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7-2 斯くして《ふたり》は別たれる

 男は聖ヨルゴス教会聖騎士隊の隊長ミカウス=セリオンと名乗った。

 聖ヨルゴス教会は共和国の国教であり、その司教は民衆に選ばれた他の有権者たちとならんで共和国の政治の中枢を担っている。

 教会は竜を邪悪なるものとさだめ、人類の進歩をはばんできた竜からの解放を説いている。竜の恵みが絶えて人類は飢えを経験し、農耕や牧畜をはじめとした文明の発達が急速に進んだ。その後、産業革命を経て、人類の文明は黎明期を迎えた。

 そうした裏づけもあってか、平和条約の締結による終戦後、教会の教えは、当時は敵であった帝国にまで浸透しはじめていた。教会は近いうちに大陸を統一するだろう。


「竜殺しの聖女さま、われら聖ヨルゴス教会にその偉大なる御力を預けてはいただけませんか」


 その偉大なる教会を護る聖騎士隊の隊長がいま、メリュに跪いて嘆願する。


「私ども聖ヨルゴス教会はいま、竜に平穏をおびやかされている町の防衛にちからをそそいでいます。ご存知のとおり、ひとには竜は殺せない。ですが、槍を携えた白銀の髪の娘が殺せるはずのない竜を殺しながら大陸を旅しているという噂を聴きおよび、ずっと捜しておりました。貴女さまが《青き豊穣の竜》を殺すさまを遠くから拝見させていただき、貴女さまこそが聖女であると確信いたしました。……実に素晴らしい」


 ミカウスは顔をあげ、うっとりと碧眼を細めた。晴れて、雲ひとつない空のような青だ。


「この時代の転換期に貴女のようなものが現れるとは、まさに神のお導きだ」


 あまりの勢いにおされてメリュは唇をつぐんでいたが、気を取りなおすと馬車から跳びおりて、ミカウスとむかいあった。


「捜していた、というわりには、採掘の町でもお遇いしましたね」

「失礼いたしました。実はしばらく、遠くから様子をみておりました。うわさが真実なのかどうかを確かめねばならなかったもので」


 ミカウスは慇懃な態度を崩さない。線の細い整った顔貌と貴族のような立ち振るまいがあわさって悪い印象はないはずだが、それゆえに真意がつかめなかった。

 貴女は素晴らしいとミカウスは繰りかえす。メリュは唇の端をひき結んでいる。


「ふうん、聖ヨルゴス教会の幹部様がわざわざこんな敵領の僻地までか。ご足労痛みいるね」


 かわりにラグスが嘲笑まじりに牽制する。


「けれど彼女は、教会がもとめているような英雄じゃない。彼女は竜の嘆きを終わらせるためだけに竜を殺している」


 ミカウスが緩やかに立ちあがる。

 メリュをあいだに挿んで、真紅と青が睨みあった。


「ええ、ええ、理解しておりますよ。さきにも申しあげましたが、すべて遠くからみておりましたので。理から遠ざかり、ひとに害をおよぼす竜のみを殺す。あれこそが、まさに聖女の為せる奇蹟の御業だ」


 ミカウスは腕を拡げてみせた。


「神は宣いました。すべてのものに等しく救済を――と」

「救済ではありません」


 メリュは物静かに、されども強く拒絶する。


「あんなものが、救済であろうはずがない」

「いいえ、救済です。人類を救い、竜をも救う。素晴らしい慈愛だ」


 ミカウスは賛美と敬意のまなざしをそそぎながら、メリュを説きふせた。


「そうですか」


 メリュは綺麗に頬を持ちあげる。残念ながらわたしは教会に都合よく飾り物にされて、救済という旗を掲げるつもりはないと、彼女が言いかけたのがさきか。

 薄氷(はくひょう)の微笑を砕くように聖騎士はいった。


「ですがそれでは、幾多のものを取り落としてしまうのではありませんか」


 白霜(はくそう)の睫毛がぴくりと震え、瞳の縁が強張る。ミカウスは大げさに憂いた。


「噂を頼りに旅を続けていても竜を捜すことは難しい。苦労して竜のもとにたどり着いても、すでに竜が壊れて取りかえしのつかない事態に陥っていたというのではあまりにも嘆かわしい」


 ミカウスは額をおさえて、いかにも感に堪えないというふうに言い募る。


「ああ、今まさに貴女の救済をもとめている竜がいるというのに。貴女はそれを捜すだけで、幾ばくの歳月を費やさねばならないのでしょうか。そのうちに竜はどれほどのひとを殺めることになるのでしょうか」

