第207話 死闘
「これで呪いは解けたんでしょうか?」
ヒイロは横にいる地龍王に訊ねる。
女性の幽霊を浄化したことで城の全てを回ったつもりでいるが、取りこぼしが無いとは言い切れない。最後の幽霊を浄化したら大声で地龍王を呼び出すつもりではいたが、向こうから来てくれたのは都合が宜しかった。
「少し待て……フム、見事なものだな。全ての幽霊は祓われたようだ」
「つまり、呪いは解けたんですよね!?」
す
特に城が光に包まれるなどが起こったわけでも無いので、呪いが解けましたという実感を得られない。
「貴様の言う通り、死の王はもはや「死」そのものでは無くなっており、今は呪いの残骸と成り果てた。このまま数百年もすれば呪いは拡散して自然に消え失せるだろう」
「す、数百年じゃダメですって! 今すぐに消滅はさせられないんですか!?」
「それならば貴様が下へ向かい彼奴を浄化すれば良い。他の幽霊達にそうしたようにな。尤も、残骸とはいえ相当に強い呪い故に貴様にそれが出来る保証は無いがな」
「私が? アカじゃダメなんですか?」
「貴様の番にはもう彼奴を倒す力は残されておらぬよ。体力も魔力もすでに限界だ。我の想像以上に粘ったが、それももう直に終わるだろう」
「そ、それは困る!」
直ぐに助けに行かなければとヒイロは駆け出さんとする。だが一方で間に合うのかという懸念が頭を過ぎる。ここから下層へ向かう階段までは数十秒で着くが、その先の状況は分からないのだ。地図も無く、アカがどこに居るのかも分からない状態で最速で駆けつけることが出来るのか。アカの事だから目印は残してくれている気がするし、なんなら隣の龍に道を訊ねるという手段もあるが、それでも自分が駆けつけるのが間に合わなかったとしたら。しかしこのままでは……。
「行かぬのか?」
足が止まったヒイロの様子を見て地龍王は怪訝そうに訊ねる。
「あの、アナタってこの城の好きなところに移動できるんですよね。私をアカの……死の王のところに直接連れて行ってもらう事は出来ますか?」
「無理だな。先ほど伝えたように我の本体は地下深くで眠りについている。此処に或るのは魔力で写し取った表層意識でしかない。それ故にこの城のあらゆる場所を見ることが出来るわけだが、貴様のような実体を持つものを移動させる事は出来ぬ」
「魔力で写し取った……じゃ、じゃあ、私の魔力だけをアカに届けてもらう事は出来ますか!? 私の魔力を全部移す事ができれば、アカでも死の王の呪いを祓える可能性があるって事ですよね!?」
「少なくとも今より可能性はあるだろうが」
「ならっ!」
「だが我にそこまで貴様らに協力する理由が無い。この城の呪いはすでに解けているからな。貴様の番がここで死んでも我には一向に構わない」
「ここまできたら、助けて下さいよ!」
「先に我は下に行くなと善意で忠告したであろう。貴様はそれに従った故、ここまで協力をした。愚かな貴様の番は何も考えずに下へ向かった。そんな者に手を差し伸べるほど我は寛容では無い」
それはそうだけど! だがこれ以上、情に訴えても目の前の龍は首を縦には振らないだろう。
「じゃあ、お願いを聞いてくれたら私もアナタの頼みをひとつ聞きますって言ったら、魔力を届けてもらえますか?」
「ほう、取引か。だが貴様に何が出来る?」
「私に出来ることなら、なんでも」
「ふむ、我に委ねると。ならば貴様の記憶を見せて貰うぞ」
「記憶を?」
詳しく訊ねる前に、目の前の龍は口を広げてそのままヒイロの頭に齧り付いた。
◇ ◇ ◇
ヒルデリア王女は目の前の目の前の光景をただ見守ることしか出来なかった。
アカという少女は手に持ったメイスと、炎を巧みに操り敵と戦い続けていた。
一撃でもまともに受ければ確実に命を落とすであろう男の剣撃を躱わし、受け流し、時には正面からメイスを叩けつけてはその全てから自身と、後ろにいる王女を守り、その上で適格に反撃を叩き込んでは男にたたらを踏ませている。
さらに炎で男の全身を包み込み、丸焼きにした回数も既に両手の指では足りないほどだ。
それでも、相手は倒れない。
メイスが頭を砕いても、炎が全身を焼き尽くしても、男の全身を闇が覆うと直ぐに元通りになってしまう。
「参ったな、本当に不死身じゃない……アンデッドならなんとかなるかもって思ったんだけど」
アカが自嘲するように呟きつつ、また火を放った。
火の玉は男の剣で真っ二つに斬り裂かれるが、勢いを少し弱めただけで男に着弾する。ゴウッと燃え上がるものの、また男の身体から闇が噴き出してその火を包め込み、あっという間に消火してしまった。
男はそのまままた乱暴に剣を振る。躱わせないと判断したアカは火を纏わせたメイスの柄でそれを受ける。切先から放たれる闇の斬撃は火で相殺しつつ、剣の衝撃はメイスで受ける……が、衝撃を受け切る事ができずにアカはそのまま押し込まれ、男がブンと剣を振り切るとその勢いのまま壁に叩きつけられてしまった。
「グフゥっ!」
「ああっ!」
背中を叩きつけられた衝撃により、肺の中の空気を漏らしつつアカがその場で膝をつくと、ヒルデリア王女は悲鳴をあげる。
そんなアカにトドメを刺さんと改めて剣を振り上げた男に、アカは炎をぶっ放す事で強引に相手の動きを止める。
炎が闇に呑まれるまでの数秒間で、アカは何とか体を起こして呼吸を整える。
