第80話 多くの罪を、背負う者。
城の下の方で音がする。
「……ついに、来たか」
俺は言う。
「ええ、ラールド様。我ら聖騎士が彼らなど、木っ端微塵にして差し上げましょう!」
聖騎士団の団員たちが口々に言う。
「そうか、だが侮るなよ。奴らは俺の教え子だ」
『はっ!』
聖騎士たちはここから出ていった。どうやら迎え撃つ準備をするらしい。
俺は瞼を閉じる。
__昔、俺には、想い人がいた。サルバドール国で1,2を争うほどの有名な商団の娘、アリス・ミラーという人だった。
とても美しいと街でも評判で、没落貴族の跡取りという立ち位置の俺にも話しかけてくださる、優しい方だった。
ただ、彼女の幸せを望んでいた。
初めて彼女と会ったのは、子供の頃。彼女がお忍びで市場に訪れている時だった。それ以来、よく、俺はアリスに会いに行くため、ミラー邸に忍び込むようになった。
***
「アリス! 遊びに来たぞ!」
俺は窓の外から言う。
「まあ、今日は遅かったわね! じゃあ、このクッキー食べるかしら?」
彼女は窓を開けて笑顔で言う。
「おう!」
俺は窓から部屋に入る。そのまま、クッキーを頬張っていると、『コンコン』と言う音がした。
「ん? なんだ?」
俺は顔を出す。
「っ、隠れて!」
すると、彼女の父親が入ってきた。
「おい、お前、こやつは何者だ」
彼女の父親はギロリとこちらを見つめる。
「あの、お父様、これは……」
彼女は怯えた表情で後退りする。すると、父親は彼女の頬を力一杯に殴った。
「っ! なにしやがるんだ!」
俺はそのまま、父親に体当たりした。どうにか彼女を殴るのをやめさせようと思った。
だが、所詮は子供の悪あがき。すぐに俺を殴られて遠くへ飛ばされた。
「やめて! 私が悪いの……。だから、彼はなにも、関係はないから……」
「おい! 違うぞ、俺が……」
***
そのまま、意識が飛んで気づいたら知らないところにいた。どうやら、俺は騎士団に売られたようだった。
その後、俺は剣に打ち込んだ。そして彼女は、噂で聞いただけだが、とても頭のいい、商団の娘に相応しい、聡明な女性になったそうだった。
だが、また、奇跡が起こる。俺が騎士団で城壁を防衛していた時、彼女にあったのだ。
「アリス……!」
「……ラールド……?」
彼女は涙を流した。俺の名前を覚えていてくれたのだ。
今度はバレないように、騎士団の方にアリスが遊びに来るようになった。だが、
絶対にあの日、ミラー邸で俺の意識が飛んだ後、何があったのかは教えてくれなかった。
「いつか、私を護衛してね」
彼女はこの言葉をよく言っていた。が、結局は叶わなかった。
彼女は結婚したのだ。しかも相手は確か、アークリー家が代々、王をしている隣国。その商団などを取りまとめている公爵家の長男。隣国への商団の進出を考えた、彼女の父親の判断だった。
要するに、政略結婚だ。
最近は自国との関係がよくない隣国に、彼女を行かせるのはとても不安だった。が、彼女は、
「皆の役に立つためだもの。きっと大丈夫よ」
と言って聞かなかった。
「でも、顔すらも見たことのない人と結婚するんだぞ!? 嫌じゃないのか!」
俺は必死にこの国に残るように言い続けた。
「……嫌に決まってるじゃない……」
彼女はたくさん泣いた。あの時の顔は今でも鮮明に覚えている。忘れられなかった。
「なら、俺と一緒に逃げよう!」
「……それは、出来ないわ。だって、お父様が……」
「お父様なんていいだろう! あんな、お前のこと道具としか思っていない奴に!!」
「……分かっていないのね、ラールド。私、お父様に認められるためだけに、今まで頑張ってきたの。他の兄弟より、お父様に認めてもらおう、好きになってもらおうって……。だから、今更その気持ちも、お父様も、捨てられないわ……」
アリスは涙を流しながら笑う。
「……」
俺は、何も声をかけられなかった。あまりにも、重かった彼女の感情に、何も言えなかったのだ。
__そして、そのまま彼女はこの国を去った。
***
その数十年後、いよいよ悪くなってきた隣国との関係で、いつでも戦争をできるようにと、俺も彼女の居る国にスパイとして潜入することになった。
地位としては、騎士団の団長を任されるそうだ。
その国に着く。いつもの自国と差して変わらないような平和で何の変哲もないような町。
『いつか会えるかもしれない』と淡い期待を抱いたりもしていたが、この広い世界で、2度も会えた事自体が奇跡だったのだと知った。
そして、数年がたった時、俺は1人の騎士見習いを育てていた。名はカムレア・ミルトレイという。とてもいい才能を持っている。……これも因縁というものなのか、まさかあちら側の者がやってくるなど、思ってもいなかった。
俺によく似た、運命に抗えなかった少年。……いや、抗えたからここにいるのか……どちらにせよ、どこか、他人だとは思えなかった。
***
「お願いします! 私に、剣術を教えて下さい!」
純白で波を打つような美しい髪を青いリボンでまとめていて、ガラスでできたような綺麗な赤い瞳を持つ少女は土下座する。
「お前、面白いなぁ。貴族なのに俺たちなんかに土下座しようとするやつなんて、初めて見たぜ!」
俺はそう言う。
「は、はぁ……」
少女は今更恥ずかしくなったのか、顔が赤くなる。
「よし、いいだろう。お前も今日から練習に加わるといい! お前、名前は?」
俺は、普段ならこの、男女格差の激しい国で、許可などするはずがない。そんなことがバレたら、尚更、この騎士団に注目が集まり、情報活動がしにくくなるのだが、なぜか、俺は許可をしてしまった。
「は、はい! ありがとうございます! 私はキャスリーン・ガルシアでございます!」
少女は笑顔で言う。
__急に、彼女の言っていたことがフラッシュバックする。
「隣の国の、商団などを取りまとめている公爵家の長男の方に嫁ぐの。といっても、一人息子らしいんだけどね」
アリスは一旦、口を閉じてから紅茶を飲む。そして、
「苗字は……たしか『ガルシア』だったかしら」
そう言った、彼女の顔は不器用に笑っていた。
「…………………」
俺は言いかけていた言葉を飲み込む。
「リーンだな、うん、いい名前だ!」
笑顔で、言いたかったこととは違うことを口走った。
「はい〜」
少女は笑った。その顔が、とても彼女に似ていたからか、とても、胸が苦しかった。
リーンから、俺はもう彼女が亡くなっていると聞いた。リーンの父親もだそうだ。
だから、せめて、この姉妹は守ろうと、そう考えた。だが、アリアナ・ガルシアは死んだ。上層部の意思だったようだ。だから、せめてリーンは……
結局、立場上、俺はバレないようにリーンを逃すことしかできない。リーンにも、上層部にもバレないように、彼女を逃して、いつか彼女が俺よりも強くなった時、俺を殺してもらおうと、そう思ったのだ。
俺はこれまで沢山の人を殺してきた。もう楽になりたい。この国の忠犬でいるのは疲れた。それではだめだろうか。
だから、彼女に嫌われるように、嫌な悪役を演じた。全ては自己満足のため。全ては自分が死ねるようにするため。
アリスの娘。悲劇の王妃。そんな彼女にいつか、殺されるために……。