あの日、二人が出会った龍
時系列の関係で、第2章14話を再読してから読まれることをお勧めします
……。
…………。
気がつくと紅は真っ白な空間に居た。床も壁も無く、ただ何も無い場所。上も下も、分からないようなこの場所で、しかし紅が平衡感覚を失わずに済んでいるのは、隣にクラスメイトの茜坂緋色が立っているからであった。
「朱井さん、ここって……」
「えっと、私達ってバスから落っこちたんだよ、ね?」
そうだ、修学旅行で札幌に向かうバスの中で急に辺りが今みたいに真っ白になって、そこから二人して落ちてしまったのだ。周囲をぐるりと見回すが、バスは見当たらなかった。
「え、バスは? まさか置いて行かれた?」
「分かんない。気付いたらここに立ってたから……」
何も無い空間に二人だけ。酷く恐ろしい状況であると気付いた紅の心を不安が覆い尽くす。そしてそれは茜坂も同様だった。
「あの、朱井さん……手を繋いで貰ってもいいかな?」
「え?」
「ほ、ほら! こんな何も無いところでお互い迷子になったら困るしっ」
何も無いからこそ見失いようが無いと紅は思ったが、現にバスは見えなくなっている。今日初めてまともに話したクラスメイトとはいえ、この状況下では居ると居ないとで心細さが天と地ほど差がある。
紅が黙って手を差し出すと、茜坂は縋るように両手で握って来た。アカは顔を上げると改めて辺りを見回す。
「ここは何処かしら? この真っ白なのって雪……じゃあないわよね」
「寒くはないから、違うと思う。……霧?」
「なのかしら。でも足元すら見えないってどういう事?」
こんな何も見えなくなるなんて聞いたことも無い。
「下手に動かない方がいいよね?」
「そうね。霧が晴れるまで暫く待ってみましょうか」
茜坂の言葉にアカも頷く。とりあえずその場に留まって様子を見ることにした。
……。
…………。
………………。
暫く待ったが、霧は晴れる事はない。寧ろ、いっそ濃くなっている様な気すらする。すぐ横にいる茜坂の気配ですら薄れて来た来たような……。
「って茜坂さん!? 何処に行ったの!?」
隣にいるはずの茜坂の姿が見えない、声が聞こえない。握っていたはずの手の感覚がいつの間にか無くなっている。
気が付けば紅は真っ暗な空間で一人きりになっていた。
「真っ暗?」
そう、夜よりも更に黒い、一切の光が無い暗闇。手元に目を落としても自分の身体すら見えない。ほんの一瞬前までは辺りは真っ白だった筈なのに。
「茜坂さん! 茜坂さんっ!」
必死でクラスメイトの名前を呼ぶが、自分の声すら暗闇に塗りつぶされるような感覚に陥る。
「やだ、お願い! 一人にしないでっ!」
夢中で叫び、手探りで辺りを探るが何も見つからない。いや待って、そもそも私はいま手を動かしているの? 暗闇の中で身体の感覚すら無くなっている。紅は徐々に消えていく意識にすら恐怖した。
◇ ◇ ◇
ふと気が付けば真っ白な空間に戻っていた。……いや、違う。ここは同じ白い空間だけど、さっきとは全く別の場所だ。足元は真っ白が永遠に続いているが、空は見渡す限り紅蓮の炎で埋め尽くされている。
「ここ、は……?」
「朱井さんっ!」
茜坂が飛びついて来た。その勢いによろけつつ、紅は体勢を整えた。
「良かった……朱井さんが居なくなったかと思ったら、辺りが真っ暗になって、だんだん何も分からなくなるような感じがして……私、このまま死んじゃうのかもって思ったんだよ」
腕の中で震える茜坂を抱えながら、紅もぶるりと震える。死。確かに先ほどの感覚はそれを感じさせた。痛みや苦しみこそなかったが、自分の存在感が希薄になっていくような感覚は言葉で言い表せない気味の悪さだった。
「とりあえず、無事で良かった」
無事で良かった、自分にも言い聞かせるように紅があえて口にした言葉を一つの声が否定した。
― 無事デハ有リマセン。アナタ達ハ、ジキニ死ヌ――。
突然流れ込んできた声に思わず胸元を見るが、茜坂も目を丸くして紅を見つめている。お互いの言葉では無い、だとしたら一体誰が?
