死骨ヶ原編
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
「やれやれ。何だ。この者共は。」
熊谷が目を覚ますと、目の前には人がいた。その人は法体をしていたので、雲浄かと思ったが違っていた。
「どこぞの間者か。おぬしは?」
熊谷は牢獄に囚われていた。
「……。」
熊谷は沈黙していた。
「あの小娘の仲間にござるよ。民部卿殿。」
「可児才蔵!?」
法体の後ろから可児才蔵がやって来た。彼は甲冑を脱いでいたが、その独特の枯れるような声音ですぐにそれと知れた。
「こやつも、あの娘程ではないが、それなりの腕前にござろう。」
「お前が見誤るとは、珍しい。」
「あの娘、何やら変わった兵法を仕る。」
「あの坊主はどうか?」
「あれは、ただの坊主に御座候。」
牢獄の格子の前で、二人は話を続けている。
「一応、腕前を調べる要がある。」
「相手は卿の好きになされませ。この男は、我よりは劣りましょうや。」
可児はその口髭を持ち上げてにやにやとしていた。
「大言するな!!」
熊谷が叫んだ。
「才蔵。もう一度、この男と殺るか?」
「御免蒙る。」
そう言うと、二人は熊谷を相手にすることはなく、立ち去って行った。
「くそう!!!」
格子に向かって熊谷は叫んだ。その音は、広い内部の空間に響いていった。見たところ、牢屋は他にもあり、ここは牢舎のようであった。
「おい!!誰かおるか。」
「わしだ。」
雲浄であった。
「無事か!?」
「おぬしの声で目が覚めた。」
熊谷と雲浄の間には距離があるようだった。二人は大きめの声を出しているが、それはお互いの所に届くときには、か細くなっていた。
「雲浄鼎悔か。」
「誰じゃ。」
その時、二人の間に割ってきた声があった。
「俺だ、蟻蜘蛛だ。」
「蟻蜘蛛か。おぬし囚われておったか。」
「久しぶりだな。和尚。」
甲斐で聞いた鉄砲の遣い手、蟻蜘蛛である。
「呑気であるな。おぬし。」
「もう六月も牢に入っておるからな。」
「六月じゃと。」
「それくらいにはなるだろう。和尚と別れてひと月後に囚われてな。」
「ならば、もうすぐ一年であろう。」
「そんなになるのか。」
堂内に響く蟻蜘蛛の声は、高く女子の声のようだった。
「おい。蟻蜘蛛とやら。お前のことは知っているぞ。ここを抜け出す手だてはないか。」
熊谷である。
「誰だ?」
「わしの連れだ。」
雲浄の声が聞こえた。
「仲間が他に囚われておる。どうにかしたい。」
「抜け出す手だてなどあれば、俺がとっくにそうしておるわ。」
その時、熊谷の背後に気配がして、何者かが、彼の口を押さえた。
「俺だ。静かにせよ。」
「(照姫!?)」
その小さな手は照姫の手だった。
「(何故、ここにいる?)」
「(知らぬ。気が付いたらここにいた。)」
熊谷が先に目覚めた時に、他に人の気配はなかった。それに、この牢屋は狭く、二人用とは思えない。
「(遠くでお前の声が聞こえた。それで、お前のことを思ったら、ここにいた。)」
「(分からぬことを言う。俺に会おうと思ったら、ここに飛んできたというのか。)」
「(……。そうだ。)」
照姫はどこか気恥ずかしそうだった。
「おい。どうしたのじゃ。」
雲浄が叫んだ。
「(鍵もある。)」
照姫の手には牢屋の鍵が握られていた。二人は、それを使い、牢屋を出た。
「静かに。」
声を頼りに雲浄の所へ向かった。二人の姿を見た雲浄は、驚いていた。
「待て、蟻蜘蛛も助けてやってくれ。」
牢屋から出た雲浄が熊谷の袖を引いた。しかし、目の前からは、警固の侍であろうか、何者かが近づいて来ていた。