改めてメイスを構えて男と対峙するアカを見て、ヒルデリア王女はほっとすると同時にまた胸を支配する絶望感がジワリと大きくなるのを感じた。
戦況は拮抗しているようで、相手に傾き始めているのは明らかだ。戦い始めはアカが圧倒していた時間が多かったが、数分前からは明らかに相手が上回り始めている。これは相手がアカの動きに対応してきたのもあるだろうが、アカの体力と魔力の問題も大きいだろう。彼女の動きや魔法のキレは、当初と比べても明らかに精細を欠いている。
このまま戦闘が長引けばジリ貧である。王女もなんとか助太刀すべく魔力を練ろうとするが、彼女も既に全ての魔力を使い切ってしまっており、まともな援護など出来そうに無いというのが本音である。いっそこの場から離れる事が出来れば、少なくともアカが後ろを気にせず戦えるようになるのではとすら考えたが、急激な魔力の欠乏により膝に力が入らない今の有様では、下手に動けばアカが逸らした敵の斬撃に斬り裂かれかねない。
結局、アカの事を見守りながら少しでも早く魔力を回復するためにじっとしているしか無いのであった。
戦っている当事者であるアカはもっとシビアに現状を把握していた。なにしろ自身の魔力がほとんど残されていない事を誰よりもはっきりと自覚しているのである。初めのうちこそ、魔力を多く込めた炎を撃つ事で戦況を優位に保つことは出来たが、残りの魔力ではそれは叶わない。さっきのように、ほんの数秒体勢を立て直す時間を作るためにやや大きめの炎を撃ち出すのが精一杯で、それすら魔力の枯渇を加速させる。
しかし体術とメイスのみでの攻防では相手の攻撃を凌ぐ事ができないので残り少ない魔力を使って火の玉を撃ち出す必要があるし、相手の剣撃と共に放たれる闇の斬撃は同等の魔力を込めた炎で相殺せざるを得ない。
既に気力と体力を振り絞ってなんとか致命傷を避けるだけの状況に追い込まれているのである。
そんな戦いがどれだけ続いたのか、ついに終わりの時が訪れる。
ザンッ!
「しまった!」
「ああっ、そんなっ!!」
剣の軌道と共に放たれた闇の斬撃に対して放った火の出力が足りなかったため――全力を振り絞ってももう、相殺するだけの威力が出せなかったのである――斬撃が火の玉を突き抜けてアカに襲いかかったのだ。咄嗟に身を捩って致命傷こそ避けたものの、斬撃は魔法を放ったアカの右手を、肘の先で切断した。
ぼとりと落ちた腕。傷口からは血が噴き出る。
「ぐうぅ……っ!!」
思わずうずくまるアカに、今度こそトドメをと男が飛びかかる。
「アカっ!」
アカはその場で全ての魔力を放出する。正真正銘、最後の魔力であった。アカの全身を包んだ炎が、至近距離に詰め寄っていた男も巻き込む。
離れて見ていた王女まで火傷を負うほどの炎であったが、それでも男を倒すには至らなかった。
全ての魔力を燃やし尽くしたとアカは、朦朧とした意識で王女の方を見た。
に、げ、て……
口の動きで彼女の意図を察した王女であったが、自分を護って戦った少女を置いて逃げる事など出来る筈もない。這いずるようにアカに近寄ると、身体を覆う火を闇で消そうとする男に、僅かに回復した魔力を振り絞って土の槍を撃ち込んだ。
「なん、で……」
「共に、逃げましょう……!」
王女はアカの身体を支えながら何とか立ち上がる。アカの渾身の炎と、自分の土の槍で少しでも男の足止めが出来ているうちにと思っての行動であった。
しかし、この程度で逃げる時間が稼げるのであればアカがとっくにそうしている。立ち上がった王女が顔を上げると、既に炎と土を闇で覆い尽くした男が低く剣を構えているのが目に入った。
――ああ、結局私は何も成せなかった。
一瞬にして後悔と絶望が王女の心を埋め尽くし、その場で膝を折った。そんな彼女に、しかし必殺の一閃は放たれ無かった。
彼女達と男の間に、一体の魔物が突如出現したからである。
「ギリギリか。契約外だがこれはサービスだ」
魔物がボソリと呟くと、突如男が足元の地面ごと浮き上がり、そして遠くへ飛ばされる。男が立っていた場所には直径一メートルほどの半球状の穴のみが残されている。
魔物は男には目もくれずくるりと振り返ると、王女の隣の朦朧とするアカに噛み付いた。
「なっ!? ……えっ?」
びっくりする王女であったが、アカの身体はその顎に砕かれたりはせず……というより、魔物の頭の方がアカの身体を通り抜けているように見えた。
「え? ええ?」
ほんの数秒でアカから頭を抜いて元の位置に戻った魔物は、王女を一瞥する。しかし興味無さそうに顔を逸らすと、先ほど男を吹き飛ばした方を見た。
「これで契約は完了だな」
そう呟き、そのまますぅと魔物は消え失せる。
「一体何が……。は、それどころでは!」
魔物が消えたあとにはアカと王女が残された。しかし男も倒されたわけではないようで、真っ暗な通路の先から依然圧倒的なプレッシャーを放ちつつ、こちらへ近づいて来る音が聞こえた。
「アカ、立てますか!? 早く逃げましょう!」
「これ……ヒイロ? どうして?」
王女の呼びかけに対して、アカは混乱した様子で反応する。
「ああっ、もう戻ってきた!」
結局、二人が逃げ出す前に男は再び彼女達の前に姿を現す。その姿は先程までと変わらず相変わらず傷ひとつ無い。
しかし王女の心がもう一度折れる前に、アカは動いた。
残ったもう片方の腕を前に突き出すと、これまでで最大級の炎を一気に放ったのである。




