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6-1 民の憎悪は竜の《骸》にむかう

 竜が死んだ。

 岸に乗りあげた竜の尾が項垂れ、動かなくなったのをみて、町の者たちは歓喜した。

 群衆は息絶えた竜に集り、よくも町を奪ったな、娘のかたきだと鱗に覆われた尾を蹴りつけた。綺麗だった青い鱗がよごれ、輝きを損なうまで。


「なんということを……やめてくれ」


 長老が竜をかばうようにその頭にしがみついた。

 嗄れた声を張りあげて、長老は町の者たちの暴動を制そうとする。


「町は竜に護られてきた、確かに護られてきたではないか。長きに渡る恩恵をわすれてしまったのか……」


 だが懸命の訴えは群衆には響かない。それどころか町の者は、よくもこれまで騙してきたなと、竜にしがみついた長老の背に石を投げはじめた。


 群衆はとまらない。彼らは、他ならぬ故郷を喪ったのだ。

 浅い湖を残して、町はあとかたもなくなった。愛するわが家も通い慣れた道も、葡萄酒の倉も、なにもかもが波涛に飲まれ、残骸といえば墓標じみた塩の塊が残されているだけだ。

 葡萄畑も潮に浸り、ふたたびの収穫は望めなかった。

 誰もが等しく絶望している。竜を恨まずにはいられないほどに。

 絶望から湧きだす怒りに駈りたてられるように、群衆は竜の骸を踏みにじり、長老にすべての責任をなすりつけた。


 イラカはそれを遠巻きに眺めながら、複雑なきもちをかかえていた。

 町の者の絶望はわかる。彼だっておなじきもちだ。

 けれどもとうに息絶えた竜を嬲り、長老に責任を押しつけて糾弾する群衆のさまは、みにくいとおもった。それはどこか「母親が死んだのはおまえのせいだ」と妹を罵り虐げる父親の姿とも重なった。喉を焼くような嫌悪が募る。

 だが、続けて、違和感が湧きあがった。


 俺はどうだったのか。


 竜を殺してくれと旅人に頼んだとき、俺は、いまの群衆とおなじ悪意に濁った目をしていたのではないかと――そこまで考えて、イラカはいっきに総毛だった。濡れた背に氷の塊が押しあてられたのかとおもうほどに、からだの底から震えが湧きあがる。


 イラカはたまらず、騒動のなかに割りこんでいった。


「みんな、やめろよ! こんなことして、なんになるんだよ!」


 町の者は驚いて、振りかえる。

 壊れたように竜を蹴り続けていた夫婦はイラカをみて、目を剥き、声を荒げた。


「貴様がっ、貴様が妹を逃がしたから、俺の娘が捧げられたんだ! 娘をかえせ!」


「たいせつな、ひとり娘だったのに!」


 凄まじい剣幕にイラカは僅かに臆する。だが頭を横に振って、負けじと声を張った。


「だったら……っ連れて逃げればよかっただろうが!」


 町の夫婦が言葉を絶する。イラカは泣きそうに顔をゆがめて、なおも言い募った。


「俺は逃がしたよ! 身勝手でも、殴られても蹴られても! 妹にだけは、生き延びてほしかった! 町のためだとしてもっ、家族を! 殺されたくなかった!」


 それは身勝手な欲だろうか。だが偽りない、ほんとうのきもちだった。妹が助かれば、他はどうでもよかったのだ。秤にかけるまでもなかった。


「よくもぬけぬけと! お前が捧げものをしていれば、こんなことには!」


 町の者が棒を振りあげる。


「どうか、落ち着いてください」


 ひとの群れを掻きわけて、メリュが進んできた。

 ぼろぼろになった竜の骸に視線をむけ、メリュは傷ましげに瞳をゆがめる。だが憤りをこらえるようにして、彼女は群衆にむかった。


 町の者たちは緊張する。あの娘が竜を殺したのだと。

 助けられたという恩義は当然ながらあるが、それよりも強く、恐れがあった。

 強さにたいする畏敬ではなかった。竜を殺す、その所業。どれほどの業か。竜を貶めることも長老を責めることもやめて、群衆は媚びるように竜殺しの娘を眺めた。


「けどよお、旅人さん」


 愛想笑いを取り繕って、(ひげ)だらけの町の男がメリュに喋りかけた。


「これが落ち着いていられるはずがねぇだろ……なあ? 町も葡萄畑も全部、なくなっちまって……今晩、眠るところもない。食いもんだってないんだ。教えてくれよ。俺たちはこれからどうやって暮らしていけばいいんだ」


 メリュは動揺に瞳を曇らせて、群衆に視線を移す。


 赤ん坊を抱き締めた母親がいる。鍛えあげた大男がいる。痩せ衰えた老婆がいる。まだ年端もいかない娘がいる。その誰もがなにを犠牲にしても護りたかったあり触れた幸せを奪われ、絶望のふちにたたずんでいた。


「俺たちは質素でも、ただ穏やかに、暮らしていたかっただけなのに」


 髭の男は顔を覆い、ちからなく項垂れた。

 沈黙を破り、乾いた嘲笑があがる。


「はっ……被害者ぶって、ばかばかしいね」


 ラグスが町の者を軽蔑するように睨みつけていた。

 メリュは戸惑い、外套のすそをつかむ。だがそれを振りはらい、彼は続けた。


「いつまでも、都合よく恩恵だけを享けられると想いあがっていたつけが、まわってきたんだよ。なにかを犠牲にして築きあげた安寧なんか、砂の城だ。波がくれば、易々と崩れ落ちる」


 いまさら無辜の振りをしても、みずからの平穏と娘の犠牲を秤にかけてきたことには変わりはないよと、彼は嗤った。


「おまえらは、憐れむにも値しないね」


 町の者は絶句する。言いかえす言葉がないのだ。


「町の者を責めないでおくれ」


 声をあげたのは長老だった。よろめきながら立ちあがる。


「捧げものを始めたのはこの私だ。町の者はそれに倣ったにすぎない。私の責任だ」


 メリュは瞳を細めて、静かに語りかけた。


「真実を、教えていただけますか。なぜ竜が望んでいると偽り、捧げものを続けたのですか。若い娘を捧げることにはあなたも胸を痛めていたはず。竜を悼み、憐れだとおもってくださるのならば、どうか竜が捧げものを望んでいたという誤解だけは解いてください」


 竜を殺す娘がなぜ竜の潔白を晴らそうとするのか、まわりのものには理解ができなかったが、その瞳の真剣さだけは確かだった。

 補佐たる老婆の助けを借りながら、長老は前に進みでた。

お読みいただき、御礼申しあげます。

続きは15日(火)20時に投稿致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 浅ましいけれども、人間はこんなものという気もします。自分も同じ立場なら竜を憎むでしょうから。自分の都合しか考えない人があまりに多すぎるし、そういうものだと思っていたほうが楽です。この人たち…
[良い点] 人の負の感情を丁寧に書かれていること。 でも、ただの負の感情があるだけでなく、その先に何かありそうなワクワク感があること。 [一言] 今後も応援しております
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