第149話 貴族の母娘
護衛初日の野営は特に問題なく過ぎ去り、二日目。アカとヒイロは日が昇る前に起きて近くの川へ向かった。昨日の汗を流して、ついでに服をキレイなものに着替えるためである。
「いざという時のために持たされたこれが早速役に立つとはねぇ」
手早く身体を水洗いして下着を取り替えると、ナナミに持たされた香油を軽く体に塗り込む。適量は分からないが、ほんのり柑橘の匂いがするようになった気がするので多分これでいいだろう。
「アカ、いい匂い」
ヒイロがクンクンとアカの匂いを嗅ぎながら近寄ってくる。
「ヒイロもさっさと準備しちゃってよ」
「了解。……ねえねえ、こんな誰もいない川原で二人で裸になってお互いの匂いを嗅ぐと、なんかえっちな気分にならない?」
「ならない」
不謹慎なヒイロに軽くチョップをしてアカは服に袖を通した。最初の補給地点となる街まであと二日の行程、毎日服と下着を取り替えても着替えは足りる計算だ。一度着た服は街に着いたらきちんと洗濯しないと。
もちろん普段の仕事の遠征ではこんなふうに身なりに気を遣ったりはしない。数日間は余裕で同じ服を着るのが普通だ。しかし今回は貴族と同行する依頼ということで、念のため多めの着替えや臭いを誤魔化すための香油を準備しておいた。それが早速役にたったというわけである。
「あの密室で自分の臭いが気になったら嫌だものね」
「私はアカの匂い、好きだよ」
「今はそういう話はしてないんだなぁ。ヒイロ、もしかして欲求不満気味?」
「三日前の夜(※)、お預けされたからね」
(※第147話)
まじか。
◇ ◇ ◇
馬車の旅は今日も順調である。相変わらずよく揺れる。出発して一時間ほどは昨日同様に無言の馬車内であったが、大きめの石に乗り上げて馬車がガクンと揺れた拍子にアリアンナ夫人が前方に倒れ込んだ。
「きゃあっ!?」
「おっと……、奥様、大丈夫でしょうか?」
正面に座っていたアカが素早く身体を落として夫人を抱き止めた。
「え、ええ。助かったわ」
「お怪我が無くて良かったです」
夫人の体を優しく起こして椅子に座らせると、自分も元の通り座り直す。
「アカと言ったかしら。あなた、何か付けているわね?」
夫人はそう言ってアカを真っ直ぐに見る。
「はい、お二人に失礼のないように少しだけ香油を塗っています」
「ああなるほど通りで、悪く無い心がけだわ。ただ、私達の匂いとは少し合わないわね。……明日からはこれを付けなさい」
そう言うと、カバンを開けて瓶に入った香油を取り出した。蓋を開けて匂いを嗅ぐと、さわやかな花の香りがする。
「ありがとうございます。使わせて頂きます」
お礼を言ってビンを受け取った。この量で残りの日程分には足りないだろうから、次の街についたら雑貨屋に同じ香りのものがないか探さなければ。おかわりは要求しにくいし。
そんなアカに、ウイユベール嬢が興味深そうに声を掛ける。
「冒険者って粗雑な人達のイメージだったけど、香りに気を遣ったり出来るのね。意外だわ」
「そうですね。私達はこれでも女の子なので、やっぱり体臭とかは気になります。でも冒険者の大多数は男性なのでウイユベール様のイメージ通りの人も多いと思いますよ」
実年齢ハタチを過ぎているので女の子を自称するのはと思わないでも無いが、どうもアカもヒイロもこの世界の人にはだいぶ若く見られがちなので――おそらくウイユベール嬢はほとんど同い年だと思っているだろう――変に成人ぶるよりも見た目相応の歳と振る舞った方が色々と詮索されずに楽なので仕方が無い。
「まあ、そうなのね。やっぱり女は色々と大変よね! 二人は女の子なのに何故冒険者なんて仕事をやっているの? あなた達ならもっと楽な仕事にもありつけるでしょう」
「私たち、魔道国家への旅の途中なんです」
ウイユベールは悪気無く冒険者全体を思いきり貶しているのだが、言い方に嫌味が含まれて居ないので本人に悪気はないのだろう。悪意が無いのであればアカは特に気にならない。
「あら、偶然ね。私も魔道国家へ行くのよ」
「そうなんですか? この護衛は王都まででしたが……」
「次の春から魔法学園に通う予定だから、その準備のためには魔導国家まで目と鼻の先の王都で過ごした方が都合が良いのよ」
「なるほど、そういうことだったのですね」
フムフムと頷いてはみせるが、正直魔法学園についてはよく知らないのでなんとなく分かったふりをしているだけである。そんなアカの様子に満足げに笑ったウイユベールは「あ、そうか!」と手を叩く。
「アカとヒイロも魔法学園に向かっているのでしょう!? あそこは平民にも門戸を開いているものね」
