第163話 ヒイロとウイ
「ヒイロは、躊躇なく人を、殺せるのね……」
男達の襲撃を退けたヒイロに対してウイの口から半ば無意識に出た言葉は、彼らを殺したことを咎めるものだった。
それを自覚した瞬間、ウイは後悔する。ヒイロだって人を殺してきっと心を痛めている。しかし自分を守るためにやむを得ずその手を汚したのだろう。だというのにそれを責めるような言葉をかけたら、きっと悲しむに違いない。
そう考えて慌てて謝罪しようと再び口を開いた。
「あ、その……」
「そりゃ、躊躇したらこっちが危ないからね。あの感じだとやっぱり私達を襲うつもりだったみたいだし、機先を制して攻撃して良かったよ」
しかしヒイロはあっけらかんと答えたのだった。人を殺した事による後悔や葛藤などまるでないかのように。
「そ、それもそうだったわね。……どうもありがとう」
「どういたしまして」
ヒイロはウイの態度を気にした様子もなく、にっこりと笑ったのだった。
◇ ◇ ◇
襲撃者達の死体から暫く離れたところで再び腰を下ろしたヒイロとウイ。改めてヒイロが焚き火を起こして作ったスープを受け取ったウイであったが、心ここに在らずと言った様子でぼーっとしているように見えた。
「食べないの?」
「え? ああ、頂きます……」
とは言ったものの、スープを口に運ぶ気にはならなかった。ヒイロはそんなウイを訝しげに見るが、しつこく訊ねることはせず自分の器の中身を口にした。
いつもの変わらない様子で食事をするヒイロを見て、ウイはまた気持ちが重くなる。
……ヒイロにとって先ほどのアレは、取るに足らない事なんだと思い知る。
ウイだって貴族の娘として、父であるムスコット伯が街を守るために悪人を裁いていることを知識としては知っている。例えば先ほどの男達が本当に盗賊の類だったのならば法に則れば打首ではある。しかしそれは然るべき手順を経た後に専門の人間が行うことであり、ヒイロの用に「怪しいから念のために先制攻撃をした。結果的に悪い奴らだったから問題なかった」は言ってしまえば私刑でしかないし、自分達のルールで到底認められない。
そうは言っても先程の男たちが本気で自分達に危害を加えるつもりがあったなら。ヒイロが言ったように、攻撃を躊躇していたら今頃想像することすら憚られるような酷い目に遭っていた可能性があるわけで、やはり結果オーライいうか、あの場ではああするしかなかったと理解できてしまう。
分かっていたつもりではいたが、貴族と平民とでは生きていくうえでのルールと言うか常識や考え方の根本が違うという事実を今さら突きつけられたような気分だった。
「私も別に、人を殺すことに何も思わないわけではないよ」
「え?」
急に話しかけてきたヒイロに、ウイは驚いて顔を上げた。
「いや、なんか私が人の心が無いみたいに思われてるのかなって」
「そ、そんな風には思ってないけど」
慌てて首を振るウイに、ヒイロは言葉を続ける。
「私とアカはこれまでも二人で旅をしてきたんだけど、やっぱり女の子二人きりでいるせいか、わりと絡まれるんだよ」
「絡まれっていうのは、男の人からその、よくない誘いを受けるって意味かしら?」
言葉を選んで質問するウイ。そんな様子にヒイロは苦笑して頷く。
「そういう意味だよ。濁さないで言えば、私たちの身体を求めて来るってこと。直接やらせろって言ってくる奴もいれば、明らかにいやらしい目で見ながら危ないから守ってやるよって寄ってくるのもいるし、問答無用で襲いかかってくる奴もいるんだよ。街の中ならまだマシだけど、こうして旅をしている最中にであう奴らは殆ど全員がいずれかのタイプだったね」
「そうなの!? ……でも、この前あった人たち(※)はそんなこと無かったわよね?」
(※第12章 第158話)
「物凄く珍しいパターンだったんだよ。ずっと警戒はしていたけどね」
「そ、そうだったのね……」
ウイはブルリと肩を抱いて震える。自分は能天気に気を許してしまったが、相手が悪ければあの日に命運が尽きた可能性もあったのか。
「人の目がある街中ならまだ断れば退いてくれる事も多いんだけど、こういうところで絡まれると大概は力づくで言うことを聞かせようとしてくるんだよ」
「それってほとんど毎回こんな目にあっているっていう意味?」
ヒイロは頷いた。
「それで、大抵は私たちより人数が多い男の集団に対抗しようと思ったら躊躇なんてしていられないからね。というか、私たちが勝てるのはその覚悟の差だと思ってる」
「覚悟の差?」
「そう。強い意志を持って明確に相手を殺すっていう覚悟」
そう言ってまっすぐ前を見るヒイロの表情に、ウイはゾクリとする。
「相手も武器を持っているけれどあくまで目的は私たちを従える事だからね。それに対して私とアカは初手から殺しに行く。相手もまさか問答無用でこっちが殺しにくるとは思ってないから、私とアカの最初の攻撃で一人ずつ殺せるでしょ。そこで向こうが慌てても、そのまま混乱から立ち直る前にもう二、三人……って感じで人数の不利を一気に解消するんだ」
ヒイロはメイスを手に取ってえいっと振るってみせる。相手が集団の場合は炎を四方八方に撃ちまくったりする事もあるが、ここでは割愛した。
