第七話『終わりの終わり』
扉を抜けた先は、木々に囲まれた、戦場から程遠い場所。
そこに広がるのは、死体の山と、武器を捨て逃げ惑う人間と魔族。
そして、空に浮かぶ数えきれないほどの結晶と。
「……ダリア」
同じように、空に浮かぶ彼女の姿。
「逃げろっ! はやくっ!」
「くそっ、くそっ! なんで、なんでこんなことに!」
「誰か、助けてくれぇっ!」
叫びが聞こえる。
彼女は満足げに口を歪めると……、
「よく聞きなさい。わたしはこの世界の神であり、創造主。そして……あなた達は、廃棄予定の玩具」
「廃棄予定……?」
「わかってないみたいね。それとも、わかってしまって壊れるのが怖いのかしら」
「なにを……? 神様……?」
「少し残念だわ。あなた達は良い舞台装置だったのに」
彼女は地面を見下ろし、手を振り下ろすと。
その結晶が人々に向けて落ちていった。
「……っ!」
私の中の『白』い何かが動き出す。
力の使い方は、さっき黒の魔王が中にいた時に学んだ。
だから、出来るはずだ。
助けを求める声が聞こえる。
何百、何千もの命の悲鳴。
その一つでさえ、こぼしてなるものが。
『白』い手が、その結晶から彼を……いや、似たような境遇の魔族も、人間も、何千人もの命を、何千本もの腕が庇った。
「……っ!」
驚いたように、こちらを見るダリア。
そんな彼女に向けて、私は笑みを浮かべ。
「……どうやら、間に合わなかったようだな」
「魔王サマ……なるほど、白の方に目覚めたのね。強い希望と、信念を持つ力。世界を、守り通す力に」
「別に、そんなものは持ち合わせてはいない。私はただ一つの理想に向けて進んだだけだ」
今こそ、叫ぶ時だ。
私が求めていた理想。私が追い求めていた世界。
それが……。
「……誰も死ぬ必要がない世界という、理想に向けて!」
以前、誰かに甘いと言われた。
だけど、やはり私にはこれしかない。これが、魔王ソフィアの正しい在り方なのだと、今ならハッキリと言える。
一歩踏み出す。
それに呼応するように、地面から無数の『白』い手が現れる。
その光景を目にした周囲は、
「なんだ、あれは……!」
「魔王……だよな?」
「魔王だと? なら、なんで人間を……まさか、和平のために恩を売ろうと……」
口々に思いを述べる。
彼らの勝手な言い分に対して我慢がならなかったのか、ハインリヒが吠えた。
「違うっ! 奴は本気で信じてるんだ、誰も死ぬ世界という幻想をっ! 奴は本気で嫌なんだ、この場にいる誰かが死ぬのが!」
「……っ」
「いい加減気付け! 何故お前たちを庇ったのか、何故お前たちを殺そうとするあの女に本気で立ち向かっているのか!」
「魔王が、俺たちを……?」
ザワザワとし始める周囲。
その間を割くように、ダリアが叫んだ。
「どうして、どうしてこんなことになったのよ……どこで間違ったの!?」
「……」
「どうして、あなたはわたしが創ったのに……わたしに、逆らうのよぉっ……!」
今にも、泣き出しそうなダリアの表情。
それを見て、私は小さな覚悟を心に決めると。
「……ダリア、もう止めよう」
「ええ。……もう、こんなの嫌だものね」
彼女はそう呟くと、指を鳴らす。
その瞬間、いままで何事もなかった大地が大きく揺れ始めると……、
「……っ、空がっ!」
ハインリヒの叫びに振り向くと、そこに広がっていたのは、空を埋め尽くすほどの水晶の球体。
その迫力に一歩後ずさると、
「……さようなら、この世界の魔王サマ」
ダリアの声が耳に入る。
今ここで彼女を追わなければ、逃してしまうだろう。しかし、後ろにいる人達はどうなる?
