京都伊勢編
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
「いやあ。助かった。」
そう言ったのは蟻蜘蛛である。
「それは鹿の吐く言葉よ。」
前田玄以らに囚われた熊谷鹿衛門の救出劇を計画したのは、蟻蜘蛛であった。
「改めて名乗ろう蟻蜘蛛こと、才賀綾女だ。」
熊谷と別れた後、雲浄と照姫は、無事に蟻蜘蛛と会うことが出来ていた。
「何が何やら。俺にも分からぬ。ふと、気が付けば、蔵の中よ。」
綾女は頭を掻いていた。才賀綾女は、赤茶色の髪色をしている。背は高い方で、熊谷と同じくらいであろうか。
「どうして蟻蜘蛛の行方が知れた?」
山中の洞穴で熊谷が尋ねた。
「分からぬ。わしらも、お前と別れた後、気が付けば、外にいた。照姫の手には鍵があり、目の前には蔵がある。中を開けてみれば、そこには、蟻蜘蛛や分捕られた倶利伽羅剣などが置かれているではないか。」
「神仏の導きだろうか。」
照姫が拳を握り締めながら呟いた。熊谷には、三人の身に起こったことよりも、照姫のその言葉の方が不思議であった。よもや、照姫が神仏を敬っているかとは思っていなかった。
「あとは知っての通りじゃ。」
雲浄は、横になっていた。
「尋ねたいことは山ほどある。」
熊谷の目には才賀綾女が映っている。彼女の瞳はきらきらと輝き、宝石のようであった。
「それは俺も同じよ。」
綾女も熊谷の方を見ていた。
「その前に礼を言う。」
熊谷が頭を下げた。
「ははは。何を言うかと思えば。」
「おかしいか。」
綾女は笑っている。熊谷は下げた頭を元の位置に戻した。雲浄は寝ているし、照姫は、洞穴の壁を見ていた。
「まあ、俺は、和尚から、あらましは聞いておる。俺たちが囚われていた所。あれは亡者を産み出す所だ。それを束ねているのは、織田の岐阜代官である民部卿法印前田玄以。あの法体の男。隣にいたのは、可児才蔵。奴の手先である。」
「魔王は……、信長が、やはり、亡者を……。」
「明らかには、人の手で亡者を作っていると言えばよいか。彼らは他国から連れられて来た強者や猛者を選び殺し、その遺骸を腐らぬように手を加えて置いておく。すると、あのように、頑健な亡者ができる。」
「前田を討てば、亡者は消えるのだな。」
「そうではない。亡者は自然にできる。彼らはそれを使っているに過ぎぬ。」
「どういうことだ?」
「どう言えば分かる?」
蟻蜘蛛は、自分の知りうることを他人に説明するのが、苦手なようだった。
「わしが、代わりに教えてやろう。あらましは綾女から聞いたのでな。」
「頼む。和尚。」
「死者が甦り、亡者となる。これは、黄泉の穴が開いたからだ。」
「黄泉の穴だと。」
「おそらく。」
黄泉。地面の下にある死者の国のことである。その入り口が黄泉の穴だと、雲浄は言った。元来、黄泉の穴の入り口は、何らかの封印が施されているはずだが、それが解かれたことにより、死者の魂が現世に甦り、亡者となるのだと。
「その封印を破ったのが、信長か。」
「信長か……。それとも、かつての叡山、今の伏魔殿を根城とする輩か。」
口を開いたのは、綾女であった。
「天海僧正とか言う者か。どちらでもよい。その封印を元に戻せば、この世も、元に戻るのだな。」
「調べたことによれば、どうもそうではないか、というところだな。」
綾女は筒を取り出した。南蛮渡来の煙草筒というらしい。彼女は、枯れ草のような物に火を点けて、筒に押し込めると、その枯れ草から出る煙を吸っていた。
