第153話 黒い誘惑
それは三日ほど前のこと。
「全く、やってらんねぇよなぁ!」
「こんな事なら受けるんじゃなかったぜ」
護衛の旅に出てから三つ目の街だった。月桂樹のメンバーはここまでの二つの街でそうしたように護衛対象の宿の手配を双焔の二人に丸投げし、自分たちは酒場で酒を飲みながら愚痴を言い合っていた。
「あいつら、上手く貴族に取り入りやがって」
「今日も護衛の名目で貴族用の宿に泊まってるんだろ。それも費用は依頼人持ちだ」
「くそ! 俺たちはいつものボロい宿だっていうのにな」
貴族用の宿なんて金を出せば泊まれるようなものではなく、貴族かその紹介を受けた特別な身分のものしか泊まる事ができない。仮に紹介があったとしてもその宿泊費は目玉が飛び出るほど高い。そんなところにこの街で三度目、あのCランクはのうのうと泊まっているのだというのだから面白く無い。
……最初の街で面倒臭がらずに自分たちがアリアンナ夫人とウイユベール嬢を貴族用の宿まで案内していたら、その役得が転がり込んできたかもしれないというのがまた悔しさを助長する。
「大体、最初は俺たちだけで護衛する筈だったんだよな」
「ああ。ギルドとしては実績を積ませてアイツらをBランクに昇格させたいらしいが、こっちはいい迷惑だ」
この程度の依頼、自分達だけで十分だったと言うのに後から差し込まれる形で双焔の同行が決まった。ギルドには足手纏いが増えることと報酬の取り分が減る事を理由にゴネてはみたが「だったら依頼自体を他のパーティに打診しても良い」と言われれば引き下がらざるを得ない。
「今回お抱えになるとしたらアイツらの方だろうな。あーあ、こんな事になるなら依頼を受けなくても良かったぜ」
貴族からの依頼は単純に報酬が良いというだけでは無い。そこで依頼人に気に入られ名前を覚えて貰えれば次は指名依頼を貰えるかもしれないという太いパイプになるし、あわよくばお抱えの冒険者になれれば、今後基本的に衣食住に困ることは無くなる。
つまり貴族から依頼というのは冒険者にとってただの大口の仕事ではなく今後の人生を左右する可能性のあるビッグチャンスなのだ。そんな機会自体が滅多に巡ってこないし「貴族に気に入られる」という漠然としたハードルを超える事が出来るのはさらに一握りではある。Bランクに昇格して数年、コツコツと実績を積み重ねて来た月桂樹にようやく回ってきたのが今回のチャンスであったが、そこにいけしゃあしゃあと相乗りしてきた双焔の二人に対して、初めから良い感情など持てるわけもなかった。
それどころか|依頼人の貴族達《アリアンナ夫人とウイユベール嬢》が双焔を気に入っているのは見るからに明らかで、ここから自分達が評価を逆転するのは難しいだろう。依頼人と双焔の間に強引に割って入っても心象はよくならないだろうし、こうなってはあとの行程を粛々とこなして最低限のギルドの評価とあわよくば多少のチップを期待するぐらいしか無い。
そんな事情で明らかにやる気が無くなっている月桂樹に目をつけたのが、アリアンナ夫人とウイユベール嬢の暗殺を目論む者であった。
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「さて、今日は宿に行って寝るか」
「そうだな。こんな仕事でも完遂はしないとならないしな」
これまで彼らはBランク冒険者として真面目に実績と信頼を積み上げて来ていたし、この時もまだそれは継続していた。期待していた貴族とのパイプは繋げそうになくても依頼を放棄したり、ましては依頼人に手をかけようなどとは微塵も思っていなかった。
宿は向かう彼らの前に現れた二人組。男かどうかも定かではないその者達のただならぬ雰囲気を受けて月桂樹に緊張が走る。
「お前ら……俺たちに何か用か」
「酒場でアンタ達の話を聞いてな」
「俺たちの話を聞いただと?」
思わず武器に手をかける月桂樹。貴族の護衛をしているという話を盗み聞きしていたということは、こいつらは依頼人に危害を加えるつもりがあるのかもしれない。そう考えたのである。――そもそも大衆酒場でベラベラと遂行中の仕事の愚痴を吐く方も吐く方ではあるが。
「おっと、そう警戒しないでくれよ。アンタ達と敵対するくらいならこうやって出て来たりしないさ。我々はアンタ達に面白い話を持って来たんだ」
「面白い話だと?」
警戒は解かないが、一応話に耳を傾ける。二人組の言うことも一理あると思ったからだ。
「アンタ達、一緒にいるパーティに一泡吹かせたいんだろ?」
正面から依頼人を裏切れと言われても月桂樹は決して首を縦には降らなかっただろう。しかし先に「双焔を痛い目に合わせたい」が来てしまっては、心理的なハードルが下がる。……実に上手い勧誘であった。
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「俺たちに依頼人を裏切れと言うのか!?」
「裏切るのはあの娘達……双焔の二人という事になる。お前達は必死で依頼人を守ろうとした真面目な冒険者さ」
「それは結果的にそう見えるだけで……」
これまで真面目にやってきた月桂樹にとって、依頼人と同業者を裏切って殺せというのはおいそれと頷ける提案では無い。話は聞いてみたものの、未だ断る方に天秤が傾いている月桂樹に、暗殺者達は飴を差し出して畳み掛ける。
「さて報酬の話だが、前金で金貨四枚、成功すればもう十枚渡そう」
そう言いなら一人に一枚ずつ手際よく金貨を握らせる。
Bランクに冒険者といっても毎回金貨数枚を稼げるわけでは無く、収入でいえばCランクのそれとそこまで差は無い。アカとヒイロは常人離れした火属性魔法で高ランクの魔物を狩って大金を稼いでいるが実はあれは例外中の例外であり、Bランク冒険者であっても普段はCランクと同じような依頼をこなして日銭を稼いでいるのである。
そんな彼らであったから、金貨を握らされてしまえば心が揺らぐ。ここで冒険者としての責任感やプライドを持って迷いなく金貨を突き返せるほど、月桂樹というパーティは裕福ではなかった。
さらに悪魔の誘惑は続く。
「この仕事を無事にやり遂げてくれたら、我々の主人にも口利きをしよう。今はまだ名は明かせないが、ムスコット伯爵との顔繋ぎが出来なくなったのではあればお前達にも丁度良いタイミングでは無いか?」
これが決定打になった。
諦めざるを得ないと思った貴族とのパイプを作る事が出来る。護衛依頼をやり遂げるより何倍も報酬が貰える。そしてなにより、いけすかない小娘どもに身の程を知らせる事が出来る。
暗殺者達が言葉巧みに思考を誘導したこともあって、月桂樹は依頼人を裏切りその手にかける事を承諾したのであった。
……。
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………………。
月桂樹が立ち去り、残された暗殺者達は話し合う。
「うまくいくと思うか?」
「さあな。だが盗賊どもをけしかけた結果を見るに正面から襲いかかるのは得策では無いだろう」
「確かに。あの炎の使い手だけでも仕留めてくれれば儲けものか。ところで本当にあんな奴らを主に紹介するのか?」
「まさか。仮にうまくいったところで、報酬や私怨で依頼主を裏切るようなものを重用できるはずないだろう」
「では、成功報酬を渡しておさらばか? それで納得してくれるか?」
若い暗殺者の言葉に、ベテランが呆れたように首を振った。
「バカかお前は。あんなやつらに金貨十枚もくれてやるわけがないだろう。首尾よく標的を始末したら油断している隙にあいつらの首も落とすんだよ」
「なるほど、そういうことか」
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