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戦中の虎  作者: 小城
9/11

伏魔殿、黄泉の穴編

 この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。

「間に合わなかったか。」

 安土山の山麓には、松明の明かりが点々としていた。

「綾女。待て。天智を澄ませるのだ。」

「和尚。聞こえるぞ。」

 微かな足音だった。木の葉を擦る音がした。

「照姫……、か……。」

「鹿衛門……。何処へいったの……。」

 それから、雲浄と綾女は、迷子の少女を庇護し、安土を後にした。


 安土山から離れた琵琶湖に浮かぶ島に隠れ家があった。そこには、小野三郎と半蔵の姿が見えた。

「帰ったぞ。」

「無事でござったか。」

 迎えたのは三郎である。半蔵は何も言わない。

「鹿衛門は。」

 たった一言だけの半蔵の問い掛けに、綾女は首を振った。傍らの雲浄の手の中には少女がいた。

旭姫皇女(あさひのひめみこ)様。」

 三郎が頭を下げた。

「止めよ。三郎。」

「申し訳ござらぬ……。」

 和尚の叱咤に、三郎は頭を上げた。

「今は寝かしてやれ。そいつは、よく眠る。」

 半蔵が立ち上がった。彼は小屋から出て、外の空気を吸いに行った。


 鞍馬の山で、窮地に陥った三人を助けたのは、半蔵であった。

「ふははは。その程度か、下衆め!!」

 大島光義こと雲八は、織田の家臣であり、弓の名手である。彼は既に、古希を越えていた。それでも、雲八は、飽くことなき欲望を持っていた。

「儂を不死の体にして下され。」

 ある時、雲八は、南光坊天海僧正に頼み込んだ。

「失礼ながら、僧正は不死の秘術を究めんとされておいでだと聞く。恥ずかしながら、儂は死ぬのが怖い。己の力が衰えるのが恐い。弓を引けなくなるのが怖ろしうてならぬ。」

 それは、雲八の恐怖であった。老いることは、彼にとって、自己の崩壊であり、自我の破壊を意味した。

「真理を明らかにする道具でもよい。この老体を試して下され。」

 愁訴哀願する雲八の手を、天海は優しく握り、語りかけた。

「心の内なる恐怖が強い者ほど、生きたまま亡者となり、蘇ることが容易くございます。その恐怖が強ければ強いほど、生前の意思を持ったまま亡者となれまする。亡者は老いず、死ぬこともありませぬ。」

「おお……。是非に、是非にお願い致す……。」

 甘言に躍らされたとは言え、もとより雲八の希望であった。彼は南蛮渡来の毒薬を飲み、仮死状態となった。そして、その遺体は、叡山の伏魔殿内部にある黄泉の穴へと安置された。

「ふははは。儂は、もはや老いることはない。不死じゃ。不死じゃ。ふははは。」

 雲八の正確な射撃が廃墟の陰に隠れる綾女を狙っていた。二人は、屋外で、お互いの息を潜めて、殺し合った。

「そこか!!下衆。」

「くっ……!」

 雲八の放った矢が、既に、綾女の体に三本刺さっている。かろうじて急所は外れているが、そろそろ限界であった。

「やはり、鉄砲より、弓が上手よ。いや、儂の腕が良いだけか。ふははは。」

 綾女の鉄砲は撃とうとすれば、火縄から煙が上がるし、火薬の匂いもする。風下に陣取った雲八は、年の功からか、声を出すことで、相手を撹乱しながら、狙っていた。

「(待ち伏せならば負けることはないのだがな……。)」

 綾女には珍しく愚痴が浮かんだ。本来、綾女は、相手の先を突く砲術使である。あらかじめ、良い場所に陣取り、何日も、そこから動かず、目標を狙撃する。それだからか、今回のような乱戦は得意ではなかった。

