3-1 雨が降り続ける《竜信仰》の町
静かな雨が降り続いていた。
雨は朝から晩までやむことなく、空は垂れさがるような重い雲に覆われている。
ここは帝国領バスク地方にある、葡萄と醸造の町ビタだ。
葡萄畑の拡がるのどかな風景がいまは霧に覆われて、どことなく沈鬱なふんいきを漂わせていた。石畳は浸水して浅瀬になり、道を渡っていても長靴を履かなければ水に浸かるほどだ。青い鱗のような屋根はしとどに濡れ、竜を模った樋からは細滝のように水が落ち続けている。葡萄は葉が黄ばんでしおれ、噂にきいたとおり、町は降り続ける雨に衰耗していた。
「雨のなか、野宿を続けていたので、からだが疲れきっています。この町で宿をお借りしたいのですが、構いませんでしょうか」
旅の娘が頭をさげた。
雨のやまない町にたどり着いたメリュとラグスは滞在許可証をもらうべく、町の長のもとを訪れていた。町を取りかこむ壁や水路があり外に関所の設けられている町ならば、関所でことが済むのだが、明確な境のないこうした小規模な町では、町の長に直接許可証をもらわなければ旅人は町に滞在することができない。
「旅人さんなど、ずいぶんと久し振りだの。ただでさえ葡萄の他にはなにもない町で、いまは天候も優れず、たいしたもてなしもできないが、ゆっくりとやすんでいっておくれ」
この町の長は、齢八十は越えているであろう腰のまがった老婆だった。長老というべきだろう。長老は鷲鼻に笑い皺を寄せて、歓迎してくれた。
「僕は薬の行商をしています。この町でも薬を販売したいのですが、許可はいただけますか」
ラグスは帝国から発行された薬の許可証を提示する。長老は薬ならば有難いといった。
「長雨の影響で、病を患うものも増えておるでな」
「この雨はどれくらい続いているのですか」
メリュが横から尋ねると、長老はすぐに教えてくれた。
「春の終わりからさね。三月は越えた」
「大変ですね。竜の、影響でしょうか」
竜について尋ねるときには毎度神経をつかった。その町が竜にたいして、なにを考え、どのような観念をもっているのか、外からやってきたばかりのメリュにはまるでわからないからだ。
すなわち畏敬か、恐怖か。
「竜の神さんは体調が優れぬようでな」
竜の神さん。その言葉ひとつでもこの町における竜がどのようなものか、凡そ想像がついた。
「なに、祭りを催せば、じきにようなられる」
「祭り、ですか」
長老は鷹揚に頷いた。織物の服の袖ぐちからさがる、珠のついた房が揺れる。
「明晩竜の神さんに奉納する祭りがある。町の者だけが参加できる祭りでな。かたじけないのだが、それまでに町を発ってもらわねばならん。一晩だけの宿になるが、構わないかね」
メリュは承知しましたといい、他愛のない話のように続けた。
「この町では竜を信仰なさっているのですね」
「ふるい風習だとおもわれるかね」
「いえ、幾歳の時が流れても、竜が地域を護ってきたことに変わりはありませんから」
「ふうむ、お若いのに感心なことじゃな」
長老は皺だらけの頬を弛めた。
「この町は《青き豊穣の竜》とともにある。竜の神さんがおられるから竜葡萄が収穫できる。敬わずにはおられんさね」
「雨が続いていても、ですか」
「竜の神さんは老いておられる。しばしば体調を崩されるのよ。これまでは旱魃になることが殆どだったがね。そのたびに祭りを催してきた。祭りが終われば荒れた天候も落ち着くでな」
竜を崇拝する様子に理解を表しながら、メリュは聡慧な瞳を細めた。
「なるほど。なぜ、いまは旱魃ではなく雨なのでしょうか」
長老の様相がざわりと掻き曇る。さすがに深入りしすぎたか。
メリュはすぐに愛想のいい表情を取り繕い、丁重に頭をさげた。
「それでは一晩、よろしくお願いいたします」
ここまでお読みいただき、御礼申しあげます。
引き続き、ふたりの旅路を綴っていきますので、
なにとぞよろしくお願いいたします。
続きは24日20時に更新致します!