安土編
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
霜月十五夜。満月の夜。熊谷と照姫は、安土の町にいた。魔王、織田信長が築かせたという安土の城であったが、実際は、この地に城郭はなかった。あっても、それは、積みかけの石垣や、未だ普請ができておらず資材が置き積まれたままの空き地であった。
ただ、安土山の山頂には、信長の居館らしき物が見える。それに、山麓には、家臣たちの館もあった。
「この安土のどこかに、雲浄と綾女もいるのだろうか……。」
熊谷の背に負う荷物の中には、神の島で手に入れた天十握久刀剣が収められた箱が入っていた。
「鹿衛門。」
「分かっている。」
安土に来るというのは決めてあった。しかし、それからどうするかは決めてはいない。もし、仮に、雲浄と綾女の二人共に、死していたとしたら……。
「おい。」
「ああ。」
二人は安土山の林に隠れている。目指すは、山頂にある魔王の居館であった。
「(二人は死んだのか……。)」
熊谷は安土山を登っている。辺りは満月の明かりに照らされて明るかった。
「(黄泉の穴を閉じれば、亡者は滅する……。)」
古の昔語によれば、それには日御子の末裔に伝わる天十握久刀剣が必要だという。
「(亡者などおらぬ……。)」
そう言ったのは半蔵である。
「(これらは何か知り得ぬ力が骸を動かしているに過ぎぬ。)」
熊谷の頭の中では、半蔵の言葉が響いていた。
「待て。声がする。」
熊谷は足を止めた。
「鹿衛門。空耳だ。」
「そうか………。」
「おれが先に行く。」
照姫が前に出た。しかし、熊谷には、その亡者の呻き声が確かに聞こえた。それらは旅の道中で、より鮮明になっていた。
「あれが信長の館か。」
照姫の声がしていた。魔王の居館は、思ったよりも、手薄で簡素である。
「どうする気だ。照姫。」
「信長を殺す。然れば、黄泉の穴も塞がれる。」
「確かなのか。」
「おれを信じろ。」
明らかに照姫は、何かを知っている。それは、神の島で、伊世と出会って分かった。伊世も、また、照姫についての何事かを知っているようであったし、ここへ来て、熊谷にも、ぼんやりとした輪郭を持って、それが見え始めた。しかし、それは、未だ満月のように明るくはなく、薄明かりで、朧気であった。
「神器を寄こせ。」
照姫は明らかに気が立っていた。それが、熊谷にはどこか危うさを含んでいた。それでも、彼は照姫を止めることもなく、彼女を信じて、荷を下ろし、箱を開けて、神器、天十握久刀剣を渡した。
「下郎……。朕が誰カ知らぬ訳ではあるまい……。」
魔王が住む居館。それは、神社のようでもあった。そこの本殿に当たる所に、魔王、織田信長は鎮座していた。彼は、紺糸縅の胴丸を纏い、織田の木瓜紋を象った兜を被って、本殿の中央に敷かれた畳の上に置いてある床几の上に虎皮を敷いて、座っていた。
「照姫……!?」
その姿を見るや照姫は、無言で駆けだした。そして、手にした天十握久刀剣で、信長の鎧の脇の隙間を刺した。
「朕ハ、織田上総介なるゾ……。下郎……。控エよ……。」
照姫は刺した。何度も、その手で剣を握り……。
「死ね!!信長!!父の、母の仇!!死ねえい!!」
「下ガれ……。下郎……。朕ハ、おダかずサ介ぞ……。」
それは壊れた傀儡人形のようであった。それでも、照姫は、彼女の恨みを晴らすべく、魔王を刺し続けた。
「くそっ!!くそう!!何故だ……。何故、死なぬのだ……。」
それは照姫にも分かっていた。照姫の剣を持つ手が止まった。熊谷鹿衛門は、その涙を流す小さな少女の手を、ぎゅっと握り締めた。
「曲者!!」
織田の雑兵である。館の異変に気付き、やっと駆け付けて来たのだろう。
「行け。照姫。我が妻よ。ここで死んではならぬ。」
「鹿衛門……。」
熊谷は少女の手に天十握久刀剣を握らせると、その拳を引いて走った。どこまでも遠くへと。
「追え!!追え!!」
満月が照っていた。
「生きろ。生きろ。姫よ。日の皇女よ。逃げよ。」
少女が気が付いた時、鹿衛門はいなかった。彼女の手には、先ほどまで、確かにあった夫の手の温もりと、汚れた剣だけが残っていた。




