表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/40

6-3 竜とひとのはざまで《少女》はただ微笑む

 町があったはずの地は竜の涙に濯がれて、浅い潮だまりになっていた。

 塩の塊は残っているものの、竜の嘆きが終わったからか、潮に触れても塩になることはなかった。湖から移動してきた魚をもとめて、(さぎ)が群れている。

 なにごともなかったような、静かな日暮れだ。

 透きとおった水鏡には青紫の黄昏が映っていた。空を踏みながら、メリュは歩き続ける。

 ふと後ろから誰かが声をかけてきた。ミナとイラカが追い掛けてきたのだ。


「妹を助けてくれて、ほんとに礼の言葉もない」

「とんでもありません。わたしこそ竜を殺すことしかできなくて、ごめんなさい。町を護ることが、できませんでした」


 メリュは後悔していた。悲しみばかりを積みあげてしまったことを。

 竜に逢ったとき、すでに壊れかけていた竜の息の根をとめていれば。あるいは春に、この町にたどり着いていれば、竜を殺さずにことをおさめられたのに。


「あんたのせいじゃない」


 イラカは眉根を寄せながらもなんとか強がり、笑った。


「確かに町はひどいありさまだよ。ほんとは、いちからはじめるつったって、なにからはじめればいいのか……俺にはまだわからない。町の奴らだってそうだ」


 希望ができた。だからといって、絶望がなくなったわけじゃない。

 誰もがわかっているのだ。


「だいじょうぶですよ」


 メリュが語りかけた。ちから強い響きをともなって。


「あなたがたはだいじょうぶです。人類はか弱い。けれども竜とくらべれば、はるかに強い生きものです」


 イラカがぽかんと、間の抜けたふうに大口を開けた。


「ひとは絶望に暮れ、悲しみのふちにいても、いつかはそれを乗り越えてまた笑いあうことができます。時が経てば傷は癒えるし、新たな希望を捜しだすこともできる。ですが竜は嘆きを嘆きのまま、抱え続けてしまう。つけられた傷を癒すことはできず、喪われたものを他のもので埋めあわせることもできない」


 だから竜は果敢ない。竜は、生物の域を凌駕するちからを備えているかわりに、生物として当然の強さを持ちうることができなかったのだ。


「戦争により町が焼け、城が崩れ、幾多の命が奪われても。竜の嘆きが気候をみだれさせ、大地を荒ませても。人類は繁栄を遂げています」


 慈愛から施すなぐさめではなく、無責任な激励でもなかった。

 これまで人類がたどってきた道程であり、純然たる現実だ。


「だから、この町もきっと、だいじょうぶです」


 彼女は繰りかえす。微笑みながら。

 イラカが頷き、胸をたたいた。


「そう、か……ああ、そうだよな。どれだけ掛かるかはわからないけど、いつかは町を復興させたい。俺たちで葡萄を。葡萄だけじゃなく、いろんなものを育てて、やりなおすんだ」


 彼らは竜の涙に濡れた地を耕して、踏みかため、新たな種を植えるのだろう。後悔を乗り越え、森を拓き、湖を埋めて進み続ける。

 どうか、おゆきなさいと、竜を殺す娘は憂いを湛えて、睫毛をふせた。

 それこそが、生きるに値する、ひとの強さなのだから。



     † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ †



 森に差し掛かる。

 津波がこんなところまでおよんでいたのか、森は塩に覆われていた。細かな結晶が寄り集まり、樹氷のように張りついている。葉は葉脈だけを残して、とけ落ちていた。

 裸の森だ。それは湖のなかに横たわっていた森とも重なった。竜が健やかだった頃はあの森も緑にあふれていたに違いない。竜が息絶え、湖は青さを損ない、森もあとかたもなく崩れた。


「けっきょくは渡したのか」


 幹にもたれて、メリュを待ち続けていたラグスがあきれたようにいった。

 竜の角に残された葡萄のことだ。


「あんなやつらに渡すことはなかったのにね」

「《青き豊穣の竜》との約束でしたから」


 捧げものとして湖に落ちたメリュは《青き豊穣の竜》と逢った。嘆きにたえかねて壊れかけていた竜は、葡萄が実らなくなって町の者が窮していると聴き、町に竜葡萄を渡してくれと頼んできた。この葡萄は天候に影響されず、かならず豊穣をもたらす葡萄だと。


「彼らは最後になって、竜の恩愛を理解し、後悔しました。諦めずに竜の残してくれた葡萄を育て、かならずや町を復興するのだと」


「それは素晴らしいね。よかったじゃないか。これいじょうになく、綺麗な幕締めだ。竜はけっきょく、なにひとつ、報われてはいないけれどね」


 ラグスは眉の端をゆがめて、わざとらしい態度で手をたたいた。


「ひとがどれだけ悔やんでもそれは、竜のためじゃない。おまえはわかっているんだろう」


 メリュはにがく頬を持ちあげた。彼女はそれほど、愚かではない。うわ澄みの、綺麗な感動に胸を濯がれるほどには。だからこそ、なにも言わずに町に背をむけた。

 槍を携えた細い肩にふわりと。


「誰かがほんとうに竜を想って涙をひとつ、流してくれれば、ちょっとは報われたのにね」


 なぐさめが投げかけられた。


 娘は躍るようにラグスを振りかえる。

 服のすそが雫を跳ばす。銀の星を夕暮れに散りばめて、彼女は瞳のなかに菫を咲かせるように微笑んだ。


「あなたがいます。あなたが、涙をたむけてくれた」


 それが、どれほどのことか。

 ラグスは双眸を見張り、つられたようにわらってから、うつむいた。


「いっそ、どちらかを棄てられれば、おまえは楽なのにね」


 ひとか。竜か。ひとを護るためだけに竜を殺す。或いは竜を護るためにひとをきり棄てる。それならばまだ、報われる道すじはあったはずだと。

 その言葉のとおり、娘はその華奢なからだに数えきれないほどの嘆きをかかえていた。彼女だけが竜を殺せるものであるかぎり、悔恨はふり積もるばかりだ。それでもいま。


「あなたはやっぱり、やさしい、ですね」


 森に落ちた影はふたつだった。だから、彼女はさみしくは、なかった。

 いつかは別たれるさだめだとしても。

ここまでで第二章は完結です。

続けて、第三章が開幕いたします。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。

次の更新は3月20日20時になります。


もしもちょっとでも「面白い!」「続きが読みたい」とおもってくださっていれば、

ブックマークと広告の下に表示されているお星さまを賜れれば、

ここからの更新の励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 美しいものや正しいものが繁栄するとは限らず、しぶといものが栄える。言葉として当たり前ではありますがなんだかやりきれないものを感じます。現代社会でも人間は地球や自然を食いつぶすのかな、そして…
[良い点] 竜と人の関係性がかなり深くわかったこと 主人公とラグスの関係性に温かさを感じたこと。 [一言] 二章完結お疲れ様です。 もう物語自体は完結してますが、三章も楽しみに読ませてもらいます。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