天下神島編
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
「起きろ。」
半蔵の声がした。
「もうすぐ島だ。」
伊賀を越えて、伊勢に至った熊谷、照姫、半蔵の三人は、すぐに神の島へ渡ることにした。というのも、伊賀も伊勢も、どこも野原となり、情報を集めることもままならなかった。
「船の中で、よく眠れるものだ。」
眠っていたのは照姫であった。出発から未だ、彼女は眠り続けている。
「着くまで寝かせておいてくれ。これでも、まだ娘なのだ。」
「まあ良い。」
伊勢の浜辺に置かれてあった艪船を半蔵が漕いでいた。
「着いたぞ。」
熊谷の声がした。
「眠ってしまったのか。すまぬ。」
照姫が瞼を擦っていた。
「よい。」
島に着いたのは夕方である。
「社殿は島の北だ。言っておくが己の身は、己で守ることを本懐とせよ。でなければ、俺もお前たちを護れぬ。」
「分かっておる。」
半蔵は二人の護衛である。彼はこの島にも、四尺二寸の金棒を持って来ていた。
「行くぞ。」
そう言うと半蔵は覆面を被り、先頭に出た。辺りは日が暮れて、暗くなり始めていた。
雲浄と綾女は、亡者の屯する山を離れて、湖沿いを歩いていた。それでも、二人は雑木林などを選んで、身を隠しながら進んだ。
「此方を選んでよかったな。」
「そうだなあ。」
交代で仮眠を取りつつ、叡山から離れた。この調子ならば、明日には、京の山科辺りに着けるかという具合である。
湖畔には、船も人もいない。住人たちは、あるいはどこかへ移されたのだろうか。二人は、そのまま、何もなく、翌日には、かつての京の都に入った。しかし、そこは、瓦礫の山があるだけであった。
「非道いな。」
「俺は見飽きた。」
今回のような湖西道ではないが、綾女は、間者の用事で、何度か京の跡地を通っていた。
「さて、どうしたものかの。」
「鞍馬へ行くぞ。」
「そこに何がある?」
「待ち人だ。」
二人は、かつての北山、鞍馬へ向かった。
「大したことないな。」
神の島では、半蔵が亡者を退けつつ、社殿に向かっていた。
「(改めて見ると、恐ろしい男だな……。)」
熊谷は後ろから刀をぶら下げて行くだけであった。半蔵の扱う四尺二寸の金棒は先端が尖っている。突けば、亡者の体を砕き、薙いでも亡者を砕き、打っても砕く。それなりの重量があるはずだが、それを半蔵は、全身の筋肉を使って、軽快かつ自由自在に操っている。元は忍びであったのだろう。身体も身軽であり、老爺仕込みの技を持ち、金棒の他にも寸鉄、棒手裏剣、鎌など多彩な武器を使った。
「おい。後ろ。」
「あ。」
熊谷の後ろに立ちはだかった鬼の顔面を半蔵の金棒が襲った。勢いで相手が倒れると、半蔵は必ず、亡者の胸中を金棒で突いて潰した。
「ぼけっとしておる。」
「すまぬ。ところで、おぬしはいつも何をしている。」
「ん?これか。」
半蔵は、地面に寝そべった鬼の亡者を足蹴にして、その胸を金棒でごりごりと砕いていた。
「心の臓腑を潰している。」
「心の臓を?」
「ああ。こうすると、こやつらは、死ぬ。」
汚れた金棒を地面の砂で、こすり洗う半蔵の姿は、覆面をしていても、嬉々として喜んでいることが分かる。この島に来て分かったことだが、この鬼半蔵と呼ばれる男は、普段は無口だが、いざ闘いとなると、とても上機嫌で多弁になる。一種の興奮状態なのだろうか。
「亡者が死ぬとは……。」
「こやつらの何が亡者か。お前たちは、誠、この腐った骸に、死んだ者の魂が宿るとでも思っているのか?」
熊谷には、半蔵のこの質問の意味が分からなかった。理解できなかったと言ってよい。
「亡者は亡者ではないのか?」
「は?」
熊谷の返答に、半蔵は呆れてしまった様子だった。
「これは物に過ぎぬ。死体が動いているだけだ。」
半蔵も半蔵で、己の感じている真理を上手く言葉に表すのは難しいようである。
