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第3話

 ぽくりぽくりと、昼下がりの大通りを馬がゆっくりと進む。


 セトは屋敷を出て馬に腰掛け、おとなしくリーフィアに抱えられたまま、城へと帰る途中だった。リーフィアは、いつの間にか最低限の言葉以外は発さなくなり、静かにセトに寄り添うようにしていた。


 少年は、何も聞いてこないリーフィアの心遣いに感謝しつつ、屋敷での出来事を振り返る。


 ――――リスルム家の屋敷に入った瞬間、セトは大変なところに来てしまったと認識し、気を引き締めた。


 裕福であろうリスルム家であったが、主人の妻はすでに亡く、残された一人娘は原因不明の病で臥せっている。一般的にいって主人のみならず、彼らに仕える者たちにとっても不幸な状況で、屋敷に暗い空気が流れているのは当然といえよう。


 だが、そういった情緒的な空気感というものではなく、より現実的な暗さをセトは一瞬で感じ取っていた。招き入れられた屋敷内には、よくないものが多数混ざりこんでいた。


 たとえば、昼間にもかかわらず、セトの目には廊下はひどく暗く映る。

 たとえば、廊下を案内されているときに、ちいさな子供が泣いているような声が、家のどこかから聞こえてくる。

 また、たとえば、弱弱しい黒いもやが、主人のデリルにまとわりついている。そして、よく聞き取れない小さな声で、何かを彼にささやき続けている。


 セトは、この世の者たちだけでなく、境界を越え、あの世の者たちを感じ取ることができるのだ。彼が夜の街に出かければ、あちらこちらににじみ出た、この世ならざる者たちの姿や声を、見つけ出し聞き取ることができるだろう。


 そういった能力を、少年は生まれつき与えられていたために、現世にただようあの世の者たちをどう扱うべきかを知っていた。セトはそういったものに気がついても、何事もないかのように振舞う癖を、物心つくころには身に着けていた。


 だが、少年のそれらの経験からしても、リスルム邸はずいぶんと不穏であり、また不気味であった。はっきり言ってすぐにも立ち去りたい恐ろしい屋敷だった。

 セトは一目散に逃げ帰りたくなったが、もちろんそういうわけにもいかず、気合を入れなおしさっさと職務を果たすことにした。何か具体的な対策をするにしても、準備が足りていないが、自分への敵意も感じなかった。


 デニムにつれられ、彼の娘であるフラウィの部屋に入ったとき、セトは息をのみ凍りついた。部屋のベッドの脇に女の使用人に並ぶようにして、薄汚れた服を着た骸骨が立っていたからだ。


 セトはそれを目にした瞬間、反射的に目線をベッドに固定して表情を消した。そして固まる体に鞭をうち、なるだけゆっくりと自然にベッドへと歩み寄る。気づいたことに気づかれないように。


 ――――なんだあれは?!


 心臓が早鐘のように音を立て、全力で警戒を呼びかけてくる。

 あれはまずい。


 視界の端にぼんやりうつる骸骨は黒い服を着ていた。すそのながいその服は、女性もののドレスに違いない。また、一瞬確認できた頭部には肉がまだついているのか、細い糸のようなくすんだ金色の長い髪が、ばらばらと汚らしく垂れていた。


 セトはさして長くないその人生において、おそらく最大限の努力をして全力で平静を装った。

 ベッドに横たわる少女を観察することに集中し、その首元に呪印の存在を感じ取った。


 同僚のイーリスからは、その印についての報告はなく、隠蔽されていることは間違いなかった。セトは用意してきた聖水と定められた呪文でもって、幼い子供にかけられた呪いの証拠を暴き出し、果たすべき最低限の役目をなんとか終わらせた。



 ――――その後、セトは蒼白になったデリルをなだめて、リーフィアと共にミスルム邸から脱出した。


 あわてるデリルはセトに強く説明を求めた。だが、現状だと詳しい話はまだわからず一度城にもどり対策を調べて後日また訪問する、という話を繰り返し、なんとか納得させたのだった。