「こうすると、気が落ち着く。」
「岐阜で、そのような物を焚いている者たちがいたな。」
「岐阜の民共であろう。彼らが焚くのは、煙草ではなく、役人たちが用意した特別な香薬だ。その匂いを嗅いで、しばらくすれば願望が叶うという物だ。」
「それは、是非とも、試してみたい物じゃな。」
先ほどまで、寝ながら口上をしていた雲浄が顔を上げた。
「止めておけ。和尚。それらを編み出したのは前田玄以らだ。彼らは民共を牛馬の如く使役している。堂舎に込め置き、食事を与える。しかし、それだけでは、人間という物は、何故か満足せぬ。その心の隙間を香薬で埋めているのだ。」
「然れど、願望が叶うのであろう。」
「願望とは、欲望のことだ。元来、そんな物はどこにもない。どこにもないが欲しい。それを煙香で満たす。幻だな。どこにもないが故に、欲しがり、どこにもないが故に、例え、満たされたとしても、飽くことはない。それ故、永劫に満たされることはなく、永遠に求め続けるのよ。」
「それは、おぬしの、その煙草、しいては、人の世と同じではないか。」
「和尚がそう思うならば止めはせぬ。然れど、俺は勧めはせぬよ。」
二人の会話に熊谷と照姫の二人は、置いていかれがちであった。綾女もまた、仏典や漢籍に詳しいのかも知れない。
「才賀とは、紀伊の雑賀か。」
「あれとは関わりない。」
熊谷の質問に、綾女は、紫煙をくゆらせながら、即答した。
「おぬしの正体は何か。そろそろ吐いても良かろう。」
「悪くはない。というのも、俺の目指す所は、あんたらと重なる所がある。熊谷鹿衛門。」
綾女は急にきりっとしたようだった。それも煙草とやらの効果なのかと、熊谷は思った。
「俺は間者だ。幕府のな。」
「幕府とは、将軍か。」
「ああ。足利の覚慶殿だ。かの御方は、かつて信長と共に天下に入られた。然れど、天子と共に都を追われ、今は、然る所に難を避けておられる。俺は彼等の命により、動いておる。」
「将軍の目指す所は、信長を討つことか。」
「いずれはな。然れど、調べれば、調べるほどに、黄泉の穴のことなど、やるべきことが増えていく。それに他国の大名が信長にやられぬように仲立ちを果たすこともある。」
綾女はその鉄砲の腕で各地を流浪し、大名等と会い、将軍の密命を伝え、反信長勢力の連合を形成していたという。
「東国にいたのはそれでだ。然れど、その帰りに、信長のことをもうひとつ詳しく調べ、手土産にしようとした所、捕らえられてしまった。」
綾女は笑っていた。
「帰りと言うと、将軍は西国にいるのか。」
「多くは語るまい。しかし、捕らえられたことで知れたこともあるしな。道端の骸に魂が入るのと異なり、奴ら人の手を加えられた骸は陽の下でも動く。それに、頭も少しは利く。というよりも、並の亡者は、ただ己の欲望のままに動くが、織田の亡者は、生きていた頃の上手を、そのまま受け継ぐらしい。死してなお、そのことを覚えていると言えばよいのかな。おそらく、肉体が生前の頃と近しく残っておるが故に、魂も、それに比して、生前の時に、より近くなっていると言うか。」
「おぬしは頭が良いな。」
「綾女と呼べ。将軍の間者など、目端が利くだけが取り柄よ。あと、将軍殿は、天子様を探しておる。まあ、労しているのは俺であるがな。」
「天子が生きているのか。」
雲浄が再び、頭を上げた。それに、何故か照姫も、反応したように思えた。