「何故かは知らぬが、心の臓腑を潰すと、やつらは、しばらくして、動かなくなる。まあ、それは生きた人間も同じだがな。」
半蔵に言わせると、あくまで、骸は骸であり、そのどこにも、人格というものは存在していないのであろう。
「真に死者が蘇るのならば、何故、墓は、静かなままなのだ。そもそも元亀より前に、戦で死んだ者たちの骸は動いてはおらぬぞ。」
言われてみれば、その通りだった。亡者や成仏できなかった魂などと言っても、動いているのは、信長が天下に躍り出た時、以来のものであった。それ以前に葬られた墓地などは、死体が埋まっていたとしても、蘇ることはなかった。
「よく気づいたな。」
熊谷は感嘆した。彼の言う意味やその背景は分からない。ただ、この半蔵という男は、頭も切れるのだろうということは分かった。
「誠に蘇って欲しい者は、蘇ってはくれぬからな。」
半蔵はそう言った。それは彼の父か母か友か。それらの誰かのことであろうと熊谷は思った。
鞍馬の山は静かだった。もはや、そこに住む人はいなかったが、建物だけは、未だかろうじて、残されている物もあった。
「伏せろ!」
綾女の手が雲浄を押したのは、石段を上がる途中のことであった。
「後を付けられていたようだ。」
矢が飛んで来た。雲浄と綾女は左右に分かれて、石段の脇の雑木林に隠れた。
「くそっ……。」
石段の下から槍を持った武者が数体、歩いて来る。その一体に向かって、綾女は引き金を弾いた。
ズドンと音がして、玉が武者の額を貫いた。武者は一瞬、怯んだが、構わず石段を上って来た。
「亡者か。」
亡者相手に鉄砲は効果が薄い。体のどこを狙っても、相手の動きは止まらない。
「ナンサマンダ。オンサマンダ!」
火焔が武者を包んだ。その火煙に乗じて、綾女は石段を横切り、雲浄と合流した。
「相変わらず、すごい炎だな。」
「先ほど突き倒されたことに、腹立ちしているからな。」
綾女の咄嗟の手に押された雲浄は石段を二、三段転げ落ちて、額を擦り剥いていた。
「命よりは軽かろう。」
「道中で、わしを殺そうとしたやつの言うことか。」
「まだ根に持っているのか。」
「それじゃよ。それ。」
雲浄の倶利伽羅剣は、さらに火力を増した。
「ノウマクサラバタタ。ギャチバク。サラダボッケイビャク。」
劫火が辺りに舞った。それは龍の姿を借りて、武者たちを包み込んだ。
「逃げるぞ。」
雲浄と綾女は林の中へ逃げた。
「魍魎が!!」
神の島の三人は、亡者ではない別の物と戦っていた。
「猿か。これは。」
猿の群れが、牙を剥いて襲い掛かって来ていた。
「このような猿など見たことないぞ。」
三人が相手にしている猿は、凶暴極まりなく、大きな物では、五、六尺はあるのだろうか。ふつうの猿の倍近くあり、力も強かった。それら大小が、争って、三人に襲い掛かって来た。彼らは、その猿たちを刀で斬り、あるいは金棒で潰していた。
「織田の兵も、こやつらにやられたのだろう。」
そう言えるほど、猿は強かった。
「行くぞ。」
辺りには猿の死骸が満ちていた。その大半は、半蔵の金棒により、頭や胴を潰された物である。おそらく、半蔵がいなければ、熊谷と照姫は猿に殺されていただろう。
「あれが社殿だな。」
何もなければ半刻で辿り着くであろう所が、歩く度に、何かしらと戦いになり、結局、社殿に着いたのは、明け方になってしまった。
「虎だ……。」
社殿の鳥居の真ん中に獣がいた。それは、黄と黒の縞柄をした巨大な動物であった。熊谷はその獣を知っていた。知っていたと言っても皮だけである。あの駿河の山中で見たものである。
「あれが、真の虎か……。」
身を屈めているが、その大きさは二間はあろう。その縞模様と風格は、王者のそれである。熊谷はこれを真の虎と感嘆したが、実際は虎よりも、大きくかつ凶暴であった。猿と同じく、この虎も体が成長し、力も強くなっていた。
「殺られるかも知れぬな。」
半蔵がぼやいた。その気配を察し、虎は身を起こした。やはり、その大きさはふつうの虎よりも大きく、二間半はありそうだった。
