第五話『とある少女のエピローグ』
勇者が、目の前に立っていた。
その瞳を見た途端、膝が動かなくなる。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
父親を殺した男。
その恐怖の権化が、目の前にいた。
「おい、魔王さんよ。興が削がれるから誰も入れんなって言ったろ? なんだよこのクソガキは」
魔王。
その言葉を向けられるのは私ではなく、ハインリヒの方だった。
「……失礼した。失礼ついでに、その少女を逃しても良いか?」
「あぁ? そりゃ良いが……いや、やっぱダメだわ」
彼が指差す方にいるのは、フレイヤだ。
怯える少女を下卑た笑みで見つめると。
「お前、アレだろ? 勇者だったやつだろ?」
「……は、はい」
「んー、そりゃ手間が省けたわ。だってよ……」
言葉を言うが早いが。
少女の目の前に、その男は立つと。
「生きていた場合、お前を殺せって言われてんだわ」
身長ほどの細身の剣を振り下ろす。
私は思わず駆け出そうとしたが、間に合うわけもなく。
その刃は。
「……クソッタレっスね、アンタは」
龍の鱗に包まれた赤い髪の少年……リオンの手によって、弾かれていた。
「リオンっ!」
「間に合って良かったっス。とりあえずここは任せて、とっととズラかって欲しいッス」
「だが、そんなことをしたらリオンは!」
「へーきっスよ。こんな奴、オレひとりで十分っスから」
「……へぇ、舐めてんじゃねえぞクソガキ」
彼は背後からリオンを一閃する。
しかし、それを半歩引いて避けると、そのまま腕を引いてバランスを崩し、空いた手で腹を殴りつける。
そして、よろめいた所を回転して、一蹴。
倒れている勇者に背を向けると、彼は頭の後ろで腕を組み、笑顔を見せる。
「ね、へーきっスよね?」
今の一瞬で分かった。
リオンは強い。それも、今まで会った誰よりも。
もしかしたら、あの青紫の髪の女性にさえ届くのではないか、と思うくらいに。
「ガキが……調子に乗ってんじゃねえぞ!」
背後を見せたリオンに対し、剣を構える勇者。
しかし、その瞬間。
「もういいわ。もうどうせこれ以上やっても無駄なのだから」
その冷たい声と共に。
どこからか飛んできた凄まじい速度の紫色の水晶が、彼の背中から胸を貫いた。
その水晶が壁で砕けると共に、ドサッと勇者の倒れる音が響く。
そして、静かになった部屋で声の主人である青紫髪の女性が、口に手を当てて微笑んでいた。
「お久しぶりです、魔王サマ」
「……あの時の、夜の」
「覚えていてくださって光栄ですわ」
目を細め、クスクスと笑う女性。
その様子から、敵の敵は味方と歓迎できる雰囲気ではないことは明らかだった。
私が警戒心を剥き出しにしていると、隣にいたハインリヒがつぶやく。
「貴様のそれは、魔法か……?」
「ええ。今は一部の人間しか扱えない、魔法そのものであってるわ」
「……っ、貴様は一体!」
「『ダリア』。魔王サマの唯一の部下にして――」
彼女はふぅ、と憂い目でため息をこぼすと。
「そして、魔王ソフィアを撃ち倒した女」
私を、撃ち倒した?
それに、私の部下はハインリヒがいる。彼女が唯一なわけがない。
だが、その疑問にダリアは答える様子はなく、奥へ進んで玉座に座る。
その様子にちらとハインリヒを見たが、彼も状況が飲み込めていない様子で、彼女の行動を咎められる状況ではなかった。
「とりあえず、今回はあなたたちの勝ち。勇者を討伐し、再び魔王が力によって支配する世界が戻って、めでたしめでたし」
「私は力による支配など……!」
「……ああ、そうでしたわね。まあ、どっちでもいいのですけど」
彼女は肘当てに頬杖をつき、至極どうでもよさそうに零す。
そして、今度は悪戯めいた笑みを浮かべると。
「だって、この世界に未来なんてない。わたしが設定していないもの」
「……は?」
「いい? この世界はね、一つの物語の舞台に過ぎないの。あなたが誰と何をしたかも、全部全部設定されているもの」
「何、言って……」
「わからない? じゃあ簡単に言うと……この世界は絵本で、あなたたちはその登場人物ってこと」
この世界が、絵本?