「都が焼かれた折、人々は皆、殺された。それこそ、京の町の四方から織田の兵が、蟻の這い出る隙間もないほど、炎と共にやって来て、皆殺しにした。当然、天子もだ。然れど、どうやら、天子の血筋を引く者は、何処かへ落ち延びたらしい。」
「それが俺たちに関わりがあるのか?天子が欲しいのは、将軍であろう。」
熊谷は、煙草の煙を払いながら言った。始めは心地良かったが、今は、うっとうしく感じていた。
「大ありよ。天子は日御子の末裔。黄泉の穴を塞ぐには、日御子の力が必要だ。」
綾女は、煙草の吸い殻を捨てた。それは単に煙草が灰になったからで、熊谷に気を遣った訳ではなかった。
「夜見の昔物語。神器じゃな。」
雲浄は起き上がった。
「和尚も知っていたか。」
「おぬしから聞いたのではなかったか?」
「そうだったか?」
かつて、人々が鳥や獣と共に暮らしていた頃、夜見の世界から亡者が現れ、それを日の力が宿った宝剣を持った王者が退治して、亡者を封印した。それが、日御子であり、天子の始祖であるという。
「御伽話であろう。」
その話は、熊谷も雲浄から聞いていた。
「然れど、真に亡者が現れた。我等が、頼りにするのは、その御伽話しかあるまい。話の詳らかなことは、それらを伝えてきた天子の他に知る者がおらぬのだ。ということでだ。我等は徒党を組み、これから二手に別れようと思う。ひとつは神器を探しに伊勢へ。もうひとつは天子を探しに京の都へ参る。これは俺の考えだが、俺と熊谷は都へ。和尚と照姫は伊勢へ向かう。どうだ。」
「何故、お前が決める。」
照姫が、こちらを向いた。
「異論があるのか。」
「俺は鹿衛門と共に行く。それだけだ。」
「好いておるのか?」
「夫婦だ。」
照姫はそれを堂々と言葉にした。そのことが恥ずかしかったのは熊谷の方だった。
「ならば、照姫は鹿衛門と組むが良い。行くのはどちらが良い?都か伊勢か?」
「都へは行かぬ。」
「ならば伊勢だな。良いか和尚。」
「好きにせよ。わしは疲れた。眠らせてもらう。」
雲浄は本当に疲れたのであろう。暗い洞窟の中では、今が何時に当たるのかも分からなかった。
翌朝、日が照らすと共に、一行は出立した。
「次の望月の夜に、安土で会おう。無事であればの話だがな。」
綾女の立てた計画により、これから四人は二手に分かれることになる。
「俺と和尚は、一度、敦賀まで参り、その後、湖西を通って、京へ至る。」
綾女と雲浄は、天子一族の生き残りを探しに、都へ向かう。京の都では、綾女のように、将軍の密偵で西国を廻っている者と会うつもりだという。
「我等、二人は、伊勢へ神器探しだな。」
熊谷と照姫は日御子、つまり、天子の家系に伝わる宝剣を探しに伊勢へ行く。支度が整うと、二人は刀を腰に差した。
「本来ならば、伊勢へは俺が行きたいのだがな。都で会う者もおる故、そうもいかぬ。」
綾女のため息が聞こえた。
「ため息など縁起が悪いわ。心配いらぬ。任せておくが良い。」
「これを持っていけ。」
「何だこれは?」
綾女が差し出したのは、袋に入った板の切れ端であった。
「合符だ。ここから流れる川を下って行くと、里に出る。しかし、そこは通るな。織田の軍兵が屯しているからな。お前たちは、里へは寄らず、川を伝って、再び、山中に入る。今度は、川上を目指せ。しばらくすると、滝がある。阿弥陀の滝と呼んでいる。その滝の傍らの老杉の枝に、この板を括り付けて、一夜を明かすのだ。」
「誰か来るのか?」
「来てからの楽しみよ。」
綾女は、薄ら笑みを浮かべていた。
「そのあとは任せる。さて、行くぞ。」
