第193話 疲弊と休息
「はぁ、はぁ、はぁ……。ふぅ、やっと戻って来れた」
「ヒイロ、ありがとう」
「どういたしまして。アカ、怪我は?」
「うん、大丈夫だと思う。さっきヒイロが魔力を分けてくれたから……」
最低限の自己治癒を出来るだけの魔力はあるということだろう。それはあまり大丈夫では無いのだけれど、とりあえず命の危険がないのであればあとは時間と共に魔力が回復してくれればそれに伴い治癒能力もあがる。つくづく便利な身体になったものである。……とはいえ、死んだら元も子もないし先ほどのように窒息する期限もあるので過信できるわけではないが。
なんとか引き摺り込まれた場所まで戻ってきたアカとヒイロは、先ほどの倒木の近く、湖から少し離れた場所に腰を下ろして深く息を吐いた。
そこらの魔物に遅れをとるような二人ではないが、巨大な化け蛸との水中戦は流石に肝が冷えた。というかよく二人とも生きていたなと改めて振り返る。お互いにひとつ判断が遅れるか誤るかしていれば、ここで旅が終わっていてもおかしくなかっただろう。
「久しぶりに命懸けだったね」
「油断したつもりは、ないんだけどね」
アカはバツが悪そうに顔を伏せた。
「あれは仕方ないよ。私も気付かなかったわけだし」
水の中への警戒は薄かったのは確かだが、仮に最大限の警戒をしていたとしても対応できていたかは怪しい。そのぐらい、音も気配もなく忍び寄ってきたし一瞬で二人を水の中に引き摺り込んだのだ。
「でもポルーナさん達がよくここに来ていたって言っていたから湖は安全かもって無意識に考えてたかも。そこは反省かなぁ」
「あんなおっかない魔物がいるって知っていたなら、流石に警告してくれるんじゃ無い? ポルーナさん達が来ていた頃には生息していなかったか、たまたま襲われなかったか」
「毎年ここに来ていて、たまたま襲われないってあるかなぁ?」
「逆に私たちだから襲われたって可能性は?」
アカの言葉にヒイロはふむ、と考え込んだ。ポルーナ夫妻は襲われずに自分とアカがあの巨大タコに襲われる理由とは。
「……アカがかわいいから?」
「なんじゃそりゃ」
そんな理由で襲われては堪らないのだが?
アカに冗談に付き合う余裕がない事に気付いたヒイロは苦笑いをして肩をすくめる。
「もしくは落ち人だから。または火属性魔法使いだから簡単に襲えると思ったのかもしれない」
「ああ、魔物は獲物の属性がわかるってやつ?」
「そうそう」
ある研究によると、他の生物を捕食する魔物の中には対象の属性を感知することが出来るものもいるらしい。
属性というのは互いに有利不利があり、わかりやすいの例でいえば火属性は水属性に弱い。単純に同じ魔力量の魔法同士がぶつかれば火属性魔法は水属性のそれに打ち消される――アカとヒイロが水中でも炎を操れたのは単純に火力が高いからであり一般的な魔法使いの操る魔法ではああはならない――ように、実力が伯中している同士で戦えば基本的に属性の相性が勝敗につながる。
知能の高い魔物の中には、相性の良い獲物を好んで襲うものもいるらしい。
先ほどのタコしかり、水棲生物は基本的に水属性を持つので火属性のアカとヒイロは絶好のカモの様に思われたのかもしれないとヒイロは推測した。結果的に二人の能力が相手の物差しを大きく上回っていたのでこうして生還できたというわけである。
しかしアカは、そんなヒイロの意見に首を傾げる。
「一応筋は通ってる気もするけど、そもそもの実力差が分からないような魔物でもない気がするのよね」
「水の中なら勝てるかもって思ったのかも。実際、ギリギリだったし」
「そうかも知れないけど……」
アカはまだ納得いかない風だ。
「何がひっかかってるの?」
「なんとなくの感覚なんだけどね、野生の魔物が属性が有利ってだけであそこまで執着するのかなって。ヒイロも違和感感じなかった?」
「言われてみれば確かに……」
特にアカの爆発を受けた後の相手はお粗末だった。死を悟ったが故に一矢報いようとしたやぶれかぶれな攻撃だと思ったが、魔物の習性を考えればあれだけ怪我をすれば逃げるのが普通ではある。それをしなかった、もしくは出来なかった理由があるのかもしれない。
「……と、まあ考えたところで魔物が考えていることなんて分からないか」
今は次のタコが襲って来ないことを祈りつつ、湖もしっかりと警戒する方が大切だ。もう一度引き摺り込まれたらさすがにもう抗えない。
アカも頷いて、ヒイロの隣で湖を睨むように警戒を強める。
◇ ◇ ◇
その後、日が昇り始めるまで魔物に襲われることは無かった。
