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3-7  約束された《安寧》になおも雨は降り続く

 食卓いっぱいに暖かい料理がならべられていた。

 時間をかけてじっくりと煮こんだトマト風味のシチューに焼きたてふわふわのぱん、川魚のオイル漬け。葡萄の実を野鳥に詰めて焦げめがつくように焼いたバスク地方の郷土料理など。どれも素朴なものばかりだが、豪華な馳走よりも逆に食欲がそそられた。

 雨続きで肌寒い晩にぴったりの料理ばかりだ。


「どうぞ、おなかいっぱいたべてね」


 ミナは笑顔を振りまきながら、てきぱきと料理を取り分けてくれた。


 今晩の料理はすべて、彼女が準備してくれたものだ。

 明晩には捧げものにされることが決まっているのに、彼女は僅かも憂いもみせずに明るく振るまっていた。年端もいかないのに、けなげなほどに気強い。

 彼女は癖のある髪を編みこんで、ふたつに結わえていた。おさげを躍らせながら、くるくると働いている。杖をつきながらよくもこれだけ動けるものだとメリュは感心しきりだった。脚をひきずってはいるものの、まったく動かせないわけではないようだ。階段も一段一段、ゆっくりとではあるが、慣れた様子で移動していた。


「美味しいです。それにからだが暖まりますね」


 ひとくち匙をふくんで、メリュが感嘆の声をあげる。横にすわってシチューに舌鼓をうっていたラグスがあきれたようにいった。


「なんだ、おまえ、味がわかるんじゃないか」

「あたりまえじゃないですか」


 メリュは猫のようなかたちの瞳をまるくしてから、しばたかせた。


「旅のあいだ、ずっと、まともなものを食べてなかったからさ。てっきりおまえは舌か、頭のどちらかが腐ってるんだとおもってたよ……ということは頭だったわけだ、なるほどね」


「え、納得しないでくださいよ。それに旅をしながら、ちゃんと料理もしていましたよ」


「蜘蛛を串刺しにして焼くのが料理なわけがないだろ。ついでにいえば、蛇をまるごと煮るのも料理じゃない。おまえ、よくあんなの食べて、腹を壊さないよね」


「毒のない蛇や蜘蛛を選んでいますよ?」


「そういう問題じゃないだろ……あぁ、思いだしたくもない」


 ラグスはきぶんが悪くなってきたと額を押さえた。

 旅のあいだの料理にもなんの疑問も不満ももっていないメリュは不思議そうにしながらも、暖かい料理の数々を頬張り、美味しいと繰りかえす。


「よかったあ。町の郷土料理なの。いまは雨続きだけど、この町はおいしいものがたくさんあるいい町なんだあ。あ、よければ青葡萄酒(あおぶどうしゅ)もどうぞ」


 ミナは食卓の端におかれた樽をさす。


「残念ですが、わたしはお酒が飲めないので」

「せっかくだから、僕だけいただくよ」


 樽から葡萄酒がそそがれる。満ちた硝子の杯にラグスが()を細めた。

 青葡萄酒(あおぶどうしゅ)というだけあって透きとおった青の、それはそう、竜が棲む湖を想わせるような神秘的な色だ。杯をまわすと、なみなみとそそがれた葡萄酒が瞬いた。

 都では高額すぎて、貴族や富豪をのぞいては到底飲めない最上級の酒だ。


「ん、なるほど、変わった味わいだね」


 隣でラグスが杯を傾けただけでも、弾けるような芳醇がメリュの鼻さきをくすぐった。


「あまい。それでいて、嫌みがない程度に潮の味が残る」

「それが、青葡萄酒の特徴なの」


 ミナが誇らしげに葡萄酒の樽をなぜた。


「竜葡萄があるかぎり、この町は豊かなんだ」


 みるかぎりではこの町の暮らしは豊かにはほど遠かった。

 だが、つぎはぎの服を着た彼女は、豊かだよと繰りかえす。


「ばばさまがいつもいってた。豊かさっていうのは町を華やかに飾りたてることでも、毎晩ご馳走をかこむことでもないんだよ。細やかでも暖かな食卓と、うんと脚を伸ばせる寝台。雨と風を凌げるお家があって、なにがあってもそれが奪われないことなんだって」


 奪われない。それは、戦争によってか。あるいは飢饉によってか。


「約束された安寧。それをもたらしてくれるのが、竜の神さまなんだよ」


 彼女はそういって、晴れやかに微笑んだ。

 いま、その安寧をおびやかしているのが、他ならぬ竜だというのに。


 現に穏やかな食事のあいだも、雨は降り続けていた。

 屋根に敷きつめられた瓦に雨の雫が浸みていくさまが、メリュの頭のなかにくっきりと浮かんだ。煉瓦は雨には弱い。いつ、がらがらと町全体が崩れだしてもおかしくはなかった。