四人の目の前には、小川が流れていた。綾女と雲浄は川上へ、熊谷と照姫は川下へと向かう。昨夜は望月であった。次の望月まで、ひと月。しばしの別れである。
雨が降っていた。出雲日御碕に神の社がある。東の伊勢神宮が日の本の昼を守るならば、この日御碕の社は、日の本の夜を守ると言われていた。
「嵐が来るな。」
今、この社の客殿に、一人の武家が滞在している。その名は、征夷大将軍足利義昭その人である。
「嵐が来るならば、此方から参りまするか。三郎。」
「は。」
客殿の畳の間には、義昭を含めて、人が三人いる。その一人は、この社の宮司であり、もう一人は、三郎と呼ばれた若者である。
「宝物殿から好きな物を持っていけ。」
「心得まして御座る。」
小野三郎宗近は、日御碕神社の宮司家に仕える一族である。小野家の始祖は、京都土御門家の陰陽師とされていた。然れど、源平の争乱の最中、彼の一族は弓を取り、武家を名乗った。一族の長は、陰陽道を心得ると共に、武門の道も嗜んだ。その若き当主が、三郎宗近である。
「成すべきことは分かっておるな。」
「は。しかと。」
「よし。」
雨の降る中、三郎は社殿を出た。宝物殿から、白糸縅の鎧と、鬼丸、鬼切りの二本の太刀を持って、悪鬼亡者の待つ、廃都、京へと歩いて行った。
「暑い。」
熊谷と照姫は、山中を下向していた。綾女に言われた通り、阿弥陀の滝と呼ばれる所を目指していた。
「あれが織田の軍兵の屯している村か。」
木と木の間から、集落が覗いていた。
「何故、斯様な山里に織田の軍兵がいる?」
「知らぬな。綾女の言うには、里には近づくなということだ。」
「そうか。」
二人は、集落には構わず、小川を辿り、川上を目指した。
「滝とは、これか。」
集落から歩くこと一昼夜、二人の目の前に、滝が流れていた。その傍らには、綾女の言った通り、老杉が鎮座していた。熊谷は、はたまた、綾女に言われた通り、その老杉の枝に、彼女からもらった合符の板を紐で括り付けた。
「後は待つだけだな。」
「蛇が出るか、鬼が出るか。」
「恐いのか、鹿衛門。」
「あいにく、蛇も鬼も、既に会った。」
二人は、老杉から離れた檜の大樹の真下で、夜を過ごすことにした。
「おい。鹿衛門。起きろ。合符がないぞ。」
翌朝、熊谷は照姫に叩き起こされた。
「誠だ。」
刀を提げて、老杉の根方に来たが、昨日、そこに括り付けたはずの合符はなかった。
「何故、お前たちがここにいるのだ。」
二人の背後から気配がした。振り返ると見えたのは、先ほどまで、寝ていた檜の大樹の幹の陰から出て来た老爺であった。そう。それは、あの二人の、師の老爺であった。
「御師様。」
「おぬし。」
熊谷と照姫は驚きを隠せなかった。
「さては、才賀のやつめの仕業だなあ。」
「老師は、綾女と知り合いであったのか。」
「馬鹿なことを。今は、同じ穴の狢であるだけよ。照姫は息災であったか。」
老爺の姿は、駿河の山中で見た時の姿と変わっていなかった。
「御師様。死んだかと思っていた。」
「そう思っている方が、よかったのだがな。本来ならば、ここへは才賀のやつめが来るはずであった。」
「あいつらは京へ向かった。」
「あいつらとは、連れがいるのか?」
老爺は、髭を撫でながら話をしている。
「話せば長くなりそうだ。」
熊谷が答えた。雲浄のことなど、積もる話はたくさんある。
「老師も、まさか、将軍の間者なのか。」
「話は後にしろ。来たぞ。鬼がな。」
老爺は幹の陰に隠れた。
ドシッ!!
