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第5話

 セトは、王城内に与えられた自室の簡易な浴室の鏡についた水滴を、手のひらで一度ぬぐった。そして鏡にうつる自らの像をじっと見つめた。


 鏡に映る細い首筋には、インクで描いたような細く黒い線で形づくられた紋様が、くっきりと浮かび上がっていた。

 それは、フラウィ――リスルム家の一人娘にかけられた呪いと同じ種類の文様だった。魔術師、つまり印についての専門家としてセトはそう確信できた。


 ――――あの時。


 骸骨の化け物が、自分の首に顔を押し付けた。あの骸骨の化け物が自分に呪印を刻んだのは、その時であろう。セトは、むき出しの歯の冷たくおぞましい感触を思い出してぞっとした。


 だけど、どうして僕に……


 セトは鏡の中の指が、首の印をなぞるのを見ながら疑問を抱く。


 あのとき、骸骨は自分を殺すことはたやすかったはずだった。今思えば、ずいぶんあっさりと投げ捨てられ解放されたように思える。つまり、あの化け物は自分を殺すつもりはなかったのではなかろうか。とすればあれの目的は――――自分に印をつけるためだったのか。


 鏡の中の少年は、翠の眼をを細め眉間に皺をよせながら、セトの首筋を睨むように見ていた。


 呪印の紋様は、フラウィ――リスルム家のひとり娘に付けられていたものに酷似していた。印の微妙な違いがどのような意味をもつのかは、詳しく調べなければわからなかったが。


 やがてセトは、結論のでない思索を中断し、ゆっくりと温かい湯舟に身を沈めた。

 暖かい湯に体を浸してしばらくそのまま体を休めていると、がちゃりと扉があけられた。


「セトさま、大丈夫ですか?」


 開いた扉からリーフィアが顔をのぞかせていた。

 油断していたセトは、慌てて首まで湯に隠れる。


「いっ、いきなりなんですか!のぞかないでください!」

「いや、声をおかけしたのですが、返事がなかったので」

「大丈夫です!」


 背中を向けて首だけで闖入者のほうを向き、セトは叫ぶ。

 狭い風呂の中に少年の声が反響すると、そうですかとリーフィアはあっさりと扉を閉めた。動揺しつつも、セトはさっさと風呂からあがることにした。


「いやいや、そんなに怒らないでください。音がしないから、ちょっと心配になっただけですよ」

「…………」


 ベッドの上で、寝巻兼用の室内着を着たセトが、湿った髪に大きなタオルをかぶせてむくれている。そのわきに立つリーフィアは、怒られるのは心外だといわんばかりの表情だ。彼女も今は胸当てをはずして普段着に着替え、剣だけ片手に持っていた。


 そもそも、なぜ彼女がセトの部屋にいるのか。

 セトを部屋まで送りとどけたリーフィアは、念のため今日は護衛をすると申し出てきた。

 

 本来であれば、セトはその申し出を断っていたであろう。金髪の少年の自室には、自らの安寧を守るための対策を施していた。しかし、あの化物が再び襲撃してくる事態を考えると、セトは拒絶の言葉を飲み込んでしまい、リーフィアの申し出を受けることにしたのだった。


 ベッドに腰を下ろしたセトは、あたまにかけたタオルの中から、リーフィアを見る。彼女は相変わらず全身から輝かく光を放っていた。


 境界の向こうの世界に住むものが闇まとう一方で、こちらの世界に住む者たちは生命の光を身から発している。そしてまれに、彼女のようにひと際強くあかるい光を放つ者がいる。それは一種の才能と言ってよく、彼女のような存在は松明のように闇を照らしだし、そこに潜むものたちを追い払い遠ざける。


 とくに今夜は、リーフィアのその光は心強く感じられた。


「……次からは気をつけてください」


 セトはそう言って、ベッドの中央へ移動して空いた場所を手で示した。

 リーフィアは目を丸くして、よろしいのですかと尋ねるが、セトがうなずくと素直に腰掛けた。手に持ったいた剣はベッドの脇にたてかける。


 セトの個室は広い城の隅の、まるで辺境のような場所にあったが、貴重な魔術師に与えられるだけあって三つの部屋からなる立派なものだった。

 間取りは廊下から入ってすぐの来客ようの応接室、その両隣に書斎と寝室の二つである。さらには、簡易な浴室とトイレまで完備されていた。


 書斎は、何冊もの本が詰め込まれた棚が占拠しており、応接室は急な来客に備えねばならない。よってセトは普段は寝室の、それもベッドの上で過ごしていた。


 セトはリーフィアが、ベッドに腰を下ろすときにくすりと笑ったのが気に食わなかったが、風呂場での件は悪気はなかったとも理解して、なんとか気持ちを落ち着けた。そもそも、彼女は自分の護衛のために部屋にいるのであるから、声をかけて返事がなかったといわれれば、あまりこだわるのも良くないように思われた。


