第206話 ヒイロと地龍王
ヒイロは下層に降りる階段の前で、膝を抱えて座り込んで居た。目の前にはアカが放り出していった荷物が転がっている。
すぐにでも追いかけたい気持ちはあるが、下層から感じる魔力がそれを押し留める。ひしひしと感じる死の匂い、この先に向かったら間違いなく死ぬだろうという確信を持ってしまった。
そんなところに駆け込んで行ったアカも大概だが、だからこそヒイロは迂闊に飛び込むのではなく「何ができるか」をきちんと見極めて行動しなければならない。
だというのに。
……昨晩、世渡カナタが現れた時から心の中にモヤモヤしたものが燻っていた事は確かである。
しかしアカにとって一番大切なのは自分であって、世渡さんは友人でしかないと言い聞かせることでそのモヤモヤを押し込めた。このまま無事に試験が終わればそれで問題ないはずだった。
ヒルデリア王女を護って欲しいという要望にアカがきっぱりとノーを突きつけなかった事で、嫌な予感はした。だから下層に向かうことは強めに反対していたしアカも納得してくれていた……筈だったのに。
ヒイロとて顔見知りの人間がみすみす死ぬのを見過ごせるかと言われればそんな事はないし、こんな世界ではあるけれどできる範囲での人助けはしたいと思っている。しかしそれは前提として自分の命が保障されている範囲においてであって、自分が命を賭けてでも助けたいと思えるのはアカひとりだけである。……勿論これはヒイロの価値観であって、アカに強制できるものではないが、それでもアカも同じだろうと心の隅では期待していた。
だから、行けば確実に死ぬであろう下層へ行こうとするアカにある種の失望を覚えてしまったし、その理由が世渡さんだというのもこの上なく面白くなかった。
アカを危険にあわせたくないという思いが一番にきていた事は間違いないが、そこに昨晩から抑えていたモヤモヤと、自分を一番にしてくれない悔しさ嫉妬などが合わさった事で、完全に冷静さを失ってしまった……と今更ながらに自覚する。
その結果があの様である。力づくで言うことを聞かせようとして拒絶された挙句にあのセリフ。
「……私とカナタとどっちが大事、だって……ばっかじゃねぇの」
まさか自分の口からあんな陳腐な言葉が出るなんて思わなかった。アカの「選べるわけがない」という答えるのは当たり前……そもそもアカにとっては恋人と友人はどちらも大切で、比べるようなものではないという考え方をするであろうことはヒイロだって解っている。解っているのだ。
だけど、言わずには居られなかった。だってアカが言うことをきいてくれないから。
「はぁ……」
怒り、嫉妬、自己嫌悪。さまざまな感情の籠ったため息を再び吐いて、再び後悔の海に思考を潜らせる。
今のヒイロには、いつもの柔軟な思考力は全くと言っていいほど存在しなかった。
◇ ◇ ◇
「行かぬのか?」
直ぐそばから不意に声をかけられ、びっくりする。確かに上の空ではあったけれど、誰かにこんなに近付かれるほどボーッとしていたなんて。
慌てて顔を上げたヒイロの目の前にいたのは先ほど祭壇で会話をした地龍王であった。
「賢明だな。もう一体は無謀にも下に向かったようだが」
「祭壇以外にも出てこれるんですか?」
「あれはかつてこの城に居た者たちが我を崇めるためのものであって、我の行動を縛るものではない。……とはいえあれがあるからこそ、この城の中であればこうして自由に回ることができるのだがな」
そう言って龍はすぅ、と消えたかと思うと今度はヒイロの真後ろに現れて見せた。
「す、すごいですね」
「何が凄いものか。地下で眠るだけの時間が長すぎて得た技術というだけだ。それにこんな何もない城を見て回っても何も面白くはない」
「城を見て回れるって事は、下層……この下の様子も分かるんですか?」
ヒイロは目の前の階段を指す。
「番が心配か。つい先ほど死の王と戦い始めたところだな。幼体のわりに思ったより出来るようだが、まあ結果は変わらぬよ。少し長く生きるだけだ。行かなかった貴様の判断が正解だ」
「死の王……そんなに強いんですか?」
既にアカは死の王と交戦中のようだ。ヒルデリア王女とは合流できたのだろうか? まだ無事ということだろうか? しかし目の前の龍はまるでアカの死が確定事項であるかのように話す。
