ステレオタイプ
「事件のことで、何か進展はありましたか?」
喫茶店の一角で、立石悠太は正面に座る宮本誠実に尋ねた。
「いや、中原妙子さんを刺殺した犯人に繋がる糸口は、何も掴めていない」
宮本まさみは、名前どおりに誠実な態度で答える。
「今わかっているのは、被害者は生前、花屋を営んでいて、近所の佐々木さんの自宅へ花を届ける途中で殺害されたということ。遺体の傍に落ちていた紙袋の中身が、佐々木氏が注文した花で間違いないとの確認もとれている」
言葉を返さず、ただただ宮本の言葉に耳を傾ける。
「そして、何故か紙袋の中から花が一つ抜かれ、それを被害者が握りしめたまま亡くなっていたこと。どうやらその花の名は芍薬というらしく、被害者が残したダイイングメッセージではないかと見て、調査を進めている」
話を聞きながら、悠太は顔を俯かせる。
「すまない、遺体の第一発見者である君としては、一刻も早く犯人が捕まらないと気が気じゃないよね」
この時、悠太は遺体の状況を思い出していた。
藪の中に横たわる女性の遺体。
恐怖や苦痛により限界まで見開かれた瞳孔。
そして血まみれの手で握られ、真っ赤に染まった一輪の花。
「いいえ、こちらこそ、僕みたいな高校生の子供に時間を割いていただいて、感謝しています」
その言葉に宮本の表情が一瞬だけ緩み、そして真剣な表情になる。
「ありがとう。だが、これだけは聞いてくれ。あれから事件現場に行って手掛かりがないか探しているようだが、そんな危ないことはやめてくれ」
「大丈夫ですよ。あの辺はまだ警察の人がうろついてるから、犯人も手出しなんかしませんよ」
「その考え方はダメだ。いいかい、どんな時でも、固定観念を持ちすぎてはダメだ。きっとこうだろう、きっと問題ないだろう、なんて考えちゃいけない。固定観念によって、思わぬ悲劇を招くこともある」
宮本の迫力に、悠太は頷くしかなかった。
「悠太、もう終わったの?」
店を出て宮本と別れると、幼馴染の釈楓香と会う。
「楓香、どうしてここに?」
「事件があってから、いつも警察の人と話したりしてるから、疲れてるんじゃないかと思って心配で」
「もう高三なんだから子供扱いするなよ」
「そう?じゃ、帰ろ。悠太、もし困ったらいつでも相談してね。幼馴染なんだから」
わかったよ、と言うが昔から楓香のお節介さが鬱陶しくて、そして好きだった。
釈楓香が事件の容疑者として逮捕されたのは、その二日後のことだった。
「どうして…どうして楓香が犯人なんですか!?」
宮本を問いただすと、彼は真相を語った。
「被害者の爪から、釈楓香さんの皮膚片が検出され、更に例の紙袋からは指紋が検出されたんだ。犯行当時、被害者と一緒にいた証拠だと断定された」
毅然として言い放つ宮本の言葉が、現実のものとして受け入れられなかった。
「そして、彼女の親は中原さんに多額の借金をしており、その取り立てを代行業者に依頼していたために、かなり追い詰められていたらしい。そして最後に、遺体が握っていた芍薬は釈楓香のアナグラムではないかという結論に至ったんだ」
動機から証拠まで揃っていた。
残酷な現実を前に、その場に崩れ落ちる。
楓香は否認を続けるも覆らず、絶望し留置場で自ら命を絶った。
あれから十年が経つ。
悠太は、毎年楓香の墓参りを欠かさなかった。
この日も楓香が眠る地を訪れると、見覚えのある背中を見つける。
「宮本さん!」
「悠太くんか、大きくなったね!」
「その節は、本当にお世話になー」
言いながら、宮本の目の前に立つ墓石に彫られた文字を見て思考が停止する。
ー中原家之墓ー
「悠太くん、芍薬の花言葉を知っているかい?同じ花であっても、色によって花言葉が変わる花がいくつもあるけど、芍薬もその一つでね。ピンクははにかみ、白は幸せな結婚、そして赤は…」
ー誠実ー
「被害者ははっきりと元夫である俺の名を示していたのに、どうして誰も気付かなかったんだろう。それはね、刺殺体の手が血まみれになっているのは何も不思議ではないから。よってその手に握られた花が赤く染まっていて当然だと、誰もがそう思った」
宮本は言葉を続ける。
「釈楓香さんは、偶然会った中原に借金の返済を待ってもらうよう頼んだ。その時もみ合いになり皮膚片やら指紋が残った、ただそれだけ。芍薬のアナグラムだって、意識が朦朧とする被害者がそんな複雑な思考できるはずないのに、誰もがその考えから目を逸らした。結果的にはただの偶然なのに、あまりにもよくできていたから、きっと間違いないだろうと判断した」
電源を落としたように、目の前の景色が色を失う。
「残念だよ悠太くん、固定観念はダメだと、あれほど忠告したのに」
中原妙子の墓に供えられた白い芍薬が、風に揺れる。