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5-5 だから竜を《殺》しましょうと少女は微笑んだ

 竜は嘆きに落ちた。

 嘆きの毒に身を焼かれながらも、幾歳もたえ続け、だがそれが報われることはついぞなかった。ひとびとは竜の涙の意を尋ねることはなく、竜の嘆きを理解することもなかった。なればこそ、語らなければならないと、メリュは想った。


「捧げものをすれば、雨が降りだす。あなたがたは竜が捧げものを喜んで、恵みをもたらしてくれているのだと想っていたようだけれど、ほんとうは違ったのです。竜は嘆いていた。無辜の娘が犠牲になることを」


 町の者たちは一様に驚き、信じたくないとばかりに頭を振った。

 竜が捧げものを欲していないのならば、娘はなぜ、犠牲にならねばならなかったのか。町のためだからこそ、愛する家族を犠牲にすることを承服し、諦めてきたというのに――と。


「あれは、竜の嘆きの雨だった」


 メリュは繰りかえす。


「竜は娘が湖に投げこまれることを嘆いて、とめどなく涙を流していた。泣いて、泣いて、泣き疲れて、竜の涙が涸れると旱魃になる。するとまた祭りが催され、捧げものが湖に投げこまれた。竜はまた嘆き、雨を降らせ――この町はそれを繰りかえしてきたのです」


 まさに悪循環だ。竜をいたずらに嘆かせ、ひともまた最愛の娘を奪われ続ける。

 誰も報われず、幸福にはなれない。

 そんな負の連鎖を、この町は数十年に渡り続けてきたのだ。

 それもただ繰りかえしてきただけではない。悪循環のうちに竜はこころをすり減らし、衰えていった。葡萄の収穫は減り、天候はみだれやすくなった。


「竜を信頼してなにもせずに待っていれば、竜は穏やかな天候を取りもどして豊穣をもたらしてくれたはずです。けれどあなたがたは、ひとときでも恵みがないことにたえられなかった」


 竜がまた、哀哭する。

 幾千、幾万の竪琴の弦がいっせいに震え、弾けて切れるような、凄絶な響きだった。

 この絶叫を聴いても、町の者はただおそれて、身震いをするだけだった。どんな激情をもって、なにゆえに吼えているのか。思いを寄せるものなどいない。


 いなかったから、竜は壊れたのだ。


「町は満ちたりていた。そうではありませんか。ねえ、長老さま。秋の葡萄が不作だったとしても、余裕をもって冬を越えられるほどに、町には蓄えがあったはず。娘を差しだすことよりも、蓄えが減ることをおそれたのですか!」


 糾弾する言葉の端が段々と震えはじめた。ぱき、ぱきと薄氷が割れ、砕けるような響きがあった。怒りではなかった。嘆きだ。娘は嘆いていた。竜の嘆きが移ったかのように。


「春に捧げられた娘のことを想い、竜は泣き続けていたのです。春から、いまこの時まで」


 町の者はそうではなかっただろうと。

 犠牲を惜しみ、悲しんでも、傷をかかえ続けるのは家族くらいだ。他の者は、悼んだとしてもその場かぎりだ。だから繰りかえせるのだ。


「竜はただ、捧げものなどやめてほしかった」


 それだけだった。といって娘は項垂れた。


 町の者は終始黙り続けていたが、娘が語り終わったのを確かめて、段々と騒めきはじめた。

 なんで竜が。捧げものはいらなかっただと。そんな。町がなくなっちまって。あの娘は竜を斬ったぞ。どうすればいいんだ。竜は、竜が、竜を――喧騒が細波のように寄せてはひいた。ひとびとは激しくうろたえている。町が壊され、竜はなおも暴れ続けているのだ。無理もなかった。メリュは群衆の意がかたまるまで、黙り続けていた。


「な、なあ、竜は……いや、り、竜を」


 イラカが震えながら呼びかけてきた。

 彼は腫れた頬をひきつらせて、どもりながら声を振りしぼる。


「竜を、こ、殺して、くれるんだよな?」


 メリュが絶句する。


 頭を殴られでもしたかのようにふらついて、彼女はひどく頬をゆがめた。

 娘の絶望も構わずにイラカは縋りつくように彼女の細い肩をつかむ。ちからの加減もなく娘を揺さぶりながら、彼は激しく声を荒げた。


「あんたは、竜を殺せるんだろ……殺してくれよッ、なあッ」


 彼は最後には濁声でがなりたてた。

 それに続いて、まわりのものもいっせいに騒ぎだす。


「竜を殺せるのか! 頼む、殺してくれ!」「助けておくれよッ……みんな、竜に殺されちまうよッ」「町を護るどころか、竜が町をあんな」「働いて働いて、やっと建てたわが家だったのに」「なんもなくなっちまった」「葡萄酒の蓄えが」


「――全部、竜のせいだ」



 町の者が殺到して、娘に縋りついた。

 腕を取り、脚を握り締め、髪をつかみ。津波が、ことごとくをひきずりこもうとするかのように。若者はもとより、竜を崇めていたはずの老婆までもが、竜を殺してくれと哀願する。

 メリュは理解する。竜がなにを望み、なにを嘆いていたのかを、幾百幾千の言葉を重ねて語れども、彼らはそれを理解することはない。そもそも彼らは竜が嘆いていようが喜んでいようが、構わないのだ。豊穣さえあれば、竜の意などいかにあろうと。


 彼らがなにを犠牲にしても護りたいと望むのはただ。


 それぞれの、穏やかな暮らしだけだ。


 暖かな食卓に寝台、雨風を凌げる家――細やかな望みだ。彼らの望みを責められるものなどはいない。されども、それらを維持するための犠牲は、あまりにも重かった。

 誰かを傷つけ、いのちまでも奪い取るのならば。


 いかに細やかであろうとも、それは欲だ。


 いまなお、毒に身を焼かれる竜が激しく、絶叫する。

 メリュはぎりっと青ざめた唇をかみ締めた。焼けた鉄のような絶望を飲みくだして、彼女は唇の端を緩める。微かに錆のかおりがした。


「……わかりました」


 槍を構えて、群衆の腕を振りほどく。

 彼女はひとびとを振りかえり、悠然と微笑みかけた。


「竜を殺しましょう」


 かならず、息の根をとめます。

 ふたたびに嘆くこともできないように。

お読みいただき、御礼申しあげます。

続きは12日(土)20時に投稿致します。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 所詮人間は浅ましい生き物ですが、それでも浅ましい中で生きていくしかありません。この人たちを見て、愚かだとはちょっと言えないし咎められないですね。我が身が可愛いですし、そのために生きています…
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