「獣は強い。」
半蔵は金棒を構えた。虎は一歩、また一歩と前脚を歩ませている。
「ぐはっ!!」
さっと、虎が駆けた。と思うと人が飛んだ。半蔵であった。虎の前脚の一撃を受けて、飛ばされた。その距離は、二間である。
「敵わぬ!!逃げろ!!」
半蔵が叫んだ。虎の次の標的は照姫である。半蔵が叫んだ時には、既に、虎は駆けていた。
「ちいっ!!」
虎と同時に熊谷も、照姫のもとに駆けていた。
「届け!!」
走り駆けた勢いのままに、虎に目掛けて、片手で刀を突いた。
「グルルル……。」
雷鳴のような鳴き声が聞こえた。熊谷の突きを避けて飛び、虎は照姫への突進を止めると、今度は熊谷を標的とした。
「何だ……?」
「グルルル……。」
その時、何もないのに虎は横に飛んだ。しかし、何もないと思っていたのは熊谷の方で、実は半蔵が放った棒手裏剣が虎を狙って飛んでいた。が、それが虎に当たることはなかった。
「お止め。」
女性の声が聞こえた。そして、社殿から巫女が現れた。
「朝日。此へ。」
巫女が合図すると、虎は彼女に寄って行った。
「其方がたも、矛を収めなされ。我が名は、伊世。伊勢大神宮に拠る巫女じゃ。」
「そらそら!!どうした。」
弓張り月の昇る空の下。鞍馬の林で、雲浄と綾女が追われている。
「動けぬな。」
雲浄の右肩口には矢が刺さり、血を流していた。先ほどから、相手方に、恐ろしく腕の立つ弓者がおり、二人は、木の陰から動けずにいた。
「我が名を覚えておけ!!我が名は大島雲八ぞ!!」
「くそっ!」
綾女が様子を窺おうと顔を出そうとすると、そこに矢が飛んで来る。狙いが恐ろしく正確である。その間にも、此方に向かって、武者やら足軽やらがやって来ていた。
「おいおい。あれも亡者か?」
雲浄が示したのは、後ろからやって来る鎧武者であった。
「随分、古めかしいな。」
鎧武者は、月明かりに照らされていた。白糸に縅された式正の鎧を着けて、両手に太刀を二本提げている。
「遅いぞ。」
綾女が言葉を発した。
「すまぬ。」
鎧武者は、二人を後にして、矢が飛んで来る方向へ歩いた。
「……。」
矢が一本、飛んで来た。鎧武者は何も言わずに、それを右手の太刀で切った。
「……。」
また、矢が飛んで来た。それも同じように切った。違ったのは、続き様に、二本目の矢が飛んで来たことであったが、それは左手の太刀で切った。
「何者だ?」
「待ち人よ。」
その間に、綾女は鉄砲を構えた。か弱い月明かりの下で、相手の弓者を探した。
ズドン……。と音が響いた。
「やったのか。」
「ああ。」
それから矢が飛んで来ることはなかった。鎧武者はと言うと、具足姿の亡者を相手に、両手を振り上げると、相手の両の腕を斬って落とした。次に、同じように、両手を振り下ろすと、今度は、その隣の亡者の両の腕を斬って落とした。
「其方がたは、織田の兵ではないのでございましょう。」
「違う。」
本殿の内で、伊世と、熊谷、照姫、半蔵の三人は対面した。伊世の傍らには、虎の朝日が戯れている。
「おぬしは、日御子の末裔か。」
「違いまする。」
問答は熊谷がした。闘いでは威勢の良い半蔵も、このような場面では、我、関せずと言った態度であった。
「お探しなのはこれですか。」
伊世は朝日の懐から箱を取り出して、開けた。中には、長さ一尺程の、古めかしい銅の剣が閉まってあった。
「天十握久刀剣にございます。」
「話が早いな。それを大人しく譲ってくれるのか。」
伊世は照姫をちらと見た。
「それは、この娘子次第にございます。」
「照姫次第?」
伊世は沈黙した。
「鹿衛門。よい。分かっておる。」
照姫は伊世の目を見た。
「それならば、話は早うございまする。奥に間がありまする。其方へ。」
伊世と照姫は立ち上がった。
「おのこ方は、此方でお待ち下さいませ。」
「鹿衛門。案ずるな。言うとおりにせよ。」
