7-4 彼女は《嘆き》では壊れない
「新たな竜を殺すべく、すぐに聖都アルビオベルクにむかうつもりでしたが……どうなさいますか。このところは連続して竜を殺しておられるので、お疲れがたまっておられるのではないでしょうか。いったん、休息を取られますか」
「そう、ですね。考えさせてください」
メリュは竜の血潮をすくいあげ、喉にもかけた。
とろとろと水銀の雫が垂れ、膨らみのちいさな胸もとにながれていく。
熱い視線を感じながらもメリュは気に掛けない。視線は浮き彫りになった肋骨と、わき腹の傷にそそがれていた。竜の血潮を吸い、傷がたちまちに塞がっていく。
「ふむ、やはり興味ぶかい。われわれには猛毒となる竜の血潮も、貴女にとっては傷を癒す薬なのですね。ほんとうに貴女のからだはどうなっているのか。聖ヨルゴス教会の機構協会が貴女のことを是非とも研究したいと騒いでおりましたよ。ええ、ええ、もちろん、貴女さまの身柄をひき渡すようなことは致しませんとも」
「その、機構協会というところは、竜についても研究しているのですか」
確か空挺を製造したのもその機構協会だと話していたはずだ。竜がいなくなった後の文明の進歩はめまぐるしい。ミカウスは頷いた。
「ええ、竜を殺すための研究を進めています。結果はかんばしくありませんがね。ああ、例えばこの毀竜の剣などは」
すらりと白鋼の鞘から剣を抜いて、彼は柄の部分を差しだしてきた。
渡された剣を受け取り、メリュは視線を落とす。
竜を傷つけることのできる剣。彼は絶えずこの剣を身につけていたが、竜との戦いに参加しているわけでもなく、抜いたところを見掛けたことはなかった。
傷ひとつない、黒き剣身だ。透きとおり、僅かに輝きを帯びている。
剣から、嗅ぎ慣れた馨りが漂ってきた。これは。
「まさかこれは、竜の……」
「さすがだ。ご推察どおり、それは竜の角ですよ」
メリュは衝撃のあまり、毀竜の剣を取り落としそうになる。
「なんてこと」
言葉を絶する。
竜の一部を武器にする。それは、許されざる冒涜だ。
まして騎士隊は竜を殺せない。つまりこれは。
「生きながらに……っ竜の角を、奪ったのですか」
腹が、燃えているのかとおもった。
おのれのなかにまだ、これほどまでに強い激情があったのかと戸惑うほどに、彼女はいま、胸のうちから燃えあがる憤りの焔に焼かれていた。葡萄と醸造の町で群衆が竜を踏みつけにしていたときでも、嘆きはしても怒りはしなかったのに。
彼女の怒りを感じないわけではないだろうに、ミカウスは剣を受け取ると平然と頷いた。
「左様。ああ、ついでに角だけではなく、牙や爪、鱗なども精製すれば、武器になります。鏃は鱗をとがらせたものですね」
冷静さを損ないそうになる頭を懸命に働かせて、メリュは思いかえす。ラグスと逢った黒い森にいた盗賊は確か、竜の角に執着していた。竜の角を欲しがっているものに渡せば、凄まじい額が儲かるのだと。あれは聖ヨルゴス教会のことだったのか。
だが竜の角は、万象を操るちからのもとであり、竜の竜たる証だ。
「角を折られた竜はどうなるのですか」
「ふむ、聖女様はさすがに敏いですね。実は生きながらに角を折ると、竜は急激にちからを喪い、死に絶えるのです」
彼女はがく然となりながら問い質す。
「ならば……教会も竜を殺せると」
「ですが、竜の管轄だった土地が滅びます」
恵みが絶えるでもなく、棲み処が朽ちる、でもなく。
地域そのものが滅びるのだと、彼はいった。
瘴気といわれる魔の霧が地域を覆い、土壌は枯渇し、水も毒になる。棲息していた動物は死に絶え、あるいは瘴気に侵されて、魔物と称される獰猛な種類に変貌するのだと。
「三度試して、諦めました。諦めざるをえなかった。これはわれわれの望むところではありません。竜は息絶えても、土地が滅びてしまっては人類の繁栄には貢献できませんから」
「三度も、竜ごと地域を滅ぼしたのですか」
「正確には一度だけ、予期せぬ事態になったこともあったのですが」
なにがあったのかとメリュが尋ねると、ミカウスはこまったように肩を持ちあげた。
「十年前のことでして私は現地にいたわけではないのですが、角を折られた竜が、消えたとか」
「あなたがたが、捕らえたのではなく?」
「言葉どおり、消滅したのです。逃げ遂せた、のかもしれませんが、騎士隊が取りかこんでいたはずですし、その後竜を見掛けたという情報もありません」
けっきょくのところは、とミカウスは話を結ぶ。
「われわれは竜を殺せない。故に貴女が竜を殺せることは神の奇蹟という他にないのですよ」
繰りかえされた賛美が、鼓膜を素通りしていく。
ラグスが語ってくれた言葉を思いかえして、メリュはひとつの真実を導きだす。
理解したのがさきか、ずうんと氷の塊が落ちてきたみたいに胸が凍てついた。燃えていた怒りの焔が、急激に衰えていく。
ラグスの捜し続けていたかたきは、聖ヨルゴス教会だ。
聖ヨルゴス騎士隊が彼の愛する竜を傷つけ、竜を護っていたラグスをも殺そうとしたのだ。それならば、彼の取りもどしたいものとは竜の角だろうか。竜そのものだろうか。
彼は「おまえじゃなかった」といった。安堵するように。
けれども彼女はいま、教会についている。はからずも彼の敵になりさがってしまった。
だからといって、後戻りはできない。そのつもりもなかった。
彼女は竜を殺す、それだけだ。その嘆きが、ひと雫でもこぼれないうちに。きゅっと唇の端をひき結んでから、持ちあげる。さきほどまではかたちにならなかったが、なんとか微笑を取り繕った。微笑は華やかな鎧にして、棘だ。
絶望がなんだ。嘆きがなんだ。
わたしは竜ではない――竜では、ない。
魂が軋むほどに傷むから、笑えない、なんてはずがないのだ。
瞳の表に毒を垂らすように、ぶわりと、華やかな紫が拡がった。
「おや、微笑みがもどられましたね、聖女さま」
「休息はいりません」
メリュは傷ひとつなくなった裸を惜しみなく曝して、血潮の泉からあがった。ほたほたと髪から滴り、頬を濡らすのは涙ではない。
傲慢なほどに毅然と、彼女はいった。
「続けましょう、竜殺しを」
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