第168話 再会と、答え合わせ
目を覚ますと知らない部屋であった。ベッドに寝かされていた身体を起こしつつ、辺りを見回す。
「ここは……」
「おはよ。気分はどう?」
「悪くはない、かな」
ベッドサイドの椅子に座っていたヒイロに返事をしたアカ。ヒイロはアカを正面から見つめると、ヘラッと表情を崩して笑った。
「なんか照れるね」
「そうかしら……っん……」
不意打ち気味にヒイロが唇を重ねてくる。アカは一瞬、驚いて固まったがすぐにそのまま目を閉じてヒイロを受け入れる。しばらくの間、ヒイロの舌に口の中をたっぷりと蹂躙される感覚に酔いしれた。
「……ん、ぷはぁっ」
「ふぅ、ごちそうさまでした」
ヒイロは蠱惑的に笑って立ち上がる。
「もう終わり?」
「うーん、続きをしたいのは山々なんだけどね。アカが目を覚ましたことを奥様方に伝えないと」
「奥様方って……」
「アリアンナ夫人とウイユベール嬢。ついでにムスコット伯」
「みんな無事なの!?」
「無事無事。一番無事じゃ無かったのがアカだもん。ここは王都のムスコット邸の離れの一室なんだけど、奥様達のご厚意でアカの療養のために貸してもらえてるんだよ」
「ええっと……、何があったかもうちょっと詳しく説明して貰ってもいい?」
アカが訊ねると、ヒイロも少し困った顔をする。
「私も昨日ここに着いたばかりだし、あまり詳しい話は聞けてないんだよ。特に奥様は、アカの事をすごく心配してくれていて、しつこく訊くわけにもいかなくって」
「そうなんだ……」
「そうそう。これを鳴らせばいいんだっけかな?」
ヒイロはテーブルに置いてあるベルをチリンと鳴らす。すると部屋の扉が開いてメイドが入ってきた。
「何か御用でしょうか?」
「えーっと、アカが目を覚ましたらこれを鳴らして知らせるようにって言われていたんですが……」
「畏まりました。奥様に伝えさせて頂きます」
メイドは丁寧に礼をすると部屋から出ていく。
「ふぅ、これでおっけぃ」
「ヒイロ、なんか緊張してた?」
「なんか私達って賓客扱いされてるっぽいんだけどそういうのってよく分かんなくて」
へへっと照れ隠しに笑ってみせるヒイロを見て、かわいいなぁと思った。
◇ ◇ ◇
「アカッ!」
慌てて離れにやって来たアリアンナ夫人。ベッドの上で身体を起こしているアカを見て、ヘナヘナと腰が抜けたように座り込んでしまう。
「お母様っ!?」
「ああ、ごめんなさいね。思わず気が抜けてしまって……」
後から入ってきたウイユベール嬢がびっくりして声を掛けると、アリアンナ夫人は優雅に立ち上がりアカのベッドに近付く。
「もう大丈夫? どこかに異常はない?」
「はい、奥様。おかげさまでこの通り」
アカは少し大袈裟にガッツポーズをしてみせた。それを見てアリアンナ夫人はホッとした表情を取り戻す。
「それは良かったわ。あのままずっと意識が戻らなかったから心配していたのよ」
「……最後まできちんと護衛が出来ずに申し訳ございませんでした」
「何を言っているの。貴女はたった一人で十分過ぎるほどの働きをしてくれたわ。それにアカが言った通り、ヒイロがウイを連れてこの屋敷まできてくれたし、貴女たち二人には感謝しても仕切れないのよ」
「そう言っていただけると恐縮です」
アカの自己評価としては護衛依頼は失敗である。理由はどうあれ仕事を完遂出来ずに力尽きあまつさえその護衛対象に助けられているのだ。
しかし当の護衛対象が働きを評価し、感謝を述べているのであればその気持ちを素直に受け取れるぐらいの柔軟さは持っていた……取り戻したとも言うべきか。アリアンナ夫人も、たった一人で自分を護衛し続けた十日間の鬼気迫るような頑なさが今のアカからは感じられないことに気が付いた。しかしそれは大切な仲間であるヒイロと再会できた事によるのだろうと判断した。
それもあるが、何より眠っている間に自分自身と対峙して己の本音と向き合い、そして全力で殴り合った事で心のささくれが解消していた事も大きい。もちろんアリアンナ夫人がそれを知ることは無いのだけれど。
「それより、お腹は空いてないかしら?」
「そうですね……ほんのりと空いてるような空いてないような」
「ああ、まだ空腹を感じるほどには身体がきちんと起きてないのかもしれないわね。なにせ十日近くも眠っていたのだから」
「十日もですかっ!?」
アカは驚いて思わず大きな声を上げた。
「ええ。ずっと目覚めないから衰弱して死んでしまうのでは無いかって思っていたのよ」
「それは……ご心配をお掛けしました。えっと、私が倒れた後に何があったのか伺ってもよろしいですか?」
「詳しい話は夜にでも主人を交えて話しましょう。いまはちょっとだけバタバタしているけれど、あの人もとても感謝しているのよ。もちろん二人に対してね」
夫人の言葉に、隣にいたヒイロがうんと頷いた。この様子だと、既に一度ムスコット伯に会っているのかもしれないな。