 さて、どうするべきか。


 墓場よりも恐ろしい屋敷から、無事に逃げおおせて安心したセトは、リーフィアの胸あてに金色の頭をあずけ、ようやく落ち着きを取り戻していた。

 彼の体をつつむ彼女の腕は、女性ながら力強くセトの体を支えてくれていた。


 セトはちらりと目線をあげてリーフィアの顔をのぞき見る。

 その美しい女性は、頭の先からつま先まで、ひいては一本の髪の毛にいたるまで生命の力に満ちあふれ、セトの目には、まばゆいほどの光を放っていた。


 光輝く彼女の姿は、暗闇を好むあの世の者にとっても、さぞかしまぶしく見えるであろう。彼女はおそらく、いままでそういった暗闇のものたちを見たことなどないだろう。なぜなら向こうが避けるからだ。


「落ち着かれましたか?」


 ちらりとセトを見て、リーフィアがやさしく少年を背をなで、穏やかな声で尋ねた。やはりセトの様子から違和感を感じ取り、気を遣ってくれていたようだ。


「はい。すみません」


 セトの返事にリーフィアは、少し笑って、謝らなくてもよいという。そして、かわらずセトの様子を心配げにうかがいつつも、何も言わずに背中をさするように撫で続けた。


 金髪の少年は、彼女が事情の説明を望んでいることを察してはいたが、どう話すべきか迷っていた。


 セトは若輩ながらも魔術師と認められるだけの才と知識をもっている。したがって、リーフィアに彼の知った状況を納得させうるすべも持っていた。だが少年は、それをリーフィアに知らせるのは慎重にするつもりであった。


 セトの前任の護衛は、心根も能力も信頼できる男であった。しかし、幾たびか少年の世界を見るにあたり、しだいに彼は恐怖に苛まれ始めた。苦しみながらも職務に忠実だった男を、セトが解任し解放したのはつい先日のことである。


 セトはその経験で、自分の見ている世界と対峙することは、たとえ優秀な人物であったとしても、素養がなければ大きな負担になることを学んでいた。それゆえ、リーフィアに対して性急にそれを見せることをためらっていた。リーフィアは、前任者と異なり、その存在自体がセトにとってこの上なく心強いのだ。


 しかし今は、思っていた状況とは大きく違っている。


 あちらの世界のものたちが相手であるならば、セト自身がそれなりに対処できるつもりであった。そしてリーフィアにそれらが害をなすのは難しいはずだった。通常、境界線の向こう側にいるものたちは、こちらが認識しなければ大きな影響を与えてきたりはしない。


 だが、ミスルム邸でみたあの骸骨は、かなりまずい存在だ。あれは、こちらの世界に干渉できる力を持っている。そういう存在であると、セトは生まれ持った能力とこれまでの経験でそう確信していた。


 ならば今後も調査を続けるにあたっては、そういう危険な存在があの屋敷にいることを、護衛役には伝えておかねばならないだろう。一方で、セトはあれこれ頑張って引き抜いたリーフィアを、早々に失うことは避けたくもあった。


 相反する事情にはさまれて、セトはどうしたものかと思い悩んでいたのだった。


 リーフィアは、物言わず考え込むセトをしばらく見つめていたが、小さな背中をよしよしというようになでる。そして、直接的な質問ではなく別のことを口にした。


「セトさま、このあとは何かご予定がありますか?」

「いえ……今日はもう特にはありませんね。あとはあの呪いの印の型を調べるだけですが、おそらくすぐにわかるでしょうし」


 ミスルム家へは、余裕をみて数日後に連絡を入れることにしてある。

 また、セトはあの危険な存在への対処については、明日行おうと考えていた。というのは彼が相談しようと思った人物は、現在、城にはおらず、明日に帰ってくるはずだったからだ。


