第152話 裏切りの橋
王都へ向かう護衛の旅は十日を過ぎようとしていた。行程のおよそ半分まで進んでおり、ここまではまあ順調といえよう。当初からずっと月桂樹との空気は悪いままであるが、これはもう仕方ないとアカは諦めている。
馬車の中ではあいかわらず、ウイユベールによる魔法学園入試対策勉強会が続いていた。
「ヒイロはあんなに強い魔法を使えるのに魔法理論学は全然わかってないのねぇ」
「申し訳ございません……」
「別に責めているわけじゃないけれど、理論が分かっていないのによく魔法を使えるわね」
「確かにそうですね。なんででしょう」
「それを聞いているのよ?」
歳の近いウイユベールとはだいぶ打ち解けおり、そのせいかたまにヒイロから出るやや遠慮の無い発言に冷や冷やするアカであるが、幸いアリアンナ夫人とウイユベール嬢には不敬とはとられていないようだ。
「……雨が強くなって来たわね」
アリアンナ夫人がボソリと呟く。アカは頷き馬車の小窓から外を見る。午前中からポツポツと降り出した空は、本格的な雨模様となっていた。
今日は街まで着かずに野営する予定だ。雨の日の野営は不便も多いが何より危険が大きい。気は進まないが月桂樹と協力して夜通し警戒するしかないだろう。
……。
…………。
………………。
もうすぐ日が傾き始める時間帯だ。ウイユベールの話し相手をヒイロにお願いして月桂樹と話をしようと扉を手を掛けたところで、馬車がガタンと大きく揺れた。
「きゃっ!?」
「奥様、大丈夫ですか?」
バランスを崩したアリアンナ夫人をアカかが抱えるように抱き止める。横を見るとヒイロとウイユベールはなんとか壁に手をついてバランスを保ったようだ。
「アカ、ありがとう。一体何の揺れかしら」
馬車は引き続きガタンゴトンと大きく揺れている。
「悪路を進んでいるんですかね」
そう言って扉についた小窓から外を見ると、なんと馬車は大きな河に掛かった橋を渡っているところだった。木で組まれた橋を強引に渡っているせいで馬車がガタガタと揺れていたのである。
「こんなところを通ってたの!?」
思わず漏れたアカの声を聞いて、残りの三人も近くの小窓から外を確認する。
河は雨の影響で増水し黒い水がゴウゴウと流れている。橋の幅自体は馬車よりかなり余裕があるので今にも河に落ちそうというわけでは無いのは救いだが、それでもこんなところを通るのはゾッとしない。さっさと橋を渡りきって貰わないと。そう思ったアカの耳に飛び込んできたのはアリアンナ夫人の声であった。
「何故あなたが馬車を引いているんですの!?」
小窓から馬を引く様子を確認した夫人が、いつの間にか御者が変わっている事に気付いて驚きの声を上げたのであった。慌ててアカも小窓から馬車の御者台を確認すると、そこに座っていたのは月桂樹のリーダー、ウィザスであった。
「ちょっと、どういうこと?」
窓越しにアカが問いかけるが、ウィザスは答えない。その代わりにウィザスは懐に手を差し込み、一本のナイフを取り出して高く掲げた。
「やめなさいっ!」
制止も虚しく、ウィザスが掲げたナイフは馬の腰に突き刺さる。突然の痛みに馬はその場で大きく立ち上がり、身体を捩った。
ガタンッ!
「きゃあ!」
馬車が大きく揺れて貴族の二人がバランスを崩す。アカはすぐ隣で小窓を見ていたアリアンナ夫人を再び抱き止め、ヒイロは咄嗟に床に倒れ込んだウイユベール嬢の下に滑り込み衝撃を抑えた。
「お前、なんのつもりだっ!」
アカが炎を出せるよう小窓に手を掲げながらウィザスに問いかけるが、ウィザスはそのまま淡々と御者台から飛び降りつつ馬の胴体を横から斬りつけた。
ヒヒーンッ!
