第155話 アカ、王都へ向けて
橋を渡った森の手前でヒイロとウイユベールを待つアカとアリアンナ夫人であったが、二人は戻らない。
既に日が沈みかなりの時間が経っている。雨は夜半過ぎに漸く止み、ずぶ濡れになった服はアカの火による焚き火でようやく乾いてきた。
アカは立って周囲……特に森からの襲撃を警戒しているが、アリアンナ夫人は丸太に腰掛けてじっと焚き火を見つめている。
「奥様、寒くは無いですか?」
「大丈夫よ。ありがとう」
アカが訊ねると夫人は力無く微笑んだ。
「こんな場所ですけど、寝られるなら休んで下さい。周囲は私が警戒しておりますので」
「ええ。……だけど、少し気が昂ってまだまだ眠れそうにないから、しばらくはこうさせてもらうわね」
アカは頷いて森に目線を戻した。
さて、この後どうしようか。王都までの護衛を完遂する必要はあるが、仮にヒイロとウイユベール嬢が戻ってきたとしても馬と馬車は失ったと考えた方が良いだろう。また馬車に置いてあった替えの服や食料も同時に流されてしまった。自分とヒイロはそれでも問題無いが貴族の二人には過酷を強いる事になる。
多分、森を抜けて街道を進めば丸一日で次の街に着くからそこで物資と足の補給は出来るだろう。幸い財布は肌身離さず持っていたので全財産を無くすことにはなっていない。これまでのように貴族用の宿や豪華な装飾の馬車は無理だろうが、それでも平民目線なら十分いいグレードの宿と馬車を借りることは出来ると思う。
問題は、ウィザスが話していた言葉だ。
― さる貴族の使いから頼まれたんだ。護衛対象の二人を始末してくれってな
実行犯である月桂樹は始末したが、黒幕は聞き出せなかった。まあ聞いたところでどうしようもないとも言えるが……目の前の人間が黒幕の手のものかどうかを判断する術はないのだし。大事なことは、二人を狙う者がまだいると言うことだ。だからアカは今もこうして警戒を続けている。
そもそも、命を狙われている事がはっきりしている貴族を護るのにアカとヒイロだけで手が足りるだろうか。途中の街の冒険者ギルドで追加の護衛を募集した方が良いだろうか。だけど月桂樹が裏切ったことを考えるとベストな選択とも言い切れない。
アリアンナ夫人とウイユベール嬢の持ち物が全て流されたのも辛いところだ。貴族御用達の手荷物を買い揃えていてはアカの手持ちではとても足りないので、王都までの道中ではある程度妥協してもらう必要があるだろう。
「ごめんなさいね」
「え?」
「なんだか、面倒ごとに巻き込んでしまったでしょう」
火を見つめたまま、アリアンナ夫人がアカに詫びる。
「い、いえ。奥様をお守りするのが仕事ですので」
「ふふ、素晴らしい責任感ね。……あの者達にはそれは無かったようだけど」
あの者とは、夫人を裏切った月桂樹の者達だろう。
「彼らは弱かったのかしら?」
「怪しい誘惑に流される程度には、意志は弱かったみたいですね。ただ、実力は決して低くは無かったですよ」
「あら、そうなの? アカが一人で倒してしまったから、てっきり腕っぷしも大したことないのかと思ったわ」
「結果的に私の完勝でしたけど、決して楽勝というわけでは。運よく一人目を無力化した段階で相手の心が大きく乱れてくれたからそこにつけ込んで勝てましたが、向こうが冷静だったら危なかったかもしれません」
実際、月桂樹の息の合ったコンビネーションは厄介だった。口にはしないがアカだけでなくアリアンナ夫人も無傷で済んだのは運も味方したと思っている。
「それだけの実力があっても、お金で寝返ってしまうのね。きちんと護衛をやり遂げてくれたら相応の報酬は払うつもりだったし、今後も贔屓にさせて貰うよう主人に進言しようと思っていたのに……」
アリアンナ夫人は残念そうに呟いた。
月桂樹が裏切った理由の一つはアリアンナ夫人、ひいてはその夫であるムスコット卿が双焔の二人だけを評価して月桂樹は蔑ろにされると考えたからだが、実際のところアリアンナ夫人にそんなつもりは無く彼らの事もきちんと評価するつもりであった。もしも彼らが裏切るのでは無く、そんな誘いがあったことを夫人に報告して暗殺者を捕縛していればそれこそ手柄を讃えて今後の重用もあり得たのは皮肉な話である。
……。
…………。
………………。
結局、翌朝まで待ってもヒイロとウイユベールは戻らなかった。一睡もせずに二人の到着を願っていたが、これ以上ここで待ち続けるのはリスクが高い。
「奥様。出発しましょう」
「まだ、ウイが」
「はい。ですが、これ以上ここで待つのは危険です。月桂樹の失敗を知った者がさらに襲撃してくるかもしれませんし、何よりこんな場所で長く居るとお身体に障ります」
「私は大丈夫だから」
「ここから近場の街までは丸一日歩き、森を抜ける必要もあります。体力の限界までここで待つことは出来ないんです」
「だけどっ!」
「ウイ様とヒイロは絶対に無事です。ただ、思ったよりも下流に流されてしまってここに戻ってくるのが難しいのかもしれません。その場合、ヒイロは王都での合流を考える筈です」
アカは自分にも言い聞かせるように諭す。確証は無いが、自分ならそうするだろう。だからヒイロもそうする筈だ。
「……二人が死んでいるとは思わないの?」
「ヒイロは私を残して死んだりしません。そんなヒイロがついていながら、ウイ様を死なせるような事は絶対にありません」
そこは断言できる。もしもヒイロが死んでしまったらアカは生きていく希望を無くしてしまう。だから彼女の死は想像することすら無意味だと無意識に決めつけており、それが「ヒイロは死なない」という断言に繋がっていた。
だが、そんなアカの自信に満ちた発言はアリアンナ夫人を勇気付ける。もしもアカが「二人が死んでいたら……」などと弱気な発言をしていたら、きっと梃子でも動かずにこの場でウイユベールを待ち続けただろう。
まるで確信するように二人が王都へ向かったとアカが断言しているからこそ、その言葉を信じてみようと思えた。
「……わかったわ。先に王都で二人を待ちましょう」
「はい」
「アカ。私はあなたを信じるわ。だから必ず無事に私を王都まで送り届けなさい」
アリアンナ夫人はアカの目をまっすぐに見て命令した。
「はいっ、もちろんです!」
アカは背筋を伸ばし夫人に敬礼をした。
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