「撃って来ぬな。撃って来ぬな。ふははは。例え、撃ったとして、儂には当たらぬ。当たったとしても、儂は死なぬ。ふははは。」

 雲八は既に、額に穴を開け、脇腹を抉られている。それでも、彼の放つ矢は正確無比であった。

「ふははは。儂に敵はおらぬ。鉄砲だろうと。撃たれても、儂は死なぬ。死なぬ。ふははは。」

「試してみるか。」

 土塀の陰に隠れていた雲八の背後から黒い影が現れたかと思うと、雲八の胸を砕いた。

「ふははは……。死なぬ……。儂は死なぬぞ……。」

 心臓を砕かれた雲八は、笑ったまま地面に落ちて、そのまま動きを止めた。

「(何が起きた……?)」

 対面の建物の壁に隠れていた綾女も、その異変に気付いていた。

「才賀綾女か。」

 半蔵である。

「熊谷鹿衛門に頼まれて、お前たちを探していた。もう一人は何処だ。」

 突然、闇の中から現れた覆面の男に、綾女は驚いたが、熊谷鹿衛門の名を聞いて、少し安堵した。

「二人いる。この何処かで戦っているはずだ。」

「ほう。それは面白い。」

 綾女の体に鳥肌が立ったかと思うと、既に覆面は消えていた。


「ノウマクサンマンダ。バサラナン。」

 倶利伽羅剣から、放たれた火焔が龍となって舞い、プレートアーマーの騎士を襲った。

「……。」

「こやつ、何も感じぬのか。」

 炎をものともせずに、騎士はロングソードを振りかざし、建物を破壊した。土塀や柱は、その一撃に、脆くも崩れ去って行く。

「中身は亡者かの。力も尋常ではあるまい。」

 炎が通じぬ相手に、雲浄は勝ち目はなかった。彼は兵法者でも、何でもなく、不思議な剣を持ってはいるが僧なのである。

「為す術なし。」

 諦めきった雲浄の心に反応したのだろうか倶利伽羅剣も、もはや、火焔を治め、ただの剣と化していた。


 ガタン!!


「何だ!?」

 激しい音がした。土煙が舞い上がったかと思うと、そこから現れたのは南蛮兵であった。それは地面に倒れていた。

「転びおったのか?」

それにしては、激しい音と煙である。それでも、難なく、南蛮渡来の騎士は、立ち上がった。

「あれは、よもや鞍馬の天狗か……。」

 騎士の他に何者かがいた。半蔵である。彼は、四尺二寸の金棒を手にしていた。

「見たこともない具足よ。中身は骸か。どちらにせよ。久しぶりに、武者震いがするぞ。せいぜい、俺を楽しませろよ。」

「……。」

 半蔵の金棒が騎士を直撃した。しかし、騎士は倒れなかった。

「面白い!!」

 騎士の振るう両手剣の斬撃は、半蔵の金棒以上であろう。それを、騎士は、両手、片手共に使い分けて襲って来る。

「皮が硬いな。然れど、恐るるに足らず。」

 先ほどと同じように、真上から半蔵の金棒が襲った。騎士は、剣でそれを受け止めたが、衝撃はそれで終わらなかった。半蔵の体から放たれた打撃は、金棒から騎士の剣を伝い、鎧を伝い、内部の体に伝わって、騎士を崩した。老爺の術である。その不可思議な力に抗う術を知らず、騎士は地面に膝を突いた。

「まだまだ!!」

 横薙ぎの打撃が騎士の兜を襲った。その衝撃は酷く、騎士の体を飛ばし、兜を飛ばした。

「南蛮人か。」

 兜が外れ、露わになったその顔は日本人のそれではなかった。その顔の色は闇夜の如く、黒く、赤く、輝いていた。

「……f,ie。」

 異国の言葉だろうか。中の人間は既に死んでいる。が、亡者となり、鎧を纏っていた。

「皮が剥ければ、もはや、それまでだな。」

 南蛮騎士の顔面を金棒が襲った。しかし、それにも、関わらず、騎士の振るう剣は止まらなかった。それは、半蔵の腹部に直撃し、その腸をぶちまける予定であった。


 ズドン!!


