまま目を合わせると、ヒイロはふぅと息を吐いてアカから離れる。
「まあそれなりに魔力も戻ってるね。あとは自然回復に任せていいんじゃない」
「あの、ヒイロ……?」
「何?」
「えっと……怒ってない、の?」
「……」
「その、ヒイロが止めたのに無理に下層に降りて、やっぱりヒイロの言う通り私だけじゃどうにも出来なくて、結果的にこんなふうに倒れて心配かける事になっちゃって……」
ヒイロは真っ直ぐにアカを見つめて返答する。
「もちろん怒ってるし、許してないよ。これからも許すつもりは無いし」
「……」
「だってここで許したらアカは次もまた同じように命を投げ出す選択をするよね。だから私はあの城でのことを許すつもりは無いし、次に同じような事があった場合は今度は力尽くで止めるから」
「……それは……」
淡々と話すヒイロ。アカは反論できずに言葉が詰まってしまう。
「とはいえ、その事でアカと険悪な感じになるのは私もイヤだからね。許すつもりもないし、無かった事にするつもりもないけれど、この事を引きずるつもりも無いって感じかな」
「……ごめん、なさい」
「うーん……許すつもりは無いから、謝罪を受け取る気も無いんだけど、一応アカも反省してくれてるって事は認識しておくよ。とはいえ、どうせ次も同じ選択をするだろうし、その時は行かせないからね」
ヒイロはアカの頭にポンと手を置きつつ、困った様に笑った。アカはアカで、なんと言って良いか分からずに固まってしまう。そんな二人に声をかけたのはヒルデリア王女であった。
「私はアカにも、勿論ヒイロにも感謝していますよ。二人が居なければ間違いなく死の王に殺されてしまっていたでしょうから。ね、ジャンヌ」
「……私個人としては、姫様を救おうと動いてくれたアカに対してのほうが感謝の気持ちは大きいのですが。ヒイロは最初は姫様を見捨てようという意見だったというのですから」
「あら、そうなの? だけど赤の他人を救うために命を賭けるなんてそうはできない事じゃ無い」
「ですからヒイロに対しても恨みがあるわけでは有りません。結果的に姫様を救って頂いたという意味では二人に対して同じぐらい感謝の意はあります。ただ、優劣をつけるなら迷わず飛び出してくれたアカに対してはより大きい感謝の気持ちがあるというだけです」
「私はヒイロの人間臭いところもそれはそれで好感がもてるのだけど……カナタはどうかしら?」
「私は、ヒイロとはもう話し合ってますから」
「本人同士で納得しているのね」
「はい。でも、アカにもヒイロにも、心から感謝はしています」
カナタはアカとヒイロの方を見て、深く頭を下げる。その様子を見て、ヒルデリア王女は柔らかく笑った。
「そういうわけですから、アカもヒイロも、それぞれ自分が正しいと思う行動をとったで良いではないですか。結果的にお互いが最善を尽くしたおかげで無事だったのですから」
「は、はい……ありがとうございます……。ヒイロも、改めてごめんね」
「だーかーらー、これ以上謝られても困っちゃうんだって。ヒルダ様がいい感じにまとめてくれたんだから、このお話はここでおしまい!」
まだ謝罪を口にするアカであったが、ヒイロは手で大きくバツを作って話を打ち切った。
「これ以上あの時の話をしてもアカがずっとウジウジしちゃうから、さっさとこれからの話をしたいんだけど……カナタ、どこまで話してる?」
ヒイロはカナタの方に振り返り訊ねる。
「何も話してないわ。アカが目覚めたのは昨日の夕方だし、今日にはみんな戻られるって話だったのもあったから、揃ってから話した方がいいかと思って」
「ああ、そういう感じね。了解」
ヒイロは頷くと、アカに向き直る。
「じゃあまずは十五日も眠っていたアカのために、ここまでの話を整理しようか。とりあえず時系列順に説明した方がいいかな」
「う、うん……でもその前に、ひとつだけ質問しても良いかな……?」
アカはおずおずと手を小さく挙げて、ヒイロに訊ねる。
「うん、いいよ」
「えっと、ヒイロさ、なんていうかいつの間にかみんなと随分距離が縮まってない? ……カナタのこと、呼び捨てにしてるし、ヒルデリア王女のこともヒルダ様って呼んでるし……」
そう、実は先ほどからそれが一番気になっていた。人見知りがちのヒイロが一気にカナタ達との距離を詰めているのを見て、違和感も大きかったがなんだかアカがひとり置いて行かれてしまったような不安が胸に押し寄せてきた。