 セトは、頭にかけてあったタオルをはずした。


 そして、ベッドの枕元についている棚においてあった、果実を絞った飲み物とコップをとりだして、リーフィアにそそいで渡す。続いて厚くしっかりしたお盆をとりだして、ベッドの上に置き、自分の分をそこに置いた。セトは、快適な生活を営めるように、いろいろなものを、ベッドの周辺に配置しているのだ。


 リーフィアは、コップに口をつけながら、にこにこと整った顔をほころばせ少年の方を黙って見ている。セトはそれを気に留めないふりをして、今度は丸い眼鏡をかけ、書斎からとってきておいた本と何かの図形が書かれた一枚の紙を取り出した。


 寝室にぱらぱらと本をめくる音だけが響く。セトはしばらくして、調べものに集中し始めていたが、ふわりと柔らかなよい匂いがただよって、リーフィアがすぐ隣によってきたことに気がついた。


「何をしてるんです?」

「あの子の呪いのことを調べています」


 リーフィアはセトを送り届けたあと、一度騎士控室に置いてあった着替えをとって着替えてきた。そのときに、ついでに宿直のための施設で風呂をすませてきたらしい。彼女から漂ってくる香りに、セトは妙に緊張し体をこわばらせる。本の内容を読み飛ばしてしまい同じページを何度も読み返してしまった。


「何も書いてないように見えるのですが……」


 リーフィアが不思議そうな声をあげる。

 彼女の目には、セトが何も書かれていない真っ白な本を読んでいるように見えるだろう。高度な内容がかかれた貴重な魔術書は、機密保持および防犯のため、魔術的に特殊な隠蔽がなされているのが常である。優秀な先人たちは、知識に大きな価値があることを知っており、隠蔽の魔術は非常に高度な発展を遂げていた。

 本に対応する呪文と、セトが身に着けているような特殊な眼鏡がなければ、書かれた文字をみることができず、内容を知ることはできない。


「あら、それは知りませんでした」

「魔術師以外には必要ありませんからね。って今度は何をしてるんですか」


 リーフィアが、ベッドに放り出してあったタオルを手に取って、セトの肩まである髪をふき始めた。


「まだ濡れているでしょう。ちゃんと乾かさないと風邪ひきますよ」


 リーフィアはセトの発言が聞こえていないかのように、手を動かし続ける。


「いつもこうなので、問題ありません」


 セトはそういいつつも、されるがまま好きにさせていた。彼女は暇なんだろうと思い、少し悪い気がしたからだが、彼女の手に髪を触られるのは嫌でもなかった。


 ふたたび、二人は沈黙し、セトのページをめくる音が部屋に響く。


 リーフィアの手は、ちいさな上司の邪魔にならないように気遣いながら動いていた。そのため、やがて少年の緊張もとけてまた調べものに集中できるようになった。


 セトが読んでいる本は、魔術の印に関する専門書で、さまざまな図形の効果がまとめられた便利な図鑑であった。紙に書き起こしたフラウィに刻まれた呪いの紋様と本の図形を見比べながら、その図形の意味を可能な限り読み解いていく。


 だが、問題の印は、いくつもの円や多角形が複雑に組み合わされた非常に高度なものであり、彼の力では完璧に読み解くことは難しそうであった。セトに理解できたのは、少女の力をそぎ落とし弱める効果が強く込められているはずだ、ということだけだった。


 どれくらいそうしていただろうか。解読に没頭していたセトは、いつの間にかリーフィアの手が離れているのに気が付いた。セトが顔をあげると、彼女は少年の手で書かれた紋様をのぞき込んでいた。


 一息ついた上司に気が付いた彼女は、黒い目を合わせて問いかけた。


「何かわかりました?」

「いえ、詳しいところはあまり。大まかには、あの子の力を弱めるような、よくある効果のはずですが」


 少年は自分の首筋を無意識になぞりながら言った。リーフィアは少年の小さな指の動きをじっと見る。セトは、さりげなく視線を本にもどしながら手を首から離した。


「首が痛むのですか?」

「いえ、大丈夫です」


 リーフィアは体をひねり身を低くして、セトの顔をしたからのぞき込みながら聞いた。癖のある赤い髪がぱらりと垂れた。

 

「何かされましたか」


リーフィアの声色には、少年への気遣いと追求の意思が込められていた。

セトは彼女の勘の良さに降参して、白状した。


「呪いをつけられました」

「……何か変だと思ったら、そうでしたか。どういったものですか?」

「わかりませんが、良いものではなさそうです」


 ふるふると首を振る動きにあわせてセトの金髪がさらさらと揺れる。

 リーフィアは体を起こして、はあっと小さく息をはいた。

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