 と音がした。綾女の放った弾丸が騎士のプレートを穿ち、剣の軌道を逸らした。

「ウンタラタ。カンマンソワカ。」

 小さな炎が騎士の顔面を焼いた。

「何をしている!早く留めを刺せ。」

「ちっ。」

 雲浄の声に煽り立てられて、半蔵は、金棒で騎士の頭蓋を砕いた。そして、両手剣を蹴り、遠くへ追いやった。

「おい。女。」

 半蔵は苛立っていた様子だった。

「こいつの始末は任せる。心の臓を砕けば、死ぬ。」

 鈍い音がして、半蔵の金棒が騎士の胸辺りをへこませた。そこを撃てと言うことだろうか。

「南蛮人だろうが。変わらぬだろう。あと一人だったな。」

「ああ。頼む。」

 半蔵は闇に消えた。綾女は銃口を騎士の胸に付けると撃鉄を引いた。火薬が弾け、弾丸が、プレートごと、亡者の心臓を破壊した。


「なかなかの手練れ。名が知れぬのが惜しい。」

 三郎は、上泉と呼ばれる亡者と対峙していた。相手は、打ち刀を晴眼に構えた、小袖袴に腹当てと面頬姿。対する三郎は、白糸縅の大鎧に鍬形の兜を被り、両手にそれぞれ太刀を提げている。三郎のその構えは、亡者にとっては無形の構えというところだろうか。

「足りヌ……。マダ足りぬ……。」

 上泉は刀を掲げると同時に間合いを詰めた。そのまま、振り下ろすかと思いきや、一度、刀を晴眼に収めた後、突いた。

「見事よ。」

 相手が刀を振り下ろして来たならば、その両腕ごと、三郎は断ち切っていただろう。それを見越した上泉は、斬るではなく、突くのを選んだ。その突きも、ひとつひとつが、三郎の鎧の隙間を上手く狙って来る。それを三郎は、太刀を使わず、体を退いたり、ずらしたりしながら避けていた。

「うむ……。」

 亡者に隙はなかった。仮に三郎が無理に太刀を振るえば、相手の刀は己の体の肉を襲うだろう。それと同時に、三郎は、相手の体をも断ち切ることができるだろうが、相手は亡者であり、死ぬことはない。次の一手で、三郎は殺されるだろう。元来、大鎧は馬上の騎射戦を想定した防具であり、刀による打ち合いには向いていない。ただでさえ、重く、十貫目程もあろうその重量が、三郎の肩にのし掛かることになっていて、縦横自在な太刀捌きを不可能にしている。

「……。」

 それでも、三郎がこれらの武具を選んだのは、日御碕社に伝わるこの鎧が魔除けの力を持つと共に、将軍家から借り受けている鬼丸、鬼切り両刀が魔を打ち払う力を持っているという所以であった。やはり、彼は武家というよりも、陰陽師の末裔なのだろうか。

 

 攻防は続いていた。亡者は疲労を知らないが、生きた人間である三郎にはそれがある。

「何者!?」

 両者が攻防を繰り返していた間に、突然、何かが飛んで来た。棒手裏剣であった。

「新手か……。」

 そこには覆面姿に金棒を持った相手が立っていた。

「くっ……。」

 覆面はすぐさま、攻撃を仕掛けて来た。四尺二寸の金棒を、三郎の兜、目掛けて打ち下ろした。それを三郎は何とか、太刀を二本振り上げて、十字に留めることで防いだ。

「白波だと……。」

 老爺の術である。覆面から放たれた一撃は、金棒から太刀を伝って、三郎の体全体を波打たせた。それは、三郎の小野家に伝わる京八流の兵法では、白波と呼ばれる技術であった。

「ふぅはぁ……。」

 常人ならば、それで体を崩されるところだが、三郎は違った。咄嗟に、体を脱力させて、白波の衝撃を、太刀から腕、肩、胸、腹、太股、脹ら脛、足裏、地面へと流し、体が崩れるのを防いだ。それは、京八流兵法で、方円流水の形と言われる技法の一種であった。