「そういう話ではない。彼奴はこの城の呪いそのものよ。強い闇の素質を持つ王が自らを含めたこの城の全ての命を捧げて、全てを滅ぼす力を得た。奴は不死身だの不死だのと言ったものではなく「死」そのものがヒトであった頃の形を保ち動いている。死を殺す事は何者であっても出来ぬということだ」
「死、そのもの……だから死の王……」
龍の言葉を噛み締めるヒイロ。龍は虚空を眺め、まるで見ているかのようにアカと死の王の戦いの様子を語る。
「ほう、斯様に炎を操るか。魔力の総量は我の足元にも及ばぬが扱いに関しては見張るものがあるな。死の王の攻撃を捌きつつ炎を攻撃と防御に使っている。龍の炎だけあってあれを奪う事は死の王の闇とて容易ではないのだろう……あれだけ戦えるのであれば予め呪いを解いておけば或いは、であったな」
「え?」
「だが今更言っても栓無きこと。逃げ出そうにもあの程度の魔力出力では地下を覆う闇のベールは剥がせぬだろうし、何より彼奴を振り切ることは出来ぬ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 呪いを解けばって……呪いを解いたらどうなるんですか!?」
食いつくように訊ねるヒイロに龍は呆れたように答える。
「言ったであろう。彼奴はこの城の呪いそのものであると。呪いを解けばあれは「死」ではなくただの不死と変わらぬ存在になる」
「つまり、倒せるようになるってことですか!?」
「理論的にはな。仮にあれの呪いが解けたところで、貴様の番が彼奴を殺せるかどうかは三分……いや一分五厘といったところか。まあ意味のない仮定よ」
ヒイロは龍に飛びかからんばかりに詰め寄り、叫んだ。
「その呪いの解き方、わたしに教えて下さいっ!!」
◇ ◇ ◇
全速力で城を駆けるヒイロはまた目の前の扉を開けた。
「居た、三体! ……五十五、五十六……五十七っ!」
部屋の中にいた三体の幽霊に炎を放つ。幽霊達はヒイロの炎に包まれるとそのまま音も無く消え去った。
「次っ!」
幽霊が消えたことを確認すると、ヒイロは部屋を出てまた廊下を走る。隣の部屋を開くが、そこには幽霊の姿は無かった。
「ハズレっ! 次っ!」
部屋を飛び出すとまた次の部屋へ向かって駆け出す。
龍から聞いた呪いの解き方とは、この城の幽霊を全て浄化することであった。城に存在した幽霊は、いずれも元々この城に住んでいた者たちである。彼らは死の王の儀式の生贄となり、死して尚この城に囚われ続けている。彼らの存在がこの城を呪いたらしめており、生贄という楔が無くなれば城の呪いは解けるということであった。
地龍王によるとこの城に存在する幽霊はおよそ四百。
幽霊を祓うには光魔法のターンアンデッドが有効というのが常識だが、ヒイロの炎でも浄化できることは過去に実践済みである(※)。
(※第10章 第141話)
一刻でも早くこの城の呪いを解くために、ヒイロは城中の部屋を開けては片っ端から幽霊を浄化して回った。
……。
…………。
………………。
およそ一時間ほどで、ほぼ全ての幽霊を浄化したヒイロは、二階にある燭台の部屋……おそらくここが最後の筈である……の扉を開けた。
そこに居たのは、腕に巻いた赤ん坊を慈しむ女の幽霊であった。
勢いのままに最後の炎を放とうとして、ヒイロはふと気が付く。ここまでに浄化してきた幽霊はほとんどが男性、それもいわゆる働き盛りと言われる年齢のものたちであった。女性もゼロではなかったが、なんというか比較的ガタイの良い方ばかりであった。この城には女性や子供などもたくさん住んでいた筈なのに、である。
地龍王から聞いた話によれば、敵国の侵略を受けてたこの城では籠城による食糧不足から、女子供から死んでいき、死の王は生き残ったものを生贄に捧げてこの城に呪いをかけたということだった。その時点で若い男が生き残っていた……つまり、生贄に捧げられた結果幽霊となっていたということなのだと理解していたが、その中でこの女性と赤ん坊がだけが例外的に幽霊となっているのは異質である。
「この城の主人の妻と、その息子だった者達だ」
いつのまにか側に立っていた地龍王の言葉を受けて、なるほどと納得した。とはいえやる事は変わらない。ヒイロが手元に炎を産み出すと、女性が顔を上げてこちらを見た。その表情が何を意味するのか、悠長に考察する時間は無い。その代わり、決意を込めてヒイロは呟いた。
「貴女の旦那さんの暴走は、私達が必ず止めてみせます」




