第156話 ヒイロ、王都へ向けて
馬車ごと黒い濁流に落下したヒイロとウイユベール。ヒイロはウイユベールを抱きしめた姿勢のまま床に倒れ込んでいた。
体勢を立て直す前に扉から一気に水が入ってくる。
「ウイ様! 息を止めて!」
咄嗟に叫んだヒイロの声を聞いて、ウイユベールは息を吸い込み目を閉じた。ぎゅっと縮こまったウイユベールを抱きしめ、ヒイロも水と衝撃に備える。
ゴンゴンゴンッ! と鈍い音がして馬車が河を転がる。幸か不幸か、ヒイロ達は馬車から放り出される事も無く暗い河底を転がり続けた。だが馬車の中はあっというまに水で満たされ、どれだけの時間か分からない期間、ヒイロは息を止めたまま必死でウイユベールを守って抱きしめる。
急流を暫く転がった馬車はやがてその耐久に限界を迎え、大きく破裂するようにバラバラとなった。
河の中で前も後ろも右も左も、上か下かすらわからぬまま揉みくちゃにされたヒイロ達だが、河が大きくカーブしたポイントで運よく河岸に放り出された。
「……ゲホッ! ゴホッ! ……はぁ、はぁ、はぁ……」
危ないところだった。あと少し河の中にいた時間が長かったら多くの水を飲み意識を失っていたかもしれない。
ヒイロは鼻から入った水に痛みを堪えつつ、ぐったりしたウイユベールを抱きかかえて河岸から少し離れた場所まで移動する。
「……ウイ様、大丈夫ですか?」
ウイユベールから答えがない。慌てて呼吸を確認すると、ウイユベールは息をしていなかった。
「やっば!」
慌ててウイユベールを仰向けに寝かせて心肺蘇生を行う。
「えっと、気道の確保! 人工呼吸! 心臓マッサージ!」
指を折りながら自分に言い聞かせ、ウイユベールに蘇生を施す。心臓マッサージが必要かどうかはわからなかったが、やらずに死なれても困るのでとにかくやれることはやろう。
保健体育の授業を思い出しながら気道を確保して唇を重ねる。プーッ! と息を吹き込み、一度離れる。それを数回繰り返したら今度は心臓マッサージだ。
「確か結構強めに胸を押していいんだよね」
グッグッと胸を押して蘇生を試みる。
人工呼吸と心臓マッサージのセットを繰り返すと、ガハッと水を吐いてウイユベールが咳き込んだ。
「ゴホッ! ゴホッゴホッ! ゴホッ!」
「ウイ様! 良かった!」
苦しげなウイユベールの背中を摩りながらヒイロは声を掛ける。
ゼーゼーと肩で息をしながらウイユベールはヒイロを見た。
「ひ、ヒイロ……」
「はい。ご無事で良かった」
「私たち、助かった、の……?」
「はい。運が良かったです」
無事に河岸に流れつけた事も、自分が意識を保てていた事も、ウイユベールが蘇生した事も、いずれも少しでも運が悪い方に傾いていたらどうなったか分からない。そういう意味で運が良いと言ったのは本心である。
「運、ね……。とりあえず、助けてくれてありがとう」
「ウイ様を守るのがお仕事ですから」
アカがアリアンナ夫人に対していった台詞を、ヒイロはウイユベールに放つ。ウイユベールは頷くと、辺りをキョロキョロと見回した。
「ここは?」
「どのくらい流されたのかすら分からないんですよね。上流にひたすら進めばアカと奥様に合流できるかもしれませんが……」
「じゃあ行きましょう」
よろよろと立ち上がり、相変わらず轟々と荒れる濁流の横を歩き出すウイユベール。だがヒイロはその場で立ち止まり動かない。
「ヒイロ?」
「ウイ様、今から戻るのは危険です。とりあえず河から離れて朝を待ちましょう」
「何故? お母様はきっと心配しているわ」
「気が付けば日が沈んでいます。もしかすると私達はだいぶ長い時間流されていたのかもしれません」
「だったら、尚のこと急がないと!」
「こんな暗い中、流れの速い河の横を進むのは危険です。もしまた襲われた場合、河に落とされる危険もありますし」
「また襲われたら……?」
「はい。馬車を河に落とした月桂樹はアカが倒してくれてるハズですけど、そもそも一介の冒険者が護衛対象を裏切って襲うなんて不自然ですから奴らの裏にはウイ様達を襲おうとした者がいると思うんです」
「彼らとは別に、黒幕がいるってことね」
「考えすぎかもしれないですけどね。一応警戒はするに越したことないと思います。……ちなみに襲われる心当たりはありますか?」
「あるわけないじゃない!」
強い口調で否定するウイユベール。まあ本人に心当たりが無くても貴族というのは色々としがらみがあるらしいので命を狙われる事はあるのだろう。
「とりあえず河から離れましょう。身体を暖めないと、このままだと低体温症になってしまうかもしれませんし」
「低体温症?」
