第151話 襲撃者
「ふぅ、夜の風が気持ちいい」
屋根に上がったヒイロは二つ並んだ三日月を見ながら火照った身体を冷やしていた。
屋根に上がったのは見張りをやりやすいという理由もあるが、それ以上にアカと物理的に離れて夜風に当たることで自分を抑えようと思ったからだが、目論見はうまくいったようだった。
「あのまま同じ部屋にいたらもう一回だけ……って気持ちになっちゃうからね」
パタパタと手で顔を仰ぎながら、ヒイロは呟いた。全く、自分がこんな性欲モンスターだったとは。普段からチャンスがあればアカとそういう事がしたいとは思っているが、いざ事に及ぶとタガが外れたようにアカを求めてしまう。
ただ快感を引き出し合うだけでなく、もっと強く身体と心ごとひとつに成りたいという欲求が際限無く大きくなってしまうのだ。
「私はアカとしか経験が無いけど、みんなこんなものなのかなぁ」
自分がただの色情魔なのか、普通そんなものなのか、または相手がアカだから特別な欲望なのか。ヒイロには分からなかったが、いずれにせよ確かな事は「アカが居てくれれば自分はそれだけで十分幸せだ」ということである。
元の世界に帰ることはアカが望んでいるからヒイロの望みであるけれど、逆に言えばアカが隣にいてくれるなら元の世界に帰ることが出来なくても大丈夫だろうとこっそり思っている。
逆に言えばヒイロはそこまでアカに精神的に依存している。その依存度合いはお互いの想いを伝えあう前の比では無いほどに。故に、ヒイロはアカのためであれば何でもできるし、逆にアカが居なくなれば何もできなくなる。
ヒイロは、そんな危ういバランスを自身の心に抱えている事に自分では全く気付かずに呑気に月を見上げるのであった。
◇ ◇ ◇
闇夜を忍ぶ複数の影。
「場所は?」
「あの宿の三階、角の部屋だ」
「よし、行くか」
「……まて! 屋根の上に誰かが居る」
「あれは……標的の護衛か」
「護衛? 宿の警備はあくまで屋内だけだろう?」
「それは宿に常駐している警備の話だ。あれは個人的に雇われた護衛だな」
「なら、先にあれから片付けるか」
「一撃でやれるか?」
「わからないな。向こうを周囲を警戒しているから、もしかすると手間取るかもしれん」
「……そうなった場合、標的や宿の警備に気付かれる可能性があるわけか」
「まさか引くつもりか?」
「大事になって顔を見られるわけにはいかないだろう。なに、ここで無理をしなくてもまだチャンスはいくらでもあるさ」
影達は踵を返し、再び夜の闇に溶けていった。
◇ ◇ ◇
翌日、王都へ向けて旅を再開した馬車の中で。今日もアカとヒイロはウイユベールの授業を受けていた。同行する月桂樹のメンバーはもはや何も言わなくなっている。
日も高く昇る頃になると休憩ということで一度馬車を停める。小腹を満たすための軽食を摂りながらウイユベールがアカとヒイロに訊ねた。
「そういえば昨日は良く眠れたかしら」
「はい。交代で見張りをしながらですけど、しっかり休ませて頂きました」
「あら、見張りをしていたの? 隣の部屋からだとやりづらかったでしょう」
「屋根の上に登らせて貰ったので特に問題はなかったですよ」
「屋根の上ですって!? わざわざそこまで……」
「私達が、そうするのがやり易いと判断しての事なので大丈夫ですよ」
へぇ、と感心するように頷くウイユベール。
「それで、怪しい者は見つかったのかしら?」
アリアンナ夫人の問いに、アカとヒイロは首を振った。
「朝まで周囲を警戒していましたが、特に怪しい人は居なかったです。人の気配がまるで無いってわけでもなかったけれど、宿の方に近付く人は居ませんでした」
「そう。なら良いわ」
夫人は納得したように頷くと、パンを上品に口に運んだ。
……。
…………。
………………。
日が徐々に沈みはじめ、そろそろ今日の野営地を決めるタイミングでのことだった。
「盗賊だっ!」
馬車の外から大きな声が聞こえる。月桂樹のリーダー、ウィザスのものだ。
馬車が急停車すると、アカとヒイロは咄嗟に小窓から外を窺う。
「とりあえず開けても大丈夫そう」
「了解!」
扉を開けた瞬間に護衛対象の二人が狙われたら堪らない。馬車内に弓の射線が通っていない事を確認したアカとヒイロはそのまま武器を掴み、外に飛び出した。
「数は!?」
「わからん! 絶対に馬車に相手を近づけるなよ!」
見ると馬車の前方に数人の集団が剣を構えてこちらを見ている。月桂樹のメンバーは馬車の前方、両サイドと散らばり集団と対峙した。
「私達は後ろと、全方位の警戒をしましょう」
「了解!」
アカの言葉に、ヒイロはひょいと馬車の上に飛び乗った。お行儀は悪いが緊急事態なので後で謝れば良いだろう。そんな彼女をて、アカは馬車の後方を警戒する。
……うん、後ろはとりあえず大丈夫そうかな。アカは馬車の上のヒイロに向けて親指を立てつつ、引き続き後ろの警戒を続ける。