今、助けられるのは私だけだ。だから――、
「私たちは良い! 早く追え、魔王!」
ハインリヒが叫ぶ。
だが、ハインリヒはそう言っても、他の人達はきっとそうは思っていないのではないか、と不安になる。
その時。
「……ばれ」
「え?」
「……がんばれ、魔王! がんばれぇっ!」
それは、小さな魔族の声だった。
まだ幼く、物心をついてまだ間もないくらいの命。
それを皮切りに、
「俺たちは良いから、早く行けっ! 魔王!」
「振り向くなっ! 絶対に勝ってこい!」
「そうだっ! 頑張れ、魔王!」
さまざまな人達の、さまざまな声が聞こえる。
私はその声に背を向け、
「……ありがとう」
空に顔を向ける。
既にその球体は空を埋め尽くし、こちらへと近付いて来ていた。
それを見つめる私の隣で、少年の声がした。
「ようやく、約束を果たせる時が来たっスね」
「リオン?」
隣を見ると、そこには体中から血を流し、側から見ても立っているのがやっとな様子のリオンがいた。
しかし、彼は手のひらを前に出してフルフルと首を振ると、
「約束してたんスよ、あの子と。……魔王さんを守ってあげて欲しいって。今ようやく、その時が来たっス」
彼は後ろで手を組んで微笑むと、背中から鱗で出来た翼が生える。
そして、バサッと翼を広げた。
「行くっスよ、魔王さん。この物語の最高のハッピーエンドを手に入れる時っス」
「リオン、お前の言っていたその子って――」
「時間がないっス。そのお話の先は、全てが終わった後にしましょう、魔王さん」
差し出された手を握ると、彼は頷く。
そして、そのまま飛び上がると、一直線にあの球体目掛けて飛び込んだ。
◆
目を覚ますと、白い空間にいた。
黒の魔王の世界とよく似ていて、全然似ていないような、そんな不思議な場所に。
そこで、私は不意に振り返る。
「……キミは」
「久しぶり、魔王さん……ううん、はじめまして、かな」
別の世界に飛ばされた際に見た、別の私の過去。
そこで、黒の魔王を立ち上がらせた赤い髪の少女が、今目の前に立っていた。
「もうすぐ、魔王さんたちの物語は終わる。それが、どういう終わり方を迎えるかは分からない。でも……」
「でも?」
「……出来れば、あの子を救ってあげて欲しいんだ」
寂しそうに微笑む少女。
その言葉が出てくることは、正直なところ意外でしかなかった。
「私たちの世界は、この身は、あの子によって滅ぼされた。だから、恨んでるし、大嫌い。でもね、でも……それはそれ」
「……」
「私は、ソフィアに救われてほしかったし、あの子にも報われてほしかった。そして……あなたにも、救われて欲しい」
「……もとより、だ」
もう、覚悟は決まっている。
あの世界から出た時から、ずっとそうだった。
「私はみんなを救うと意気込み、この地に戻ってきた。そのみんなの中には……もちろん、ダリアだっていたさ」
「じゃあ……」
「ああ、救うとも。人間も魔族もフレイヤもハインリヒもダリアも、全員救ってハッピーエンドだ。……知っているか? 魔王は傲慢で、強欲なんだ」
冗談めかしては言うが、決意に関しては本気だ。
なにより、あの時の泣きそうな顔をした彼女を、一人にはしておけない。そう思った。
もしかしたら、フレイヤのお人好しがうつったのかもしれないな、と苦笑をこぼす。
そして、
「――もちろん、お前もだよ。リオン」
「……」
「今まで、お前には世話になったな。何度もお前には助けられた。……本当に、ありがとう」
「――はは、やっぱバレてたっスか」
目の前の少女が、少年のように笑う。
それはそうだ。私のことを『魔王さん』などととぼけた呼び方をするものは、一人しかいない。
「魔王さん、オレはこの世界のドラゴンじゃありません。この女の子の願いで、魂を背負ってこの世界に忍び込んだ部外者です」
「……ああ、なんとなくはそう思っていたよ」
「だから……その礼は受け取れません。オレは……黒の魔王が支配していた時は、怖くて隠れていた臆病者です。だから、この世界であなたを助けたことが……あの世界に対して、そしてこの子に対する唯一の贖罪でした」
「つまり、自分のためだと?」
「はいっス」
殊勝な心掛け、というやつだろうか。
それとも、気負わせないようにわざとなのだろうか。
どちらにせよ。
「その心がけは私ではなく、その少女にでも捧げておけ。言っておくが、私は貴様も救う気だぞ?」
