第7話
「つまり、リーフィアくんは、昨日からセトくんの護衛をしていただけだと」
魔術師ダグラスは、話を聞き終えてそう言って、ソファの背に大きな体をあずけたまま、対面に座る二人を見た。
彼の小さな愛弟子は、ぶんぶんと首を縦に振っている。少し寝癖のついた金髪が、少年の動きにあわせてひょこひょこ跳ねた。ダグラスはその様子を見ながら、長い脚を組んで膝頭を両手でかかえた。
彼はしばらく離れていた王都に昨日の夜戻ってきたばかりだった。気になっていた弟子の様子を見に訪れたが、見知らぬ女が一緒にいたため、さすがに驚きはした。だが、部屋の様子を一瞥してとくにやましいこともないのは分かっていた。
つまり先ほどは、ちょっとした軽口でセトをからかったに過ぎなかったのだが、セトの反応はずいぶん初々しくも大げさに思われた。
ダグラスは膝を組んだまま、自分の前に置かれた飲み物に手を伸ばした。そしてセトの隣に座る赤毛の女性に視線を移す。セトの長い説明の最中に席を立ち、寝室から飲み物を持ってきていた彼女は、今は再びセトの隣に腰を落ち着かせていた。
果実ジュースで喉をうるおしながら、ダグラスは目を細めてしばし彼女をじっと見つめた。肩を上げ下げして息をするセトの様子を見ながら、リーフィアはずいぶんとご機嫌な様子でにこにこしている。
――――ふうん、なるほど。これはたしかに……
少し癖のある赤い髪に包まれた端整な顔は、生き生きとしてなかなか魅力的である。だが、ダグラスが納得した理由はそこではなかった。
彼の黒い眼に映るリーフィアの体は、ほのかに淡い光を発していた。彼よりもさらに強い異能をもつ少年は、より強くよりはっきりとその光を感じ取っているはずである。ならば、セトにとって彼女はさぞかし頼りに思える存在であろう。
リーフィアが、ダグラスの視線に気づき笑みを浮かべたままダグラスに目礼をした。彼がうなずきを返すと、彼女は再び楽しげにセトへと視線を戻した。
一方、セトは自らのコップを手に取って、両手でつかんでごくごくと飲んでいる。そして、リーフィアをちらりと見て、その余裕しゃくしゃくな態度に気がついて、何か言いたげに唇を震わせた。
仲睦ましげな二人を交互に見やり、ダグラスはそれ以上の追及をやめた。二人についてはしばらく様子を見てもよかろう。
「ところで、その骸骨の化け物についてだが」
赤髪の女性について解決したダグラスは、より重要な点について話題を変えた。セトの一連の説明は、いかに自分が潔白であるかについてに偏っていたので、彼は弟子とその護衛に詳しい説明を求めた。
「あれは……。正直よくわかりません。でも、すごく嫌な、危険なものだと感じました」
セトの言葉は、聡明な弟子にしてはあいまいで自信なさげであった。しかしダグラスは、その言葉を重く受け止めた。愛弟子のそういったものを感じ取る力が、ずばぬけて高いことを知っているからだ。
――――境界の向こう側の住人たちは、かつては現世で命を落とした者たちのなれの果てだと考えられている。第三種魔術の先人たちの経験と研究において、その説を裏付ける証拠が示されてきた。
では実際に、どういったものたちがそうなってしまうのか。
その点はいまだに研究課題である。
現世での生を終えた者たちの魂は、大いなる聖霊のもとへと導かれ、その懐で安息を得るとされている。そして、現世に対し強い未練や恨みなどの感情を抱いていたものたちは、聖霊の招きを拒否してこちらの世界に執着する。だが、死者と生者の境界を超えることはできず、結果、闇のなかに捕らわれてしまう。
――――というような話が通説とされていた。
実際の学術的な内容は、さらに細かい理屈が積み重ねられではいる。しかし、ダグラスはそういった理論的追及を、軽視してはいなかったが、過剰に期待もしていなかった。そういったものたちが存在しているということが重要であり、現実にいかにそれに対抗するべきか。その点にダグラスの注意は向けられていた。
そして彼の弟子は観測者としては極めて有能で、また、それゆえに身に着いたのか、脅威の度合いを測る術にも長けている。
そう評価しているダグラスはセトの怯えを重んじて、ひとつうなずき続きを促した。
「あとは、女性のドレスを着ていたくらいしか僕にはわかりません……」
「着ていたドレスは、少し古く思いましたね。何年前かわかりませんが、母が昔着ていたものの形と似ている気がしました」
セトが申し訳なさそうに答えると、リーフィアが説明を付け加えた。赤髪の騎士の表情は、いつの間にか真剣なそれに変わっている。
ダグラスは長い脚を組みなおし、骨ばった指をあごにあて、ふうむとつぶやいた。
「リーフィアくんは直接それと戦ったんだよね。君もはっきり骸骨を見たのかい?」