訳がわからない。私たちは考えて行動していたはずだ。
それに、何の理由が……。
「わたしがこの世界を作った理由なんて簡単よ。全ては魔王サマ、あなたのため」
「私の、ため?」
「ええ。少し、昔話をしましょうか。付き合っていただいてもよろしいかしら?」
彼女はそう言うと、目を瞑って語り出した。
◆
昔、あるところに魔王に支配された世界があった。
昔、あるところに世界の希望を託された勇者がいた。
魔王の名は、ソフィア。
勇者の名は、ダリア。
その出会いは、あまりに残酷で。
あまりに、無情だった。
ダリアは、小さい頃から魔族のみが扱えるという魔法を使えた。
それ故に、彼女は幼い頃から地下牢に閉じ込められていた。
しかし。
「おお、あなたこそが魔王を倒す伝説の勇者!」
「あたしは魔法を使えるって聞いた時からそうなんじゃないかと思ってたよ」
「どうか、世界をお救いください!」
その変わり様が不愉快だった。
ずっと、日の届かない暗い部屋で閉じ込められていた少女には。
しかし、突然だった。
焼き払われた彼女の村で、彼女の心は恐怖に覆われた。
魔王を倒すための力である魔法も意味を成すことなく、負けた。
それが、始まりだった。
それが、終わりだった。
「……ふふ、面白い力を持っているな」
魔王は興味深そうに笑う。
それは、魔王が優しかったからでも。
ましてや、気まぐれでもない。
魔王にとって、使える駒だと。
そう考えたからだ。
「私の元につけ。それならば、命だけは見逃してやろう」
少女は、頷いた。
死にたくなかったから。生きたかったから。
……そして、目の前の彼女なら自分を認めてくれると思ったから。
それから、少女は魔王の元で駒として扱われることとなった。
彼女の言葉一つで、守るべきはずだった人を殺して、勇者という同じ立場だったものを殺して。
殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。
その狂気の果てに芽生えたのは、魔王という絶対的なる存在への、承認欲求。
気が付けば、少女の生きる理由は彼女に認められたいがためになっていた。
だけど、突然だった。
突然、魔王が言った。
「私は……魔王を辞め、罪を償おうと思う」
頭を下げる。
それは、謝罪だった。
「……やめてよ、魔王であるあなたが私に謝罪なんて」
絶対的な力を持つ魔王。
その魔王の絶対像が崩れて。
十二時の鐘はなり、魔法は解け。
「……許さない」
「……」
「言い返してください。殺してくださいよ、あなたなら簡単に私のことなんか殺せるはずじゃないですか」
「……すまない」
「……っ」
冷たい、結晶の刃が彼女の体を貫いた。
「返してよ」
「……」
「返してよっ……! あなたが奪った、わたし達の未来も、人たちも、全部全部ぜんぶっ……!」
「……」
「返せっ! 魔王ソフィアを返せぇっ!」
「……すまない」
魔王の言葉を皮切りに、女性の慟哭が空に鳴り響く。
そうして、その日。
静かに、魔王は……魔王の心は死んだ。
そして。
世界の命という命、全てを壊すと。
「……作り直しましょう。もう一度、あなたを。黒の魔王、ソフィアを」
彼女は、魔法の力で別の世界を作り出した。
舞台も、役者も何もかも、作り直すために。
魔王ソフィアの人生を、もう一度作り作り出しすために。
ダリアは、世界を作成した。
◆
「これが真実。どうだった? あなたの作った少女の人生は」
言葉が出ない。
私が、世界を滅ぼした。
その事実が本当かどうかさえ、疑わしかった。
だが、それよりも先に。
「……それが」
「え?」
「それが真実だと!? ふざけるな、信じられる訳がないだろう!」
ハインリヒが吠える。
それに続くように、フレイヤも叫んだ。
「私たちがあなたの作り出した登場人物だと言うのなら、私たちの人生そのものがあなたが作り出したものだとでも言うんですか!?」
「ええ」
「……っ!」
涼しい顔で肯定するダリアに、フレイヤの歯軋りの音が聞こえる。
「あなた達が魔王サマの元へ向かうのも、全て私が作ったシナリオ。そこにあなた達の意志は存在しない」