「はは。やっぱり甘ちゃんっス、魔王さんは」
「ふっ、その甘ちゃんを何度も救ったのはお前だ、リオン」
「……はは」
彼は、彼女は満足げに目を閉じ笑う。
そして、一度ため息をついたのちに真剣な表情に戻る。
「……魔王さん、私たちはこれ以上は行けない。だけど、忘れないで」
「忘れる?」
「うん。あなたは……もう一人じゃないよ」
◆
白い部屋を歩き抜けると、今度はガラス張りの城のような場所に出た。
赤いカーペットの先にあるのは、赤い玉座と……赤紫色の髪をした女性。
付け加えるのであれば、夜明け前の空のような空虚な瞳をした、がつくだろう。
「……なんとなく、わかってた。あなたが来ること」
「ダリア」
「ええ、わかってる。終わらせましょうか」
「帰ろう」
私の言葉に目を見開くと、
「情けのつもり? 舐めないでよっ!」
先の尖った水晶が、私の頬を掠める。
肌が切り裂かれ、血が噴き出る。しかし、私の心に傷はついていない。
「いい!? わたしにはもうこれしかないの! あなたに全て奪われた、わたしには!」
今度は、肩を貫かれる。
でも、何故だろうか。私の足は、心は、止まる気配ははない。
それは、虚勢でもなければ、気概でもなく。
目の前の少女に向けて、一歩。
「近付かないでよ! これ以上貫かれたら、あなたが死ぬのよ!?」
一歩。
「来ないでよっ! 来ない、でっ……!」
また、一歩。
そして、ようやく。
「……捕まえた」
「そう、そんなに一緒にいたいのね。それじゃあ……」
「二人で一緒に、消えましょう」
私たちを中心に、無数の水晶が浮かぶ。
だけど。
「やっと、キミに近付けた」
私はそっと、彼女の肩を抱いた。
その水晶から、彼女を庇う様に。
至る所から、血が噴き出る。
痛い。手を離して、逃げたい。
だけど、この子を諦めきれないから。
「……ダリア」
この子も、同じだ。
ずっと一人だった私と。
「ずっと、頑張ってくれてありがとう」
少女の瞳から一粒の雨がこぼれる。
今にも壊れそうな、青紫色の髪をした少女。
彼女は、嘆くように言った。
「どうして」
「……」
「どうして、いつもわたしだけ! わたしはただ、誰かに認められたかっただけなのに……!」
それは、少女の抱いていた心の闇。
「わたしはいつも努力してた! 幸せになるためにって、我慢して! 世界だって作った! でも、でも……結局あなたはわたしの思い通りにはならなかった!」
「……ダリア」
「もう、うんざりっ! 何もかも上手くいかない世界なんて、わたしにだけ厳しい世界なんて、全部ぜんぶぜんぶ、消えちゃえよっ!」
「キミを裏切って、ごめん」
彼女の震える肩を抱き締める。
いつか、私を救ってくれた勇者のように。
「……え」
「キミを見ようとしなくて、キミを遠ざけようとして、ごめん。……本当に、ごめんなさい」
「なんで、いまさら……それに、あなたは……違くて……」
「ううん、分かるよ。だって、私はキミに作られた存在なのだろう?」
ならば、この言葉は。
この感情は、彼女の……黒の魔王だった、私のものだ。
「もし、私の言葉で不十分なら……キミに、あちらの私の最後の言葉を預かって来た」
「……っ」
「……『ずっと側にいてくれて、ありがとう』、と」
「え……」
少女は、目を見開く。
そして、
「なんで、なんでよ……なんで、今更……救われなきゃ、ならないのよ」
「……」
「ああ、ああああぁっ! ああああああああっ!」
絶叫が響く。
そして、その日。
ようやく、少女の旅は終わった。
◆
「……ィア! ソフィア!」
誰かが、私を呼ぶ声がする。
目を開くと、そこには必死な顔を覗かせる赤い髪の少女がいた。
「……ん、お前は……リオンの……」
「早く起きて! もうこの世界の崩壊が始まってる!」
「……っ、なんでっ!」
もしかして、私ではダリアを救えなかったのだろうか。
それとも、私の言葉が彼女の背中を押したのか。
「……情けない顔しないでよ、魔王サマの顔で」
隣から、呆れた表情のダリアが座っていた。
だけど、どこかスッキリしたような様子で。
「世界はね、生きている生物がいなくなったら勝手に崩れるの。だから、もうすぐ最後の一人である私と共に、こちらの世界が崩れるってだけ」
「なんで、ダリアが死ぬんだっ!?」
