第191話 湖のほとりで
「ヒイロ、後ろ!」
「分かってる!」
背後から飛びかかる魔物にヒイロが火の玉を打ち出す。目の前に現れた炎に反応できず、蜘蛛の魔物はそのまま火だるまとなった。
「はぁっ!」
アカもヒイロの死角から迫る魔物に炎を放った。
……。
………………。
……………………。
「これで全部かな?」
「とりあえずいまの群れは撃退したみたいね」
そこらじゅうに転がる黒焦げになった魔物の群れを見下ろしながら、アカとヒイロは肩の力を抜いた。
夜中に灯りを持って歩けば当然、魔物の格好の標的にされる。いまの襲撃もすでに今夜三度目であった。
「それにしても狙われすぎじゃない? 夜に移動するのは初めてじゃないけど、一晩に三回も襲われるっていうのは異常だよ」
「この辺りが特別危険な場所って可能性もあるけど、だったらポルーナさんが旦那さんと一緒に何度も行ったっていうのがおかしいって話になるわよね」
夜に危険な場所は昼だって危険である。なのでこの道がそれぐらい危険だとしたら、毎年花を見に行くなんて到底出来ないと思う。
「じゃあ私達が魔獣を呼び集めちゃってるのかな」
「だとするとやっぱり松明かしら? 油が燃える臭いがちょっと独特だなとは思ってたけど、この臭いに釣られて集まってきてるとかがあるのかも」
「もしかして獣避けのお香もセットで使った方が良かったのかな。こういうのって実際やってみないと分からないことが多いね」
「まあ試験本番前に試せて良かったと思えば、ね」
そう言ってアカは獣避けの香を取り出して火をつけた。松明の燃える臭いに、香の不快な刺激臭が混ざる。
「臭いね」
「あー、これは合わせちゃいけないタイプね。ごめんヒイロ、お香は消していい?」
「うん。これなら弱い魔物に襲われる方がマシかも」
「じゃあその方針で」
苦笑いしつつお香の火を消すと、改めて歩き出した。
「野営の時に焚き火しながら使う分には、そんなに臭いは気にならないのにね」
「焚き火の場合は乾いた木の枝を使うからかしらね。この松明……松の木の根に含まれてる油との組み合わせが悪いってことかも」
「そもそもこの松明を燃やした臭いが結構キツイよね」
「襲ってきた魔物はこの臭いが好きだったってことかしらね。蛾と蟷螂と蜘蛛だっけ? 虫ばっかりね」
「まさに飛んで火に入るってやつだね」
今は夏じゃないんだけどなと思いながら、街灯に群れる虫を思い出してアカはぶるりと震えた。
「魔導迷宮の中にはこの臭いが好きな虫が少ないといいんだけど」
「全くだ」
そもそも魔導迷宮の中に虫はいるのだろうか? 居ないならそれに越した事はないけれど。そういえば虫除け薬も残り少なくなってきたし、買い物リストに追加しておこう。
◇ ◇ ◇
日が暮れてからたっぷり数時間、日本に居た時なら丑三つ時と呼ばれるような時間になる頃に、二人はようやく山頂付近にある湖に辿り着いた。
「うわぁ、絶景だね」
「本当、キレイね」
二人の目の前に広がるのは、湖畔で淡く光る月詠草の花畑であった。一輪一輪はぼんやりと光るだけであるが、多くの花が集まるとその周囲だけ昼になったかのように明るく照らされている。
「無事に見つかって良かったわ」
「ほんと、月詠草を探して湖の周りをぐるぐるすることになったら困るなって思ってたけど、これならそんなことも無さそうだね」
アカはカバンから小ぶりな鉢を取り出した。ポルーナから預かったものだ。端っこに生えていた二、三株を周囲の土ごと鉢に植える。
「ミッションコンプリート、と」
「あとは落として割らないように気を付けながら帰るだけだね」
「うん。……せっかくだから明るくなるまでここで休憩する?」
アカは目の前に広がる光景を見ながらヒイロに提案する。ヒイロは嬉しそうに頷いた。
「私も、同じことを言おうと思ってたところ」
……。
…………。
………………。