「そういう場面で一番足を引っ張るのが、罪悪感なんだよね。最初のうちは殺さずに無力化出来ないかって思ったりもしたんだけど、そうやって加減すると相手は余計に逆上するし一度戦闘モードに入ったら絶対に退いてくれないんだよね」
相手側からしても手篭めにしようと女に反撃されて「こいつら強いぞ、これ以上はやめておこう」とはならず、逆上してより一層引っ込みがつかなくなる。結果的に多少の怪我程度では止まらずにヒイロ達に襲いかかってくるので自衛のために殺さざるを得ない。
「だから躊躇なく殺すようにしてるの?」
「うん。気の持ちようみたいな感じだけど相手をまともな人間だと思わずに、そこらの魔物と変わらない括りとして認識するようなイメージかな」
「魔物と変わらないって……。でも、確かに危害を加えてくる上に話が通じないという意味ではある意味間違ってないのかしら」
「そうそう。だから私だって罪のない人は極力傷付けたくないし、決して快楽殺人者だったりするわけじゃないんですわ」
こんな世界で生きていこうと思ったら、敵対する相手には容赦していられない。だからこそ身につけた処世術のようなものだが、逆に言えばこれだけ人を殺してきているヒイロであってもこうやって気持ちに折り合いをつけなければ心が痛む程度には、まだ日本人としての道徳や倫理観を忘れていないと思っている。
「ヒイロの言いたいことは分かったわ。ところで、そこまでして魔導国家……というか、魔法学園に行きたい理由ってなんなの?」
「理由?」
「ええ。確かな魔法学園は平民でも入学できるわ。だけどそれって魔法を使う才能はあるけれど使い方がわからない人がその使い方を学ぶために行くのが殆どと聞いているわ。今の時点で十分魔法を使いこなしているヒイロが行っても得るものは無いはずよ。
……もちろん魔法学園ではより高度で複雑な魔法の研究は行われているけれど、さすがに平民の身分ではそういった研究まではする事ができないはずだし……」
ウイはヒイロ達が魔法学園に入学するつもりだと思い込んでいるが、実際のところヒイロとアカにそのつもりは無い。魔導国家へ行って日本に帰る方法を探すのが目的で、魔法学園には用はないのだから。
さて、どう言ったものか。悩んだ末、ヒイロはある程度正直に答えることにした。
「私は、アカを家族に会わせてあげたいんだよね」
「アカの? ご家族が魔法学園に居るの?」
ヒイロは首を振る。
「違うよ。居る場所分かっているだけど、そこへの行き方が分からないって感じかな」
「どういう意味かしら」
「わりと言葉通りの意味なんだけどね。私とアカは、ある事情で家族と離れ離れになってしまっていて、アカはなんとしても家族の元へ帰りたいと思っている。その手がかりが魔導国家にならあるかもしれないって事で私たちはずっと旅をしてきたんだ」
「よく分からないけど……嘘では無さそうね」
ウイはうーんと考え込む。
「だけどそれはアカが旅をする理由で、ヒイロが旅をする理由にはなっていないんじゃないの? ヒイロもアカと同じで家族に会うために旅をしているってことかしら?」
「私はそこまで家族に執着は無いかなぁ」
日本に帰れるなら帰っても良いが、それよりも大切なものが今のヒイロにはある。
「じゃあ何故?」
「アカの望みを叶える事が私の望みだから」
「……そのために、何度も危険な目に遭いながら旅を続けているっていうの?」
「まあ、そうなるかな」
ヒイロにとってアカはこの世界で生きる希望であり、縁でもある。だからアカの望みである日本への帰還は何を犠牲にしてでも成し遂げる覚悟がある。極論、アカが日本への帰還を諦めてヒイロとこの世界で添い遂げると言ったならヒイロはすぐにでも旅を辞めて二人で静かに過ごせる場所を探すだろう。
だけどそれはアカが望んでいないし、何よりアカはきっとこの世界では幸せになれない。日本に帰りたいと泣いたあの日、ヒイロはこの子だけはなんとしても日本に帰してあげようと心に決めたのだった。
あの頃とはアカに対する感情は違うけれど、それでも決意は一度も揺らいでいない。
……そんな本音を、日本とか異世界とかをぼかしつつなんとなくウイに伝えると、ウイは分かったような分からないような顔をした。
「じゃあヒイロにとってアカが生きる原動力みたいな感じなのかしら?」
「うーん、そうでもあるのかなぁ。こういう感情は言語化が難しいね」
そういってはにかむヒイロからは、先ほど男達を殺した時の怖さはなくなっているとウイは思った。冷徹に人を殺せるヒイロと、目の前でアカを想って頬を染めるヒイロ。受ける印象は同一人物とは思えないほどに違う。ウイはその理由がほんの少しだけ分かった気がすると同時に、ヒイロとアカの間に強い絆を感じた。そして、自分はきっとヒイロにとってそこまでの存在にはなれないんだろうなと思った。
ウイの中に芽生えてようとしていた、憧れを含んだ仄かな恋慕に似た情。それはある種の諦めと共にウイの中で消化されるのであった。
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