「はい、セトさまが何かしてくれてからですが。たしかに骸骨でずいぶん汚れたドレスを着てましたね」
――――なるほど、はっきりみえたか
リーフィアの返答に、ダグラスはあごに指を添えたまま、眼を閉じた。そのまま、しばし沈思黙考する。
セトがリーフィアにかけた魔術は看破と呼ばれるものである。あちらの世界を感じ取れる素養がないものに対しても、それを見ることができるようにする術だ。
だが、看破の術で得られる能力はせいぜいダグラスと同程度しかないはずだ。つまり通常は黒い影のような存在が、ぼやけて塊のように見えるのみである。セトのように強くはっきりと人型に見えるものは、極めてまれである。
しかし、白骨の姿どころか着ている衣服まで、見えたという。セトならまだしも、リーフィアにさえも。
眼を閉じたまま微動だにせず、ダグラスはさらに考える。
セトがおびえているように、その化け物は相当に強力であろう。
だが、その骸骨はいったい何者で目的は何なのか――――
しばらくして、ダグラスは閉じていた瞼をあけた。
「その骸骨の正体だが、心当たりがひとりいる」
変わりない口調で告げられた彼の言葉だったが、対面の二人は目を見張った。翠と黒の二対の目が彼を見つる。
リスルム家に関係して魔術の心得がある女性。長い金髪に、数年前の流行の服。
それらの話からダグラスが連想する女性がいた。
「アンジェリーネ」
デリルの妻だというダグラスの言葉にリーフィアは髪と同じ赤い眉を興味深げにぴくりと動かした。セトは師を見て素直に問う。
「先生はその人を知っているのですか」
「ああ、かつての同僚だ。優秀な魔術師だった」
ダグラスは黒い眼を再び閉じて、くすんだ金髪をした女性の姿を思い出す。
アンジェリーネは思慮深く落ち着いた女性であった。リスルム家に嫁入りすることになり、魔術師が集まって催した祝いの席で、彼女は幸せそうに笑っていたものだ。
そして一女をもうけたという話の後に、しばらくして彼女は亡くなったと聞いたとき、ダグラスは悲しみ驚いたものだった。それが三年前のことだ。
だが、今になってなぜ……。
ダグラスは閉じていた目を開く。組んでいた足をくずして立ち上がり、セトの隣まで足を運ぶ。
「呪いを見せてみなさい」
「はい」
素直にセトは、首筋を見やすいように体をずらして位置を変える。
ダグラスはセトのわきに膝をつくが、首筋の呪いには隠蔽の呪文がかかっているらしく、異能を持つ彼の眼にもぼやけて映り、はっきりとは見て取れない。
予想していたダグラスは、看破の呪文を唱える。隠蔽の呪文をといてしまうこともできたが、それはするつもりはなかった。刻まれた呪印が誰の目にも明らかになれば、弟子の生活に支障がでかねないからだ。
「……なるほど。これは解けないね」
ダグラスはしばし印を確認して、あっさりとさじを投げた。
その言葉に頷いて納得の素振りのセトであったが、その隣でリーフィアが驚いて声をあげた。
「えっ、解けないんですか」
「正確には、すぐには、だけどね」
そう付け加えたダグラスだが、実際問題、セトに刻まれた印は解こうとすれば相当に骨が折れそうな代物であった。
呪いは、魔術的な印をつけることにより効果を出す方式が一般的であった。その効果を打ち消すためには、呪いの印を除去すればよい。
しかしながら、呪いをかけるほうも当然それを知っており、呪印のなかに解除されることにより発動する致命的なトラップを混ぜることが一般的である。
呪いというものは、権力者たちの政争や後継者争い、はては戦争といったあらゆる人同士の争いの場面で使用されてきた。魔術の発展とともに、その一分野である呪いもまた高度に洗練されていき、印は悪質なまでに複雑に組み上げられるようになった。
それらの高度な呪いを解除するためには、印に含まれるすべての効果を把握して、まず罠を取り除き、その後に本体の効果を消滅させる必要がある。
そしてセトにかけられた印は、非常に複雑ですべての効果を把握するのすら大変なものとダグラスは見て取った。
リーフィアは、急に心配そうにセトを見ている。一方セトは、当然自分で確認済みなのだろう、ダグラスの意見に同意しているようだ。緊張した面持ちながらも落ち着いていた。
「呪いの件は私がなんとかしてみよう」
ダグラスがそう言うと、セトが自分も手伝うと申し出た。
だが、弟子の申し出を彼は首をふって拒否をした。セトは自分のことだからであろうから意外だったのだろうか。いつもは素直で愛くるしい少年の顔は、師の言葉にめずらしく不満げである。
「そんな顔をするな」
ダグラスは広い肩を困ったようにすくめ、代わりとばかりに指示をだした。
「他に調べてもらいたいことがある」