なんとなく湖の周りを歩く。月詠草は湖を囲むように生えているので、まるで白い筆で湖を囲ったかのように暗闇に光の輪が浮かんでいる。
「ファンタジーだねぇ」
「こういう光景は日本では見られないからね」
「見て見て、月が湖に映ってる」
ヒイロが指差した先ではまるで湖面に二つの月が落ちたかのように美しく反射している。空と湖で合わせて四つの月を、月詠草の明かりが囲んでいるようでまさに幻想的といった景色が広がっていた。
丁度良い倒木に並んで腰掛け、ぼんやりとその光景に見惚れる二人。自然と肩がくっつき、お互いの息遣いがはっきりと聞こえるまで距離が近づく。
しばらくの間、景色を見ていた二人だがどちらともなく、顔を寄せて唇を重ねた。いつもならこのままなし崩しに体を重ねるのだが、
「……いいの?」
「なんか、この場所でそういう事をする気にはならないっていうか。ここってポルーナさんと旦那さんの思い出の場所なわけでしょ」
「ヒイロがそういう事を気にするのって意外ね」
「こう見えてロマンチストなんだよ」
「ふーん」
「まあ昨日もしてるからそこまで溜まってないってのもある」
「ああ、やっぱりいつものヒイロさんだったわ」
「アカがどうしてもって言うなら吝かではないけど?」
「私も今日はそういう気分じゃないかな。せっかく綺麗な景色だし、ちゃんと目に焼き付けておきたい」
「スマホを売ってなければ写真に撮れたんだけどねえ」
「とっくに電池切れてるでしょ。何年経ったと思ってるのよ」
「充電できる魔道具とか、無いかな?」
「需要ゼロだし誰も作ってないでしょ。そもそもこの世界って動力は電力じゃなくて魔力だから、わざわざ他のエネルギーに変換する技術なんてないんじゃ無いかしら」
「じゃあ魔力で動くスマホを探すしか無いか」
「別にスマホじゃなくて、魔石で動くカメラならあるじゃない」
「あれ一つで首都に屋敷が建つやつね」
「もうちょっとお手軽にならないと、庶民には手が出ないわよねえ」
アカは首都エンドの魔道具店で見かけたカメラを思い出す。スマホの何倍も大きな箱で、その場の景色を紙に映すだけの簡単な機能のカメラであるが、お値段はヒイロが言った通りびっくりするほど高かった。
魔導学園の研究者が作りあげた試作品らしいが、これも複合属性の技術の粋が込められた一点モノで、これを売ったお金を量産化のための研究費に充てるといった理由があってのこの価格という事であった。
残念ながら写真を撮るという文化のないこの世界では買い手がついていないらしいが。
「その代わり、みんな絵が上手いんだよね」
「そうね。ムスコット伯の家にあった家族の肖像画とか、そっくりだったもの」
貴族にはお抱えの絵師がいて、家族写真を撮る代わりに彼らが絵を描いてそれを飾る。それがこの世界の貴族の嗜みでもあるわけで、写真が流行したら多くの絵描きが路頭に迷ってしまうわけである。
「でもカメラで風景を撮るのって難しいよね」
「そうね。あと月とか星とかも綺麗に撮れないわよね」
「そうそう、それで景色を撮っても結局あんまり見返さなかったりね」
「言われてみれば、そんなものかも……」
会話に興じながら景色を眺めつつ、それでも二人は決して油断していたわけではない。ここに来るまでに何度も魔物の襲撃を受けた事もあり、後方の山道からの襲撃にはいつでも飛び出せるように警戒は緩めていなかった。
二人にとって誤算だったのは、湖の水面に全く波を立てないばかりか、波紋ひとつ作らずにほんの数メートル先まで迫る者がいたということ。
―ピチャッ、
ほんの僅かな水の音がアカとヒイロの耳を打つ。瞬時に警戒を湖に向けた時には既に相手は行動を終えていた。
ほんの一瞬で二人の足に絡みついた触手が、そのままアカとヒイロを湖に引き摺り込んだ。
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