 それは胸に募り続けた悲しみが遂に堪えかねて、堰をきってあふれだすのにも等しい。

 もとは一滴にすぎずとも、滴り続ける涙はすべてを根こそぎ飲みこむ激流となりうるのだ。


「ミナさんは、お料理がじょうずなのですね」


 メリュは暗い想像を振りはらうように話題をむけた。


「そんなあ。このくらい、たいしたことないよお」


 ミナは照れて、ぽっと頬をそめる。恥じらいながら彼女は続けた。


「あたしは、みんながおいしそうに、ご飯を食べてくれるのをみてるのが好きなだけ。だってあったかいご飯をかこんでいるときって、幸せなきもちになるでしょ」


 ああ、この娘はどんな思いをかかえて、いま、笑っているのだろうか。

 メリュはぎゅっと、膝に乗せたてのひらを握り締めた。彼女のような無辜の娘こそが幸せになるべきなのに、と強く想わずにはいられなかった。



     † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ † ‥ †



 夕食を終えると、続けて食後の紅茶と菓子をもってきてくれた。

 竜葡萄の葉の紅茶とパウンドケーキだ。頬張っただけでもほろほろと柔く崩れる生地には、乾かした葡萄がふんだんに練りこまれていた。竜葡萄の紅茶も、葡萄の葉だけだというのに、うっとりとするような葡萄の香りがして角砂糖を落さずともあまかった。青葡萄酒だけではなく竜葡萄をつかった料理でも、じゅうぶんに名物になりそうだ。


 さすがに杖を握りながら盆をささえるのは難しいのか、菓子を運んできたのはイラカだった。


「どうだ、妹の料理は。うまいもんだろ」


 イラカが自慢げにいった。


「ええ、素晴らしかったです。ありがとうございます」

「久し振りにまともなものを食べたよ」


 そうだろうそうだろうとイラカは何度も頷き、ミナが恥ずかしそうに「もう、おにいっ」とイラカの服のすそを引っ張る。ほんとうに仲のいい兄妹だとメリュは微笑ましく瞳を細めた。

 ミオが上目遣いに尋ねてきた。


「あの、旅人さんたちと一緒にお茶を飲んでもいい……かな」

「もちろんですよ、そのほうがわたしたちも嬉しいです」


 ミナとイラカもならんで、椅子にすわった。

 むかいあうようなかたちになって、他愛ない話をしながら紅茶と菓子を楽しんだ。

 ミナがせがむので、メリュとラグスは旅の話をすることになった。どんな町を巡ってきたのかという話からはじまり、やはりミナは料理が好きなのか、各地の郷土料理に話題が移る。


「すごいすごい、砂漠にも町があるんだ。ね、その町にはどんな料理があるの? 喉が潤う料理とか? あ、でも、砂漠だから、やっぱりお野菜はないのかな」


「その砂漠の町は農耕民族の暮らす町なんです。砂漠の泉でだけ収穫できる作物があって。砂にろ過された水を吸い、育った野菜はどれも驚くほどにあまくて、みずみずしいんですよ」


 この町から離れたことのないミナは、見果てぬ風景を想像して歓喜する。目を輝かせて無邪気にはしゃいだ。けれど楽しいばかりではないのだろうと考えたのか、続けてこう尋ねてきた。


「でも、旅をするのはたいへんだよね、きっと。あぶないこともあるんでしょ」


「街道から離れなければ、危険というほどではありませんが、それなりには強くないと。いざというときに身を護れませんから。あるいは護衛を雇うとか」


「戦争が終わってから、許可を取れば誰でも旅ができるようになったけどね。そのぶん、傭兵崩れの賊も増えたし、森には狼や熊もいる」


 そっか、やっぱり旅をするのも楽じゃないだなあとミナは肩を落とす。


「ね、そんなにあぶないのに、ふたりはなんで旅をしているの」

「わたしは――」


 竜を殺すために、とはいえなかった。


 竜を信仰している彼女にほんとうのことをいえば、計画が破綻させられるかもしれない。かといってとっさに嘘がつけずにこまっていると、ラグスが横から割りこみ、助けてくれた。


「僕たちは薬の素材を収集しながら、町を転々として行商をしているんだよ。ひとつの地域に留まっていても薬の素材は集まりにくいからね。それに。僕も彼女も、旅をしていると落ち着くんだよ。そういうさがなんだろうね」


「そっ、か。そうなんだ。あたしは……やっぱり、この町がいい、かな。旅をするのは楽しそうだけど、あたしは暮らしなれた町にいるのが、いちばん幸せだとおもうの」


 そういって、彼女はにっこりとはにかんだ。


 彼女は町を愛しているのだ。竜におびやかされ町のために命を奪われようとしてもなお、彼女にとってはかけがえのないただひとつの故郷なのだ。


「ふたりの故郷はどこにあるの」


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

今回は食事回でした(*^^*)

続きは3月2日(水)20時に投稿致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 和やかな雰囲気の良い場面でした。料理の描写がやはり巧みで感服してしまいました。素晴らしい卓越した言葉使いには、いつも勉強させて頂いております。 [一言] 蜘蛛の串焼きと蛇の姿煮ですか。さす…
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