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4-2 斯くして地獄の果てで《竜殺し》は為された

「殺しました」


 想像はついていたはずだ。それでもラグスは絶望するように頬をゆがめた。


「愛していたんじゃないのか」

「愛して、愛されていました」


「それならば、何故」

「望まれたからです、どうか、息の根をとめてくれと」


 彼女は感情をこめずに続けた。由縁のない昔話を語るように。

 あるいはそう努めなければ、ひとつたりとも、語れないとばかりに。


「竜は嘆きに堪えきれず、壊れてしまったのです」


「戦争のせいか」


「正確には略奪と征服です。戦争が終わってしばらくのあいだは、大陸の北端に訪れるものなどいませんでしたが、ひとは森を崩し、湖を越えて、その領地を拡げていきました。食糧をもとめて、恵みのある地域をもとめて」


 斯くて、彼女の故郷にたどりついたものたちがいた。


「集落に襲いかかってきたのは飢えた兵隊たちでした。彼らの頭のなかには、奪うことしかありませんでした。あるいは話しあえれば、結果は違ったかもしれません。集落のひとびとは、森と故郷を護るべく抵抗しました。棒を握り、斧を掲げ、鎌を取り。ですが兵隊に敵わず、敢えなく殺されていきました。集落は焼かれ、亡骸が積みあがり、森は荒らされて……母さまは嘆いて、嘆いて、遂には壊れてしまった」


 竜は暴れた。兵隊を踏みにじり、剣を握っていたものをことごとく焼きつくしていった。


「けれどそれは、然るべき報復だったんじゃないのか」


 兵隊は実りを略奪し穏やかな暮らしを壊して、いのちを踏みにじった。悪しき略奪者は裁かれるべきだと、ラグスは訴える。


「確かに、集落のひとびとは歓喜しました」


 メリュは濡れた睫毛をふせた。頬に影が落ち、複雑な紋様が浮かびあがる。


「竜が敵に報復してくれた、集落と森を護ってくれるのだと。竜に「兵隊を殺せ」とまで叫んだ。ですがひとを殺せば殺すほど竜の嘆きは募ります。それが略奪を働いた敵であっても」


 竜は慈愛と博愛の生きものだ。

 ひとを愛し、森を愛し、海を愛し、無償の慈しみをもって万象を育んできた。故に死を嘆き、争いを嘆き、不条理を嘆いた。


「竜はますますに壊れていった。竜が集落の者まで巻き添えにして暴れだすと、ひとびとは慌て、あろうことか、「竜を殺せ」と騒ぎはじめました」


 それは、悲劇という言葉でも到底言い表せないほどの、地獄だった。

 ラグスが傷の痛みを堪えるように貌を顰める。かける言葉もないのか、喉を震わせたが言葉はなかった。メリュはなおも喋りつづける。表情を凍らせたままで。


「竜が絶望の咆哮をあげると、星が落ちました」

「星が落ちた?」


 尋ねかえされ、メリュは頷いた。


「竜の嘆きに天の星が落ちる、なんてことがあるはずがない。ですがわたしには他に表現ができません。空から青く燃える星の屑が降りそそぎました。竜の涙のような、青い星です」


 脚に絡む夜着をさばいて、娘が躍るように星くずを蹴りあげた。

 砕けたしぶきにも青が映り、ちらちらと霧のなかで瞬きながら落ちていく。くるりとまわってから、メリュは項垂れるように動きをとめた。


「星に貫かれたものは眠るように息絶えました。集落のひとびとも星をあび、誰も生き残らなかった……竜もまた、愛するべきものを殺め、壊れてしまった」


 なにもかもが崩壊したなかにただひとり、まだ幼かった彼女だけが残された。


「それで竜を殺すに到ったのか」


 問い質され、彼女は弱々しく頬を持ちあげた。


 なおも微笑み続けようとする。それがことさらに傷ましくやり場のない悲嘆を表していた。悲しみが募るほどに娘の微笑は冴えわたるのだ、きっと。


「おまえは、望まれたら親でも殺すのか」


「失望、しましたか」


 掛ける言葉を決めかねて、ラグスが唇の端をひき結んだ。


 ラグスの眸のなかには、絶望とも忿怒(ふんぬ)とも悲嘆ともつかない激情が(もつ)れあいながら燃えていた。沈黙を破るように重い息をついて、彼は涕涙(ているい)する天を仰いだ。

 息をつき終わると、ラグスは視線をさげる。

 とがっていた双眸の端を緩ませ、微笑みかえすようにいった。


「おまえは憐れだね」


 メリュは戸惑い、瞳を揺らす。


「竜を殺す娘が、憐れですか。殺された竜ではなく?」


「竜は憐れじゃない。愚かだよ。そもそも竜が壊れたのはひとなんかに等しくこころを寄せたからだ。そんなことをしなければ、ひとがどれだけ殺しあおうと嘆かずに済んだのに」


「愛することは愚かですか」


 訴えるように、娘は尋ねた。だが彼は唾棄して、彼女の言葉を払いのけた。


「愚かだよ。奪われるだけ奪われて。最後には身を焼きつくす嘆きにたえきれなくなって、みずから壊れていく。愚かにもほどがあるよ」


 メリュはなにかを言いかけたが、ラグスはそれを待たなかった。


「濡れるのも、おまえと喋るのも、いいかげん馬鹿らしくなってきた。僕は寝るよ。おまえも明晩に備えて、ちょっとくらいは眠っておきなよ。捧げ物さん」


 最後に手を振って、彼は遠ざかっていく。

 黒に覆われた後ろ姿はすぐに、暗い霧の帳に紛れてしまった。後に続くこともせず、メリュはたたずみ続ける。娘を濡らす空の雫はまさしく、嘆きに壊れた竜の涙のようだった。

お読みくださいまして、御礼申しあげます。

続きは7日(月)20時に投稿致します。


いよいよ祭が始まります……

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― 新着の感想 ―
[良い点] メリュの故郷に起こった出来事は、この世界ではありふれたことで。竜とともに、生きる時代が終わってしまったことの余波なのでしょうか。人間が変貌し変わったことで、竜も必要とされなくなってしまった…
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