龍の願い。そして旅の始まりへ
「まさかその娘さん達の卵を取り返せって事? そんなことはとても出来ないと思いますけど……」
話のスケールについていくことすら出来ていない紅であるが、もうこれは夢だと思うことにした。その上で、目の前の龍の言葉を少しでも理解しようと努める。
― そうではありません。あなた達にそれができるとは思っていないし、第一娘たちは既に殺されました。
いつの間にか龍の言葉はカタコトから流暢な日本語になっている。そんな彼女から、先程の願いを前提から否定する事実が告げられる。
「そんなっ!?」
「じゃあ助けようが無いじゃない!」
― 娘たちは、その身に宿した魔力を全て吸い付くされ卵から孵化する前に生命を落としました。強大な力を持つ龍とはいえ、無防備な卵の状態では抵抗出来ませんから。
「それが分かるのも、龍の力ってことですか?」
龍は頷いた。
― もとはひとつだった魂を二つに分けて託したのです。娘たちの命が失われた感覚が伝わって来ました。あの子たちはもうじきこの場所……生と死の狭間へやってくるでしょう。
「みんな死んじゃってるなら、それこそどうしようもないのでは?」
紅は恐る恐る訊ねながら、ここが死に征くものが通る場所だとするのであれば自分も同じ運命なのではないかと考えた。もしかしてバスから落ちた時に打ちどころが悪くて本当はもう死んでいるのではないか……嫌な想像が広がる。
― 龍とは本来、肉体が朽ちても強き魂が有れば輪廻の輪に戻ることが出来ます。しかし娘たちは孵化して自我を持つ前に命を落としたことで、このままだとそれすら叶わず魂は消滅へ向かうことでしょう。私もまた全ての力を喪失しているので同じく消滅を待つ身です。だけど娘たちだけでも救いたい。なので肉体は生きていながら、精神が先に消えようとしているあなた達と魂を融合することで互いの存在をこの世界に繋ぎ止めることが出来るかもしれないと思ったのです。
「精神が消える!? わ、私たちの!?」
「うそ、死んじゃうってこと!?」
― 人の子が異界よりこちらへ落ちる事は稀に起こりますが、あなた達は落ちたのはどうやら酷く不安定な穴だったようです。境界を超えた際の負荷に魂の強度が耐えられなかったのか、二人とも既に魂が砕けていますよ。
「砕けていますよって、そんなこと言われても……」
「つまり脳死みたいな感じ……かな?」
龍の言葉が確かなら、自分も茜坂も既に死んでいるということになる。先ほどの嫌な予感が的中したというわけだ。
「そんな……だけど、いま私たちはこうしてここにいるのに!」
― 私もあなた達も残留思念のような存在です。時間が経てばこのまま消えていく事でしょう。
「そんな事って……!」
紅はがっくりと膝をついた。自分が死んだなんて信じられない。だってまだこうして生きているじゃない、そう思って自分の両手を見る。
「あなたのお願い……さっき言った、娘さんたちと魂の融合ってやつをすれば、私たちは助かるんですか!?」
茜坂が縋るように龍に訊ねる。
― 少なくとも、このまま何もしなければ消滅します。娘たちの魂と融合すれば砕けた魂を繋ぎ止めることが出来るかもしれない、可能性があるという話です。
「そんなの、実質選択肢が無いようなものじゃない……」
「でも、魂の融合ってどういうこと? 私たち、どうなるの?」
茜坂の疑問に、龍は首を振った。
― 龍の魂が人と融合した前例が無いので、どうなるかは私にも分かりません。互いの意識が共存できるのか、あなた達の魂を喰われて自我が崩壊するか、現時点ではどちらとも言えないです。
「魂が喰われる!?」
「それって、結局死んじゃうって事じゃない!」
― ですが、融合をしなければいずれにせよあなた達はこのまま目覚める事はないでしょう。
龍の言葉に紅はがっくりと項垂れる。
今の状況を夢だと思おうとし続けていたが、そうとも言えないリアリティがこの場にはあった。
だからこそ軽はずみに目の前の龍の頼みを聞いてはいけないと思っていたけれど、よくよく話を聞いてみれば実際のところ選択肢などないのだ。
やらねば死ぬのであれば、やるしかない。
「……茜坂さん」
「うん……、仕方ないよね」
隣の茜坂も同じ結論に至ったようだ。二人は改めて龍に向き直ると、揃って頷いた。
「わかりました。ちゃんと出来るかどうかは分かりませんが、そのお話、お受けします」
― ありがとう。異界の人の子よ。……ああ、丁度娘達がやって来たようです。
龍が顔をあげ、遠くを見る。すると、二頭の子狐のような小さな龍がトコトコとこちらに歩いて来た。
「か、かわいい……」
「朱井さん、うっかり触るとエキノコックスになるよ」
思わず漏らした感動に無粋なツッコミを入れる茜坂を無視して、紅はしゃがみ込む。
― シャーッ!
