3-4 竜を殺しましょう、もはや《嘆く》こともできず、息絶えるように
「妹さんを、竜に捧げる、ですか」
ずいぶんと不穏なことだ。
そこまで喋るつもりはなかったのか、若者が悔いるように視線をさげる。
「祭りとも関係がありそうだね。詳しく聞かせてよ」
「いや……けど、あんたらは旅人だ」
「違うね、僕らが旅人だから、喋れるんだよ。明朝には町を去るよそ者だから後腐れがない。面倒ごとに巻きこんでも、それはそれで構わないはずだ。そうでしょ」
ラグスに促され、若者は悩んでいたが、けっきょくは折れた。
「話す前に名乗っておかないとな。俺はイラカ。さっきいたのが妹のミナだ」
「どちらも水の恵みを表す言葉ですね」
「町のならわしなんだ。竜の加護があるように、ってな」
イラカに続いて、メリュとラグスも名乗った。聴きなれない響きだったのか、イラカは覚えにくそうに何度か復唱する。
「どこから話したらいいのか」
あらためて、イラカは胸のうちに溜めていたものを吐露するように喋りだす。
「この町は戦争の頃から旱魃になりやすくてな、天候が荒れて竜葡萄の収穫があやうくなると決まって、祭りを催すんだ。竜に雨の恵みをもたらしてくれと頼むための祭りだ。祭りの最後には竜の捧げものとして選ばれた若い娘を棺にいれて、湖に沈める。そうしたら、どれだけ天候が荒れて、晴れが続いていても、かならず雨が降るんだ」
それは言葉にするのもためらわれるような、町の因襲だった。
予想していたとはいえども、ふたりは話を聞きながら表情を曇らせた。
「春にも、旱魃があった」
春の終わりに女がひとり、捧げられたのだという。
「雨は降った。確かに降ったんだ、けれど」
「それきり、やむことなく、降り続けていると」
イラカは項垂れ、頭を掻きむしった。
「そうだよ! もう三カ月だ。なんでこんなことになっちまったんだっ……」
これでは豊穣どころか、葡萄畑が根腐れして全滅することも考えられる。まだ晴れているほうが凌ぎようがあった。
明晩は雨を降りやませてくれと、竜に頼むのだという――彼の妹を捧げて。
「昔から竜の言いなりになってきた! 竜が望むままに娘を捧げて! 五十年前、三十五年前、二十五年前、十五年前、八年前と。段々旱魃の周期が短くなってきてやがる。葡萄の実りだって年々悪くなるいっぽうだ。竜に弄ばれてるんだよ、この町はッ!」
イラカは怒りにまかせて、樽を殴りつける。樽のなかに満ちている葡萄酒がたぷんと波うつ音が、やけに重く響いた。
「これまではずっと、諦めてきた……。竜はこの町では神さんだ。神さんには逆らえないとおもってた。けどこれいじょうは堪えれない! あいつがなにをしたっていうんだ! あいつは幸せになるべきだろ……なんでっ」
吼えるように彼は訴えた。
ラグスは黙って話を聴いていたが、メリュに尋ねてきた。
「竜が捧げものを欲するなんてことがあるのか」
「わたしが知っているかぎり、例はありません。ですが正気を失った竜のなかには、飢えてひとを喰らうようになってしまったものも、確かにいます。《輝く鉱脈の竜》はこころが壊れてもなお、みずからを制して眠り続けていましたが、あんなに辛抱強い竜はめったにいません」
「ふうん、ほんとうにひとを喰らう竜もいるのか」
町と実りを維持するために、犠牲を強いられてきたひとびと。
どれほどの恐怖か。どれほどの絶望か。想像するだけでもメリュは身震いする。
豊熟する葡萄は犠牲になった娘の魂だ。樽を満たす葡萄酒は悲しみの涙だ。それを町の名産だと誇り続けなければならない宿命が、この町を暗く沈みこませていたのだ。
「事情はわかりました」
メリュはきゅっと表情をひき締めて、頷いた。
それが竜のせいならば。
竜のせいだと語られているのならば。
「わたしがちからになりましょう」
彼女の言葉に戸惑い、イラカは視線を彷徨わせる。
「け、けど、竜は殺せないんじゃ」
「竜は殺せません。いかなる剣をもってしても。どれほどの軍隊をひきいても。ですがひとつだけ、例外があります」
イラカはなかば縋りつくようにいった。
「どうすりゃいいんだ。俺にできることだったら、なんでも」
「おまえには無理だね」
はらい落とすようにラグスがいった。
竜を殺せるものはせかいにただひとりだけだ。
メリュが胸を張って、ひとつ、踏みだす。
「わたしは、竜を殺せます」
イラカは驚いて、目を見張る。
その表情に疑いがよぎる。まじまじと娘を眺めまわす視線はやがて、娘の背にそそがれた。
彼は今頃になって気がついたようだ。娘のか細い背にある斧槍に。槍は彼女の身のたけを越え、柄に巻かれた擦りきれた布からはずいぶんとつかいこまれていることがわかる。
こんな華奢な娘が、これを振るうのか。なんのために振るってきたのか。
イラカの想像が理解に到るのを見届けてから、メリュは続けた。
「竜が、あるべき秩序を損なっているのならば、わたしが殺しましょう」
菫の瞳が水晶のように透きとおる。
静かだ。それでいて、強い殺意があった。
かぎりなく慈愛にちかい、こんな殺意があることを、誰が知るだろうか。
彼女だけだ。
彼女だけが懐き、彼女だけが振るい、彼女だけが知る。
故に竜殺しの娘は繰りかえす。
残虐なまでに美しい微笑を湛えて。
「殺しましょう。せまる死の跫も聴こえないよう、ひと息に。喉を貫きましょうか。背を割って、胸をえぐって、心の臓を破ってもいい。もはや嘆くこともできず、息絶えるように」
背につき刺さるラグスの視線が、ごうと怨嗟にも等しい激情をはらむ。
気がついていながらもメリュは決して振りかえらなかった。
荊を敢えて、踏みしだくように。
「わたしは、竜を殺すために旅を続けているのですから」
お読みいただき、こころより御礼を申しあげます。
続きは27日(日)20時に更新致します!
引き続き、お楽しみいただければ幸いでございます