更なる痛みに完全に理性を失った馬の前に火のついた松明を投げたウィザスは、此方をチラリと確認しつつ馬車の後方へ駆け出した。
「あの野郎っ!」
悪態をつくアカだが、馬が暴れるせいで馬車が大きく揺れているため貴族の二人を支えるだけで精一杯である。とにかく馬を落ち着かせないと……かわいそうだけどここで殺すしか無いか。
だが馬はアカがトドメを指す前にそのまま前に駆け出す。しかし目の前には火のついた松明が転がっている。
痛みで判断力を失っていた馬は、本能的に炎を避けようと大きく横に進路を変える。いま馬車があるのは河にかかる橋の上である。そんな場所で大きく横に逸れたらどうなるか。
馬を引く馬車ごと、一行は黒き濁流に飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
「やったか?」
「ああ、見ただろう」
「死体は」
「おい、冗談言うなよ。こんな濁流に馬車ごと飲み込まれれば生きてるはず無いだろう。そのうち土左衛門になって下流で見つかるんじゃ無いか?」
「それもそうか……っておい、あれは!?」
「なんだとっ!?」
無事に標的を始末したと思った月桂樹であったが、彼らの見つめる橋の中心付近には、アリアンナ夫人を抱えて倒れ込むアカの姿があった。
◇ ◇ ◇
馬車が大きく横に逸れた瞬間に河に沈む事を確信したアカは、アリアンナ夫人を抱く腕に力を込めつつ扉を蹴り開けた。
「ヒイロッ!」
「行って!」
振り返り、馬車の中でウイユベールを抱きながら倒れていたヒイロに手を伸ばすが、位置と姿勢が悪すぎた。目の端で馬車が河に落ちたことを確認したアカはやむを得ずそのまま全力で床を蹴った。
「……待ってるから!」
「おうっ!」
濁流に飲み込まれるヒイロを断腸の思いで見送りながら、胸に抱いた夫人が下にならないよう身体を捩りつつギリギリで橋の端に倒れ込む。
ドンっ!
「痛ぅ……」
「ゲホッ、ゴホッ!」
「お、奥様、大丈夫です、か?」
床にしたたか身体を打ちつけた痛みを堪えつつ、胸の夫人に声を掛ける。
「ゴホッ……、ええ、私は大丈夫……だけど、ウイは?」
「ヒイロが付いています。絶対に守ってみせます」
「そう……。一体、何が起こったの……?」
「それは、これからアイツらに答えてもらいましょう」
アカは顔を上げて橋の先にいる月桂樹を睨みつける。あちらももはや殺気を隠すことなく武器を構えていた。
……。
…………。
………………。
アカは橋の真ん中で燃えていた松明の火に手を翳すと軽く魔力を通してそのまま主導権を掌握する。魔力が通っていない火なら問題無く操ることが出来る……自分とヒイロ以外の火属性魔法使いに出会ったことがないので誰かが出した炎を奪えるかどうかは分からないが。そのままだと橋が燃えて崩れてしまうので、一旦火の勢いを殺した。傍目には雨で消えたようにも見えるし、アカが何をしたかは分からないだろう。
とりあえず橋が燃え尽きる危険を除外したアカはメイスを構えて月桂樹と向かい合う。
月桂樹の四人はジリジリとアカ達の方へにじり寄り、一息に踏み込める距離まで近付くと一度足を止める。
「……一応理由を聞いてもいいかしら?」
「なぁに。さる貴族の使いから頼まれたんだ。護衛対象の二人を始末してくれってな」
やはり裏切りか。だがいくら月桂樹が品行方正なパーティではないとはいえ、他からの頼みで護衛対象を殺すなんて事をすれば冒険者ギルドの信用に関わる。月桂樹の四人は間違いなくギルドから追放されるだろうし、それどころか平民による貴族殺しは明るみに出ればタダじゃ済まない。
「正気?」
いくら貰ったか知らないが、この裏切りは月桂樹にとってリスクが大きすぎる。そんな月桂樹からすればそんなリスクは当然織り込み済みである。
「確かに普通はそんなことしねぇよなぁ。だが今回はタイミングが良かった。なにしろ丁度罪を被ってくれそうな頭の弱いCランクパーティも同行していたんだからなぁ!」
そう言って高らかに笑うリーダーのウィザス。残りの三人も愉快そうに表情を歪ませた。
「私達が二人を殺した事にするつもりだったのね。許せない……」
アカは怒りを露わに月桂樹を睨みつける。
「全員で馬車ごと河に落ちて死んでくれれば良かったが、お前達だけ這い上がって来たのはそれはそれで好都合だ。標的と犯人の片割れの首が揃って手に入るって事だからな!」
ウィザスの言葉を合図に、月桂樹の四人はアカとアリアンナ夫人に向けて駆け出した。
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