「!?」

「ぐわっ!?」

 一難去ってまた一難。覆面は、打撃を受け流されると、すかさず次の一手を打って来た。相手に、十字に留められた金棒の反対側にある石突きで、鎧の上から三郎の水月を撃った。その打撃には堪えられず、三郎は、後ろへつんのめり、地面に尻もちを突いた。

「万事休す。」

 と思った時、覆面が言葉を発した。

「貴様。生者か?」

「貴殿は生人なのか?」

 お互いがお互いを亡者だと思っていた。

「ならば、此方か。」

 覆面の男。半蔵は、振り向いた。その隙を突いて、上泉が右袈裟に斬り掛かって来た。

「ちっ。」

 半蔵が反応した。相手の刀が眼前に迫った瞬間、地面に突いていた金棒を支点にして、くるりと、身を捻りつつ回転した。その回転力を利用して、今度は、そのまま、片手で金棒を振り上げ、亡者の顎を砕いた。

「せい!!」

 躍るように半蔵は動いた。振り上げた金棒は、重力に従い、地面に落ちて来る。それは、半蔵の体の力と重さを伴い、のけ反り、倒れ掛かっていた亡者を、地面に叩きつけて、砕いた。その衝撃は凄まじく、心臓をも潰していた。


「熊谷鹿衛門は安土に向かった。」

 月明かりに照らされた暗闇の中で、金棒を手にして、亡者を下に敷く半蔵の姿は、まさに、亡者を呵責する地獄の鬼さながらであった。

「それで、神器は手に入ったのか。」

 辺りには、綾女と雲浄も駆け付けていた。

「ああ。」

「そうか。」

 今宵は上弦の月。満月まで、あと七日と言ったところだろう。

「早く天子を探さねば。」

「その傷でか。」

 綾女の体には、矢が刺さったままである。雲浄もまた、肩口の傷を負っている。

「まずは、傷を治せ。鹿衛門も、お前たちが死ぬことは望んではおらぬだろう。」

 夜の風が吹きすさび、夜空に浮かぶ月を雲に隠していた。


「事の次第は分かった。」

 照姫が琵琶湖の隠れ家に避難して来て、十日が経った。始めの三日間、彼女は、魂を抜かれたように語らず、食わずの生活であった。それが、このように微かではあるが生きる力を取り戻しつつあるのは、鹿衛門の言葉があったからだった。

「生きろと、鹿は言ったか……。」

 雲浄は倶利伽羅剣を磨いていた。

「ああ。だから、おれは生きた。」

 粥と水だけではあるが、照姫は食物を口に通せるようになった。

「我等が、間に合っておれば……。あるいは……。」

 時に、綾女は、気が鬱々とした性質を帯びることがある。普段は、気丈な彼女の、それが性格なのだろう。今回のことでも、綾女は、鹿衛門のことを気に病んでいた。

「言うな。綾女。」

 そうした綾女の気鬱を制するのは、雲浄であった。

「言って、どうなることでもあるまい。」

「だがな…。」

 綾女たちが遅れたのには理由があった。彼らは、ぎりぎりまで、天子の行方を探っていた。そして、京を出立する間際になって、魔王の軍が西国に進発するという事を知った。

「軍兵は、岐阜、安土、叡山から京に集まり、西国に向かうらしい。」

 それを伝えたのは、半蔵である。

「今、安土に向かうと、奴等と鉢合わせてしまうだろうな。」

 もうすぐ、十三夜が迫っていた。

「琵琶の海に、我等の隠れ家がある。今は、一刻も早く、そこに辿り着きたい。」

 綾女の嘆願により、強行が開始された。半蔵と三郎が先発し、後を追って、綾女と雲浄が発つことにした。それでも、寄る波の如く、京へ上って来る織田の軍兵や亡者の群れを掻い潜りながら、進むのには時間を要した。


