中山道編
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
穴山梅雪斎は、武田の重臣の一人でありながら、今は、織田信長、即ち、魔王の家臣となっている。
「この者たちは、諸国流浪の兵法者にして、織田殿の領内への通行を望んで御座りまする。」
甲斐河内の穴山館には、縫殿の手引きで、熊谷と照姫が梅雪斎を前にしていた。梅雪斎は頭を丸めた小柄の老人で僧装束姿をしていた。
「織田殿の領内へ参り、何をするつもりなのか?」
「この者たちの腕前、東国にては、既に並び立つ者おらず、ついては、天下に向かい、強者と相対し、海内随一に罷り成ろうとの所存に御座りまする。」
梅雪斎への口上は、全て、縫殿が行っていた。
「右衛門。其方が推挙致すならば、他でもない。」
「では……。」
「然れど、天下畿内は、今、混沌としておる。其処へ行ったところで、兵法者としての本分が務まるかのう。それに、客人は女子連れであろう。」
梅雪斎は照姫を見た。それは、二人が縫殿と会したときと同じ反応であった。
「熊谷鹿衛門と申したか。」
「は。」
「織田殿の膝下が、どのようなことになっておるのか。其方は知っておるのか?」
「それはどのような御言葉にございましょうや。」
「まあ聞け。織田殿が、民草たちから魔王と呼ばれておるのは、存じ上げていよう。」
「は。」
「それは可笑しなことではないということだ。織田殿の兵卒たちの悪逆非道振りは、鬼畜生の如きよ。この甲斐国でも、彼らの通った所は呪われた不毛の地となっておる。我等が住まう地も、痩せ衰えて、荒れてしまいおった。強健な者たちは、織田殿の所へ連れて行かれ、残った足弱たちも、皆、逃散した。今、我等は、織田殿に従うことで、かろうじて、細々と生にしがみ付いているに過ぎぬ。天下から離れたこの甲斐にても、この有様だ。織田殿の本領である安土、美濃は闇の巣窟と言う。かつての都も、今では、異形の者たちの地になっておると聞く。斯様な所へ、わざわざ、参ることなどあるか。どうだ。熊谷。」
梅雪斎のこの口上は暗喩であり、暗号であろう。それは、熊谷にも分かった。わざわざ念を押しているところにそれは明示されていた。熊谷は、それにも関わらず、魔王の領内に入りたいと答えることによって、彼らの真の目的は、もっと他にある重大なものであると告げることになる。推測を深めれば、それは即ち、信長の暗殺であると宣言することにも繋がるのである。
「実を申せば、彼の地に、師父がおるやも知れぬのでござる。」
「師父とは、その娘の親か?」
「育ての親にござる。言うなれば、某は婿にございまする。」
「左様か……。」
熊谷にとって、梅雪斎が本当に味方か敵か分からない。というよりも、この戦国の世にあっては、敵味方などという二区分はない。彼らは敵でもあり、味方でもあるという曖昧で灰色な存在なのである。そうであるからして、己も相手も、真に腹の内を曝け出すことなど必要ないのである。この世と同じく、彼らの腹の中も、混沌として、その本人でさえも、何が入っているのか分からないものなのだから。
「……。」
しばらく、梅雪斎は沈黙していた。
「まあ、良かろう。」
梅雪斎は過書を発行してくれることを約束してくれた。過書とは、通行手形であり、関所などの関銭免除状でもあり、所持者が胡乱な者ではないということを証明する物であった。
「殿様の内意、思い量り致しまする。」
「過書は明日、整えさせる。今宵は館で休むがよい。持て成しは致し兼ねるがな。」
それで梅雪斎との相見は終わった。
「月を見ているのか。」
「ああ。きれいな望月だ。」
その夜、梅雪斎の館に軒先で、照姫と熊谷が月見をしていた。ちょうど月は満月である。
「月を見ていると、何か寂しくなるな。」
照姫が問い掛けた。
「そうか……?」
「ああ。」
それから後も、しばらく、二人は、夜空に妖しく輝く満月を眺めていた。
「安土へは、中山道から信濃、美濃を経て行くと良いだろう。」
出立の朝は、縫殿右衛門が立ち会い、梅雪斎は姿を現さなかった。
「駿河、遠江は来たる関東攻めの用意で、荒れているかも知れぬからな。」
織田信長は、武田を平らげた後は関東出陣を企んでいるという。関東では、今、相模の北条家を盟主として、対織田連合を形成している最中らしい。もう既に、関東の各地に織田の兵と思われる胡乱な者たちが出没しているという噂があった。
