1-2 《竜殺し》は竜の亡骸を護る
「竜から離れろ。さもなければ殺す」
盗賊の首領が恫喝する。隣の男が続けた。
「嬢ちゃん、運が悪かったな。俺たちみたいなならず者に遇っちまうなんてよ。殺されたくなけりゃおとなしく従うんだな」
娘は柔らかな口振りを崩すことなく、盗賊らに尋ねる。
「ずいぶんと穏やかではありませんが。竜をどうなさるつもりですか」
「竜には値がつくんだよ。それもすげえ高値がな。ただの竜でもそうなんだ。黄金の鱗ともなれば、凄まじい額になるだろうな」
「嬢ちゃんだってそれをめあてにこんな森まできたんだろ」
娘を馬鹿にしているせいか、あるいは僅かも動じない娘に焦りを覚えているせいか、盗賊らはくちぐちに喋る。
「なるほど、鱗ですか」
娘はおもむろに落ちていた鱗を拾い、賊に差しだす。
「落ちている鱗だけならば、どうぞ差しあげます。拾い集めれば、そうとうな数、あるのではないでしょうか」
盗賊たちを侮るような娘の言葉に、男らが額に青筋を浮かべる。
「はっ、何様のつもりだ、貴様。馬鹿にしてんのか」
「運よく、竜が死んでたんだ。全部まるごと、俺らのもんに決まってるだろ」
続々と盗賊が剣を抜く。
娘はそれをみて、妖しく微笑んだままですうと瞳を細めた。
「誤解です。お願いしているだけですよ。竜は傷ついています。嘆いて、嘆いて。せめて静かに眠らせて差しあげたいのです。どうか竜には触れずに帰っていただけませんか」
これだけ殺意をむけられ、あまつさえ剣まで抜いているというのに、娘はまだ状況がわかっていないらしい。この娘は頭が緩いようだと男たちは呆れて笑いを浮かべる。こんな小娘に恐れをなしていたなんて。さてはあてられたかと、賊はきらびやかな鱗に覆われた竜を見やる。
彼らの目には竜など、財宝の山としかみえていない。
「そうですか、残念です」
娘は睫毛をふせ、竜のすぐそばに刺さっていた槍を抜いた。
斧槍とも称される、槍の穂の根もとに斧頭が備わった異様なかたちの槍だ。長さは娘の背と同等。刺突は勿論のこと、振れば敵を斬りつけることもできるだろう。幅広い戦いかたのできる武器だが、そのぶん、扱いは非常に難しい。あんな細腕では槍を構えるので精いっぱいで、まともに振ることもできないはずだ、と賊は軽侮する。
「殺すなよ。奴隷にするんだからな」
「わかってるよ」
下衆な会話をかわしながら、男が娘に襲いかかる。
「でもまあ、腕のひとつくらいはなくなっちまってもしかたねえよなあッ」
男が剣を振るった。
娘はたったひと振りで斬りふせられ、地にたたきつけられる――はず、だった。
だが賊の剣は、娘に触れることすらなかった。
「なっ――」
娘が素早く槍を衝きだす。
娘の槍が、せまりくる剣の先端を捕らえた。槍に弾かれ、剣の軌道がずれる。勢いよく斬りかかった男は気がつけば、娘の背後に膝をついていた。
いったいなにをされたのかわからず、男が呆然となる。
娘が振りかえりざまに槍を横薙ぎに振るった。男の厳めしげに蓄えた髭が、ざっと散る。
男が青ざめた。娘があとちょっと踏みこんでいれば、いや娘に慈悲がなければ、彼の首は草地を転がっていただろう。
「諦めて、いただけませんか」
静かに娘が尋ねかける。
賊の首領は数秒、顔を強張らせ、すぐに真っ赤になって怒鳴った。
「捕まえろッ、なにがなんでもだッ」
賊がいっせいに娘に攻めかかる。
娘は強かった。音もなく槍をまわしながら、あらゆるところから繰りだされる斬撃を避け続ける。捉えどころのない動きは演舞にも等しい。それでいて、娘の動きは異様に静かだった。
風をともなわずに槍を振るい、草を撫ぜるようにして地を蹴る。木の葉とも紛うほどに緩やかに着地して、流れるように進みいでる。
あの華奢なからだで、どうやって重い槍を操っているのか。
常識を凌駕する動きに、賊が遂に竦む。
痺れを切らしたのか、首領が担いでいた大剣をおろす。
「俺がやる」
首領が鉄の塊じみた大剣を構えて、まっこうから娘に斬りかかった。