「逃げるのが先だ。」
熊谷は雲浄の手を振り払った。
「おい。」
遠くから叫び声がした。それは雲浄の声だった。
「ここは……。」
「誰かおるか。」
それは牢屋の中であった。
「おい。」
熊谷は叫んだ。
「何が起きた!?」
「その声は、鹿か。無事であったか。」
「照姫はどうした!?」
「照姫?娘も、ここにいるのか。」
「今さっきまで、いたであろう。」
熊谷の声が舎内に響いた。
「おい。煩いぞ。」
何者かの声がした。
「その声は。どこかで……。もしや蟻蜘蛛か。」
「何……?和尚。雲浄和尚か。」
「おぬし。このような所におったのか。」
不思議なやり取りであった。熊谷には理解できなかった。それから彼らは、再び、先ほどと同じように、ここは来て六月だの、もうすぐ一年だのという会話をしていた。
「しっ。」
「照姫。」
「静かにしろ。」
牢内に気配を感じ、照姫が現れた。
「俺に会おうと思い、飛んで来たのか。」
「馬鹿を言うな。」
「もしや、鍵を持っているのか。」
「鍵?これか。」
それは、照姫の傍らに落ちていた。
「何故、分かった。」
「俺にも、分からぬ。」
「?」
とりあえず、二人は牢屋を出て、雲浄の所に向かった。驚いた雲浄を牢屋から出すと、彼は言った。
「蟻蜘蛛の所へ行けぬか。」
目の前からは、警固の侍の足音がした。
「居場所は分かるのか。」
「声音は此方だ。」
雲浄は駆け出した。
「おい。待て。」
再び、熊谷は牢屋の中にいた。それからのやり取りは同じであった。熊谷の声に雲浄が気付き、それに蟻蜘蛛が気付く。いつの間にか、照姫が鍵と共に現れて、雲浄の元に向かう。
「蟻蜘蛛を頼む。」
細かいやり取りは異なっているが、大筋は同じであった。
「居所が分からぬ。」
そして、気が付くと、牢内に戻っていた。同じ時を繰り返している。熊谷はそう思った。
「此方だ。」
照姫と牢屋を出て、雲浄の元に向かう。
「何かを選ばされている……。」
「何のことだ?それより蟻蜘蛛はどこじゃ。」
何故、時を繰り返すのか、その原因は分からない。しかし、何故かその意味は知れた。おそらく、それは、熊谷に何かをさせようと、時をやり直させている。そう感じた。そして、それは、蟻蜘蛛の元へ行くこと。彼を助けることだと思った。
「蟻蜘蛛はどこだ。」
「曲者だ!!出会え!!」
「またか!?」
蟻蜘蛛を探そうとしても、警固の侍に見つかってしまう。すると、再び、熊谷は牢屋の中で気が付く。
「お前たち、先に行け。」
ある時、雲浄を牢屋から出して、いざ蟻蜘蛛を助けるという時に、熊谷は己を残して、雲浄と照姫に蟻蜘蛛を探させた。
「俺は、足止めをする。」
そのまま熊谷は、警固の侍に向かって走った。
「曲者ぞ!!出会え!!」
追っ手は熊谷の方に向かって行った。
「時が戻らぬのか……?」
「牢抜けぞ!絡め取れ!」
そして、時をやり直すことなく、熊谷は侍に捕まった。
「一体、どうやって抜け出したのだ。」
警固の侍に捕まった後、熊谷は別の部屋で訊杖の拷問を受けていた。目の前には、民部卿法印前田玄以が立っている。
「全く、拷問は疲れるな。」
備えられていた床几に玄以は腰を掛けた。
「卿。他に逃げたのは三人に御座った。その中には……。」
後からやって来た可児才蔵が耳打ちしていた。
「ちっ。」
玄以の舌打ちが聞こえた。
「もはや、こやつに用はない。明日、殺せ。」
「腕試しは如何にされるか?」
「そんなものはいらぬ。」
「左様か。」
玄以は怒っていた。そして、そのまま、立ち去って行った。しかし、部屋から出る間際に、彼は、足を止めて、再び、可児の方を顧みた。
「あれがあったな。」
