2-1 《竜》の恩恵
「依頼どおり、《輝く鉱脈の竜》を殺してくれたのだな」
金銀に飾りたてられた豪奢な椅子には、でっぷりと肥った男がもたれかかるようにしてすわっていた。最高級の絹の上着に都から取り寄せたであろう金織物の襟締。親指から小指にまで嵌められた指輪の数々。
いかにも富豪といった身なりの彼は、鉱脈の町フォルミーカの長だ。
「昨朝黒い森が崩壊するのを見張り塔の番人が確認した。貴殿は確か、メリュ=ジヌといったか。竜を殺せるなど、にわかに信じがたい話だったが、いやはや」
町長は応接机を挿んでむかいあっている娘を眺めまわす。造り物のような美貌にか細いからだ。こんな得体の知れない小娘に、と言いたげに眉根を寄せ、彼はごほんと咳払いをした。
「いずれにしても町のさらなる興隆が約束されたわけだ。貴殿には感謝するよ」
黒い森の北東にあるこの町は、小規模な坑道があるだけの寂れた田舎町だったが、戦争時に鉱石の需要が高まり急激に栄えた。採掘されるのは金銀銅、鉄鉱石、果てには金剛石と多岐に渡る。戦争が終わって約四十年が経過した現在でも、鉱石は様々な技術の発展を支えており、需要が衰えることはなかった。
町の財政は、長が身につけている宝飾や町長室に集められた調度品が顕著に表している。室内の壁には億の値がつくような絵画やら珍しい動物の剥製やらが飾られていた。
町長は革製の袋を取りだして、メリュに渡す。
「報酬だ。受け取ってくれたまえ」
メリュはそれを受け取ろうとはせず、うつむいていた視線をあげた。
「竜がなぜ、こころを壊すほどに嘆いていたのか。考えたことはありますか」
町長は眉を持ちあげ、なぜそんなことを考えなければならないのだとばかりに顔を顰めた。
「戦争だろう。あれから大陸はずいぶんと様変わりしたからな」
「仰るとおりです。ですが戦争は発端にすぎません。竜を蝕んだものはもっと他にあるはず。おわかりになりませんか」
彼女の言葉の端々にはどこか縋りつくような響きがあった。
それを敢えて、はらい落とすように町長が言い棄てる。
「ふむ、興味がないな」
なおも喋ろうとするメリュを遮り、町長が続ける。
「悪いが、この後も職務がつまっているんでね」
廊下から騒ぎが聞こえてきた。いったいなにごとかと身構えるまでもなく、誰かが乱暴に町長室の扉を開ける。
「町長ッ」「また崩落だ」「町長の責任だろう」「説明してくれ」「息子をかえせッ」
みすぼらしい群衆がくちぐちに怒鳴りながら、部屋のなかに雪崩れこんできた。廊下から追いかけてきたふたりの衛兵が興奮する群衆につかみかかり制止するが、彼らはとまらない。
「なんだね、騒々しい」
町長が椅子から立ちあがる。
群衆は衛兵に押さえつけられながらも激しく抵抗し、大声をあげて町長に喰ってかかる。
「孫が死んだ。採掘中の落盤事故でだ。殺されたようなもんだ」
「無理に坑道を掘り進めたら事故に繋がることくらい、あんたはわかってたんだろ。なのに」
群衆は揃ってうす汚れた作業服を着ていた。貧しい労働者の集まりであることはあきらかだ。
「補償金は払ったはずだ。欲深い奴らめ」
町長が群衆を睨みつける。
群衆は騒めき、強欲なのはおまえだろうと町長を罵りかえす。金を積んで、なかったことにできるような問題ではない、事故を繰りかえさないために方策を改めろと訴えているのだと。
「竜がいた頃は、こんなことはなかったというのに」
老人のひとりが項垂れて頭を振る。
部屋の端に身を寄せ、事のなりゆきを静観していたメリュがその言葉に瞳を細める。
「昔は竜が掘り進めても危険のない鉱脈を教えてくれたもんだが、いまはどちらに掘り進んでいいのか。地下の水脈が噴きだすこともしょっちゅうだ」
「いまは鉱物が採掘されるかぎり、掘り進めるからな。昔は取っていい鉱石の数も竜との約束で決まっていたが、この頃は鉱物を取りすぎて急に坑道が崩れたなんて事故もあるくらいだ」
「朝から晩まで採掘、採掘。ただでさえ重労働なのに、眠る暇もない」
群衆の非難に、町の長はふんと不愉快げに鼻を鳴らす。
「竜か。竜に従っていたら、町の繁栄はなかった。竜が衰え、森に棲み処を移してから、どれほど町が豊かになったことか」