アカは膝ですやすやと眠るヒイロの頭を撫でながら、少しだけ肩の力を抜く。思いがけずにボロボロになった二人だったが、交代で休む事にした。ある程度眠れば魔力は回復するし、魔力があれば怪我も治る。この状態で下手に歩くよりはその方が安全だという結論に至ったのである。
ではどちらが先に休むか。お互いに固辞したが、魔力の残りで言えば実はヒイロの方がカツカツだった。水中でアカに空気を送った際に、僅かに残していた魔力も合わせて口移しで送ったのだ。ただ空気を送っただけではあの状況でアカが覚醒できたか分からないのでその判断は間違っていなかったが、そもそもその直前にヒイロも加減したとはいえ魔力の暴発をさせている。感覚的には一割ほど残していた魔力のほぼ全てをアカに注ぎ込んだので、実は今に意識を失いそうなほどフラフラだった。
それでも爆発によって怪我をしたアカを気遣うヒイロだったが、アカが「いいから! ほら!」と自分の膝を叩くと観念したように倒れ込み、ものの数秒で寝息を立て始めたのである。
これだからこの子は……とアカは呆れつつ、膝枕を作り直してヒイロを優しく寝かせた。ヒイロがアカを心配するのと同じくらい、アカだってヒイロが心配である。まあ魔力がすっからかんとはいえ限界の手前で踏みとどまってくれていたようでその寝顔に苦痛の様子は無い。むしろ幸せそうですらあるのは、アカのふとももの感触を堪能しているという事だろうか。
穏やかな寝顔のヒイロを撫でつつ、アカは先ほどの戦いを振り返った。
「火事場の馬鹿力……っていうわけじゃないよね」
もちろんそれもあるが、それだけでは説明できないのが水中での自分自身の動きだ。無我夢中で水の中を舞うように泳いだけれど、もともとあんな事ができたわけでは無い。クロールで25メートルプールの端までは行けるけど、その程度である。あんな風に泳ぎ回れるなんて自分でも知らなかったし、あんな場面でもなければ気付けなかっただろう。
「別に泳ぎが上手くなっても大したメリットはないけど……」
アカはあの時の感覚を思い出す。
泳ぐというより水の中を舞う様に。手足で水を掻くのではなく魔力で体の動きを姿勢を制御する感覚。あれは水中に限らず地上でもできるのでは無いか。たとえば体術やメイスを使った戦い方に応用できないだろうか。
感覚を忘れないうちに体を動かしてみたくはあるけれど、アカ自身もヒイロほどでは無いが魔力はカツカツだしその残り僅かな魔力は爆発で受けた怪我の治癒に回している。何より膝の上で眠るヒイロを地面に寝かせるのはかわいそうだ。
なのでその場でじっとしながら、夜の間中ずっとイメージトレーニングをしていたのである。
……。
…………。
「ん……」
朝日を顔に浴びたヒイロが目を覚ましてアカの膝から起き上がる。
「おはよ。気分は?」
「ふぁ……。悪くないかな」
「まだ魔力はそんなに回復してなさそうだけど」
「んー、感覚的には半分くらいでしょうか」
「もうちょっと寝てていいわよ?」
「うーん……うん、大丈夫。アタマはすっきりしたよ」
ボーッとしていたのは数秒、ヒイロは大きな瞳をぱっちりと開くとよし、と立ち上がった。
「顔洗ってくる」
「湖に? 危ないわよ」
「さすがに大ダコはもう居ないだろうけど、警戒はするよ」
「もう。仕方ないなあ」
湖岸に向かうヒイロに、アカもついていく。朝日で明るくなった湖は、夜とはまた違った美しさを湛えていた。
「月詠草は光ってなくてもきれいだね」
「そうね。ポルーナさんと旦那さんはこの景色を見ていたってことよね」
「夜も昼もどっちも絶景って、最高のデートスポットだね」
「タコさえ居なければね」
ヒイロの言葉にアカも頷いた。あんな体長十数メートルもある大ダコがいるのであればおちおちデートもしていられない。だけどポルーナさん達は毎年ここに来ていたって言っていたし、その頃にはアイツは居なかったのかしら。まあタコの生態なんて興味ないしアレがいつからここに居たのかなんて知りようもないか。
アカは気持ちを切り替えた。
「じゃあ帰ろうか」
「アカは寝なくて平気?」
「疲れてはいるけど、歩けないほどじゃ無いかな。寝ては居ないけどさっきまで座って休んでたわけだし。さっさと戻って安全なベッドで寝たいかな」
「了解。じゃあ戻ろうか」
二人は湖に背を向けて帰路に着く。と、ヒイロは地面で光るものに気が付く。
「なんだろう? お金かな」
朝焼けに反射した事で光るそれをひょいと拾い上げる。
「ヒイロ?」
「ああごめん、すぐ行くよ」
ヒイロは顔を上げると、慌ててアカの後を追って歩き出した。
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