「わかるのですか。その、所在が」


 メリュがたまらずに尋ねた。


「神の導きがあれば造作もないことです。というのはさすがに誤解を招きますか。教会には大陸のあらゆる都や町から絶えることなく、竜に関する嘆願が寄せられています。竜が気候をみだしている。竜が大地を荒らしている、とね。それにわれらには空艇(くうてい)があります」


 空艇、とメリュが聴きなれない単語を復唱する。ミカウスは頷いた。


「聖ヨルゴス教会の所有している機構協会(きこうきょぅかい)が現在、製造している最先端の乗り物です。空挺に乗れば、言葉どおり、空を移動できる。大陸を横断するのも数日あれば、じゅうぶんですよ。馬ならばどれほどかかるか、想像がつきませんね」


 にわかには信じがたい話だった。空は鳥と、翼をもった竜の領域だったはずだ。空まで踏みつけて、人類はどこまでいこうとしているのか。


「お見せ致しましょうか、聖女さま」


 ミカウスは胸もとからなにかを取りだす。銃だ。


 ふたりが身構えるのをよそに、彼はそれを月にむけて撃った。

 銃声が吼え、続けて森が呻きをあげるように震えはじめた。あたりにいた蝶がいっせいに逃げ惑い、散り散りになって逃げていった。

 星空を覆うように浮かびあがってきたのは。


「鉄の竜……いえ、あれは」


 鉄の翼を携えた舟艇(しゅうてい)が浮かんでいた。舟艇からは続々と、騎士が跳びおりてきた。騎士の背には、緩やかな落下を助けるための布製のかさがつけられている。

 騎士は森に着地して鉄を響かせながら集まってきた。

 あ然としているうちに、メリュとラグスは騎士隊に取りかこまれる。


「いかがでしょうか」


 騎士隊を背にひきいて、ミカウスがマントを悠々とひるがえす。

 メリュはぎゅっと、槍を握り締めた。


 竜の嘆きは募り続けるものだ。嘆きにたえきれず、壊れても、終わらない。なおも壊れ続ける。魂が崩れ、こころが砕け散って、嘆きの毒に身を焼かれても、死に到れぬかぎりは。

 嘆きに落ちた竜を、竜に傷つけられ絶望するひとびとを取りこぼさずに済むのか。嘆きがひとつでもすくなく、傷がちょっとでも浅く、終えられるのならば。


「やめておきなよ」


 後ろから袖をつかまれた。振りかえる。

 ラグスが案じるように眉根を寄せ、彼女をひきとめようとしていた。


「教会は終始、竜を人類の敵だと説いているんだよ。人類の繁栄のために排除するべきだと」

「知っていますよ」


 静かに頷く紫の瞳に痺れをきらすように、ラグスが言い渡す。


「教会はおまえを竜を殺すための槍として扱うよ。おまえを武器にする」


 竜を愛するおまえのこころなど、かんたんに踏みにじるだろうと、彼は憂いの響きをもって囁いた。

 けれど踏みにじられなかったことなど、あっただろうか。

 竜の慈愛も竜の嘆きも。


 ならば、落ちる涙が、ひと雫でもすくないうちに。

 その、焼けつく嘆きを終わらせることだけが。


 メリュは草を踏み、緩やかに振りかえる。


「わたしはこれからも、これまでも、竜殺しですよ」


 微笑みながら、彼女は、やさしい指を振りほどいた。

 失望されただろうかという未練を、背をむけて断ちきる。竜殺しの娘は、離れるべきだ。竜を憐れんで、涙をこぼしてくれた彼のためにも。


「ありがとうございました。あなたと旅ができてよかった」


 立ちどまってはならない。決意が鈍るから。前だけを見据えて進んでいく。

 握り締めた手のなかには誰かのぬくもりはなく、槍の重みだけがあった。これがいい、これでいいのだと繰りかえす。


 みずからのすべては竜の望みを遂げるために。


 死地にむかうような、祭壇に捧げられる供物のような足取りでもって、彼女は聖騎士隊のもとに進んだ。ミカウスが跪いて彼女の腕を取る。


 斯くして、ふたりは――別たれた。


お読みいただきまして、ありがとうございます。

更新は3月22日20時になります。ここからまた毎日更新して参りますので、なにとぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一見、合理的なようですが、何やら裏がありそうな。胡散臭い聖騎士が見ていて面白かったです。人間の発展はどこまでも進めていかないと滅びるしかないので、それは空をも侵しますよね。 [一言] 教会…
[良い点] 主人公の過去の話へと物語が進んでいったこと。 [気になる点] 聖女は『なろう』系小説ではよくでてきますが、少し展開が急すぎるところ。もう少しゆっくり主人公たちの話を読んでいきたいかなと思…
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