「身体が冷えて体温が下がり過ぎるとなる症状です。場合によっては命を落とす事もあるので危険なんですよ」
「物知りなのね。……さすがは冒険者だわ」
感心するウイユベールにヒイロは笑って誤魔化す。これは冒険者というよりは日本にいた時に仕入れた知識だったからである。
◇ ◇ ◇
運良く雨が当たらない岩陰を見つけ、そこで焚き火に当たることにした二人。普通、こんな状況では火をつけるのも苦労するがそこは得意の火属性魔法の出番だ。
適当に石を組んでその中に火を焚べる。薪が無いしそこらの木の枝は湿っていて使い物にならないが、魔力を注ぎ続ければ火は消えることはない。
「火属性魔法って便利なのね」
「便利なのはこういうとき限定ですけどね。普通に旅をするならやっぱり飲み水に困らない水か、怪我を治せる光が役に立ちますよ。ウイ様は風属性ですよね、それも空が飛べるらしいので羨ましいですが」
「空が飛べるのは熟練の使い手だけらしいから、私はまだまだよ。ヒイロは自分の属性が好きじゃないの?」
ウイユベールの質問にヒイロは頭を捻る。別に自分の属性に好きも嫌いも無いだろうと言うのが正直な感想だからだ。だが言われてみれば、この世界の魔法使いはみな自分の属性に誇りを持っている……悪く言うと他の属性を見下しがちな一面なある。殆どの者が物心がつく前に特定の属性に魔力が染まってしまう(※)ので、望む属性では無かったと悲観的にならないための防衛本能が働いているのでは無いかと思うが、そんな常識がある中で火属性を誇らないヒイロは珍しく映るのだろう。
(第9章 123話)
「好きか嫌いかと言われると、まあ好きですね。なんだかんだと便利な部分も多いですし」
魔力を込めると傷の治りが早くなったり、火に手を触れても火傷をしないなどの特性にはこれまでも助けられてきた。ナナミに言わせればそれは火属性魔法使いとしてというよりも何故か持っている龍の力に起因しているらしいけれど。
とはいえ、龍の力って言われても未だにピンときていないのが本音である。そもそもヒイロもアカも、龍を見たことすらないのだからどこでそんな大層な力を得たのかと言う話だ。なので個人的にはまだ龍の力云々はあまり信じてなかったりする。
「ヒイロ?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと火属性で何が便利かなって考え込んじゃってました。……ウイ様は風属性が好きなんですか?」
「……まだ好き嫌いを語れるほど使えないわ。だからこそ、魔法学園で自分を鍛えたいと思っているのだし」
そう言ってウイユベールは笑った。
◇ ◇ ◇
翌朝、雨も止んだので河に戻ったヒイロとウイユベール。増水した河は依然として激しく流れていた。河岸から上流を確認するが、アカとアリアンナ夫人を見つけることは出来ない。
「うーん、どのくらい流されたのか見当もつかないですし、そもそも道の無い河岸を上流に登っていくのは難しいかなぁ……」
「でも、河を右手にして登っていけばそのうちお母様達と合流できるでしょう?」
「河が一本ならそうなりますけど、こんなふうに支流があるとそうとも限らないかな、と」
ヒイロは地面にY字を書いてみせる。これがふたつも三つもあったらもはや自分たちが落とされた橋に着くのは難しいだろう。ウイユベールもヒイロの言わんとしていることを理解したようで、難しい顔をした。
「じゃあどうすればいいのよ?」
「いっそ目的地で合流するほうが確実かもしれません」
「お母様達のところには戻らず、直接王都を目指すって事!?」
「はい。とりあえず街道に出て、そこから町なり村なりに辿り着ければ王都への行き方は分かると思いますので」
「でもお母様達は?」
「私たちがしばらく戻らなければおそらく同じように考えるでしょう。あっちにはアカもいるし、心配は無いかと」
アカがそうであったようにヒイロもまた、相手の無事を確信している。
「さて、そうと決まればさっさと移動しましょう。荷物も全部流されちゃってるので早めに街に着きたいですし」
「ちょっと、ヒイロ!」
いまだ名残惜しそうに河を眺めるウイユベールの手を取りヒイロは進み始める。
……こうして、異世界に来て初めて離れ離れになったヒイロとアカは、再会を信じて互いに王都を目指す事となった。
これまでずっと一緒だった二人が離れ離れになってしまった……とここで第11章は終わりとなります。
12章ではそれぞれの視点で王都を目指していく事となります。果たして無事に再会できるのか!?笑
「面白い!」「続き読みたい!」「12章はよ!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!