「でも、とりあえず何があったのかぐらいは気になるわよね。アカが意識を失ったあとのことくらいは話しましょうか」
そう言うとアリアンナ夫人は部屋の中央にある丸テーブルに腰掛ける。寝たきりでは失礼かとアカもベッドから起き上がるが、そこで自分が薄手の寝巻きを着ていることに気付いた。この格好ではそれはそれで失礼かと固まってしまうと、その様子に気付いたアリアンナ夫人がクスクスと笑う。
「こっちから押しかけたんだから格好なんて気にしないわ。それよりも、もう起きて大丈夫なの?」
「ありがとうございます。身体は大丈夫みたいです」
「それは良かったわ。ではそちらへどうぞ」
促されるまま、丸テーブルに着いた。ヒイロとウイユベール嬢も席に着くとメイドが入ってきて手際よくお茶を並べる。
あ、これって貴族のお茶会じゃん。
……。
…………。
並べられたお茶を口にしつつ、アリアンナ夫人が言葉と紡いだ。
「まあ結論から言うと、あのあと無事に王都までくる事が出来たんだけど。あの場に居たもう一つのパーティ、覚えてる?」
「緑の誓い、でしたっけ?」
「そう。あの野営地から王都までは彼らが護衛を買って出てくれたの」
「ああ、そうだったんですね」
アカは素人同然の彼らに何も期待をしていなかったので、正直感心した。
「アカがひとりで男達を倒して、だけど貴女もかなりの大怪我を負ったでしょう。あの中の一人が簡単な回復魔法を使えるって事で、まずはとにかく治療をしなければとなって。その子は簡単な治療しかできないとは言っていたんだけど、無事にアカの傷を治してくれたわ……本人は「思ったより傷が浅かった」と言っていたけれど、私は目の前で剣がアカを貫いていたのを見たからそんなわけないと思ったわ」
実は意識を失った時点でわりと塞がっていたんです、とは言わずにアカはアリアンナ夫人の言葉に黙って頷いた。
腹の傷が致命傷だと悟ったアカは傷を塞ぐために残り僅かだった魔力を全て燃やし尽くした。前にヒイロが魔力を暴走させて高威力の火柱を生み出したが(※)、それと同じようなものだ。今回は暴走させた魔力の使い道を身体強化に、それに伴う自己治癒能力の向上に期待して充てたのである。
(※第4章 第50話)
怪我で血を失ったことあるが、そもそも襲撃される前から体力の限界を魔力で補いなんとか意識を保っていたので、暴走によって完全に魔力が枯渇したら倒れるのは自明であった。
まあアリアンナ夫人が「緑の誓い」の回復魔法使いを評価しているならそれでいいだろう。
「あとは襲撃者たちの後始末ね。それも彼らがやってくれたわ。四人のうち三人は全身が黒焦げだったけれど、最後の一人だけは身体が燃えずに残っていて、持ち物から正体が分かったの」
「一体あいつら、何者だったんですか?」
「それは少し長くなるから、あとで主人から話すわね」
アリアンナ夫人がお茶を飲んで一息入れたので、アカもそれにならった。ふと隣のヒイロを見るとなんだか難しい顔をしてこちらを見ている。
「それで、死体を埋めたらその場の処理は終わりね。あとは夜が明けたら出発なのだけど、彼らはみんな気が昂ってしまいとても眠る気にならなかったみたいでね。朝まで周囲を警戒を買って出てくれたのよ」
いやそこはきちんと交代で寝ておけよとアカは思ったがあえて黙っておく。
「翌朝、日の出と共に出発してその後は特にトラブルとなく三の鐘過ぎには王都へ到着出来たの。緑の誓いが護衛してくれたのはギルドを通した正式な護衛依頼では無かったからその場では報酬を支払うことは出来なかったけれど、次の日に遣いを出して冒険者ギルドにいた彼らに謝礼を渡してもらったわ。アカについては怪我こそ治してもらったけれど、相変わらず顔色は悪いし目を覚まさなかったからこの離れで今日まで寝かせておいてもらったって流れね」
ものすごくダイジェストな説明だが、つまり特に問題らしい問題は無かったのだろう。
「無事に着いたのなら良かったです。奥様にお怪我は有りませんでしたか?」
「おかげさまで、無傷で王都へ辿り着く事ができたわ。手配した馬車では無いしウイはいないわ、服は汚れてボロボロだわで迎えの者は大慌てだったけれど」
「馬車と言えば、貸し馬車は彼らが引いたんですか?」
「いいえ、王都までは私が引いたわ」
「奥様がっ!?」
今日一番の驚きで思わず大きな声をあげてしまう。そんな様子を見てアリアンナ夫人はクスクスと笑った。
「何日もあなたが隣で引いているのを見ていたから、見様見真似でやってみたら馬も素直に歩いてくれたのよ。ああ、王都の貸し馬車屋へ返したからお金の心配はいらないわよ」
「そ、それは……ありがとうございました」
同行している時から感じていたが、アリアンナ夫人は肝が据わっているし平民であるアカたちに対しても柔軟である。この人が「この平民がっ!」といった態度で接してくるタイプでなくて良かったなと改めて思った。
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