「……うーん、アカが寝込んでる間に色々とあったんだけど、呼び方については二人からそう呼んでくれって言われたからなんだよね」
「そ、そうなの? ……そうなんですか?」
アカがヒルデリア王女に訊ねると、王女はニッコリと笑って頷いた。
「はい。アカもわざわざヒルデリア王女などと仰々しくせず、気軽にヒルダと呼んで頂けると嬉しいです」
「よ、宜しいのですか!? 流石に不敬が過ぎるのでは……」
「そんなことはありません。そもそも公の場以外では略称で読んで頂いた方が私も肩肘を張らずに済みますから。それに、魔法学園に入学した後は身分の差はなく同じ一生徒としての立場になります。……実際にはそう単純では無いそうですが、少なくとも名前を呼んだくらいで不敬と呼ぶ様な事は有り得ませんから安心して下さい」
「分かりました。ヒルダ、様」
「はい。よろしくお願いします」
王女様を愛称で呼ぶのは当人は良くても周りに咎められる可能性もある。……カナタもヒルダ様と呼んでいるので、ことヒルデリア王女に限っては愛称で呼んでも大丈夫という暗黙のルールがあるのかもしれない、とりあえず後でカナタにも確認してみよう。
そう思ってカナタの方を見ると、カナタはヒイロと呼び捨てにしあってる事を訊ねられたと思ったのか、その理由を教えてくれた。
「私は、この世界では世渡の姓は名乗ってないから、ヒイロからそう呼ばれると周りの人から怪しく見られちゃうんだよね。ヒイロも茜坂って苗字は普段は使ってないっていってたから、だったらお互いに名前で呼んでいいよねって事になったんだよ」
「ああ、そういう事なのね」
「うん。ホントにそれだけの事で、アカからヒイロを奪おうとか、二人の仲を引き裂こうとか、そういう事は全然考えてないから安心してね」
「分かったわ……って、な、何のこと!?」
いきなりさらりと爆弾発言を放り投げんで来るカナタに、アカは慌てて知らないふりをするが、カナタは笑顔で続ける。
「アカとヒイロは付き合ってるんでしょ。それもちゃんと聞いてるから。ちょっとビックリしたけど、これまで二人でそうやって支え合って生きてきたんだもんね。素敵な関係だと思う。私、二人のこと応援するよ!」
グッと拳を握って満面の笑みを向けてくるカナタを、アカは恥ずかしいやら気不味いやらで、もう直視する事は出来なかった。
「ちょっとヒイロ、カナタにどこまで話したのよ!?」
「カナタにっていうか、こちらの三人にっていうか。一切合切全部話してるね。私たちの関係とか、これまでの旅のこととか、魔法学園に入る目的とか、龍の力のこととか」
「ええっ!?」
落ち人である事はバレてしまっているので、そこから元の世界に戻る方法を探している事まではまあバレても構わない範囲だとは思うけれど、龍の力の話はそれこそトップシークレットの筈だ。……ヒルダ様は悪い方ではないのは間違い無いけれど、そこまであけすけに話す必要があったのだろうか。
驚き声が出ないアカに、ヒイロは困った顔をして続ける。
「いや、私もどこまで話したものかと悩んだんだけどさ。それを見せられたらもう中途半端に誤魔化しても仕方ないじゃん」
そう言ってヒイロが指差したのは、包帯が巻かれたアカの右腕。
「私の手? それがどうしたの?」
「あれ、気づいてないの?」
「気付いてって……あっ! いつの間にか治ってる!?」
そういえば、死の王との戦いで右腕は肘の辺りから斬り落とされてしまった筈だ。それがいつの間にか元通りになっている。
「元通り、だったらまだ誤魔化そうかなと思ったかもしれないけどね」
「どういうこと?」
「包帯、とってみなよ」
ヒイロに促されて、アカは包帯を外す。シュルシュルと音を立てて外された包帯の下から出てきたモノ。
「な……なに、これ……?」
「ヒルダ様が言うには、それが一瞬にして生える様に飛び出したんだって」
アカが自分の右腕だと認識していたそこには、確かに腕が存在した。
だがその腕は丁度斬られた辺りから手の先にかけて真っ赤な硬い鱗で覆われていた。手の甲側は指先まで鱗がびっしりと、手の平の側は鱗こそ無いものの、こちらも鉄の様に硬い皮膚で覆われている。硬いと言っても動かし辛さは全く無く柔軟さも併せ持っている、そんな不可思議な右腕がそこにはあった。
「斬られた腕をくっつけたわけでも、欠損した腕が瞬時に治ったわけでも無く、龍の腕が一瞬にして生えてきたって言うんだから、そりゃあもう全部話すしか無いってなるでしょ」