娘は後ろに跳びすさり、難なく斬撃をかわす。これだけの重さがある大剣だと、立て続けに振ることは非常に難しいはずだ。だが首領はなおも踏みこみ、無理に剣を振りかぶった。
歩幅の違いか、剣が娘の髪にかすめる。
続いて三撃。勢いにまかせて振りおろすだけの、技巧もない、乱暴な力業だ。
雑に振りおろされた剣を娘は素早く回避――しかけて。
「あ……」
唐突に娘の動きが鈍る。つまさきが一瞬、地を蹴り損ねた。
首領の剣が娘に到達し、剣の先端が細い肩を抉る。血潮がほとばしった。娘がとっさに槍をあてがえて、盾にしていなければ、腕が斬り落とされていたに違いない。
よろめいた娘の首筋に鱗のような紋様が浮かびあがる。
「なんだ、あれは」
首領がつぶやいた。
鱗の紋様だけでも異様だというのに、鱗紋様の表には詞の綴りらしきものが浮かびあがっていた。それらは蔓のように絡みついて肌を侵す。まるで呪いだ。紋様は鈍い光を帯び、緩やかに明滅を繰りかえしていた。そのたびに娘は激痛をこらえるように唇を噛みしめる。
首領が驚いたすきに、娘は距離を取った。
娘は首筋をおさえ、荒い呼吸を整えようとする。だがその様子をみて、いまが好機だとばかりに賊が攻めてきた。娘は連続して襲いくる攻撃をさばいてはいるが、傷のせいか、あるいは紋様のせいか、動きがずいぶんと鈍っている。
娘の優勢がいっきに崩れだす。
幾人かの賊が娘の横をすり抜け、竜にむかった。
「っ……しまった」
さきほどまでは娘が戦いながら、賊を竜には近づけないようにはばんでいた。だがいまは、竜を護るだけの余裕がなくなっている。
「角だ、角だけでも奪えッ」
首領が叫ぶ。
賊は竜の頭に群がり、角を折ろうと乱暴に剣をうちつけはじめた。
竜はいかなる武器にも傷つけられない。
だが息絶えた竜はそのかぎりではない。竜を取り巻く加護が、命とともに失せるのだろうと考えられていた。いまならば鱗を剥がすことも角を折ることもできる。
竜のもとにかけつけようと娘は敵をひと息に薙ぎはらい、地を蹴る。急いでいた娘は、物陰から斬りかかってきた敵に後れを取った。
「――――っあ」
剣が、娘のわき腹を斬り裂いた。
真横に跳んで、かろうじて致命傷は避けたが、それでも浅からぬ傷だ。娘の動きがとまったすきに、他の男がすかさず、彼女に跳びかかった。地にたたきつけられる。いくら強くとも、娘は娘だ。自身の数倍もある男に組み敷かれては身動きが取れない。
地にうつぶせて頬をこすりつけながら、娘は足掻く。草むらに転がった槍をつかもうとするが、首領がそれを蹴りとばして、娘から遠ざけた。
「ずいぶんとこけにしてくれたな」
顎をつかまれ、強引に顔をあげさせられる。
首領は視線を凝らして、娘の首筋を確かめていたようだが、あの紋様はすでになくなっていた。あれはいったいなんだったのかと眉を曇らせたものの、奴隷にするのならば、肌に紋様などないに越したことはないと考えたのか、すぐに表情をもどす。
「これだけ整ってりゃ、さぞや高値がつくだろうなあ」
首領が下卑た笑いを浮かべた。
前触れもなく、昏い森から放たれた矢が娘に乗りあげていた男の脚を射貫いた。
男が絶叫をあげて、地に倒れる。続けて矢は男らが掲げていたたいまつに刺さり、あかりが絶えた。暗闇に投げだされた賊らは混乱する。
なにごとかと驚きながらも、娘はこのすきを逃がさずに起きあがった。
誰も彼もが矢から逃げまわり、戦いどころの騒ぎではなくなっている。脱いだ外套で矢を避けながら首領が叫ぶ。
「慌てるな! 矢がどこから飛んできてるのか、捜せ!」
娘はすでに射手を捉えていた。闇のなかに赤い双眸が輝いている。
視線が重なったと、娘が思ったのがさきか。
人影が枝から跳びおりてきた。
純黒の外套を頭までかぶった細身の青年だ。外套に縫いつけられた飾り釦や紐、靴までも黒かった。ともすれば、黒い森そのものを纏っているような、異質なふんいきを漂わせている。
青年は娘を振りかえり、唇の端を持ちあげた。
「助けてあげようか、竜殺しの娘」
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