 リーフィアはセトの返事を聞いて、にこやかに笑った。


「では、ご飯を食べに行きましょう。私はお腹がすきました」

 

 ミスリム家との約束は、お昼時を過ぎた時刻であった。

 リーフィアがセトのもとへと来てから城を出たために、二人は昼食を街の売店で買った簡単なもので済ませていた。少食なセトはそれで十分であったが、リーフィアは物足りなかったのだろう。


 日が沈むまで、まだ二刻ほど間がある。食事には中途半端な時間であるが、セトは了承した。食事をしながらゆっくり話をしたい意図もあるのだろうかと思ったからだ。


「……わかりました」

 

 セトが答えるとリーフィアは手慣れた手つきで馬を操り向きを変えた。

 しばらくして、二人は大通りにある大きな食堂に入った。


 たくさんの座席を備えられた店内は広く、食事時をはずれたために人もまばらであった。二人は周囲に先客がいない席に腰を下ろした。リーフィアは本当にお腹がすいていたようで、しっかりとした食事を頼んでいる。セトは飲み物と軽い食事を注文した。客が少なかったためか、食事はすぐに届けられた。


 リーフィアがぱくぱくとお腹を満たしている合間に、セトはぽつぽつと自分の見たものを話はじめた。


 自分の特殊な能力のこと、屋敷の様子、恐ろしい骸骨、リーフィアの力。

 リーフィアは、それらの話を聞いて驚いた様子を見せつつも、ふんふんとうなずきがら食事を終えた。


「にわかに信じがたい話ですね」

「まあ……そうだと思います」


 リーフィアは疑っているわけではないと前置きしながらも、そう感想を述べた。

 セトもまた、通常はそうであろうと思ったので否定もしなかった。


「あの部屋にその骸骨とやらがいた、と。まったく気がつきませんでしたが」

「僕のような力があるか、特殊な術を使わなければ気づけません」


 境界を隔てたものたちは、こちらが気づかなければ、通常さほど害はない。危険な場合はセトのように生まれつき気づけてしまう場合か、向こうの力が強力である場合だ。もしくは、悪意をもった人間がそれらを使役する場合である。セトはそう解説する。


「ふむ。まあ信じましょう。セトさまのおびえっぷりは演技とも思えませんし」


 リーフィアはにやりと意地悪く笑う。からかわれたセトは、反発する気もおきなかったので素直にありがとうと礼を言う。


「張り合いがありませんね。行きとはずいぶん違うじゃないですか」

「まあ、いろいろあったので」


 落ち着きはしたが、元気のない少年の様子にリーフィアは嘆息した。


「だいぶ、こたえてますね。そんなに危険な相手なので?」

「おそらく。明日先生が戻られるので相談してみます」

「先生?」


 セトは自分の師匠にあたる人物に相談するつもりだと言った。リーフィアはなるほどとあっさり流して、また別のことを聞く。


「それで、私はあなたを守るためにはどうすればよいのですか」


 リーフィアはまっすぐセトを見つめてそういった。視線と同じくまっすぐなその言葉を受け、セトは翠の目でじっと彼女の黒い目を覗き込む。


「怖くないのですか」


 しばらくしてから、セトは質問に質問で返した。


「怖い……ですか。まあ護衛の仕事も実践も初めてではありませんから」


 リーフィアの口調はまったく変わらず、気負いもないように聞こえた。セトは彼女の経歴についてはそれなりに把握しており、実戦経験も人を切ったこともあるのを知っていた。


「……それについてはまた明日説明します。先生に相談してから」


 セトはリーフィアの迷いを感じさせない言葉を頼りそうになったが、結局、逃げるように先延ばしにしてしまった。今日の出来事で弱気になった少年は、前任者の件を伏せてしまっていた。


 セトは今日一日で、リーフィアのことを気にいってしまったために、臆病風にふかれて慎重な判断を選択してしまったのだった。

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