「叡山へ行こう。」

 ひと月が経った頃、照姫は剣を取っていた。

「この世を元に戻すのだ。」

 話の相手は雲浄である。これまでの間に、まず、半蔵が消えた。もとより、彼は照姫たちの仲間ではなく、老爺の付人である。魔王討伐は、彼の成す事ではない。役目を終えた今は、老爺の元へ戻ったのだろう。次に、三郎が西国へ帰ることになった。

「織田が攻めて来る今、某も故郷に戻り、将軍様や家名を守らねばなりませぬ。」

 三郎はそれから日を置かず、発った。

「俺は、今一度、天海を探って来る。」

「おれも行く。」

「いや。照姫は、ここでまだしばらく、養生していろ。和尚、頼むぞ。」

「無事に戻れよ。」

 そう言い残して、綾女が旅立ったのが、十日前であった。

「魔王は亡者であったか……。」

 照姫からそのことを聞いた時、雲浄や他の者たちの脳裏をよぎったのは、伏魔殿の天海僧正である。

「魔王は、ただの傀儡であったか……。」

 安土の居館にいた信長は、照姫の刺す天十握久刀剣を受けても、抗うことなく、佇んでいただけであった。それは、人や亡者ではなく、ただの人形のようであった。

「雲浄。綾女の身が心配だ。」

 照姫の問い掛けに、雲浄は、黙って倶利伽羅剣を磨いているだけである。

「あと、一夜だけ待とうではないか。」

「分かった。」

 雲浄は考えていた。己に何ができるのかと。それは、積極的かつ消極的な行動であった。炎を上げることしかできぬ自分に、黄泉の穴を塞ぎ、世界を元に戻すことなどできるのだろうかと。それには、今、己にできることは何なのかを。そうすることで、雲浄は、綾女が帰って来ることを期待し、事態が好転することを願った。それは、極論すれば、今、ここで、倶利伽羅剣を磨いているだけで、世界に平和が訪れることを望んでいた。しかし、それが現実になることはなかった。まだ夜が明けぬ内に、照姫は、天十握久刀剣を持って、小屋を出た。


 叡山には、風が吹いていた。比叡下ろしと呼ばれていたその風は、今ではそう呼ぶ人もいない。ただ、その山から吹き下ろす風に向かって、抗う一人の少女がいるだけであった。照姫のことである。彼女は、隠れ家から小船を漕ぎ出し、琵琶湖の西岸に到着した。その時、既に、東の空には、朝日が昇っていた。

旭姫皇女(あさひのひめみこ)

 それが照姫の名前であった。彼女は、天子である父と母を、魔王の軍に殺された。皇子である兄や妹も殺された。そして、彼女だけが、乳母の手によって、東国、駿河国に落ち延びた。そこで、老爺に拾われた。乳母は、皇女を老爺に託すと、安堵して死んだ。

「儂は、この山に住む竹の生人(しょうにん)という。其方の名は何と言うか。」

 本当は、彼女の名が旭であることを老爺は、乳母の遺言で知っていた。

「……。」

 少女の返答は沈黙であった。彼女はまだ六つである。それでも、父母が殺されたこと。織田信長の仕業であることは、心に留めていた。

「照……。照姫とでも呼ぶか。さて、照姫。儂が其方に教えられることはない。儂は、ただ天地人鬼と共に生きている。その心得ならば、教えられよう。それが生き死にに役立つかどうかは知らぬ。それでも、儂と共に生きるならば、自然とその業は身に付こう。」