合図を受けてヒイロは一旦後ろはアカにお任せすることにして、前方の集団に意識を向けた。相手は武器を構えながらジリジリとにじり寄ってくる。
「それ以上近づくんじゃ無い!」
「痛い目に遭いたくなければ女と金目のものを置いていくんだな」
ウィザスの言葉を受けても集団は止まらない。相手の言葉からも盗賊であることは間違いないだろう。
「そうはいかない。お互いに怪我をしないうちに退け!」
「ヘヘ、俺達が怖えみてぇだな!」
盗賊たちはウィザスの警告にも怯むことは無い。
警告してないでさっさと攻撃すればいいのに。
ヒイロは馬車の上から盗賊とウィザスのやりとりを見ながらそう思った。
盗賊団といえばおっかない響きだが、あれはろくに鍛えてもいない荒くれの類だ。まともに戦えばヒイロやアカの敵ではないし、月桂樹の実力は分からないけれどまあBランクを冒険者である以上はそれなりに強いと思うのであの程度のチンピラ崩れに苦戦することもないだろう。
だというのにウィザスをはじめとした月桂樹のメンバーは武器を構えてはいるが盗賊たちが少しずつ近づくのを大声で牽制しているだけである。
もしかして馬車や、その中の貴族二人が攻撃されることを懸念しているのかな? だとしてもあんな風に敵とやりとりして距離を詰められるのは愚策である。
そこまで考えてヒイロの辿り着いた結論は「さては月桂樹のやつら、偉そうなこと言っておいて護衛は素人同然だな」である。だとすれば彼らにこの場の主導権を持たせておくのはリスクでしかない。
だったら、私がやるか。
そう結論づけたヒイロは馬車の上で魔力を込め始めた。ナナミから習った「普通の火属性魔法」っぽい炎を作り出し、盗賊たちに狙いを定める。そんなヒイロの様子に気付いたウィザスが表情を歪めた。
「お前っ、まさか……!」
「火の槍!」
別に宣言しなくても撃ち出せるが、なんとなく言葉にしたほうが火属性魔法っぽいかなと声に出して魔法を使った。これも落ち人と疑われないためのひと工夫である。
ヒイロの手元から多数の炎が放たれて盗賊たちを襲う。
「なっ!?」「うわっ!」「ぐえっ!」「ぎゃあっ!」
十人ほどいた盗賊たちは皆、突然飛んできた火の槍を躱すことも防ぐこともできずにまともに喰らう。ドンドドドン! と小気味の良い音と共に一面に立ち上った砂埃が収まると、そこには黒く焦げた盗賊団だったものが炭となって転がっていた。
……前よりも火力、強くなったかな?
◇ ◇ ◇
「勝手な攻撃は許可していない。そんなに依頼人に良いところを見せたかったのか」
「だから、アンタがちんたら警告しているうちに敵がこっちに近づいて来たからやむを得ず撃ったんだって」
夜。野営の準備をしていると、盗賊団を勝手に殲滅した事に対してウィザスが文句を言って来た。ヒイロはそれに噛み付くように反論する。
「スタンドプレーであんな広範囲の魔法を使って、護衛対象にもしものことがあったらどうするつもりだ」
「あの規模の魔法の制御をしくじる事なんてあり得ないでしょ」
「大した自信で結構だが、こちらとしてはそもそもお前が魔法を使えると聞いていない。来ると知らない魔法が後ろから飛んだことでもしも潜んでいる伏兵に気が付かなかったらどうしてくれる?」
「だったらあんなに敵に近付かれる前にそっちが討伐すればいいじゃない。あれ以上近づかれたらそれこそ馬車が危険だと思っただけ。戦力を知らないのはお互い様でしょ、そっちだってこうやって話しかければ文句しか言わずに作戦も何が出来るかも伝えてこないんだから」
ヒイロの言葉にウィザスは顔を引き攣らせる。何を言っても反省するつもりが無いという事を理解したのだろう。大きく溜息を吐き、背を向けると最後にヒイロに吐き捨てる。
「とにかく、これ以上勝手な真似はするんじゃ無いぞ。ギルドにはお前達の態度も報告させてもらうからな」
「そっちが最低限の護衛の仕事をしてくれるなら、私がしゃしゃり出る必要も無いんだけど?」
ヒイロも負けじと反論するが、ウィザスはフン! と鼻息を荒くして二人から離れていった。
「私は悪く無いよねぇ!?」
「よしよし、ヒイロは悪くないよ」
ぷりぷり怒るヒイロの頭を撫でて宥めるアカ。アカの意見としても全面的にヒイロに同意であるが、実際に襲撃があった以上は護衛同士で揉めるよりもっと建設的な意見交換をすべきじゃ無いかなと思う。
もしかして、そういう話をしに来たけど一応苦言を呈したらヒイロが思い切り噛みついたから会話を諦めたって事かしら……だとしたらこっちが悪いって事になる?
ちらりとそんな考えも浮かぶが、目の前で不満を露わにするヒイロには言えないのであった。
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