第189話 スウェイの町の依頼
「だいたい腕の長さぐらいで丸一日、かな?」
「そうだね。六十センチぐらいか。ってことは一時間あたり五センチ燃えるってことだね」
二日ほどかけて、松明の手元に湿らせた布を巻いた状態での燃え方を確認した。
「手元を湿らせないと半日くらいになるかな」
「だね。思ったより分かりやすくて助かった」
松明の太さや掘り起こした場所でずれが大きかったらと懸念していたが、杞憂で済んで良かった。
「松明はこれでオッケー、と。あと準備することは?」
「水と食料、武器のメンテナンスくらいかしら」
「そっちは雑貨屋さんに行けば良いから……うん、ほとんど終わっちゃったね」
「まあ三日分だしねぇ」
迷宮の中で三日間過ごすだけなので、あまり大掛かりな荷物になっても困る。松明の準備ができたらほとんどやることなど無い。
「急に暇になってしまった」
「まあ直前までバタバタしてるよりは良かったわよ」
「そうだけどさ、本番まであと五日もあるよ」
「体を休めつつ、適度に訓練すれば良くない?」
「それはそうなんだけど……」
アカの言葉に頷きながらもヒイロは不満げである。まあ娯楽のないこの世界で五日間、じっと待てと言うのも面白くないのは同感だ。訓練といっても魔物を狩ろうとして万が一のことがあれば元も子もないので、結局のところ軽く体を動かすくらい程度のことしか出来ないとなれば退屈を潰せるようなものではない。
「じゃあ、冒険者ギルドで依頼でも受けてみる?」
「いいの?」
「危険な魔物相手はやめた方が良いけど、気分転換ぐらいにはなるでしょ」
「やった! じゃあ早速行ってみよう!」
ヒイロは楽しげにアカの手を引いて、冒険者ギルドへ向かう。
……。
…………。
………………。
「うーん、あまりパッとする依頼はないというかなんというか」
スウェイの町は首都からだいぶ離れた田舎の町である。冒険者ギルドも存在はするが、大した依頼など無かった……あるにはあるが、その殆どが魔導迷宮上層での魔物の素材や薬草などの収集といったものであり、特待生試験のために入り口が封鎖されている今は受けることが出来ない。それを皆分かっているからか、数少ないこの町を拠点にする冒険者も今は他の街へ出稼ぎに出ている有様ですらある。
「それにしてもまあ、見事に魔導迷宮関連の依頼ばっかりなんだね」
「まあ土地柄、そんなものなのかもね。受けられる依頼もないし、帰る?」
「やむなしか……お、これは?」
「なになに? 『夫に供える花をとってきて欲しい』、報酬は銀貨一枚。ふーん、受けてみようか」
ヒイロが目ざとく見つけた依頼票は他の依頼に比べると報酬が少なく、また依頼の内容も曖昧なこともあり、魔導迷宮に入れないというこんな状況でもなければ見落としていただろう。
拘束時間を考えたらほとんど儲けもない可能性が高い依頼だが、そもそもお金を稼ぐことが目的では無い二人は別に構わない。
とりあえず詳しい話だけでも聞いてみようかと、依頼票を持って受付に向かった。
「これはポルーナさんからの依頼ですね。詳しい依頼内容はポルーナさんのお家へ伺って、直接聞いてください」
「そういう形式なんですね……ちなみに直接お話を聞いたあとに条件が合わなくて断ると、ペナルティとかありますか?」
アカが聞くと受付嬢は困ったように頷いた。
「直接交渉の結果、折り合いが合わなくてということであれば依頼票のこの項目、交渉決裂の欄にチェックを入れて持ってきてもらえればペナルティはありません。ただポルーナさんとは個人的に知り合いでもあるので、出来れば受けて頂けると私は嬉しいのですが……報酬の額が不服なら、この場で受注のキャンセルとできますけど」
「いえ、報酬はこれで大丈夫です。ただ、例えばもしも魔導迷宮の最下層に咲いている花が欲しいとか言われたら物理的に無理だなって思っただけなので」
アカが弁明すると、受付嬢は笑って答える。
「ふふふ、そういった無茶な依頼をされる方ではないのでご心配は無用です。それでは手続きしてしまいますね」
「はい、よろしくお願いします」
手続きを済ませたアカとヒイロはその足で受付嬢から教えてもらった依頼人、ポルーナの元へ向かった。
……。
…………。
………………。
「ごめんくださーい」
「はいはい。どちらさまですか?」
町外れの一軒の民家の扉をトントンと叩くと、品の良いご婦人が扉を開けた。
「ポルーナさんですか? 私たち、ギルドで依頼を受けて来ました」
依頼票の控えと冒険者証を見せると、婦人は目を丸くする。
「あらあら。こんな可愛いお嬢さんが冒険者さんなの? ええ、確かに私がこの依頼を出したポルーナよ」
「よろしくお願いします。えっと、詳しい内容は直接伺うようにとの事でしたけど……」
「ええそうね、じゃあ説明するから入って貰えるかしら」
ポルーナは柔らかく笑うと、アカとヒイロを家に招き入れた。
リビングに通された二人がテーブルに着くと、ポルーナはそのままキッチンへ向かう。
「いまお茶を用意するから待っていてね」
「そんな、お構いなく」
