8-5《竜の黄昏》は訪う
「あなたを、殺します」
メリュはラグスに殺意をむける。
誰も彼もが驚きのあまり、言葉を絶していた。
真紅の双眸だけが、理解していたように細められる。
「ミカウスを殺せば、あなたの復讐が終わる、はずがない。あなたの敵は教会であり、繁栄のために竜を踏みにじる人類そのものなのですから。ですがいま、彼を殺せば聖騎士隊と殺しあいになります、戦いではなく。そうなれば、最愛のひとを殺されて、崩壊の瀬戸際にいる《囀る収穫の竜》までもが嘆きに落ちるでしょう」
嘆きも憎しみも連鎖するものだ。
そうして戦争は続いてきた。これからも続くのだろうと、彼女は考える。ひとつの戦争が終わってもまた新たな戦火がかならず、あがる。
「そうだね、おまえは」
「憐れだといってください!」
肯定を恐れるように、メリュは声を荒げて訴えた。
「他にできることがわたしにはないんです。救えず、護れず、癒せもせず、嘆きに落ちていく竜をとめられない。終わらせることだけです。わたしにできることは。だからこその矜持です!」
胸が締めつけられる。
声の端々は無様に震えていた。嫌だとおもった。強烈に。けれどもほんとうは、嫌じゃ、なかったことなどはなかったのだ。
それでも、それだけが、彼女の愛だった。
立ち続けることもやっとなほどに震えるからだをいなして。
揃わない指さきに強く強くちからをいれて。
涙こそ流れないものの、熱くなる瞳に瞬きすら許さずに。
「殺すのならば」
竜殺しの娘は凄絶な愛を紡いだ。
「わたしはあなたを択ぶ」
彼女はそうして殺め続けてきたのだ。
憎い敵ではなく、裁かれるべき悪でもなく。
ただひたすらに愛おしいものだけを。
「そう、か」
情のない、残酷な言葉に響くだろうか。
少なくとも、まわりの騎士たちは戸惑っている。聖女と称えられ、現在異教徒となりさがった娘の真意がわからず、壊れた竜でもみるかのように遠巻きに眺めている。
けれど、誰に理解されずとも彼にだけは。
わかるのではないかとおもった。
ラグスはひどくまぶしいものを振り仰いでしまったかのように、しばらくは呆然と娘の姿を眸に映していた。眉を寄せ、うつむきながらも愛おしむように相好を崩す。ああと、か細い息が彼の唇からこぼれた。
「おまえはほんとうに憐れだね」
彼はミカウスにむけていた短剣をくるりとまわす。
ラグスが武器をおろしたのをみて、騎士隊がいまこそと、剣を振りあげる。
だが彼らの剣は、回転する槍に弾かれた。メリュだ。彼女はラグスの選択をみるなり、動いていた。ラグスもまた素早く身をひるがえして、斬りかかってきた騎士を逆に斬りふせる。
「これはかえしてもらうよ」
ミカウスの剣を拾いあげる。これはラグスのもとにあるべきものだ。
敵のあいまを抜け、ふたりは鎧の壁を破った。
「いきましょうか」
「おまえとだったら、どこへでも」
どちらからともなく微笑みあった。
傷つきながら、嘆きながら、憎みながらでも。
ふたりならば、どこまでもいけるとばかりに。
† ‥ † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ †
ミカウスは腹に刺された短剣を抜き、逃げだしていくふたりを睨みつけた。
ふたりは騎士隊と剣をかわしながら、薔薇を模った要塞の都から逃げだしていく。
戦いのあいまに幾度も銀の星が瞬いた。
遠くからではそれが、振りみだされた銀糸の髪なのか、戦いを演ずる銀製の槍の軌跡なのかはわからなかったけれど、彼女であることには相違なかった。
憎むべきひとを殺さずに、最愛の竜だけを殺していく嘆きの娘。
ぼろぼろになった衣装からは傷ついた素肌があらわになっていた。それでも恥じることなく胸を張って、戦いを演じ続ける彼女は美しい。黒い影と背中をあわせ、入り組んだ路地を踊りながら、白銀の娘はつき進んでいく。
彼女が殺すのは愛するものだけだ。
その事実がたまらなく、ミカウスの胸を抉る。
ふたりは最後の壁を抜け、都を取り巻くように拡がる草原に差し掛かった。
弓隊がいっせいに構える。
「ここまでで結構」
ミカウスが騎士隊に言い渡す。
「な……われわれはまだ戦えます」
「さがりなさい」
有無を言わせぬ命令だ。隊長であるミカウスに制されて、弓隊も騎士隊も動きをとめる。なぜ、と抗議の視線を拾いあげ、ミカウスはわからないのかとあきれたように微笑する。
「ご覧なさい、彼女らはひとりたりとも、殺さなかった。貴方がたは殺されることもできなかったということですよ。わが隊の恥だ」
遥かに地平線まで続く野を駈け、ふたりが遠ざかっていく。
ミカウスは瞳を細める。ふむと髪を掻きあげ、彼は意外そうにつぶやいた。
「どうやら、私はほんとうに、彼女に惚れてしまったようだ」
いつのまにか夜は終わり、朝が訪れかけていた。
地平線の端からあがりはじめた朝陽に背をむけ、ふたりは夜陰が残るほうにむかっていった。地を擁する輝きなど振りかえりもせず。
紫の朝焼けがしんと澄み渡る。咲き群れていた菫がいっせいに散っていくような紫だ。明けていくはずなのに、終わりにむかっていきそうな黄昏のさみしさを湛えていた。
あれは竜の黄昏だ。
だとすれば、黄昏を施すのは彼女だ。
彼女の槍と無償の愛が、竜を緩やかに滅ぼしていく。
涙もなく、ただ静かに嘆きながら。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最終話は31日20時に投稿させていただきます。
最後まで竜殺しの娘の旅路を見届けていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。