突然、老杉の枝から何かが落ちて来た。
「何事ぞ!!」
二人の目の前に落ちて来たのは、覆面をした人間である。その手には、四尺程の長さの金棒を持っていた。
「ひゃははは。お前たちが、どれほどに腕を上げたか、見せてみるがよい。」
「老師、何の真似だ!?」
「構うな。鹿衛門。御師様の悪戯は死ぬ。」
既に、照姫は、刀を抜いていた。
「ヒュー……。ヒュー……。」
覆面は金棒を掲げた。
「ひゃはは。」
老爺の下卑た笑い声が聞こえる。それには、構わず、照姫と熊谷は、刀を抜き、晴眼に構えた。覆面は、地面に金棒を平らげて、四つ脚になっている。覆面の隙間から見……。
何が起きたのだろうか。木の葉が舞ったかと思うと、照姫と熊谷の後ろの老杉が……。
「振り向くな!」
照姫が叫んだ。熊谷の目の前、半歩の所に、既に気配があった。が、視認できた覆面の姿は、それよりも、まだ半歩、遠くにいた。
熊谷は気配の方を信じた。それは、体の反応であった。身を屈めた熊谷の髪の毛を風が吹いた。それまで、熊谷の顔があった所に、覆面の右の拳が飛んで来ていた。しかも、その拳の中には、鉄の棒が煌めいていた。
「ひゃははは。今のを避けるか!鹿衛門。」
老爺の笑い声とともに、ズンと鈍い音がした。それは老杉の幹を抉る音だろうか。しかし、熊谷は、それには構わず、刀を横薙ぎに払った。
「斬った!!」
と思ったのは、空間であった。
「飛ぶな!猿め!」
後ろから照姫の叫びがした。熊谷がさっと、上を振り向くと、覆面が宙を飛んでおり、その着地点を目掛けて、照姫の振り下ろした刀が追っていた。が、照姫のその刀も宙を斬った。覆面は、照姫の予測した着地点には現れず、老杉の枝に捕まり、更に、遠くに着地した。
「こやつ……。」
振り向いた熊谷は一息、突こうとした。が、覆面にそのつもりはなかった。地面に着地した途端に、今度は後ろに反り返って飛んだ。
「ちっ!?」
照姫の予測では、覆面は己の頭上に着地する運びとなった。が、照姫はそれを嫌い、左に転がって、衝突を避けた。熊谷の目の前には、老杉の幹に刺さった金棒がある。覆面は、素早く、それを掴み、幹から引き抜くと同時に、熊谷、目掛けて、打った。
「とっ!?」
熊谷は金棒を刀で受けたが、飛んでいったのは、熊谷の刀であった。
「死ぬ……。」
熊谷は死の危険を感じた。頭上からは、金棒が落ちて来るはずだった。それでも、熊谷は前へ出た。空となった両の手で、覆面の腕を掴みにかかった。それは無刀取りのようであった。
「やめよ。」
老爺の声が聞こえた。身を屈めた熊谷の両の手は、開いたまま上を向いていた。覆面は、彼の一間、先にいた。
「飽きた。半蔵。もうよい。お前たちもよい。悪いことをしたな。どうも、歳を取ると、世の面白味という物が失せてしまう。然れば、自ら、作り出すに過ぎぬのだが、それすらも、半ばで、興を冷ましてしまう。全く、困ったものよ。」
「何が困ったものか。」
熊谷は怒り顔で、飛ばされた刀を取りに行っていた。
「少しは、腕を上げたようだな。鹿衛門。」
「ふん……。」
怒りをぶつける宛てもなかった。
「然れど、半蔵が本気であれば、お前たちは死んでいた。照姫もだ。」
「御師様。」
熊谷の前では、気の強い所も見せる照姫だが、老爺の前では、大人しくなる。
「だが、それを卑しく思うことはない。およそ、人の間で、こやつに敵う者はおるまい。」
「たいそうな物言いだな。老師よ。」
「まあ良い。二人とも、わしの根倉に案内してやる。」
覆面は、半蔵という壮年の男であった。彼は、元は伊賀の生まれで、老爺の子飼いであるという。
「鬼半蔵と呼ばれたこともあったな。」
「昔のことに御座る。」
半蔵は無口な男であったが、礼節をわきまえている様子である。
「落ちぶれてからは、わしと共に、業を磨き、今に至る。」
「老師は将軍や綾女と如何なる関わりなのだ。」
阿弥陀の滝から少し離れた川辺の仮屋に、老爺と半蔵は暮らしていた。