「違うっ! 私は私のために生きている! 私が魔王様を主人としたのは、私がそう決めたからだ!」
「それも作られたものだとしたら?」
「ふざけないで下さい! 私たちはソフィアが好きで今ここにいるんです!」
フレイヤの言葉も、ハインリヒの言葉も嬉しい。
だが、それ以上に。あれが私の未来の姿なのだとしたら。
どうして、ああなってしまったのか。
それよりも、自身への恐怖が先に出てしまう。
故に、私は彼女に何も言うことができずにいた。
しかし、
「……でも、もうこのシナリオは狂ってるの。ハインリヒ。あなたは本来、魔王を殺そうとした時に黒の魔王の力によって殺されるはずだった」
「私が……魔王様に……?」
「そして、フレイヤ。あなたはそこで寝ている勇者に殺されるはずだった。そして、魔王サマの目覚めのきっかけとなるはずだった」
「そんな……そんなの、ウソですっ!」
「ええ。起こらなかったのだから、嘘になるわね」
彼女は忌々しそうに吐き捨てる。
そして、深いため息と共に。
「――だから、終わらせるの。この馬鹿げた世界を」
私の胸を。
彼女の結晶が貫いた。
「……ソフィア!」
フレイヤの絶叫が響く。
声が出ない。熱いはずなのに体から熱が消え失せ、動けない。
助けを呼びたくても、血が口を塞ぎ、うまく話せない。
「ああ、本当に残念。また、あなたを殺さなくてはいけないなんて」
「っ、貴様ぁぁぁぁっ!」
消え失せそうな意識の中、ハインリヒの叫びが聞こえる。
だが、そんな彼を抑えようと彼の腕を掴んでいる者がいた。
「……ハインリヒ、やめるっスよ」
「何故止める!? 今、目の前で倒れてるのは知らない奴だとでも言うつもりかっ!?」
「わかってるっス! でも、今向かったって勝てないんスよ、ここにいる誰も、あいつにはっ!」
「……っ!」
思い切り、地面を蹴りつけるハインリヒ。
それを見て彼女は笑うと、私から視線を外し、魔法と呼ばれた紫色の水晶を数えきれないほどに上空に浮かばせた。
「……やっと、油断してくれたね」
「……っ!」
私の体から、黒い手のようなものが溢れ出る。
私の……?
違う。これは私じゃない。
私の意識じゃない。
「……なぜ、貴方様が」
体が勝手に動く。
勝手に立ち上がり、勝手に微笑むと。
「――ずっと、この時を待っていたんだ」
黒い手が、水晶を全て飲み込む。
驚いたようにこちらを見る彼女の瞳には、胸を貫かれてなお立ち上がる私の姿があった。
「……黒の魔王、ソフィア」
「……久しぶり」
「なんで、なんでっ! どうして、今更邪魔するのよ!」
黒の、魔王?
聞いたことのない単語だが、何故だかその単語に妙な懐かしさを覚える。
「……ソフィア?」
「ごめんね、フレイヤ。わたしはキミの友達のソフィアじゃない。キミの友達の体を一時的に借りてるだけの、偽物にすぎない」
私の口が勝手に動く。
その気持ち悪さに吐きそうになるが、そもそも体を操られているため吐くことすらできない。
「この世界のわたしも、ごめん。あの時、キミの体に隠れさせてもらった」
あの時。
それはおそらく、この場所に瞬間移動させてくれた時なのだろう。
だが、魔王は死んだと先程彼女は言った。
なら、今私の体を乗っ取っているのは、誰だ?
「……私は、黒の魔王ソフィアだったもの。あの日砕かれた命の残滓、搾りカスみたいなものだ」
「じゃあ、あいつの言っていることって……!」
「全て、真実だよ」
暗く思く、そして寂しい感情が胸に満ちる。
考えるまでもなく、この気持ちは私のものではなく、彼女のものだろう。
この、どこか空虚な気持ちでさえも。
「だから、終わらせるんだ。わたしの手で、彼女の物語を。……わたしの、贖罪を」
「……わたしの前で、魔王様の体で……その口を開かないでよ!」
もう一度、空に無数の水晶が浮かぶ。
反対に、私の足元には無数の黒い手。
ほぼ、互角だった。
ただ、惜しむらくはほぼ、という部分。
私の体は胸を貫かれ、万全とは言えない状況。
その痛みに、一瞬。それも蝶の羽ばたきよりも一瞬、意識を向けた。
――それが。
「――邪魔。みんな、邪魔よ」
私の、私たちの。
敗北の理由だった。