小さな龍は紅達に気が付くと、警戒したように毛を逆立たせた。しかし母龍がそっと近づくと途端に安心して目を細める。母龍は少しの間、子供達を甘えさせたがやがてその背を紅達の方へ押し出した。
幾許か警戒の緩んだ様子で、それでもおっかなびっくり足元まで歩いて来た子龍達を、紅達が一頭ずつ抱き上げる。
ふわふわの産毛がまるで毛皮のようで、その抱き心地に酔いしれる。子龍達も二人を敵ではないと思ったのか、腕の中で大人しく撫でられた。
― では、頼みましたよ。
「えっと、具体的にはどうすれば……」
紅が改めて聞くまでも無く、胸の中の子龍の存在が徐々に消えていく。だが何処かにいなくなるというよりは、まるで自分の中に溶けて入ってくるような感覚だ。紅は慌てて胸の子龍が落ちないように抱き直そうとするが、それをする前に子龍は完全に見えなくなってしまった。
「こ、これでいいのかな?」
気が付けば母龍も居なくなっていた。残された紅は、茜坂と目を合わせる。
「朱井さん、大丈夫?」
「ええ、胸の辺りが暖かいけど、特に痛みとかは……」
「私も……って、熱い!?」
急に茜坂が胸を押さえて疼くまる。
「あ、茜坂さんっ!?」
慌てて茜坂に駆け寄ろうとした紅も焼けるような熱さに襲われる。
「あ、熱っ……熱い熱い!」
「朱井、さん……、たす……け……うああああっ!!」
助けを求めようとした茜坂が暴れるようにその場でのた打つ。だがそんな彼女を気遣う前に紅も倒れ込んだ。
熱い! 熱い! 熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い熱い痛い痛い痛いいたいあついいたいあついいたいいたいいたいいたいいたい……っ!!!!!!
熱いのか痛いのか、もしくはその両方か。つま先から頭のてっぺんまで、どうしようもない熱さと激痛に襲われた紅達は、その場で意識を失った。
― ……人の子の器に龍の魂は負担が大き過ぎたか、もしくは砕けた精神を龍の魂が無理矢理繋いだ反動か……いずれにせよ、融合自体は上手くいったようですね。娘を、頼みます――。
炎龍王の魂は、娘たちの旅立ちを見届けると満足そうに呟き、消えていった。
◇ ◇ ◇
……。
…………。
………………。
「こ、ここ、は?」
目覚めた緋色は起き上がり、自分の身に起きたことを思い出そうとする。えーっと、確か自分は修学旅行で北海道に来ていて……なにがあったんだっけ。
「あ、そうだ。バスから落っこちたんだ」
急に窓の外が真っ白になったと思ったら担任の教師とバスの運転手が意識を失って。駆け寄ったら急にバスが揺れて、勢いで開いたドアから放り出されたんだった。
「それで、朱井さんが手を掴んでくれたけど結局二人して落っこちて……って、朱井さんは!?」
慌てて辺りを見回すと、朱井紅は緋色から少し離れた場所で倒れていた。
「た、大変! 朱井さん!」
同級生の元へ駆け出す。と、ここで緋色は既視感に襲われる。あれ、ついさっきも朱井さんに駆け寄ったような……?
ついでに、なんかすごくショッキングな事があったような気もする。……いや、気のせいか。
「いかんな、まだ寝ぼけてるわ」
緋色は頬をパンッと叩いて自分に気合を入れると、改めて紅のもとへ駆け寄った。
話はこのあと、第2章 第14話の冒頭へ続きます。
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