「手伝いをしておる。」
「間者か?」
「そのように考えて差し支えなかろう。」
老爺の言葉はどこか曖昧さを伴っていた。
「さて、話を変えるぞ。おぬしたち、如何な用でここへ参った?」
「聞いておらぬのか?」
「聞いているわけなかろうが、馬鹿者め。本来、ここでは、符牒のやり取りをするだけだ。」
老爺は薬草を結んでいた。手を動かしているが、腹を立てているようであった。しかし、腹立ちしていたのは、熊谷も同じである。
「伊勢へ参る。」
その沈黙を破ったのは照姫であった。
「神器を探すのか?」
「知っているのか?」
「天十握久刀剣。魔を防ぐと言われる日御子の末裔のみが使える太刀だ。」
「教えてくれ、御師様。それはどこにある?」
「世が変わる前までは、伊勢の神宮に納めてあったと言うがな。その神宮が、魔王に毀されてからというもの、神器の行方も知れぬよ。」
薬草の結束が終わった。
「老師よ。おぬし、虫が良すぎるのではないか。己等には、魔王を討てと言いながら、当のお前は、やる気がない。あれは何だったのだ。」
熊谷は未だ怒りの矛先を収める場所がなかった。
「もとより、お前たちに、成果を望んではいない。」
「おぬし!?」
熊谷は膝を立てた。半蔵も同じく膝を立てた。
「待て、鹿衛門。御師様は、我らの身を案じてくれているのだ。」
今にも、老爺に食ってかかる所の熊谷を、照姫が制した。
「ひゃはは。照姫は、よく分かっておる。半蔵をけしかけたのも、お前たちに、己の未熟さを思い知らせて、魔王退治から手を引かせる心中よ。許せ。鹿衛門。今では、本来、おぬしを巻き込むことではなかったと悔いておる。」
「誠の言葉かよ。」
「誠だよ。お前と照姫は、もはや夫婦。危うい橋を渡ることはないのだぞ。」
「今更だな。」
口は荒いが、先ほどより熊谷の怒りも収まった様子であった。その証拠に、熊谷と半蔵の二人ともが、そろって立てた膝を下ろしていた。
「まあ、そう言うだろうと思っていた。さて、黄泉の穴のことなどは、才賀から聞いておるだろうよ。それと、天十握久刀剣はな、伊勢から東の、海に出た島にある。」
「誠か?」
「確かめてはおらぬ。神宮が破却された時、多くの宝物がその島に流れたという。その中に、天十握久刀剣があったやも知れぬ。」
「何と言う島だ?」
「百姓からは神の島と呼ばれておったよ。然れど、おぬしら、その島も、もはや魔王の地となっておるということを忘れてはおらぬか。」
「亡者が出るというのか。」
「もとは、神宮の雑人の外、人の住まぬ島であったがな。先年来、魔王が兵を送ってより、この方、亡者のひしめく地となっておる。」
「魔王の兵は皆、死んだと言うのか?どちらにせよ、人はおらなかったのだろう。」
「詳らかなことは知らぬ。魔王が兵を送ったことと、その者たちが帰らぬことは、誠のことよ。あとは、島に様子を見に行った漁師が、多くの亡者を見たという。昼間にな。」
「前田玄以らの仕業か。」
「ふん。細かいことはどうでもよい。半蔵を連れて行け。それでなければ、手を引け。」
いつの間にか、老爺は、先ほど縛っていた薬草の残りを噛んでいた。
その日は、老爺の仮屋に泊まり、明日、伊勢に出立することにした。
「このまま山中を伊賀へと下り、そこから伊勢に行く。」
案内は半蔵が司る。
「もう会うことはない。生き死に関わらずな。」
旅立ちの朝、老爺が言った。
「お前たちの好きにせい。」
人生をということであろう。魔王退治も神器探しも、その後のことも、熊谷と照姫は、今この瞬間から、完全に自由になる。
その頃、雲浄と綾女は、敦賀にいた。北陸では、今、柴田勝家率いる魔王軍が、糸魚川を挟んで、越後の上杉家と対峙している所である。それらの緊張は、もう彼此、一年程も続いていたが、昨年、甲斐の武田家が魔王に降るに及び、魔王領となった信濃からの軍の派遣により、両者の均衡が破られ始めていた。