「魔法を使いすぎたのよ。力の代償がないあなたと違って、私の魔法は使いすぎると命に関わるの」
「そんな、それじゃあっ……!」
「だから、そんな情けない顔しないでって言ってるのに」
彼女が私の背後を指す。
その方向には、ボロボロの小さな扉が床に立っていた。
「その先を行けば、元の世界に戻れるわ」
「……」
「理解できない、って顔ね。でも、わたしはもう懲り懲りなのよ。あなたを殺す、なんて」
「なら、ダリアも一緒に……!」
「……ううん、わたしはここに残るわ。これから先、あなたたちの世界に神がいたら、何かと不都合でしょうから」
「そんなことは……!」
「あるのよ。それに……あれはもう、あなた達の世界。わたしたちが介入するべきではないの」
「――そうっスね」
赤い髪の少女が、頬をかき、少し困ったように微笑む。
「魔王さんはオレも救ってくれるって言ったけど、もう十分っス。オレたちは……ここに残ります」
「リオン……」
「……んな泣きそうな顔するもんじゃないっスよ。魔王さんは、世界を救った英雄なんスから」
彼は私の背中をトンと叩き、「ほら」と扉を指差すと、
「さ、早く帰ってみんなを安心させてあげて欲しいっス」
「……どうしても、残るのか?」
「ええ。オレたちの世界の幕切れっスから、役者も身を引かなくてはならないので」
「わかった。それじゃあ最後に……リオンの中の人」
「なに?」
「キミの名前は?」
彼女は目を見開くと、口に手を当てクスクスと笑う。
そして――、
「フレイヤ。私の名前は、フレイヤだよ」
◆
白い夢を見た。
どこか懐かしく、遠い夢。
そこには、赤い髪の少女と、青紫髪の少女がいた。
赤髪の少女は、目の前にあるボロボロの扉を見てつぶやく。
「……行っちゃったね」
「ええ……でも、あなたはどうして行かなかったの?」
「それはね……あなたが、憎いから」
そう零す少女の表情は、どこか悪戯めいた笑顔だった。
「……そう、よね。あなたにとって、わたしは敵だもの」
「うん。憎くて、大嫌い。だから……ずっと、一緒にいてあげる」
「え……?」
「嫌って言っても、あなたを一人になんてさせてあげない。それが、私の復讐だから。もう一人ぼっちの時間はおしまい」
だからね、と少女ははにかむと、
「一緒に休もう。きっとあなたは、頑張りすぎちゃったんだよ」
「……バカね、あなた」
「おんなじ事、魔王さんに言われたなあ……きっと、あなた達は似てるのかもしれないね」
「わたしが、ソフィアにか。ふふっ……そんなこと、考えたこともなかった」
赤髪の少女は彼女に向かい合う様に地面に座り込む。
次第に地面が崩れ始め、世界の崩壊が近付いて来ているというのに、彼女の言葉はよく聞こえた。
「ダリア」
「なに?」
「最後に、一つだけお願い。聞かせてよ、私に……」
「私達に、魔王と元勇者の物語を」
彼女の隣で、薄灰色の髪が揺れた。
◆
ある所に、世界があった。
そこは、魔族と言われる異形の存在と人間が和平を結び、争うことなく平等に暮らしていた。
そして、そんな世界の中で私は、ふらっと一つの村に立ち寄った。
木々で出来た家々に、道端で話し続ける女性たち。
その間をくぐり抜け、石畳の道を走る少年と少女。
しかし、突然一番後ろを走っていた少女が転んでしまう。
手に持っていた風船は空へと向かい、前を走っている少年たちは少女に気付かない。
今にも泣き出しそうな少女に、私は空へと飛びかけた風船を掴んで渡すと、
「はい。気を付けてね」
「……あ、ありがとう」
恥ずかしそうに顔を背けて、風船を受け取る青紫色の髪の少女。
そんな愛らしい様子に思わず笑みがこぼれる。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「……えっと、お姉さんは?」
「おっと、まず自分から名乗るべきだったか。私はソフィア……元、魔王だ」
昔、私は白の魔王と呼ばれていた。
しかし、とある理由で私は魔王の座を部下であるハインリヒに渡すことにした。
「さて、改めて。お嬢ちゃんのお名前は?」
「私は……『ダリア』」
それは、とある少女を探すため。
「……良かったら、私と友達にならないかな?」
それは、とある少女を救うため。
「え……? いいの?」
「ああ。むしろ、お願いしてる立場だよ」
それは――どこかの少女の嘆きに、報いるため。
この物語の終わりを、終わらせるために。