「あれとは?」
「武田の。」
「ああ……。」
「あれの試みの生贄にでもせよ。」
「心得た。」
翌日、熊谷は、鬼に襲われた堂舎を出された。どうやら堂舎の中に牢獄があったらしい。
「引っ立てよ。」
番兵に引き連れられて、死骨ヶ原の一画にある広場へ連れて来られた。広場の周りは、ぐるりと逆茂木と堀で囲われている。櫓門から中へ入れられると、熊谷は縄を解かれた。熊谷の前方からも、何かがやって来た。それは棺桶であった。
「出せ。」
棺桶の蓋が開けられると、警衛たちは退散していった。見ると、熊谷の周りには、刀、槍が無造作に置かれている。その中の刀を一本、腰に差し、熊谷は槍を構えた。
「信……ゲン公。不死ミのオニミノう。推参ナリ……。」
亡者であった。
「ナイトウ……、源左……。コレニアリ……。」
気が付くと、亡者は後ろにもいた。どれも、甲冑を着た武者である。前方の亡者は紺糸縅の鎧兜に大太刀を持ち、後方の亡者は、黒糸縅の鎧に大身槍を構えている。
「やはり、亡者は織田が生み出していたか!!」
陽の下でも動く亡者。それらは特別な者たちであろう。信濃で会った兵法者もそうだが、彼らの体は死してなお活き活きとして、その肉質までもが分かるようである。
広場の中を、熊谷は横に駆けた。前後に敵を従えていては危険である。その時、右に逃げた熊谷の正面から、馬の蹄の音がした。
「己……。ジンジョうに、…いざ参ル……。」
馬に乗った緋色の鎧武者が、槍を構えながら、馬を駆けてきた。
「またか!?」
熊谷は地面に転がった。後ろからも蹄の音がしたからである。顧みると、それまで熊谷がいた所の地面がえぐれていた。やったのは、後ろから来た、長刀を持った騎馬武者であった。彼らはいずれも死んでいる。亡者であった。
「さすがは名にし負う武田の武者よ。死してなお馬を操るとはなあ。」
遠くから前田玄以らが見ていた。歩行の武者二体も寄って来ていた。
「虜囚となった武田の武者共か……。」
二体は歩行。二体は騎馬。それら武田武者を相手にせねばならない。
「コロセ……。誰か我ヲ殺せる者はオラヌか……。」
緋色の騎馬武者が呻いていた。それは戦場での名乗りなのか、それとも、報われぬ怨念の言葉なのか、熊谷には判別できなかった。
「くそっ……!!」
歩行武者を相手にしていると、騎馬武者が駆けて来ては攻める。それでも、熊谷は、武者を馬から落とそうと、槍を突き出すのだが、馬上の扱いが巧みであり、こちらの槍が届かなかった。そうこうしている間に、熊谷の槍は折られ、仕方なく、刀を抜いた。
「これまでか……。」
熊谷は死を覚悟した。己が死んだら、彼らのように自分も亡者にされるのだろうか。
ズドーン……。
銃声がした。馬が嘶き倒れた。すぐにもう一度、銃声がしたかと思うと、もう一方の馬も倒れた。
「何事か!?」
場が騒がしくなった。
「走れ!!」
声が聞こえた。照姫の声だった。後方の堀の向こう側には、彼女の姿があった。熊谷はそこに走った。
「逃がすな!!」
警固の侍たちが走る。
ズドーン……。
銃声がする度に、誰かが倒れた。
「飛べ!!」
熊谷は堀を飛んだ。堀の幅は一丈はあった。底には逆茂木がびっしりと置かれている。それでも、熊谷は、躊躇することなく、飛んだ。照姫のもとに向かって。
「ナムサマンダ!!オンサマンダ!!」
雲浄の振るった倶利伽羅剣から炎が舞い上がった。それはうねりを持って回転すると、波の如く、押し寄せて、堀底の逆茂木を焼き、消えた。焼けた木の枝を踏みつけて、熊谷は着地した。深さはそれほどない。堀の向こう側では、照姫が縄を持って待っていた。




