第一話『物語はすでに終わっていた』
「……許さない」
「……」
「言い返してください。殺してくださいよ、あなたなら簡単に私のことなんか殺せるはずじゃないですか」
「……すまない」
「……っ」
女性の息を呑む音が聞こえる。
彼女の目の前に立つ魔王という存在は、背中を向けて歩き出す。
その時、女性の持っていた刃が彼の体を貫いた。
「返してよ」
「……」
「返してよっ……! あなたが奪った、わたし達の未来も、人たちも、全部全部ぜんぶっ……!」
「すまない」
魔王の言葉を皮切りに、女性の慟哭が空に鳴り響く。
そうして、その日。
静かに、魔王は死んだ。
◆
ある日私の父は勇者と呼ばれる人間に倒され、娘である私が父の跡を継ぐ形で魔族と呼ばれる存在の王……即ち、魔王になった。
だが、私はただの少女で、争いごとなど出来ればしたくない。
故に、和平という指針をとっていた。
しかし今、私の目の前にいる少女。
彼女は、自身を勇者と名乗った。
魔族を滅する勇者と魔王の対面。
その対面の意味がわからないほど、私は愚かではなかった。
だったはずなのだが。
「ま、魔王『ソフィア』さん! 覚悟してください!」
声と瞳は震え、刃こぼれした剣を両腕で持って叫ぶ少女。
長い黒髪に細い腕、そして小さな身長という見た目から与えられる印象は、
「……本当に勇者なのか、この子は」
「はいっス。でも、魔王さんが魔王っぽいかも疑問っスけどね」
「それは、まあ……否定はできんがな」
少女を連れてきた、隣にいる赤い髪の少年……『リオン』が苦笑する。
彼の見た目はどこから見ても人間そのものだが、これでもドラゴンと呼ばれる魔族だ。
彼曰く、人間の姿の方が楽らしく、ある程度は体を作り替えることも可能だとも言っていた。
そして私も、黒い瞳に後ろで束ねた白い長髪という特徴は持っているが、ほとんど人間と変わらない。
しかし、人間の形を持っている魔族は一部だけで、大多数は人間とはかけ離れた姿をしていた。
「だが普通、勇者とはこう……震えながら魔王と対面するべきではないだろう?」
「知らないっスよ。だって、オレはこの自称勇者に剣で脅されて連れてきただけっスもん。暴力反対っス」
「それで敵を通すのもどうかと思うけどな。弱そうなフリしてたらどうするつもりだ?」
「大丈夫っスよ。この子、オレが住んでる山で遭難して泣きじゃくってたような子ですから」
それも演技だとしたら……とも思うが、彼は紛いなりにもドラゴンで、実力を見抜くことくらいなら容易いだろう。
しかし、反対に気になることもあった。
「だが、知らないのか? 今魔族と人間は停戦中で、和平交渉中だということを」
「知っています! でも……それが偽りだということも!」
「えっ?」
少女の剣を持つ手に力が入る。
そして、剣を振り上げてこちらに向かってくるが。
「きゃっ!」
両の手でようやく持てていた剣を突然振り上げ、バランスを崩したのだろう。
大きく前に顔から転倒し、持っていた剣が地面に衝突した衝撃で折れてしまった。
「……お、おい。大丈夫か?」
「……ぅ」
「……『ぅ』?」
「……ぐすっ、うぅ……やっぱり、私なんかじゃ無理なんだぁ! このまま、魔王に殺されて、生き血を……!」
「えっ、泣いた!?」
そのまま地面に敷かれたカーペットに彼女の顔を中心にシミが広がり始める。
「あーあ、魔王さんが泣かしたっス」
「なんで私のせいになるんだ!? それより、泣き止め勇者! ほら、お菓子やるからっ!」
◆
「……泣き止んだか?」
私が差し出した紅茶を飲みながら、こくりと頷く少女。
そんな彼女と状況を嘆くように、空……もとい天井を仰ぎ見る。
結局、他の魔族にこの少女を見られるわけにもいかず、部屋に匿うことになった。
その間も彼女は何枚ものハンカチを濡らし続け、六枚目にさしかかろうかという時に、彼女は落ち着きを取り戻すように深く息を吸う。
そして、赤く腫れた目でこちらを見ると、
「あの、ありがとうございました」
とうやうやしく頭を下げた。
「ん。とりあえず、もう帰るが良い。時期に日も暮れる。帰りが不安なら……そうだな、リオンにでも護衛につかせるが」
背後をチラリと見て、リオンの反応を窺う。
しかし、彼はすでにそこにはおらず、思わず頭を抱えてしまう。
だが、そんな私よりも沈鬱とした表情の少女が零した。
「……帰れないんです。私、国から使命を受けてて、魔王を倒すまで帰ってくるなって。もし逃げ戻ってきたら、村の人たちを殺すって、言われて……」
「……自分から志願したわけじゃないのか?」
「はい。本当は、お姉ちゃんがなるはずだったんですけど……」
「成る程。つまりそのお姉ちゃんとやらを庇って勇者に立候補したと」
こくん、と頷く少女。
もしかしてだが、この子を勇者として迎え出すと言うことは、余程の人材不足なのだろうか。
それとも……何らかの理由で、彼女は魔王退治を理由に村から追い出されたのだろうか。
恐らくだが、後者の理由の方が正しいのだろうとは何となく思った。
どちらにせよ、彼女も一人なのだ。
「……私と同じだな」
「え? あなたも、魔王退治に?」
「馬鹿。魔王が魔王退治など、出来の悪い冗談にも程がある」
「……そう、ですよね。ごめんなさい、馬鹿なこと言って」
申し訳なさそうな顔で俯く少女。
そんなどこか後ろめたいような彼女の様子に、私はどこか親近感のようなものを覚え始めていた。
「……私も、お前と同じ一人だということだ」