 少女は山野を駆け、生霊と遊び、獣を相手として、育った。

「父母の仇を討ちたいと言うのか?」

「はい。御師様。」

 老爺は無言でいた。しかし、何か思案があるのか、やがて、口を開いた。

「今のままならば、山野幽谷で暮らすには、事行かぬことはない。然れど、人を相手として、暮らすならば、人と交わらねばなるまい。」

「では里へ。」

「それでは己の身を保つことには、ならぬ。儂に良い考えがある。お前の修業にもなるし、良い相手を見つけることにもなろう。」

「……?」

 老爺の視線の先には、壁に掛けた虎の皮があった。


 叡山の伏魔殿は、安土とは異なり、警固も厚い。それこそが、この地が本来の黒幕であることを暗示している。それでも、魔王軍が西国を攻めていることで、警固の軍兵は、普段より数少ないのかも知れない。そのような中で、照姫は、亡者生者を掻い潜り、山の中程にある伏魔殿を目指した。


「これが伏魔殿……。」

 中腹に近づく程、警固の数は減って行った。おかげで、何とかここまでやって来ることができた。

「鹿衛門……。」

 照姫は天十握久刀剣を握り締めていた。

「火事に御座ります。」

「火事と。」

「曲者が火を放ったように御座る。」

「ふむ……。」

「警固の兵が向かっておりまする。」

「下がれ。」

「は。」

 伏魔殿の最奥。深殿の間には、床の間の代わりに地面に大きな横穴が空いていた。その奥は暗闇で、先は見えなかった。その穴の四方には標縄が張り巡らされて、祭壇が祀られている。

「鼠か。」

「お前が南光坊天海か。」

「如何にも。そう言う貴女は。見た所、娘のようではあるが。」

「日本天津御子方仁が娘。旭。」

「皇女だと……。」

 南光坊天海が振り向いた。彼は法体の中年僧であった。その顔の血色は、確かに、彼が生きていることを証明していた。彼が身に着ける袈裟には桔梗の紋が縫い取られていた。

「騙り者よ。誰か!来やれ。」

「誰も来ぬ。」

 照姫は、血染めの刀を天海の方に投げた。

「ふ……。」

 天海が笑みを浮かべた気がした。

「死骸の心の臓は潰した。亡者になることもない。」

「お主、何者だ……?」

 いつの間にか、天海の笑みは消えて、彼の口調は武士のそれに変わっていた。それからは、もともと、彼が武士であったことを知らしめた。

「先に言ったであろう。貴様らに殺された天子の娘だと。」

「敵討ちなど下らぬな。よもや、かの天子らも、骸となった後は、亡者として、我が傀儡にしてやろうかと思ったが、それも叶わなかった。何時まで待とうとも、彼らが黄泉の国から蘇ることはなかった。」

「口を慎め。不埒者。我は皇孫。日御子の御前なるぞ。」

「口を慎むのは其方だ。小娘。この日の本は、現在(いま)より四百五十六年、過去(むかし)、保元の頃より、武者の世となっている。貴様ら日御子の末裔が司る政治(まつりごと)など無い。」

「貴様のやっていることが政治だと。笑わせるな。」

 天海は、一歩、踏み出し、床に落ちている血染めの刀を拾い上げた。

「人の血と油で汚れている。これはもう使い物にはならぬな。」

「止まれ。」

 照姫は天十握久刀剣を構えた。

「それは神器か?ふむ……。恐ろしくもない古の御物よ。」

「それでも人は殺せる。」

「ならば、何故に、悠長に語り合いをしているのか。」

「真意を知りたいからだ。」

「難しい仏語を知っているな。誰に教わった?」

「話を逸らすな!」

 今度は照姫が一歩踏み出した。天海が時を稼いでいるのは容易に分かった。それでも、照姫は知りたかった。世の中をこのようにした張本人に聞きたかった。その行いの意味を。そして、もとより、照姫は、ここで死ぬつもりだった。

「真意か……。旭姫と言ったか。皇女よ。古、この豊葦原瑞穂国を造りし末裔として、よく聞くが良い。今、この日の本国は、この刀のようになっている。」

 天海が投げ返した刀を照姫は剣で払った。

「血と油で汚れ、使い物にならなくなっている。古の王道楽土は形を潜め、豊葦原瑞穂国などとは、名ばかり、国土は痩せ、人々は窮し、奪い、殺し合う毎日よ。」

 天海と呼ばれるこの男の正体は分からない。しかし、学があるのは確かであろう。照姫も、合間を見つけては、学問を学んだつもりであった。然れど、今、この天海が言う和漢の言葉は、意味不明な物が多い。それでも、照姫は黙って、話を聞いた。