熊谷には、何がなんだか分からなかった。が、照姫の言うとおりに待つことにした。というのも、此処に来てから照姫が、何故か威厳高く見えていたからだった。
半刻程が経っただろうか。その間、熊谷は、本殿の板の間に座って、照姫を待った。同席していた半蔵と虎の朝日は、目を閉じていた。
「照姫。」
奥の間より、二人が戻って来た。
「熊谷様。どうかこの日の本をお鎮め下さいませ。」
伊世が深々と頭を下げた。
「ならば。」
「はい。天十握久刀剣はお収め下さいませ。」
照姫は黙ったままだった。
「済んだならば、行くぞ。」
いつの間にか、半蔵が立っていた。三人が、社殿の鳥居を抜けるまで、伊世と朝日は、此方を見送っていた。
「さあてと。」
半蔵が肩を鳴らしていた。帰り道も、また、亡者や獣を相手にしていかねばならない。それが半蔵にとっての喜びであった。
道中は、半蔵に任せた。熊谷は照姫の傍にいた。帰りの船の上でも、照姫は黙っており、やがて、眠りに就いた。
「この娘。眠り癖があるのか。」
「そうか。」
奥の間で何があったのかを、誰も聞かなかった。もとより、半蔵はそのようなことに興味がなく、熊谷に到っても、ただ、照姫の、健やかな寝顔が見られるだけで満足であった。
「今日、京は都でも天下でもなくなり申した。」
亡者を退けた後、鞍馬の廃墟で、綾女と雲浄が鎧武者の男と会っていた。
「申し遅れてござる。某、出雲日御碕大社の宮司家の家人、小野三郎と申しまする。」
「雲浄鼎悔と申す。」
三郎は頭を下げた。
「二人共、挨拶は良い。それで、三郎。首尾はどうだ。」
「沢瀉とは由有り。」
「そうか。それは上首尾。」
二人の隠語だろう。雲浄には見当がつかない。
「綾女殿の方は如何に。」
「菊花とは由無し。」
「此方も同様。して、桐の方は。」
「別の者が行っている。その者たちとは、この度の望月に、安土にて会う手筈になっている。菊花の行方が知れずとも、そこには顔を出さねばなるまい。」
綾女は煙草を吸っていた。
「菊とは天子のことか。」
「そうだ。隠し立てすることもないのだが、お互い、この方が話しやすくてな。」
雲浄の問い掛けに、綾女が紫煙を吐き出しながら答えた。
「桐は神器のことか。」
「そうだな。」
「となると、沢瀉は……。」
「待て……。くそ。まだいたか。」
襖を破る音がした。三人がいる部屋に何者が侵入した。
「ふははは。なかなかの腕だったぞ。鉄砲撃ち。」
その声は大島雲八を名乗る弓者であった。
「おぬし……。いや、待て、外すことはない。」
「ふははは。確かに当たったわ。ぬしの撃った玉はな、ほれ。このように、儂の額を打ち抜きおった。」
暗がりに見せた雲八の顔面には、額に大きな穴が空いていた。
「化け物か。」
「ふははは。ぬしのおかげで、体の動きが、ちと重くなったわ。然れど、いずれ、元通りになろう。」
「某が相手致そう。」
三郎が両手に太刀を抜いた。
「二刀使いよ。ぬしの相手はこいつだ。ふははは。上泉!!」
暗がりの中から、もう一体が現れた。
「しンカげノ太刀、受けヨ。」
「こいつあの時の……。おい。気を付けよ。こやつ、ただ者ではないぞ。」
雲浄の記憶に残るその相手は、あの不動寺の天井裏から見た兵法者であった。
「余所見をするでない。達磨坊主。ぬしはこちらだ。」
重い金属音が響いた。それは、今まで聞いたことのないような音である。
「なんじゃ!?これは……。」
暗がりから現れた物。全身で、月明かりを反射するそれは、体中を金属で覆われた鉄の甲冑を身に着けた兵士であった。
「南蛮渡来の強者よ。ふははは。こやつに、ぬしの炎が通じるかな。」
ズドン……!!
大音響が響いた。
「痛くも痒くもないわ。下郎!!」
近距離で綾女が放った弾丸は、雲八の脇腹を抉った。それでも、雲八は弓を引いた。放たれたその矢は、綾女の動きを予想して、曲がり、彼女の体に刺さった。
「技比べぞ!!ふははは。」
闇の中、三者三様の戦いが始まった。