「え?」
「じ、実はそうなんです」
いきなりの話題に戸惑うアカだったが隣のヒイロが一瞬で乗っかった。うまい具合にそう思い込んでくれれば余計な詮索をされずに済むと思ったのだ。
しかしウイユベールはさらにぐいぐいと迫って来る。
「やっぱり。だから冒険者をやってお金を貯めているってわけね、納得だわ。ギルドから私達の護衛を依頼されるって事は、あなた達も強いのでしょう? だけど魔法は得意では無さそうね。でも大丈夫よ、あそこは才能を見出されれば最初は魔法が使えなくても受け入れてもらえるらしいわ」
「は、はぁ……」
「だけど最低限、座学のテストに合格できる学力は必要よ。そうだ、王都に着くまで時間もある事だし、私が勉強を見てあげる。ええ、ええ、構わないわ。将来学び舎を共にする学友になるんですもの、それに教える事で私自身の理解が深まる側面もあるから遠慮なく頼って頂戴」
そう言いながらカバンから分厚い本を取り出した。
「さあ、まずは魔法史から始めましょう!」
◇ ◇ ◇
「や、やっと解放された」
「相当な詰め込み教育だったわね……」
旅の二日目が終わった。今日も街に着かなかったため昨日に引き続き野営である。明日には大きめの街に着くのでそこで宿を取り、食材の補充などを行うことになっている。
ウイユベールによる勉強という名の知識披露によってすっかり肩が凝ったアカとヒイロはうーんと伸びをして身体をほぐす。
「相変わらず良い身分だな」
そんな二人に皮肉を飛ばすのは月桂樹のリーダー、ウィザスであった。
「馬車の中で楽をしているくせに一丁前にお疲れか」
「そんな風にいうならあなた達が馬車に乗せてもらうように頼んだらどうですか」
「当初はそうなる予定だったんだが、誰かさんが依頼に割り込んできたせいでお役目を取られちまったからな」
「文句があるならギルドに言ってください」
そもそもこの依頼をアカ達に斡旋してきたのは冒険者ギルドである。
「やる事をやっているなら文句などない。それで、何か聞いたか?」
「別に何も」
強いていうならウイユベール嬢が魔道国家の魔法学園に通う予定らしいという情報を得たぐらいだが、この傲慢な態度の同行者には話す必要は無いだろう。余程差し迫った情報以外共有するつもりもない。
「……やはり使えないヤツらだ」
ウィザスは小さく吐き捨てると踵を返し自身の仲間の元へ向かった。
「私、あの人嫌いだわ」
「ヒイロ、聞こえるわよ」
「聞かれてもいいもん」
唇を尖らせて不満を露わにするヒイロ。アカもその考えには同意だが、ここまで露骨に態度には出せない。
と、そんな二人の元に馬車から出てきたアリアンナ夫人が歩み寄る。
「二人とも、お疲れさま」
「奥様、何かありましたでしょうか」
「ちょっとあなた達と話がしたいと思って、ウイにはお花を積みに行くと言って出てきたのよ」
そういって夫人はウフフとかわいらしく笑った。
「私達と話ですか?」
「馬車の中ではウイが居てお話が出来ないでしょう……ああ、そんな構えなくても大丈夫よ。大した話ではないわ」
「はぁ……」
「今日はウイが調子に乗っちゃってごめんなさいね。大変だったでしょう」
「と、とてもためになる講義でした……」
「気を遣わなくってもいいのよ。辛いようだったら私からウイに言うけれど?」
「だ、大丈夫です!」
この手の言葉を真に受けるのも危ない。うっかり「いやぁ本当は勉強なんてしたくなかったんですよグヘヘへ」なんて言ってしまったらウイユベールに対する不敬と取られてもおかしくない。ヒイロが気を抜いて失言する前にアカは間髪入れずに遠慮した。
夫人はそう、と呟いてアカを見る。
「確かに勉強熱心だったものね。それに理解も早くて、たまに的を射た質問もしてウイもたじろいで居たしわ。二人とも教養があるのね」
「そ、そうですかね……ありがとうございます」
「ふふふ、じゃあ明日からも是非あの子に良い影響を与えて頂戴」
そういって夫人は馬車に戻って行った。
「ふう、緊張した」
「いやー、貴族って怖いね。アカ、気付いてた? あの奥様、笑って会話しているようで目線は常にこっちに向いてたよ」
「私はむしろヒイロが不用意な発言をしないか冷や冷やしてたよ」
「むぅ、私だってTPOは弁えるよ」
「さっき月桂樹に悪態ついてたじゃない」
「あいつらはいいの!」
ヒイロはぷぅと頬を膨らませた。アカはそのほっぺたをぷにっと潰し、野営の準備に取り掛かるのであった。
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