「柴田は随分と悠長に構えておったのだな。」
「悠長?違うな。軍が進んでいなかったのは、越前、越中を焼き野にしていたからだ。」
「ほう。焼き野となあ。」
「言葉通りよ。北陸には門徒が多かった。魔王に門徒は要らぬ。故、村々も、人も、灰燼にした。」
「酷いことをするのう。」
「今更だ。」
二人は先を急いだ。道中は閑散としていた。しかし、敦賀は、まだましな方である。それよりも東は、焦土と化し、野山しかない。
「紀伊の雑賀も大変だったらしいな。」
「何故に、その話をする?」
「おぬし、そこの生まれであろう?」
「関わりないと言ったはずだが。」
「偽りを。さしずめ太田の生き残りじゃろ。」
先を歩いていた綾女の足が止まった。彼女の火縄の銃口は雲浄の顔を向いていた。
「無駄口を聞くな。事に因っては、和尚と云えども容赦せぬぞ。」
「これでもな。わしは門徒であったよ。然れど、この時勢、宗旨を裏切った。今は、害のない禅僧だ。」
「ふん……。ならば何だと言う。魔王は、自身への信仰しか許すまいぞ。その耳ならば、南蛮宗の者たちが、皆殺しにされたのは知っていよう。とはいえ、奴らの生き残りは、己の宗旨を曲げて、魔王の手先として生きることを選んだというがな。」
「雑賀、本願寺の者たちも、斯くあればと思っているのか?」
「殺すぞ。」
「まあ、待て。綾女。おぬしの呪いを解かねば、行末はないぞ。」
「呪いだと?」
「才賀を名乗っているのが証。魔王を殺めんとしているのも同じ。」
「下らぬ。」
綾女は銃口を引っ込んで、歩き出した。紀伊雑賀は、信長が天下に躍り出て来た時、大坂の本願寺や紀伊の根来寺らと共に一族郎党そろって、反抗した。戦が始まってからというもの、講和、和睦の話も幾度となく行われたが、それらの中に、一向門徒らの西国への退去と宗旨の放棄などの要求がされたが、そのどれをも、本願寺、雑賀、根来等の一揆衆は、頑として受け入れなかった。彼ら門徒の多くは、己の信仰の為に命を落とした。その中には、信仰よりも、己の命を選んだ者たちもいたが、彼等は、同門の迫害にあって殺されるか、故郷を落ちて、流浪の身になった者もいたという。
夜中、二人は山中で野宿をした。
「都に近づくに連れて、闇が深まっていくな。」
「……。」
あれから綾女は、雲浄が何を言っても返事をしてくれない。
「伏魔殿か……。」
二人の行く先には、かつての叡山がある。今では、そこは、魔王の片腕である天海僧正の住む伏魔殿がそびえている。
「おい。亡者がいるぞ。ここは駄目じゃ。」
辺りを彷徨う亡者の姿を見て、二人は寝床を変えることにした。
「噂には聞いていたがな……。」
結局、二人は眠ることなく、夜を明かした。というのも、そこら中に亡者が徘徊しており、眠るどころではなかった。
「仕方ない。昼まで、眠ろう。」
いつの間にか、綾女の機嫌も直っていた。
「おい。」
「なんだ。」
「駄目じゃ。あれを見よ。」
雲浄が指差したのは、紅糸縅の鎧を着た亡者であった。それは、朝日を浴びてもなお、槍を握って歩いていた。
「数が多すぎる。」
行く先がなかった。
「これは、どうやら読めてきたの。」
亡者の群れは、何かを守る目的で放たれているようであった。そもそも、昼間も動く亡者は、二人の知りうる限り、人工的に造られたものである。それがこれほど多くいるのは何者かの意図を感じる。
「叡山、伏魔殿、黄泉の穴、天海……。からくりが読めてきたぞ。」
かつて、叡山を信長が攻めた。都の北東、鬼門にある比叡山は、護国鎮護の聖域とされていた。それを信長が攻め立てた。そして、それから間もなくして、世の中に異変が起きた。信長は魔王となり、亡者が蠢き出した。天海という者の名が知れ始めたのも、その頃からである。
「今はどうでもよい。和尚。俺は眠る。見張りを頼むぞ。」
余程、眠かったのだろう。亡者から、姿が見えぬ木々の間で、綾女は、一人、眠った。