「形だけの天子、政を継いだ将軍も役に立たず。あの男。あの男にだけは、一時の望みを繋いだ。だが、違った。俺の見込み違いであった。あの男は裏切ったのだ。この俺の願いを、望みを。」

「魔王のことか。」

「魔王?そのような物はいない。あれはただの人間だった。織田信長というただの人間だったのだ。その時、俺は気付いたのだ。人は裏切り、殺す。ならば、俺もそうしようとな。」

「愚か者め。」

「かような時だった。この黄泉の穴の見つけたのはな。奇しくも、奴に命じられて叡山を焼いていた時だった。この穴は、大岩に塞がれ、標縄が張られていた。だがな。俺がこの岩屋の前に立った時、天は俄に暗雲を帯びた。そして、次の刹那、鳴神が落ち、岩を砕いた。」

 天海は興に入っている様子だった。彼の話の何が真で何が偽なのかは分からなかった。

「その時、俺は亡者の呻きを聞いた。俺は、兵を穴の奥に進ませたが、何も得る物はなかった。その後だ。思いがけずも、山を降りる途中、かの兵が山から落ちて死んだのだ。俺は構わず先を急いだ。」

「……。」

 辺りは静かだった。天海の声だけが響いていた。

「麓に着いた俺は、館に戻った。その夜のことよ。今一度、亡者の呻き声を聞いたのだ。それは、あの兵であったわ。其奴は首を折りながらも、館の周りを彷徨っていた。それから、俺はあの穴に興を覚え、調べ、試して、理を得た。元来、公家にも顔が利いたのでな。黄泉の穴の昔話に辿り着くのに、刻は掛からなかった。」

「お前、もしや、あの時の……。」

 照姫の脳裏にひとつの回想が甦った。それは、織田の軍兵が京に攻め上って来る直前、照姫らの住んでいた御所に、将軍と共に一人の武士が訪れた。

「明智十兵衛……。」

「覚えていたか、旭姫。然れど、それは過去(むかし)の名。今は、南光坊天海。吾は、あの日、この穴の奥で、信長を殺してより、素性を捨てた。そして、僧正天海となり、この日の本を滅する。そして、新たな国を造る。これらはその礎よ。」

 その時、黄泉の穴より、亡者が湧いて来た。日暮れが迫っていた。それらは、老若男女、武士百姓、貴賎の別なく、彷徨い、這い出して来た。

「外道……!!」

 照姫は剣を構えた。

「死ね!!魔王!!」

「愚かな……。」

 天海こと明智十兵衛は、悲しい顔をした。対する照姫は、迫り来る亡者の群れに飲まれて行った。


「ノウマク、サンマンダバサラダン、カン!!」

 火焔が照姫を包んだ。

「走れ、照姫!!」

 雲浄の声がした。火焔は大きな口を開けて、雲浄の煩悩を呑み込み、亡者を呑み込み、ただ一人、照姫だけを、その業火の口から吐き出した。

「覚悟!!」

「見くびるな!!小娘!!」

 十兵衛は太刀を取った。業火の中から這い出した照姫は、火焔を纏ったまま、天十握久刀剣を握り締めて、仇敵に向かった。しかし、亡者たちを呑み込んだと思われた、辺りに燃え盛る炎の中で、一体の亡者だけが、炎に焼かれることなく、立ち、照姫の前にはだかった。それは、刀を持った旅姿の侍であったし、照姫の眼には、何度も、繰り返し、その姿を映したであろう肉体だった。