群衆は硬く握り締めたこぶしを振り、怒りをあらわにする。
「なにが町の繁栄だ! 石畳を敷いて、ご立派な時計塔やら噴水やらを造って、見せ掛けだけは都会みたいになったが、それがなんだってんだ!」
「竜がいなくなってから、森から恵みがなくなっちまった。昔は食い物にこまることはなかったが、いまは都からの輸入に頼らんと暮らしていけない」
「おかげでこの歳まで働かんと、食うにこまる有様だ」
群衆は不満をならべる。町長が顎髭を撫ぜながら、白髪のまざった眉を持ちあげた。
「それだけか」
場がかたまった。
「しょせん、それだけだろう。竜の恩恵などは、その程度のものなのだ。鉱脈が枯れるわけでもなし。耕せば作物もできる。不満があるのならば土地でも耕したらどうだ。麦を育てれば、食うにはこまらんだろう」
群衆がぐうと黙る。
竜がいた頃は、と口を揃える群衆もまた、竜がいなくなったことを嘆いているわけではないとメリュは考える。民衆の不満とは暮らしのなかにあるもので、そこから脱することは、ない。竜のいた頃は楽だった。飢えることがなかった。それだけだ。故に町長の言葉に押し黙るのだ。
若者たちはなおも町の長に喰ってかかった。
「俺たちがいなきゃ鉄ひとつ取れないくせに」
「危険な採掘はみんな、俺たちにおしつけやがって」
町長は脂肪のつきすぎた顎を二重、三重にして嘲笑った。
「諸君らもけっきょくは金に目が眩んで、この職を選んだのだろうが。危険など承知のはず。辞めたければ辞めればいい。日雇いの労働者などいくらでもかわりがいる」
「貴様ッ、許さねぇ! 仲間の仇だッ!」
若者のひとりが隠しもっていた刃物を抜いた。衛兵の隙をついて町長に跳びかかる。
メリュはすかさず動き、若者から刃物を奪い取ると背負い投げの要領で組み敷いた。
興奮していた群衆は今頃になって先客の娘がいたことに気がついたのか、がく然として一様に静まりかえった。しばらくして組み敷かれた若者が我にかえり、暴れだす。鉱夫だけあって身体を鍛えている若者は、小娘ひとり振りほどけるつもりだったが、どれだけ暴れても腕を拘束するちからは僅かも緩まない。
遂に諦めて、若者は項垂れた。
「あんた、よそものだろ……!」
組み敷かれながら若者が声を振りしぼる。
「なんで、こんな奴をかばうんだよ! 町の事情も知らないくせに」
「確かに事情は知りませんが」
眉を顰めて、彼女は憂うように続けた。
「ひとがひとを殺すのが、嫌なだけです。竜が、嘆くでしょうから」
娘はそれだけいって、黙る。
娘の意を理解するものはおらず。まして誰も竜の嘆きを想像することはなかった。
やっと集まってきた衛兵が群衆を残らず捕縛して、連れていく。
静かになってから、町長が指輪だらけの指を組んでため息をついた。
「もっと警備を厳重にせねばならんな」
誰もいなくなってから、町長ははちきれんばかりに膨れた革袋で机をたたいた。
「いまの謝礼のぶん、報酬の額をあげておいた。確かめてくれたまえ」
袋の紐を緩めれば、数えきれないほどの金貨が詰まっていた。竜を殺す。その相場などないに等しいが、それにしても凄まじい額だ。
「依頼は、なかったことにということですね」
「理解が速くて助かるよ。いまのように、町にはまだ竜を慕っているものがいるのでね。騒ぎになったら事だ。これいじょう敵を増やしたくはないものでね」
袋を受け取り、彼女は最後にひとつだけ、尋ねた。
「なぜ、《輝く鉱脈の竜》を殺せとご依頼を?」
あの竜は、朽ちた森にこもって静かに眠り続けていただけだった。
嘆きに呑まれた竜は時に暴れることもあるが、森から町までは距離があり、町に直接害をなすとは考えにくい。最悪の事態を恐れたのか。或いは。
町長は髭を撫ぜながら事もなげにいった。
「町ではいま、鉄道の開発が進んでいてね。帝国の都とはすでに繋がっているが、共和国側の都まで線路を繋げるのに、あの朽ちた森とそこに棲む竜が邪魔だったのだよ」
けっきょくは、それだけのことだった。
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