「其方たちも出陣致すのか。」
「我等は、鉄砲の楯であろう。」
織田軍のやり方は、占領した土地の領主を戦の先陣に出し、敵が疲弊した所を、織田の本軍が押し寄せるものだという。織田の軍兵にとって、占領地の領主たちは、鉄砲の玉除けであり、彼らが討ち死にすれば、その領地は織田家の直轄地となるだけであった。
「達者でな。」
お互いがお互いに掛けた最期の言葉であった。
「安土まで二十日と言ったところか。」
道中の景色は荒れている。かつては存在していた村々の中にも、今では、もう消えてしまった物も少なくない。熊谷は、出来うる限り、織田領、即ち、魔王領内の事を知ろうとして、梅雪斎の館で聞き探った。しかし、梅雪斎でさえも、魔王領内の実情は知らないようだった。
「やっと村が見えたぞ。」
中山道を歩き始めて、三日目に、ようやく初めての村に辿り着いた。それまでに通った所は、全て廃墟になっており、建物は壊されていた。
「おい、誰かおらぬか。」
この村は、家屋が立派に建っている。立派と言っても、それは廃墟になっていないという意味ではある。
「鹿衛門。人気を感じるぞ。」
照姫が身構えた。
「奥のようだな。」
気配を頼りに、二人は櫓門のある屋敷の奥へ進んだ。屋敷の中は、綺麗だった。つい最近まで、人が住んでいたはずである。日陰になっている土間を越えて、板敷を踏んで歩いた先に、小袖袴姿の武士が立っていた。
「おい!」
武士は右手に刀を提げている。そして、それは血に塗れていた。
「我がシン…カゲの太刀……。見ルが良い。」
武士の周りには、死体が散乱していた。
「こやつ、亡者か!!」
熊谷は手槍を構え、照姫は刀を抜いた。
「てい!!」
機が熟したと見たのか、出鼻から熊谷が一閃、亡者に駆け寄り、手槍を突き出した。すると、かっと音がして、槍の穂先が床の上に落ちた。
「馬鹿者!!不用意に飛び出すな。」
次に、照姫が投げた硯箱が飛んだ。それをも、亡者は、逆袈裟に切り上げ、空中で真っ二つにしていた。
「こやつ…。何者だ。」
かなりの使い手には相違なかった。そもそも、昼間に亡者が活動していることも、合点がいかない。相手の姿形を見ると、小袖袴を着ているが、体は痩せているようである。面は頬当てを付けており、知れない。
「名のある兵法者なのか……?」
亡者は、刀を晴眼に構えた。その構えだけでも、兵法の心得がある者だということは分かる。
「気を見ろ。」
照姫が言った。熊谷が老爺から教えてもらった兵法は、相手の機気を見て、瞬時に動き、勝ちを取る技であった。それに伴い、熊谷の剣法や体の扱い方も変わった。その結果、腕一本で相手を転がしたり、鎧を浸透して衝撃を与える太刀打ちをしたりといった不可思議とも言える技を会得することになった。
しかし、今、この相手はそうした不可思議な神技を用いるものではなく、かつての熊谷のように、兵法者相手の野試合や組太刀を繰り返し錬磨した先に得た、要は実践という下地の上に養成された剣法と体を持っていた。
しかし、老爺の技と亡者の技は、互いに、方途は違えど、共通点もある。それらは醸成された素地が違う兵法と言えた。
「えい、」
「とう!」
亡者が仕掛ける。熊谷が避けると同時に、一太刀浴びせる。しかし、それも、亡者はうまく受けている。そして、また、亡者が仕掛ける。それの繰り返しであった。
「照姫らに会う前ならば、とっくに殺されておったろうな……。」
「馬鹿者。早く逃げるぞ。」
照姫が横から一太刀仕掛け、その隙に、二人は走った。
「追って来るか……?」
「いや……。すまなかった。照姫。」
「何のことだ?」
「何でもない。」
「それより、この村に人はいるまい。先ほどの骸を見ただろう。あの亡者に殺されたのだ。早く行くぞ。」
無人になった村を、二人は足早に後にした。この先、人が住む所はあるのだろうか。そのような思いが、熊谷の脳裏によぎっていた。
「逃げるぞ!」
「はあ…。はあ…。」
またも、二人は亡者に追われていた。
「美濃はまだか……。」
亡者と言っても、あの無人の村で会った兵法者ではない。今、二人を追って来るそれらは、武者の姿をした骸であったり、足軽の態をした骸であった。それらの体は半分は腐り、骨が露わになっていたが、刀や槍を持って、夜の闇を徘徊していた。
「落ち武者のなれの果てか……。」