「久しぶりのお客様だもの、おもてなしさせて頂戴」
ポルーナは上機嫌にお湯を沸かしてお茶を淹れると、アカとヒイロと共にテーブルに腰掛けた。
ピンと背筋を伸ばした姿は上品で――貴族であるアリアンナ夫人のような優雅さ無いけれど――平民にしては育ちの良さを感じさせる佇まいである。髪は半分ほど白髪が混じった金髪で、顔や手の皺からだいたい五十歳ぐらいだろうか。失礼な言い方をすれば、初老の女性といった見た目である。
そんな事を考えつつ、差し出されたお茶を手に取った。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ。お行儀がいいのね」
お茶を飲み、一息ついた二人は改めてポルーナに向き合った。
「えっと、旦那さんにお供えするお花を採取して来て欲しいっていう依頼でしたけど、何か特別な種類の花なんですか?」
「特別と言うわけではないけれど、この辺りには生えてないわ。ちょっと待っていてね」
ポルーナは立ち上がると、戸棚からひとつの箱を持って来た。ティッシュ箱より一回り大きいサイズで、華美な装飾こそないが、綺麗な模様が彫ってある。蓋を開け、そこから一枚の紙を取り出すとそこには押し花が貼り付けられていた。
「このお花でね。月詠草っていうんだけど、もっと北の国ではよく見るらしいのだけれど、この国だとあまり咲いていないのよ」
そう言って手渡された押し花には、アカもヒイロも見覚えがあった。寒い場所……北の国でよく見るという言葉のとおり、旅を始めた当初のイグニス国では、春先になるとその辺に生えているのをよく見た記憶がある。彼の国では特に珍しい花では無いのだが昼のうちにほんの僅かに魔力を蓄えているらしく、夜に月明かりを受けるとじんわりと光る特性がある。これがロマンチックなムードを作ってくれるため、子供同士の恋愛ではいわゆる鉄板の贈り物である。残念ながらそこらじゅうに生えているのでいい大人はわざわざ送ったりしないのだが。
「そういえば最近見ないね」
「チロスミス共和国(※)あたりまではポツポツ生えてるのを見たような気もするけど、確かにこの辺りでは見かけないかも」
(第二部 第7章〜第8章)
「そんな遠くの国に行ったことがあるのかしら、若いのにすごいわね」
「いえ、そんなことは……それで、この花が生えている場所は遠いんですか?」
わざわざとって来てくれと言うからに、この町から行ける範囲ではありながらもそこそこ遠い場所に群生地があるのかなと考え、アカは訊ねる。
「この町からまっすぐ東に山があるでしょう? その山頂付近に綺麗な湖があるのだけれど、この時期そのあたりにたくさん生えるのよ」
「あの山か」
「ここからだと往復で二日ってところかしら。夫が生きていた頃はよく一緒に行ったわ。朝、ここを出て湖に向かって日が暮れる前に着いたら、その花を見ながら一晩過ごす。日が登ったら山を降りてくるっていうのがこの時期の定番でもあったのよ」
「デートですか?」
「ヒイロ!」
あけすけな聞き方をアカが咎めるが、ポルーナはふんわり笑った。
「そういうものなのかしらね。あまり口数が多い人じゃなかったから、あなたたちが考えるようなロマンチックなものでは無いかもしれないわ」
「無口な旦那さんだったんですか」
「そうなのよ。考えてることもなかなか口にしてくれなくてね、ん。とか、おい。とか、そんなのばかりで」
「それでよく夫婦として成立してましたね」
「まあ長年一緒にいるとね、なんとなく分かるものよ」
「阿吽の呼吸ってやつですね!」
亡き旦那さんの惚気だか悪口だかで盛り上がるヒイロとポルーナ。人見知りのヒイロが、初対面の人とこんなふうに盛り上がるなんて珍しいなとアカは思った。
「もしかしてさっき押し花を出したその箱も旦那さんからのプレゼントだっりします?」
「あら、よく分かるわねぇ。そうなのよ、滅多にプレゼントなんてくれない人だったけど、たまに思いついたようにこういうのを贈ってくれるの」
「鍵穴もついてますけど、珍しい形ですね」
「あの人の手作りなんですって。上半分はこうやって開くようになってるけど、下半分は鍵がないと開かないようになっていて、こうしておけば大事なものを無くさないだろうって言ってたんだけど……」
「だけど?」
「肝心の鍵を無くしてしまって」
「それは大変ですね。スペアキーは無いんですか?」
「あの人の手作りだから、鍵も自作したらしくてね」
「じゃあ中のものは取り出せなくなっちゃってるんですね」
「まあ何も入れてないけれどね。そんなわけで今は上半分しか使えないのよ」
「へぇ、つまり下半分は開かずの宝石箱ってことですね。いいですね、なんかロマンチックです」
「何も入ってないけどね」
「ロマンが入ってるんですよ」
「あらあら、上手なことを言うのね」
何かシンパシーが通じるものがあるのか、ヒイロとポルーナのおしゃべりは続く。ようやく二人が話に満足した頃には、日が傾き始めていた。
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