― コチラデス。
再び声が流れて来た。慌てて辺りを見回すが、何も居ない。
「あ、朱井さん、上に……!」
紅の胸元に抱きついていた茜坂が呆然と空を見上げている。それにならって空を見ると、二人の上空から大きな翼を広げた一頭の動物が音も無く降りてくるところだった。
全身を覆う真っ赤な毛皮、シュッとした顔立ちはキツネのように見えるが、二本の角が生えているし、飛んでいるのでキツネというわけではないだらう。
紅の知るどんな動物とも違う、この生き物は……
「ドラゴン……?」
茜坂が呟く。なるほど、ファンタジーに出てくる龍とは少し見た目が違うが、空一面に広がる炎をバックに翼を広げ飛んでいる様は龍と呼ぶに相応しい気がした。
龍は紅達の前に降り立つ。その身体は大きく、頭の位置は紅の身長の倍以上の位置にある。目の前にある前脚には長い指に立派な鉤爪がついており、引き裂かれたらひとたまりも無いだろう。しかし不思議と恐れを感じる事は無かった。
― 異界ノヒトノ子達ヨ……ドウカ私ノ願イヲ聞イテホシイ。
目の前の龍は紅達に語りかけると、頭を二人の目の高さまで下げた。それが目の前の偉大な生き物にとって最大限の敬意の表れであることは言われなくても理解できた。
とはいえこの状況で願いを聞けと言われても困る。一体何が起こっているのか、ここが何処なのか、何も分からないのだ。紅は勇気を出して龍に返事をする。
「私達、何も分からなくて……。そもそもここって何なんです、か……?」
龍は言葉を紡ぐ。
― ココハ生ト死ノ狭間。本来ハヒトノ子ガ訪レル場所デハナイガ、私ノ願イノタメニアナタ達ヲ呼ビ寄セタノデス。
「生と死の狭間……?」
― 私ノ娘達ヲ救ッテ貰イタイ。ソレガ私ノ願イ。
龍はゆっくりと語り始める。
◇ ◇ ◇
龍は旧い時代には世界を統べるものとして世界中に居た。だがその傲慢さゆえに絶滅の道を辿り、今では四頭の王を遺すのみとなっていた。
残された王達は俗世と関わることを辞め、各々が定めた住処にて永く眠り続けた。龍が居なくなった世界を謳歌するようになった人間達は、それでも彼らを怒らせれば天変地異が起こると信じ続けたため、数百年、或いはそれ以上の時に渡って互いに不干渉を貫き続けた。
永い時が経ち、四頭の王のうち炎を統べる炎龍王。彼女は最も永く生きた龍であり、己の寿命が長くないことを悟っていた。
彼女は自身が朽ちる前にその力を分身に分け与える事にしたのである。
二頭の分身が宿る卵を産み、それぞれに永い時の中で蓄えた魔力を全て分け与えた。その時点で彼女の命の灯火は残りわずかであったが、娘達が無事に産まれる姿を見届けるくらいは出来るだろう。そう考えて最期の時を穏やかに過ごすつもりであった。
だがそんな彼女を、永い不干渉を破り人間達が急襲したのであった。
本来であれば人間など何人居たところで問題ですらない。龍と人間、種としての力の差はそれほどまでに大きい。
しかし分身に全ての力を分け与えていた炎龍王は、襲撃に抗えないほど弱体化していた。さらに十余人程の人間達はいずれも武や魔を極めた猛者達であった。その剣は王の鱗を引き裂き、魔法は肉を焦がした。出涸らし以下の力しか残されていない炎龍王は、それでも娘の卵を守りながら襲撃者達と互角以上の戦いをしてみせた。
しかしその抵抗にもついに限界が訪れる。およそ半分の人間を噛み砕いたところで遂に彼女は力尽きた。人間達の中でも一際強い男の決死の突撃が、彼女の心臓を貫いたのである。自己蘇生する魔力すら残っていなかった炎龍王が最後に見たのは自身の分身である娘たちが眠る卵を持ち去る人間たちの姿であった。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!