二人は今、どこを歩いているのかも分からない。
「鬼がいるぞ!」
「おれがやる。」
照姫は刀を抜いた。二人が走る山道の石段の上には、体の肉が膨れ上がり、身が赤々と燃えるように赤く隆起した骸の亡者がいた。道中に出会ったそれを、二人は鬼と呼んでいた。鬼はただの骸ではなかった。身の肉に比例して、力も強く、走ることもできた。
「駆け抜けるぞ!」
照姫が鬼の膝下の肉を断つ。すると、鬼は体の平衡を崩して倒れる。その間に、二人は逃げて行く。それが、熊谷が編み出した鬼への対処の仕方だった。
「寺だ。中に入るぞ。」
「よし。」
堂門をくぐり抜け、寺の本堂に入った途端、剣の切っ先が熊谷を襲った。
「ぐわっ!?」
「何だ、生きた人か?」
即座に照姫が刀を振るった。
「よっとっ……。待て。間違いじゃ。」
剣を手にした僧がそこにいた。彼は、照姫の太刀筋を、さっと後ろに飛び退ることによって避けた。
「化け物共かと思うたまでよ。どれ、傷を見せて見よ。」
「照姫。後ろだ!!」
熊谷が注意を向けた先には、武者の亡者や先ほどの鬼が押し寄せて来ていた。
「手当ての前に、ちと掃除をするか……。全く、面倒くさいことじゃな……。ナマサマンダバサラナン……。」
僧が真言を唱えると、持っていた剣が赤い光を放った。それは、まさしく燃える炎であった。
「ゼンチエイソワカ。オン!!」
炎を纏った剣を手にして、僧は走って行った。闇夜の中、彼の振るう、その剣の炎は、亡者たちに纏わり付き、その身を焼いた。それは、まるで、竜が巻き付いているようであった。
「どれどれ。蹴散らしたか。」
僧は戻って来ると、熊谷の体の傷を見た。その傷は、深くはなかった。照姫と熊谷の二人は、目の前で起こった景色を、夢物語か何かのようにぼうっと見ていた。
「御坊。ここは何処か。」
「ここか?ここは不動寺じゃよ。」
「寺の名ではない。地の名だ。」
「岩村から、ちと離れた美濃寄りの所じゃ。」
「そうか。安心した。美濃は間近なのだな。」
熊谷は、自ら切り傷に、蓬の葉をなすりつけた。この蓬は、道中、採ったものである。
「やれやれ。おぬしら、岐阜から逃げて来た者かと思っておったが、まさかこれから向かう先ではなかろうな。」
「何か不足か?」
「わざわざ囚われに行くのかよ。」
「何か知っているのか、御坊。」
「わしの名は、雲浄鼎悔と言う。もとは岐阜の霊明寺の和尚じゃった。」
「魔王の地のことを、何か知っておるのか。知っているのなら教えてはくれまいか。」
「その前に居所を変えぬか。」
熊谷、照姫、雲浄の三者は、本堂を通って、奥の院に入った。
「かつて、ここは、地蔵堂と呼ばれておった。それ見よ。至る所に、地蔵菩薩が祀られていよう。」
「やけに詳しいではないか。」
「ここの和尚とは知己でな。今は、あそこの梛木の下に埋まっている。」
「和尚が埋めたのか。」
「ああ。わしが殺めて埋めた。」
「そうか。」
熊谷は深くを聞かなかった。地蔵堂の中は、右に左に曲がりくねっている。その最奥の部屋に三人は座った。
「さてさて、何から話そうか。」
「岐阜には人がおるのか?」
「急じゃなあ。人か。おるにはおるが、人と呼べるのであろうかの。」
「亡者になっているというのか。」
「いや。亡者ではない。確かに生きておる。然れど、人として暮らしておるというよりも、牛馬畜生のような暮らしをしている。彼らは、ひとつ所に集められて、昼には働かされ、夜には屋根の下に帰らされる。粗末な食事を与えられる他は何もすることもない。」
「それは寺の小僧と変わらぬのではないか?」
「ははは。成る程なあ。行雲流水、修行の身ならば、然もあらん。然れど、彼らは、それだけだ。何かを祭ることもない。いや、待て、成る程。そういうことか。何故、今まで気が付かなんだか。」
雲浄は、独り、合点が行き、話をしていた。
「何のことだ。独りで話を進めるでない。」
「ああ。すまぬ。魔王、信長はなあ。安土に居る。今を遡ること十年前。京の都に乱入し、叡山を焼き払って後、天下衆目の前から、忽然と姿を消した。そして、天子を追い、京の都を荒野とした。それからじゃ。魔王の所業が始まったのは。魔王の尖兵は、行く先々で、寺社村々を焼き、人々を撫で斬りにし、捕らえた者たちを連れて行った。魔王の軍兵が押し寄せた先では、骸が甦り、亡者が現れるようになった。安土や、かつての都は、悪鬼の巣窟であるという。左様な中で、魔王は安土に城を築き、人々に天魔の教えを強いて、自らを崇めさせているという。かつての叡山は、今、天魔宗の総本山となり、伏魔殿が築かれているらしい。」