「え? でも、さっき魔王さんはあの赤い髪の男の子と話してましたよね?」
「あいつが特例なだけだ。この城で私と話そうなどという奴はいない。今日はそうだな……実に一ヶ月ぶりに誰かと話せた」
「一ヶ月……」
「わかったか? 私には魔王としての価値はない。魔王としての力もない。対峙した証拠が欲しいのなら髪をやろう。だから、早く帰……」
「そんなのあんまりですっ!」
突然弾かれるように立ち上がり、糾弾する少女。
そして、私の前に手を出し真剣な表情のまま口を開いた。
「どうして魔王さんは孤立してしまってるんですか!? 魔族の王様なのに!」
「私が和平という話を進めようとしたからだろう……というか、それは聞いていたんだろう?」
「はい。しかし話によると、それは嘘だとも聞いてました」
「というと?」
「王様と謁見した時にそう教えられました。表向きでは和平を進めているが、本当は人間を国に招き入れ、血を吸いたいだけなのだと」
それは魔王というよりも、吸血鬼のそれなのではないだろうか。
魔王としてはあるべき姿なのかもしれないが、ただの少女に対してはあまりにも失礼なイメージ像である。
「とりあえず、血はいらんしお前を殺すつもりもない。それに私の影響力は知っての通りだ。争った証がほしいなら髪の毛でもくれてやろう。よくはわからんが、それで帰れるだろう」
「……いいえ、帰れません」
彼女は真剣な目でこちらを睨む。
そこには、彼女の怯えは一切なく、ただ純粋にこちらを見つめていた。
「魔王さん、良かったら私と友達になりせんか!」
「は?」
「さっき、話してた時に思ったんです。魔王さんなら、きっと和平が上手くいくって。だって、こんなに良い人なんですから」
「……私が、良い人?」
「はい! だから、そんな魔王さんをいじめる勇者のことが、なんだか許せなくなってきました!」
驚いたことに、彼女の目は真剣だ。
この少女は本気で人間の味方である勇者よりも、私を選ぼうとしていた。
「魔王さん! 一緒に、勇者を倒しましょう!」
「別に、私は勇者を倒すなんて……」
「でも、このままだとずっと舐められっぱなしですよ! 魔族のことも、魔王さんのことも! そんなの、不愉快です!」
「不愉快、か」
「はい! だって、こんなに良い人をいじめるなんて、大人たちの気が知れません!」
信じられないことだが、少女の表情は未だ真剣そのものだ。
私が良い人など……考えたこともなかった。ずっと、誰かの期待に応えられなかったから。
もし、父がまだ生きていたのなら、魔族が人間と手を取るなど言語道断と怒るだろうか。それとも、幻滅するだろうか。
しかし、それでも……、
「ソフィア」
「え?」
「ソフィア。私の名だ。お前は?」
彼女の瞳に、言葉に。
私は、強く救われたから。
「『フレイヤ』です。えっと、よろしくお願いします」
「ああ。だが、いいのか? もしかしたら罠かもしれんぞ?」
「それを言ったら、こっちだって罠かもしれませんよ?」
「……ははっ、そうだな」
私はぎゅっと、彼女の手を握った。
◆
あれから彼女は泣きつかれたのか、気絶するように私の部屋で眠りについた。
そんな彼女を起こしては悪いと思い、私は誰もいない真っ暗な廊下を歩いていた。
「フレイヤ、か」
夜露に濡れたバルコニーの手すりに手を触れ、月を眺める。
初めて出来た友達の名前を、一人で呟きながら。
恐らく、側から見たらきっと不気味な光景なのだろう。
だが、私はそんなことにも気付かないまま月を見上げ続けていると……、
「こんばんは、魔王サマ」
背後から、声をかけられる。
振り向くと、そこには青紫色の短い髪が特徴的な、背の高い妙齢の女性が立っていた。
「……今日は私の知らない来客が多いな」
言うや否や、私は戦闘体制をとる。
気配もなく背後に忍び寄る、正体不明の存在。
それだけで、警戒する価値はあるだろう。
それになにより……こいつは、人間だ。
さらに付け加えるとすれば、私の父よりも、あの時の勇者よりも遥かに強い、が付く。
当然、私との力の差は歴然だ。
「構えなくてもいいですよ。わたしは魔王サマの敵ではありませんから」
「だが、味方でもない……ってところだろう」
「ええ。今はまだ、話をしに来ただけ。それに、もし戦う気なら、いつでもチャンスはあった。そうでしょう?」
言い切り、くすくすと笑う女性。
その嘲笑うような笑い方に、私自身の中のドス『黒』い何かが動くような気がした。
「今はまだわからないかもしれないでしょうけど……でも、いつかあなたは世界を『黒』に染める魔王として目覚める。深い悲しみを持って」
「……それはどういう意味だ」
「いずれ分かる時がきます。しかし、一つだけご忠告に来ました」
「忠告?」
私の疑問に口元を歪めると、
「魔王サマの物語は既に終わった。この物語は、もう一度あなたの物語を始めるためにあるのです」
彼女は微笑みながら、そう告げた。
しかし、はっきりとした言葉に対して私はその言葉の意味がわからず、「物語が終わった?」と、おうむ返しをすることしかできなかった。
そんな私に目を細めて笑みを浮かべる。
「お話はこれまで。また会いましょう、魔王サマ」
彼女はそう言い切ると、踵を返して廊下を歩いていく。
そして、しばらくその彼女の背後を見つめていると……、
「――ああ、そうそう。愛しています、魔王サマ。永遠に」
顔だけ振り向いて、口元を歪めてそう述べた。