表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/40

8-5《竜の黄昏》は訪う

「あなたを、殺します」


 メリュはラグスに殺意をむける。


 誰も彼もが驚きのあまり、言葉を絶していた。

 真紅の双眸だけが、理解していたように細められる。


「ミカウスを殺せば、あなたの復讐が終わる、はずがない。あなたの敵は教会であり、繁栄のために竜を踏みにじる人類そのものなのですから。ですがいま、彼を殺せば聖騎士隊と殺しあいになります、戦いではなく。そうなれば、最愛のひとを殺されて、崩壊の瀬戸際にいる《囀る収穫の竜》までもが嘆きに落ちるでしょう」


 嘆きも憎しみも連鎖するものだ。

 そうして戦争は続いてきた。これからも続くのだろうと、彼女は考える。ひとつの戦争が終わってもまた新たな戦火がかならず、あがる。


「そうだね、おまえは」


「憐れだといってください!」


 肯定を恐れるように、メリュは声を荒げて訴えた。


「他にできることがわたしにはないんです。救えず、護れず、癒せもせず、嘆きに落ちていく竜をとめられない。終わらせることだけです。わたしにできることは。だからこその矜持です!」


 胸が締めつけられる。

 声の端々は無様に震えていた。嫌だとおもった。強烈に。けれどもほんとうは、嫌じゃ、なかったことなどはなかったのだ。


 それでも、それだけが、彼女の愛だった。


 立ち続けることもやっとなほどに震えるからだをいなして。

 揃わない指さきに強く強くちからをいれて。

 涙こそ流れないものの、熱くなる瞳に瞬きすら許さずに。


「殺すのならば」


 竜殺しの娘は凄絶な愛を紡いだ。


「わたしはあなたを択ぶ」


 彼女はそうして殺め続けてきたのだ。

 憎い敵ではなく、裁かれるべき悪でもなく。


 ただひたすらに愛おしいものだけを。


「そう、か」


 情のない、残酷な言葉に響くだろうか。

 少なくとも、まわりの騎士たちは戸惑っている。聖女と称えられ、現在異教徒となりさがった娘の真意がわからず、壊れた竜でもみるかのように遠巻きに眺めている。

 けれど、誰に理解されずとも彼にだけは。

 わかるのではないかとおもった。

 ラグスはひどくまぶしいものを振り仰いでしまったかのように、しばらくは呆然と娘の姿を眸に映していた。眉を寄せ、うつむきながらも愛おしむように相好を崩す。ああと、か細い息が彼の唇からこぼれた。


「おまえはほんとうに憐れだね」


 彼はミカウスにむけていた短剣をくるりとまわす。

 ラグスが武器をおろしたのをみて、騎士隊がいまこそと、剣を振りあげる。

 だが彼らの剣は、回転する槍に弾かれた。メリュだ。彼女はラグスの選択をみるなり、動いていた。ラグスもまた素早く身をひるがえして、斬りかかってきた騎士を逆に斬りふせる。


「これはかえしてもらうよ」


 ミカウスの剣を拾いあげる。これはラグスのもとにあるべきものだ。

 敵のあいまを抜け、ふたりは鎧の壁を破った。


「いきましょうか」

「おまえとだったら、どこへでも」


 どちらからともなく微笑みあった。

 傷つきながら、嘆きながら、憎みながらでも。

 ふたりならば、どこまでもいけるとばかりに。



 † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ †



 ミカウスは腹に刺された短剣を抜き、逃げだしていくふたりを睨みつけた。

 ふたりは騎士隊と剣をかわしながら、薔薇を模った要塞の都から逃げだしていく。

 戦いのあいまに幾度も銀の星が瞬いた。

 遠くからではそれが、振りみだされた銀糸の髪なのか、戦いを演ずる銀製の槍の軌跡なのかはわからなかったけれど、彼女であることには相違なかった。

 憎むべきひとを殺さずに、最愛の竜だけを殺していく嘆きの娘。

 ぼろぼろになった衣装からは傷ついた素肌があらわになっていた。それでも恥じることなく胸を張って、戦いを演じ続ける彼女は美しい。黒い影と背中をあわせ、入り組んだ路地を踊りながら、白銀の娘はつき進んでいく。


 彼女が殺すのは愛するものだけだ。

 その事実がたまらなく、ミカウスの胸を抉る。


 ふたりは最後の壁を抜け、都を取り巻くように拡がる草原に差し掛かった。

 弓隊がいっせいに構える。


「ここまでで結構」


 ミカウスが騎士隊に言い渡す。


「な……われわれはまだ戦えます」

「さがりなさい」


 有無を言わせぬ命令だ。隊長であるミカウスに制されて、弓隊も騎士隊も動きをとめる。なぜ、と抗議の視線を拾いあげ、ミカウスはわからないのかとあきれたように微笑する。


「ご覧なさい、彼女らはひとりたりとも、殺さなかった。貴方がたは殺されることもできなかったということですよ。わが隊の恥だ」


 遥かに地平線まで続く野を駈け、ふたりが遠ざかっていく。

 ミカウスは瞳を細める。ふむと髪を掻きあげ、彼は意外そうにつぶやいた。


「どうやら、私はほんとうに、彼女に惚れてしまったようだ」


 いつのまにか夜は終わり、朝が訪れかけていた。

 地平線の端からあがりはじめた朝陽に背をむけ、ふたりは夜陰が残るほうにむかっていった。地を(よう)する輝きなど振りかえりもせず。


 紫の朝焼けがしんと澄み渡る。咲き群れていた菫がいっせいに散っていくような紫だ。明けていくはずなのに、終わりにむかっていきそうな黄昏のさみしさを湛えていた。


 あれは竜の黄昏だ。


 だとすれば、黄昏を施すのは彼女だ。

 彼女の槍と無償の愛が、竜を緩やかに滅ぼしていく。


 涙もなく、ただ静かに嘆きながら。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

最終話は31日20時に投稿させていただきます。

最後まで竜殺しの娘の旅路を見届けていただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] もともとミカウスを贔屓にしていたからかな、ミカウスにもメリュの真意が伝わったように思えました。理解した上で彼はメリュとは違う、相容れない道を行くのでしょうね。彼には竜への愛は一切ないので。…
[良い点] ああ、ふたりが逃げ出せてよかった……。 メリュなら、他に方法がないとなれば、どんなにつらくとも本当にラグスを殺してしまうと思っていたので……ハラハラしていました。 それが尊厳と愛ゆえの行動…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