「合点がいったのは何か?」
「人々が牛馬の如く働かされているのはそれよ。彼らは、斉しく、魔王を宗祖とする天魔宗の信者なのよ。ひとつ所に集めさせられ、規則に調えて、魔王の城を築き、御殿を飾り、食物を作る。それらの働き、暮らしぶりこそが、天魔宗信者の功徳であり、布施なのよ。」
「それが信長のやり方ということか?」
「いかにもじゃが、それを考えたのは、魔王自身ではあるまい。信長に入れ智慧したのは、天海僧正であろう。」
「天海僧正?」
「かつての叡山、今の伏魔殿に棲まう僧正にして、教主じゃよ。待て、教主が天海ということは、魔王は何だ?信仰の向く先、神になるのか?天魔の神?魔神とでも言えば良いのか?」
「講釈は良い。この異変の大本山にあるのは、信長であり、その天海という者だということは分かった。」
「それで、その者たちを伐ちに行くのか。」
「御坊が、そう思うのならばそうなのだろう。」
「止めておけ。おぬしの腕では、魔王には届かぬ。」
「敵わぬまでも、如何な手を用いても、討つことはできよう。」
「魔王は亡者を使役するという。彼の身の回りは、堅く警固されていよう。それに……。闇が覆っている。」
「闇とは?」
「その言葉通りだ。おぬしも感じるだろう。」
雲浄の言いたいことは分かる。甲斐や駿河でも、魔王領は闇に包まれていると言われた。それは、単なる陽の明かりや明暗のことではなく、世の中の空気や雰囲気という意味であろう。
「闇魔を払うには、日の力が欲しいのじゃ。」
「講釈ならば、聞かぬぞ。」
「真の話だ。昔語りになるがな……。」
かつて、日の下で人々が、未だ鳥獣と同じく暮らしていた頃のこと。今と同じように、夜見の世界から亡者が甦り、人々の暮らしを荒らしたことがあった。人々は、剣を取り、亡者を夜見の世界へ追い返し、その入り口に蓋をしたという。その戦いで、死んだ者も多くいたが、残った人々は、夜見との戦で、功のあった一人の王者を盟主とし、再び、日の下で集まり、ひとつの国を作った。それが日本の国であり、その盟主こそが日御子。即ち、天子であったのだという。
「天子に伝わる神器は、夜見との戦に使われた宝剣。闇魔を退治する破邪の力を持つ。それ故、魔王信長は、その神器と日御子の力を恐れ、都の天子を追い滅ぼしたのじゃ。」
「宝剣……。和尚のその剣も宝剣なのか。」
「これは、倶利伽羅剣じゃよ。」
「倶利伽羅剣?」
和尚の剣は法具のようであったが、歴とした刀剣なのだろう。長さ二尺程の両刃の剣で刀身には竜の紋様が彫られていた。
「不動明王の持物にして、瞋恚の炎を上げる。持つ者の怒りを喰らい、炎にして、相手を焼くのだよ。もともとは、この寺の物じゃった。」
「おい。来るぞ。」
黙っていた照姫が声を上げた。それは、亡者悪鬼の来襲を意味していた。
「語り物は、後じゃ。結句、わしも付いて行ってやるということだ。」
地蔵堂に入り込んだ亡者は四体であった。
「その得物では、太刀打ちできぬだろう。まあ、ここはわしに任せい。」
雲浄が重い腰を上げようとしたところで、照姫がそれを制した。
「待て。おい。鹿衛門。この足音が分かるか。」
「足音?」
照姫が言ったのは、地蔵堂に響く亡者の足音だった。彼らの床板を踏む音が、狭い廊下を通って、この部屋まで響いている。四つの足音の内、ひとつは重く、それは鬼のそれであろう。もう二つは軽い。足軽や雑兵のそれであろう。しかし、その足音の中に、ひとつ異なる音がある。それは、足音というより、家守や蛙が床板を歩くような音だった。
「あいつだ。」
それはあの兵法者のそれであった。
「誰じゃ?」
「恐ろしく腕の立つ兵法者の亡者だ。やつは、昼間も動き続ける。」
「いろんなやつがいるものだな。おぬしらは、そやつから逃げて来たのかよ。」
「間違ってはいない。」
「ならば、逃げるが勝ちだな。」
「何故か。和尚のその剣ならば、勝ち目はあるかもしれぬ。」
「ならば、尚更じゃよ。わしは兵法者ではないのでな。照姫とやら。そやつの居場所は分かるか。」
「足音を聞けば、何となくはな。」
「では、その者に出くわさぬよう、他の亡者を相手にして行こう。幸い、この地蔵堂は迷い道のようであるからな。」