「鹿衛門……。」

 その亡者は、熊谷鹿衛門その人だった。雲浄の煩悩を焼いた火焔でさえ、彼の肉体を焼くことはできなかった。その懐かしい姿を見て、照姫は足を止めた。

「鹿衛門……。鹿衛門か……。おい、何とか言ってくれ!」

「てル……。ひメ……。」

 亡者は刀をだらりと提げていたが、それをけっして、照姫に向けることはなかった。

「知人か。」

 なおも、十兵衛は太刀を持っていた。しかし、照姫のその様子を見て、安堵したのか緊張は解けていた。

「ふ……。面白い。姫よ。もしや其奴は、其方の恋人か。」

 十兵衛は嘲笑っていた。一方の照姫は、十兵衛の戯言などは、意にも介さず、耳にも聞こえず、鹿衛門の亡者に語り掛けていた。

「鹿衛門……。嘘であろう……。何か言え、鹿衛門。」

「てル……。ヒメ……。ニゲろ。」

 それは彼の理性から出た言葉なのだろうか。それとも、彼は、もうこの世にはおらず、何者かによって動かされている骸が発した鸚鵡返しのような言葉なのだろうか。

「鹿衛門……。おれはどうしたらいいのだ……。こたえてくれ……。」

 十兵衛は、太刀をぶら下げながら、二人の傍に近寄って来た。照姫は、少女に戻りかけていた。彼女の持つ天十握久刀剣は、もはや、それを握る力を失い、その主を失いつつあった。


 ズドーン……!!


 銃声が響いた。その弾丸は、照姫の背後から撃たれ、亡者の心臓を貫き、抉り取り、破壊した。そして、その後ろにいた天海僧正明智十兵衛の右胸をも貫いた。

「鹿衛門……。」

 亡者は地面に崩れ落ちた。

「己等……!!」

 右胸から血を流し、十兵衛は猛り狂った。

「目を覚ませ、照姫!!それはもはや鹿衛門ではない。ただの骸だ!!」

 

 ゴゴォ……。


 遠くで轟音が響いた。刻は、もうすぐ、夜を迎える。

「照姫、早く……。もう刻がない……。鹿衛門は死んだ。もういない。決めるのは、お前なのだ……。」

 綾女も力を失っているようだった。もしかしたら、先ほどの弾丸が最後であったのかもしれない。

「鹿衛門……。鹿衛門……。」

「生きろ……。て…る…ひ…め……。生…き…ろ……。」

 心臓を砕かれて動くはずのない骸が発した最期の言葉だった。

「うわあああ……!!!!」

 少女は涙を流しながら走った。彼女の足の裏は骸を踏み砕いていた。

「死なぬ!!俺は死なぬ!!」

「うわあああ……!!!!」


 ゴゴゴォ……。


 照姫が右手に持つ天十握久刀剣は、彼女の左の掌を貫き通して、明智十兵衛の右胸の傷を刺した。

「うあああ……!!」

「ウオオオ……!!!」

 天十握久刀剣が十兵衛の傷を抉っていく。それに続いて、照姫の左掌もまた、彼の傷を抉った。照姫の左掌から流れた血液は、傷口から十兵衛の体を伝い、彼の血液と混じり合っていった。

「娘……!!!」

 十兵衛の蹴りが照姫の体を吹き飛ばした。

「俺は死なぬ!!甦るのだ!!」

 血を流しながら、十兵衛は黄泉の穴の奥深くへと消えた。


「行くぞ!!もう刻がない。」

 天十握久刀剣と共に転がっていた照姫の手を綾女が取った。


 ゴゴゴォ!!


 なおも轟音は響いていた。

「綾女、照姫!!早く逃げるぞ!!」

 雲浄である。

「あの男、やはり、鬼だ。約束通り、夜になる前に、山を爆ぜさせおった。逃げるぞ。二人共。生きて逃げるぞ。いずれ、ここは土に埋まる。行くぞ。」

「行くぞ。」

 綾女の手に引かれて、照姫は逃げた。黄泉の穴は、変わらず暗く冷たかった。手を引かれて行く彼女の視線の先には、一体の骸が砕けて、地面に横たわっていた。

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